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プライバシーステートメント
地域づくりとアート
サステイナビリティとしてのアート──
江戸文化薫る下町のプラットフォーム「NPO法人 向島学会」
影山幸一
美しい日本とはなにか
 美しいとは、いったいどういうものなのだろう。美しさを探し求める旅のなかでは、現在の価値観で美を限定してよいのかどうかも疑ってみることも必要であろうし、ときに美は近づけば遠ざかってしまうように、たやすく手中にできないことは確かだ。2006年9月、「美しい国、日本」を目指す国家像として、戦後生まれの安倍晋三首相が誕生した。29日の所信表明では、“美しい国”の内容を4点掲げた。初めに文化、伝統、自然、歴史を大切にする国。二つ目に、自由な社会を基本とし、規律を守る、凛とした国。三つ目に、未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国。そして最後に、世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国である。美しい日本とはなにか、具体的なものが見えてこないが、アートは美しさに貢献できるだろう。日本の各地域で、これから美しいを掲げる活動は増えるだろうが、歴史学者の木村尚三郎が会長を務める「美しい日本の歩きたくなるみち推進会議」や、フランスの「フランスで最も美しい村」活動に範を取ったというNPO法人「日本で最も美しい村」連合などは、既に美しいを標榜した活動を行なっている。地域に暮らす人々が自主的に参画する観光まちづくりの活動は、地域振興だけでなく、地域に対する愛着を育み、自分たちのまちに誇りを持つ地域創造事業として注目されてきているようだ。愛らしい、快く好ましい、立派で心打つ、潔いなどの意味をもつ美しいという言葉だが、またそれは美と同じように感動を人に与えるなにかであって、儚さもあるだろう。日本の美しい伝統文化が息づく地域であり、また狭い路地をはさんだ下町の庶民の生活があり、アートプロジェクトも同居する魅力的な地域が、東京・墨田区にある。

美しいけど近づけない伝統文化
 葛飾北斎の生誕の地であるほか、松尾芭蕉や小林一茶、森鴎外、芥川龍之介など文人が居住していた墨田区には、大相撲の殿堂・両国国技館があり、相撲部屋54部屋中21部屋がある。また江戸時代から続く隅田川の花火や桜、江戸小紋・更紗の染め物や足袋など伝統工芸・文化が今も息づいて江戸の気を感じる。20軒ほどある料亭街では芸妓(げいぎ)が踊り・長唄・鳴り物の伝統芸能を披露している。一見客では入れない料亭での美しい伝統文化、墨田区・向島にはこうした花街もあるのだ。1986年、芸妓屋組合、料亭組合、料理店組合の3組織が地元の和の文化を継承していこうと「向嶋墨堤(ぼくてい)組合」(見番)を発足した。事務局長の古市進氏(以下、古市氏)によれば、数奇屋造りの贅をこらした料亭は、毎日花を活け、季節ごとの調度品を用意し、会席料理と伝統芸能で客をもてなす。五感で和の美を味わう空間。見番通り沿いにある組合2階の稽古場では、7名いる師匠から芸妓約120名が芸を受け継いでいる。芸を専門に身を立てているのが芸妓である。芸も身も売るのは娼妓といい、芸妓と娼妓の総称を芸者と教えてもらった。伝統芸能が一般の人々の肌に染みていないのは問題、伝統芸能がもっと身近になっていかないといけないと古市氏は言う。敷居が高いといわれる料亭だが、課題は料亭の良さを残すために、時代に即した商売の仕方を考えること、残すのには大変な労力がいると力を込めた。これは向島だけでなく日本全国にある花街の問題でもある。

下町発の現代美術
曽我高明氏
向島学会理事の曽我高明氏
 610mの放送電波塔新タワー(すみだタワー)の建設が2011年の完成を目指し、「押上・業平橋地区まちづくりグランドデザイン」として進められている。江戸文化の継承地でもあるこの向島の地域はまた新たな時代を迎える。そのレトロモダンな地域に現代美術のギャラリーができたと聞いたのは8年ほど前。アートの流れが銀座線沿いに銀座から渋谷方面へ流れるなか、逆流して隅田川を越えたギャラリーとして新鮮だった。向島系アートが、まちづくりに貢献しているとインターネットで知り、向島へ行ってみた。伺ったのは今年NPO法人となった「特定非営利活動法人 向島学会(以下、向島学会)」で理事を務めている曽我高明氏(以下、曽我氏)のところだ。曽我氏は隅田川を越えたギャラリー現代美術製作所のディレクター兼(株)城東製作所の社長でもある。現代美術製作所での展覧会で作品を制作するプロセスに関わることから、他のイベントのコーディネートにも関与することになり、地域を考える機会が増えていった。向島の面白い街並みにギャラリーが点在し、線となり面になるのが理想だと感じるようになったそうだ。曽我氏は向島生まれでも在住者でもないが、祖父が大正10年に築いた電気工事や点検時に使うゴム手袋などを製造する会社がこの地にあり、その一部を改装して現代美術製作所は開設された。1997年にコンテンポラリーアートとは無縁とも思える地域に突然先端的なアートが出現し、当初は地元の人も戸惑いがあっただろう。来年10周年を迎えるという現代美術製作所が果たした役割は、ギャラリースペースをはるかに超えた地域という空間でひとつのムーブメントを作り上げた。向島で生まれるアートの特色は、時間をともないながらコミュニケーションを誘発するプロセスにあると曽我氏。美術館や画廊とは異なる路地の多い木造住宅密集地で展開されるアート、地域全体を素材ととらえアートプロジェクトは創られていく。その作品にはユーモアや温もりが加味されている。

