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掲載/歌田明弘|掲載/影山幸一
光の波面を記録し、環境芸術へ
──ホログラフィアーティスト「石井勢津子」

影山幸一
 光の彫刻ともいわれるホログラム。透明に見えたフィルムに光があたった瞬間、フィルムの上や、奥の空間に立体像が浮かび上がる。あるいは平面の中に立体像が浮かび上がり銀色に輝く。ホログラムの表情は不思議で多彩な非日常を掌サイズでも体験させてくれる世界だ。しかし、最も身近なのは、紙幣偽造防止にその高度な技術が導入され新札の上に光っているあれ。視点の角度を変えると、画像の色や模様が変化し、機能的でありながら玉虫色の光を放つ。三次元写真の異名をとるこの技術は、写真が芸術の領域を切り開いたように、きっと多くの可能性を秘めた記録と再生の芸術でもあるのだろう。

美術家・石井勢津子
美術家・石井勢津子
 10年以上前、「ホログラムアニュアル イン銀座」というグループ展を東京・銀座ギャラリー中沢で見ていた。初めてホログラフィアートなる作品群と対面した。技術やディスプレイの構成に目が行き、作品を堪能するには至らなかったような気がする。このとき石井勢津子(以下、石井)の作品が暗闇の中、中央に設置されていたのはよく覚えている。アート&サイエンスの分野で、また物理学の知識の必要なホログラフィは日本ではまだ女性が珍しかったのかもしれない。美術家であることにこだわる石井は現在もホログラムの新境地をダイナミックに開拓している。Margaret Benyon(英国),Harriet Casdin-Silver(米国),Dan Schweitzer(米国),Sam Moree(米国), Douglas Tyler(米国),Rudie Berkhout(オランダ)といったアーティストたちと、ホログラフィを芸術に押し上げたホログラフィアートの第一人者である。物理の知識とその技術を備え、ホログラムを操る。素材の特性そのものがすでに光を抱いたアートともとらえることができ、その素材の力を超えた説得力ある作品を生み出すのは難しいことだろう。鑑賞者が移動することによって現われてくる立体像の移ろう作品は、どのように記録・保存されるのか。立体物のデジタルアーカイブもこのホログラフィの恩恵に浴する日は近いはずだ。

アクエウスのつぶやき
《アクエウスのつぶやき》
マルチカラーレインボウホログラム/ガラス/ステンレス/ミラー/水,H:210cm×W:330cm×D:210cm,
東京工業大学百年記念館,1995
 今年、東京工業大学(以下、東工大)で「ホログラフィによる芸術表現と実践に関する研究」という論文により博士号を取得した石井。地下空間が今おもしろいと語る石井に、東工大の百年記念館で会うことができた。百年記念館ホールには代表作である《アクエウスのつぶやき》が常設されている。子供の頃、東京国立博物館で開催されていたゴッホ展に感銘を受けた石井は、キュリー夫人にあこがれて東工大の理学部応用物理学科に学ぶ。しかし、中学生の頃から抱いていた芸術への夢は消えることはなかった。東工大を卒業後、美術学校へ入学し、古典的な絵画技法を3年間学び、パリ国立美術学校へ1年間留学した。ヨーロッパで芸術環境に触れ感性を磨いた。石井がホログラムと出会ったのは、帰国後仕事の方向性を模索していた70年代後半。銀座の街角で宣伝用にディスプレイされていた、動くホログラムを偶然見かけたのが最初である。実在しているように見えるのに触れることができない立体像、思わず手を伸ばしていた。視覚と触覚のギャップを伴った非日常的なその体験に驚き、日本のホログラフィ研究の先駆者が母校である東工大の辻内順平教授であることを知り、再び東工大へ、研究生となった。

 ホログラフィは、ハンガリー生まれでイギリス在住の物理学者デニス・ガボール(Dennis Gabor)によって1948年に発明された。最大の特徴は裸眼で写真のように立体像を自然に見ることができる三次元像の再生である。光の波面を記録・再生できる技術であり、表現・保存メディアでもある。1839年に生まれた写真に続く映画、ビデオ、CGと同様の映像メディアとしてもとらえることができる。1960年、位相がそろい波長も一定したレーザー光発明後は、立体像を記録できる新しい光学の技術となった。ホログラフィを石井は、「光の色を糸のように紡ぎ、光そのものを粘土のように形づくることを可能にしてくれるメディア」と言う。ホログラムとはガボールが作った造語でギリシャ語のホロス(完全な)とグラム(メッセージ)の合成語である。三次元像を記録したフィルムや乾板をホログラムといい、ホログラムに像を制作・再生する技術を総称してホログラフィと呼ぶ。1971年ガボールはノーベル物理学賞を受賞している。

