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掲載/影山幸一
デジタルアーカイブを開始した美術家「岡崎乾二郎」
影山幸一
 横浜にある現代美術の学舎、Bゼミ Schooling System (現在はBゼミLearning Systemとなり休講中)の37年の歴史をまとめた本、『Bゼミ「新しい表現の学習」の歴史1967-2004』が2005年10月に出版された。その二月後、Bゼミ修了者である美術家・岡崎乾二郎氏(以下、岡崎)と画家・批評家の松浦寿夫氏の共著『絵画の準備を!』も改訂増補し、出版された。岡崎といえば、美術に留まらず建築、批評の世界でも名が挙がるほど多才な論客である。美術表現の言語化にも挑んでいる岡崎に、絵画とデジタルアーカイブについて話を伺うため、東京・JR四谷駅にほど近い、近畿大学国際人文科学研究所四谷アート・ステュディウム へ向かった。現在岡崎はこの研究所の教授でもある。
美術家・岡崎乾二郎
美術家・岡崎乾二郎

《あかさかみつけ #14》
《あかさかみつけ #14》
アクリル/顔料/ポリプロピレン/ポリエチレン,
27.5×25×17.5cm,国立国際美術館蔵,
1987-89年
 もしかしたら、岡崎はデジタルアーカイブにアンチの立場を取っているかもしれないと思っていたのだ。言葉で絵を描くともいえる岡崎に、絵の魅力とは何かを聞いてみた。「絵でも彫刻でも同じだろうが、人間がものを考えるということが面白いというか、よく分からないというところは、最初に考えるべきものがあって考えるのではなく、何もないところから考えが浮かんでくる。何もないものから考える。考えるということを考えるというところからすると、絵は一番考えるプロセスそのものに近いのではないか」。思考自体を組み立てるということと、絵を描くことは似ていると言う岡崎。テーマに従って描くのではなく、思考しながら描き、消し、また描き完成へと向かって行く。《あかさかみつけ #14》や《「平面ばかりつづいて家のひとつもない真一文字の道を猛スピードで走っていれば、なおさら気分も座ってくる。この道や行く人なしに秋の暮。日除けの陰で顔は緑に蔽われ、そのくせ眼の輝きはまっすぐ向こうを見つめている。野菜が少なかろうと海で魚がなかろうと恐れるにたりない。米を一粒播くとかならず三百粒の実をつける。」「それを辿れば間違いなく家に戻れる一つしかない煉瓦敷きの道をゆっくり歩いていれば、どっと笑いがとまらない。やがて死ぬ景色は見えず蝉の声。陽の光をさんさん受けた気楽な世界のただ中で影に包まれ、爪先だって歩いている。自分が茄子であるのか南瓜であるのか分らなくてもよい。一生のうちに一回きっと 蝶は飛んでくる。」》この世界一長い題名ではないかと思われる作品も、何もない考えることから始まっていると思うと感慨深い。

 昨年岡崎は50歳になって、アーティストになったと自覚したと言う。アーティストはサッカーでたとえるとフォワードのポジションの選手に似て、普段はさぼっていても決定時にはシュートを決める。つまり、「何をしていてもよいから創造しろ」という責任を負うと語り、「自分が従うべき法律を自分で決める」のがアーティストと定義する。朝何時に起きるのか。絵の具をどのように溶くのか。最初にどの色を置くのか、と。
左:《平面ばかりつづいて家のひとつもない真一文字の道を猛スピードで走っていれば、なおさら気分も座ってくる。この道や行く人なしに秋の暮。日除けの陰で顔は緑に蔽われ、そのくせ眼の輝きはまっすぐ向こうを見つめている。野菜が少なかろうと海で魚がなかろうと恐れるにたりない。米を一粒播くとかならず三百粒の実をつける。》
右:《それを辿れば間違いなく家に戻れる一つしかない煉瓦敷きの道をゆっくり歩いていれば、どっと笑いがとまらない。やがて死ぬ景色は見えず蝉の声。陽の光をさんさん受けた気楽な世界のただ中で影に包まれ、爪先だって歩いている。自分が茄子であるのか南瓜であるのか分らなくてもよい。一生のうちに一回きっと 
蝶は飛んでくる。》 左:《平面ばかりつづいて家のひとつもない真一文字の道を猛スピードで走っていれば、なおさら気分も座ってくる。この道や行く人なしに秋の暮。日除けの陰で顔は緑に蔽われ、そのくせ眼の輝きはまっすぐ向こうを見つめている。野菜が少なかろうと海で魚がなかろうと恐れるにたりない。米を一粒播くとかならず三百粒の実をつける。》
右:《それを辿れば間違いなく家に戻れる一つしかない煉瓦敷きの道をゆっくり歩いていれば、どっと笑いがとまらない。やがて死ぬ景色は見えず蝉の声。陽の光をさんさん受けた気楽な世界のただ中で影に包まれ、爪先だって歩いている。自分が茄子であるのか南瓜であるのか分らなくてもよい。一生のうちに一回きっと 蝶は飛んでくる。》
アクリル/カンヴァス,180×130×5cm,2枚組,セゾン現代美術館,2001年
 岡崎は子供の頃、ロボットを作るか手塚治虫のような漫画家になりたかったと言う。今のように美術をやっていくとは思っていなかったようだが、建築家の父と発明家の母、四人兄弟という家庭環境は芸術を思考するには適した環境かもしれない。岡崎は高校生のときパウル・クレーに魅せられ、建築から美術へと関心を広げ、御茶の水美術専門学校多摩美術大学 、Bゼミと美術を学んでいった。現代のパウル・クレーを探すうちにフランソワ・ポンポン、コンスタンティン・ブランクーシー、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグなどに出会い現代美術を知る。そして1979年にBゼミで最初の作品を制作した。服の型紙を用いて作った平面作品。それは三宅一生と藤原大のチームにより生み出された服、A-POC(A Piece of Cloth:1枚の布)のような作品だ。