現代美術製作所 向島学会のあらまし
左:現代美術製作所
右:向島学会のあらまし
路地琴プロジェクト
路地琴
向島百花園に試験設置されている路地琴
画像提供:水内貴英
 文化庁は、1950年代から現在までの日本のメディア芸術を代表する作品をインターネット投票で選ぶ「日本のメディア芸術100選」を先頃発表した。アート部門では、大阪万国博覧会(1970)のシンボルである岡本太郎の作品「太陽の塔」が1位となった。パブリックアートが身近になってきたのか、多くの人が目にする作品が選ばれた。向島では10月から向島学会が協力している美術家・水内貴英住中浩史の「路地琴プロジェクト」が始まった。「美術館やギャラリーではない、様々な人が関係している生活空間であったりするので、様々な立場の人から見て、解釈可能な作品・プロジェクトにしていくことが肝要だと考えている。また一人よりも二人で、お互いの視点に客観的な批判を加えながら作品を練り上げていった方がより多くの解釈のための入り口を持った作品になる」と水内貴英がメールで回答してくれた。実験と調整を繰り返して開発した水琴窟を向島の魅力的な場所に設置して、地域の活性化を図ると同時に、向島の魅力を広く発信していくアートプロジェクトである。「路地琴プロジェクト」はシンボリックな作品ではないが、人々の記憶に残る忘れ難い作品となるだろう。現在、向島百花園、鳩の街通り商店街「ウナマノ」前、東向島二丁目町会内に試験設置中とのことである。迷路のような路地を歩いたあと水琴窟の水滴の音を静かに聴いていると一滴ごとにタイムスリップした気分が深まっていくかもしれない。

川の手倶楽部から向島学会へ
 向島学会設立時からのメンバーである曽我氏によると、向島学会は1988年に防災まちづくりなど、住民主導でまちづくりを進めたいとする有志が集まった「川の手倶楽部」がひとつの起源。ドイツ・ハンブルクの下町オッテンゼンや震災地・神戸などのまちづくりNPOとの交流もこのとき以来続けられている。曽我氏が向島学会と結びついていくのは1998年、12か国150名の建築系専門家と学生が集まった川の手倶楽部主催の「向島国際デザインワークショップ」に参加したときがきっかけとなったようだ。その後「向島国際デザインワークショップ」で出会ったドイツ人建築家のティトス・スプリーが実施した、空き家やまちづくりの用地としての空き地を活用したアートイベント「向島ネットワーク」(2000)に少し関わる。このとき初めて地域の中でアートの持つ可能性を自覚したと言う。そして、向島学会設立の契機となった町会・組織を越えた地域住民主体のイベント「向島博覧会2000」が開催された。翌年、向島に新たに越してきたアーティストたちが地元有志などの協力を得て、手弁当で開催したのが「アートロジィ 向島博覧会2001」である。アーティストたちの自宅をそのまま展示会場に用いたのが話題となった。これらの活動でまちづくりは都市計画など建物や道路を大きく変えていくだけでなく、コミュニティに入り込んでいく作業があることがわかってきたと言う。また、大学のさまざまな分野の学生が、調査や演習などで訪れる向島において、蓄積されている学術研究の成果を地域に還元する仕組みも求められていた。向島地域に関する学術・芸術などの成果を集約し、それらを地域に還元するとともに、今後の向島地域のあり方を検討し、広く情報発信・行動提案していくことを目的とする向島学会が2002年4月に発足した。2004年の半年間に50ほどのイベントを行なった「向島Year2004」を経て、2006年責任をもった事業展開を推進するためNPO法人とした。