 ホログラフィも写真のように記録光学系システムである。しかし、カメラを使わず、レーザー光をあて、被写体の三次元情報をもった光波(光の波動)面を記録材料(フィルム・乾板)に記録する。均一な光波をあてることが重要なため、レーザー管、レンズ、鏡、ハーフミラーを用い、除振台の上で撮影する。再生された三次元像は、フィルムなどの上に存在するように見える場合と、奥の空間に浮かんでいるように見える場合がある。当然いずれの場合もフィルムの上にレーザー光で記録してあるのだが、どのように見せたいかによって、ホログラフィの種々の技術を組み合わせる。画像の位置の分類でいえば上に乗っかって見えるのがイメージホログラム、ふんわり浮いて見えるのはフレネルホログラムである。その撮影手順を簡単に説明すると、ひとつのレーザー光線をビームスプリッターによって2つに分け、一方の光を被写体(物体光)にあて、もう一方を感光材(参照光)にあてて、その物体光と参照光の2つの光が重なることで干渉縞*1ができ、これを記録材料に記録し、現像して明るさと光の方向情報を定着させる。物体光と参照光の方向にも種類があり、透過型ホログラムと反射型(リップマン)ホログラムがある。記録材料にはハロゲン化銀感光材料、重クロム酸ゼラチン(DCG:Dichromated gelatin)、フォトレジスト、フォトポリマといった材料がある。左右上下とも視差*2があるリップマンホログラム(白色光反射型)では解像力が7,000本/mm(干渉縞の間隔)に達する緻密さだ。干渉縞の記録方式にも、振幅ホログラムと位相ホログラムがあり、また、白色光で再生できるレインボウホログラム(ベントンタイプ)、拡散板で散乱した光を物体光として撮影するシャドウグラム、イメージの異なるホログラムを作り、それを重ねて記録するマルチカラーホログラム、瞬間的に照射するパルスレーザーを使うパルスレーザーホログラム、普通の写真やCGの合成が可能なホログラフィックステレオグラムなど、ホログラフィの技術は複雑である。

 視覚芸術の永遠のテーマである光を扱う石井は、光の色彩が魅力と言う。光は自然を感じるそのものである。石井の初期の作品《未来の贈り物》(1984)がこの10月に東京・田町駅前にできた知の集積拠点、キャンパス・イノベーションセンター入口に設置された。64枚のホログラムが暗くなると光り出す。天井に乱反射する光も楽しめる。石井には屋外の作品も少なくない。1997年パルテノン多摩で開催された「メビウスの卵展」に出品した《太陽の贈り物──T》は、昼のネオンともいわれるグレーティングホログラムを使い、太陽の光を分光させ美しい色彩を放つ。その水面に映る虹色が風の動きに応じてさざなみをつくり、色を微妙に変化させながら消えていく。同年に制作された《FloatingII》は、視点の移動によってボールのイメージが動く。110×130cmの画面にCGで作成したボール画像120枚によるホログラフィックステレオグラムの像と、通常のホログラム像を融合させ、マルチレインボウホログラムとなった。これはCGによる仮想のボールをより自然な三次元像に具現化できる技術であり、石井はCG画像にもホログラフィアートの表現として高いポテンシャルを感じているようだ。

未来の贈り物 未来の贈り物
左:《未来の贈り物》
DCGリップマンイメージホログラム×64枚/ステンレス/ガラス/黒御影石,H:230cm,キャンパス・イノベーションセンター,1984

右:《未来の贈り物》(部分)
DCGリップマンイメージホログラム/ステンレス/ガラス,25cm×25cm

FloatingII 《太陽の贈り物──T》
「メビウスの卵展」グレーティングホログラム/水,H:1m×直径60cmの円筒,パルテノン多摩,1997

 近年、ジオフロンティアとして地下空間が注目されている。岩手県釜石鉱山の採掘跡地の「釜石マーブルホール」に1993年《Requiem》という作品を展示した。地表から300m地下の空間は発破をかけたままの荒々しい光景だったが、岩肌は白色の純度の高い大理石のため美しい宮殿のようであった。1994年はフィンランドのレトレッティアートセンターにある地下空間で開催された「Point of View展」でDCGホログラムや、水とレインボウホログラムを組み合わせたインスタレーションを展示。地下空間は、美術館や画廊では表現できない闇と光の新しいアート空間である。ホログラフィアートにとって、周辺の環境が作品に大きく影響してくることから、大いに創造力が刺激されたようだ。さらに同年には富山県の「スーパーカミオカンデ」開削完了記念式典で水・油・光と音を使った、赤・緑・青・黄の光を暗闇の中に投射するインスタレーションを展開した。ノーベル物理学賞受賞で有名となったこの施設は神岡鉱山山頂から1,000m下に掘られた直径約40m高さ50m以上の地下大空間。音も光もない漆黒の不思議な空間に思わずひざまずき、肌にヒタヒタと迫るような不安を感じた。日常的な美感では推し量れない体験だったと言う。

Requiem インスタレーション「Point of View展」
左:《Requiem》
音/銀塩ゼラチンフィルムを利用したマルチカラーレインボウホログラムによるインスタレーション,釜石マーブルホール,1993

