1876年~1944年 大日本印刷の誕生

当社の前身、秀英舎は、明治維新後まもない1876年(明治9年)、東京・銀座の地に誕生しました。
「活版印刷を通じて人々の知識や文化の向上に貢献したい」。創業の原動力になったのは、発起人たちのそんな熱い思いでした。
秀英舎にとって初めての大仕事は、大ベストセラーとなった『改正西国立志編』(原題『Self-Help』、スマイルズ著)の印刷。若者たちに勇気を与えたこの本は、日本初の国産洋装本で、表紙の板紙も秀英舎が開発したものでした。
1886年、秀英舎は東京・市谷に工場を建設。1923年(大正12年)の関東大震災を契機に、本店機能は市谷に集約されました。廉価な文学全集が続々と出版された“円本ブーム”が去ると、印刷業界は厳しい状況にさらされましたが、そんなさなかの1935年(昭和10年)、秀英舎は日清印刷と合併、「大日本印刷」として新たなスタートを切りました。

  • 明治20年頃の本舎(京橋区西紺屋町)
  • 日本初の国産活版洋装本「改正西国立志編」
  • 秀英舎が鋳造した活字
  • 明治20年頃の市谷工場(牛込区市谷加賀町)
  • 大日本雄弁会講談社(現 講談社)「キング」創刊号
1876年(明治9年)10月9日
秀英舎創業。数寄屋河岸御門外の弥左衛門町(現 銀座4丁目2番)にて
1877年(明治10年)
『改正西国立志編』(日本初の純国産活版洋装本)完成
1878年(明治11年)1月
最初の舎則を定める。印刷業を「文明ノ営業」として創業の精神を表現
1881年(明治14年)7月
活字の自家鋳造を開始
1882年(明治15年)9月
製文堂を創設。活字の販売を開始
1886年(明治19年)11月
牛込区市谷加賀町に市谷工場を開設
1889年(明治22年)1月17日
佐久間貞一が舎長に就任
1890年(明治23年)2月
「国民新聞」の印刷を受託。京橋区日吉町の民友社内に出張工場を設ける
1891年(明治24年)2月28日
佐久間貞一が保田久成の協力を得て印刷雑誌社を設立し、業界誌『印刷雑誌』を発刊
1894年(明治27年)1月19日
株式会社秀英舎を設立登記
1895年(明治28年)12月22日
本舎工場の増築工事完了。国内初の鉄骨煉瓦造建物(若山鉉吉海軍技師が設計)
1899年(明治32年)4月30日
大阪市築港公債証書百円券を凹版で印刷(後に五百円券も)
1907年(明治40年)4月4日
日清印刷設立。榎町工場を開設
1910年(明治43年)8月10日
製文堂、『活版見本帖』を発行
1911年(明治44年)2月
ポイント式活字母型(9ポイント)を完成
1912年(明治45年)2月
製文堂、二号「活字見本帖」を発行。秀英体(別ウィンドウで開く)の第三次改刻が完了
1916年(大正5年)4月
市谷工場に四六全判オフセット印刷機を初めて設置(オフセット印刷の開始)
1923年(大正12年)9月1日
関東大震災で本店および活字販売課(製文堂)が類焼
10月15日
本店を牛込区市谷加賀町に移転
1924年(大正13年)11月
大日本雄弁会講談社の雑誌『キング』創刊。秀英舎が印刷を受注。大量生産体制確立
1926年(大正15年)12月3日
改造社が『現代日本文学全集』刊行、秀英舎が印刷を受注。円本ブームはじまる
1927年(昭和2年)7月10日
岩波文庫(岩波書店)創刊
11月26日
銀座営業所(活字販売所)を開設(現在のギンザ・グラフィック・ギャラリー<ggg>の地)
12月30日
日本最初の地下鉄(上野-浅草間)開通
1928年(昭和3年)9月12日
日清印刷が辻本写真工芸社を買収。日本初の原色グラビア印刷開始
1932年(昭和7年)10月1日
日清印刷が大崎分工場を開設
1935年(昭和10年)2月26日
秀英舎と日清印刷が合併、社名を大日本印刷とする。増田義一、取締役社長に就任
1941年(昭和16年)5月24日
青木弘、取締役社長に就任
12月8日
日本軍、真珠湾を攻撃。太平洋戦争始まる
1943年(昭和18年)12月23日
佐久間長吉郎、取締役社長に就任
1944年(昭和19年)
技術部研究室が発足