《すみだタワー(仮称)》 北斎通り
左:新タワーの《すみだタワー(仮称)》 画像提供:東武鉄道(株)
右:江戸東京博物館前の北斎通り
向島学会から向島大学へ
 向島学会の現在の理事長は向島に生まれ育った成蹊大学教授の高木新太郎氏、副理事長には向島百花園で茶亭を営む佐原滋元氏と渡辺慎二氏が就き、都市計画の専門家など外部の人を含め会員46名で向島学会は構成されている。隅田川、荒川、旧中川、綾瀬川、北十間川に囲われた地域を向島研究の対象に、地域資源の積極的な活用と内発的な地域活性化を図っている。江戸時代以来の歴史と文化を継承した地域資源の価値を見直しながら、地域を活性化するための芸術・文化プロジェクトを推進。また住宅、商店、工場の住商工混在地域が抱える問題や少子高齢化が進み空き地・空き家が増えた問題に向き合い、住まいづくりや世代間の交流の方策など、改善していくまちづくりを検討、実践している。そのプラットフォームとなるのが向島学会なのである。しかし、知名度はまだ高いわけではない。「アートして地域の中で浮いているという反省と、地域を外から見てもらう必要性を実感している」という曽我氏は、時間をかけて住民に活動を理解してもらえるように、ゆるゆると取り組む態勢だ。活動は定期的(隔月)に交流サロンが開催されるほか、昨年より地域そのものを教材・キャンパスととらえた、まちづくりとアートの学校「向島大学」を企画し、「向島アート・まち大学」という講座をAIGすみだコミュニティ・プログラムの助成を受けて開講した。それら活動の記録はテキストと写真を合わせて、向島学会のホームページに掲載し、アーカイブとして充実を図っている。ただし2001年以降のアート関係の記録は、デジタル写真・ビデオで曽我氏が管理しているが、未公開のものも多いようだ。それらもホームページで見られるようにしてもらうと嬉しい。デジタルアーカイブの構築は地域活動の百科事典になっていく可能性がある。さて、将来の地域発展像、例えば木造住宅密集地域を残せばいいのか、新しくすればいいのか。まだまとまっていないようだが向島学会としては、住商工が混在している地域の未来を考え、提言していくのが今後のテーマ。またNPOとしてどのように事業を具体的に広げていけるのか、その人材や仲間を増やすことが今後の課題だ。生活に直接役立たないと思われるアートだが、アートの機能性を意識的に発揮することにより、アートは問題を提起し、もしかしたら問題も解決していく力を発揮するかもしれないと曽我氏は考えている。サステイナビリティとしてのアートが生まれる。

人・モノをつなげるアート
 向島学会のアートプロジェクトに関しては主に曽我氏と同じく理事でAAN(アート・オウトノミー・ネットワーク)ディレクターの嘉藤笑子氏が担当し、その他の活動についても各理事が専門分野を活かしてそのつど運営・管理に当たる。予算はプロジェクトごとに協賛を得て今のところ会費のみで賄っていると言う。曽我氏はアートの定義を「ビジュアルアートに偏らず、一つひとつのクオリティよりもプロセスとしてどれだけ人を巻き込んだとか、キーマンをどれだけ引っ張り込めたとか、いろんな評価の基準があると思う。アートとして?であってもアートプロジェクトとして成立していればいいという考えもある。日常に近いところにありながら、日常を新しい視点で見直せるような視点を提供してくれるものをアートと思いたい」と述べた。そして、コミュニケーションを発生させ、人・モノをつなげるのがアートの力であり、アートプロジェクトではコミュニケーションプロセスが大事と強調する。町に入っていく作品を誘致している曽我氏の力もあって、若いアーティストたちが鳩の街通り商店街などに移住してきた。アーティストにとっては発表の場が増え、向島学会は実績となってパートナーシップの関係が築かれている。アーティストという人間がわかってくると作品もわかってくるという向島流。アーティスト移住者を歓迎し、なるべく多くの作品を点在させ、多様な美のなかからなにかを感知してもらい、アートがもっと身近なものになることを望んでいる。
向島料亭街 芸妓
左:向島料亭街
右:お座敷で芸を披露する芸妓 画像提供:向嶋墨堤組合
■NPO法人 向島学会基礎データ
法人名:特定非営利活動法人 向島学会
住所:〒131-0032 東京都墨田区東向島3-4-2
電話:03-3624-8673
設立年:2002年4月
理事長:高木新太郎
副理事長:佐原滋元、渡辺慎二
理事:阿部洋一、遠藤裕子、岡田昭人、大崎元、嘉藤笑子、後藤宜則、曽我高明、高原純子、友野健一、長谷川栄子、藤野雅統、藤井正昭、古橋良文、北條元康、真野洋介、田和茂一(森栗茂一)、山本俊哉
監事:白鳥一信、渡邉直
会員:46名
事業:
1.地域資源の情報収集及び提供事業
2.地域活性化活動の支援事業
3.住まい・まちづくりに関する調査研究事業
4.アートとまちに関する講座及びイベント事業
5.他の市民団体との交流事業
6.その他この法人の目的達成のための必要な事業

■参考文献
「向島学会のあらまし」2003.2,向島学会
「Planners・都市計画家」No.45, 2005.2.15, (NPO)日本都市計画家協会
「マップルマガジン 両国・錦糸町・向島 墨田区」2005.11.1,昭文社
「向島歩いて再発見」朝日新聞(夕刊)2006.9.6, 朝日新聞社
「街に音のアート「水琴窟」」日本経済新聞, 2006.9.12, 日本経済新聞社
「向島のまちづくりとアート」曽我高明サイト(http://www002.upp.so-net.ne.jp/magnet/dts/soga.html)2006.10.11
「現代美術製作所」カルチャー・パワーウェブサイト(http://apm.musabi.ac.jp/imsc/cp/menu/artspace_alternativespace/gendai_bijyutsu_seisakusyo/intro.html)2006.10.11
「地域文化の振興〜文化で地域を元気にするために〜」文化庁 (http://www.bunka.go.jp/1bungei/bunkasinkou/index.html)2006.10.11
2006年10月
[ かげやま こういち ]
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掲載/影山幸一
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