右:インスタレーション「Point of View展」
DCGホログラム, Finland Retretti Art Cente,1994

 石井の作品は、現在35mm、ブローニー、4×5インチのカラーポジフィルムの静止画像とデジタルビデオなどの映像に記録している。これらの資料はまだデジタル化されてはいない。1枚のホログラムには多数のイメージが集約されているため、ホログラムの記録には映像が適すると思われる。新しいメディアを扱うアーティストは、自分の作品を残す保存には関心が薄いようだ。作品の記録・保存という観点からホログラムを見ると、写真のような形体でありながらホログラム作品は周りの環境を取り込むインスタレーションであることがわかる。とすれば、記録する資料としては映像や写真のほか、著書、論文、新聞記事、雑誌、ニュース(TV)、図録、展覧会リーフレット、制作メモ、日記、手紙など作品制作に関わったものすべてを保存し記録しておく必要があろう。アナログ記録素材のホログラムは、考古学のミイラなど展示に注意を要する貴重な資料の記録にも使われている。ホログラムの保存は銀塩のネガフィルムと同じ扱いであると言う石井は、ホログラムのデジタル記録媒体ができることを待ち望んでいる。デジタルアーカイブにとっても膨大な量を記録できるホログラムは重要な保存媒体となりそうだ。1968年ブルース・ナウマン(Bruce Nauman)がパフォーマンスをホログラムのドキュメントとしてニューヨークの画廊で発表したというように、記録と同時に表現となるのがホログラムの特徴でもある。

 石井の作品はホログラムに光や水や音など、周辺の自然環境と呼応する。むしろ環境彫刻と呼んだほうが的確なのかもしれない。純粋に理工系の世界に飛び込み学んで得た技術を使いこなすことからスタートした石井のホログラフィアート。
 「星空を見上げると、消滅してすでにないはずの星や時間の異なる様々な過去の瞬間の星が今同時に、輝いて見える。そう思うととても不思議な感覚にとらわれる。ホログラフィは、これと似た感覚を人工的に体験させてくれる」。
 石井は現在、ポーランドの岩塩鉱山の地下空間に作品を展示することを夢見ている。

*1:光の干渉のために生ずる縞模様のこと。単色光では明暗、白色光では干渉色が見られる。
*2:視線を上下左右に動かすと像の隠れた部分が見えてくること。パララックスともいう。

(画像提供:石井勢津子)

■いしい せつこ
1946年東京生まれ。美術家。
学歴:
1970年東京工業大学理学部応用物理学科卒業
1974年創形美術学校造形科卒業
1974-75年パリ国立美術学校留学
1978-81年東京工業大学像情報工学研究施設に研究生としてホログラフィを学ぶ
1981-82年文化庁芸術家在外研修員,マサチューセッツ工科大学高等視覚研究所客員研究員
1987年創形美術学校パリ・シテデザール第1回派遣員
2000年CALARTS(カリフォルニアインスティチュートオブアート)より招聘
2003年韓国国立芸術大学より招聘
2004年東京工業大学大学院情報理工学研究科博士課程単位取得退学
2005年学位取得(学術博士,東京工業大学)
主な個展:
1978年スルガ台画廊(神田)
1982年ホログラフィ美術館(パリ)
1985年「知覚の新体験」ホログラフィ美術館(ニューヨーク)
同年ホログラフィ美術館(プルハイム・ドイツ)
1993年「光を紡ぐ──石井勢津子の世界」美ヶ原高原美術館
1995年「自然を紡ぐひかりたち──石井勢津子展」高崎市美術館
2000年「石井勢津子ホログラフィの世界」池田町立美術館
2003-2004年「ホログラフィアート展featuring 石井勢津子」ハウステンボス
2005年「光を紡ぐ──石井勢津子作品展」東京デザインセンター内Herman Miller showroom など
主な招待展:
1979年第15回サンパウロビエンナーレ(ブラジル)
1980年フォトキナ’80(ケルン)
1981年「現代日本の美術」開館記念特別展宮城県美術館
1983年「現代のリアリズム」埼玉県立近代美術館
1997年メビウスの卵展(パルテノン多摩)
1999年「ホログラフィ展」5都市巡回(フィンランド)
2001年「光とその表現」展 練馬区立美術館 など
受賞歴等:
1980/82/85年ホログラフィ美術館(ニューヨーク)にて、ホログラフィアーティストインレジデンス授与
1988年シェアウォーター基金(米国)よりホログラフィアウォードを授与
1993年プルハイム市(ドイツ)よりヨーロピアンホログラフィアウォード’93を授与
2000年第3回ホロセンターアウォード(ニューヨーク)を授与
その他、論文・寄稿多数。

■参考文献
石井勢津子『ホログラフィによる芸術表現と実践に関する研究』2005.2
石井勢津子「太陽光を紡ぎ表現する環境芸術」『AERA Mook 物理がわかる』p.90-p.91, 2002.5, 朝日新聞社
図録『現代美術の手法(6)「光とその表現」』2001, 練馬区立美術館
辻内順平『物理学選書22 ホログラフィー』1997, 裳華房
オルギェルト・ヴォウチェク著,小原いせ子訳『キュリー夫人』1993.7, 恒文社
図録『世界のホログラフィ展──光の織りなす夢と幻想』1978,朝日新聞社
2005年10月
[ かげやま こういち ]
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