 今なぜ絵画の準備なのか。『絵画の準備を!』の出版を機に絵画の現状についてきいてみた。「絵画の可能性を設定してなお絵を描こうとしている若い人たちは、9割は苦しみすぎている感じがする。絵を描くことが前提になってしまい、何があっても絵を描かなくてはいけないというのでは駄目だろう。最初にジャンルなどを構えてしまうと何も出てこない気がする」。日本画については、「岡倉天心や横山大観、菱田春草の時代の日本画は、最も現代的なものとして創出されてきた。後期印象派と接する点に戦略と方法論があり、この頃の日本画が面白いのであって、ジャンルとしての日本画はつまらない。安田靫彦、小林古径らの1930年代に日本画はピークを迎えた」とジャンルからの突破をイメージさせる。絵画の準備を絵画の外から始めるのがよさそうだ。

 25年以上作品を作り続けてきた岡崎は今までの仕事を整理し、デジタルアーカイブを始めた。学生たちと共に現在その作業が進められており、CDでの販売も計画しているようだ。ホームページを持たない岡崎が、作品や資料のデジタル化を行なったその理由は何か。それは全部のデータを取っておけず、選択していかなければ収集がつかなくなるという実情にあった。岡崎本人が認める完成データを今のうちに作っておこうというわけである。色はどれが正しいか、またタイトルが長いものでは、誤植が出て、それが印刷されるケースがあり、基準となる完成データを作っておく必要性を感じたそうだ。とはいえ、1993年にコンピュータ・アートワーク《Random Accident Memory》を制作しつつも、ホームページを作らないのは未だオリジナルとデジタル画像の差に納得がいかないところがあるからだ。ウルトラマリンなど再現が難しい色を使っていることからも、オリジナルとデジタル画像は異なるというレイヤーを付けておかないと作品としての責任を負えないと言う。CDの作品集ではその点に注意を払うようだ。しかし、オリジナルとデジタル画像の不一致を危惧する反面、画像の完全一致は望んではおらず、もしそうなればオリジナルを作る必要がなくなってしまうと話す。岡崎のデジタルアーカイブ、その思いはやや複雑である。
《Random Accident Memory》 Random Accident Memory
《Random Accident Memory》
コンピュータ・アートワーク
津田佳紀とのユニット
「Bulbous Plants」による作品,1993年
 見知らぬ人、未だ出会っていない恋人、宇宙人とコミュニケーションするツールとしてアーカイブの機能があると言う岡崎のデジタルアーカイブ。一次資料(作品など)をデジタル化して、二次資料となるデジタルアーカイブが出来上がってくるわけだが、岡崎のデジタルアーカイブ構築の手順は、4×5カラーポジフィルムなどをスキャナー(EPSON GT-9800F)でスキャニング、あるいは直接作品をデジタルカメラ(SONY Cyber-shot DSC-F717等)で写真撮影し、その後画像データを適当なサイズに切り抜き、色補正、オーサリング(Flash)を行なうという流れ。岡崎は実際の作品を基にPhotoshopで色補正を担当する。画像データは、スキャニング時にTIFFで保存、埃除去などの作業時にPSD(16bit/チャンネル)、公開時にJPEG (swfファイルに埋込み、8bit/チャンネル)と決めている。公開用と保存用の画像サイズは、3,100×3,100pixel以内でほぼ同じ。Excelでデータを管理している。データの保存は、外付けハードディスクである。半分ほど進んだという岡崎のデジタルアーカイブ構築をiMacのモニタで見せてもらった。これがCDとして販売されれば、作品の分類や表示方法などがよい参考となるだろう。また構成・画質を極めたデジタルカタログ化した作品となっているので、岡崎ファンであれば必携の1枚となるはずだ。

 デジタルアーカイブの一連の作業を通して、問題は「分類」と岡崎は指摘した。それは、ひとつには画像のインデックスを共通の記号で分類することにより、作品の意味が裏切られてしまうという問題だ。画像を言語で管理する限界を感じているようだ。もうひとつは、ジャンルを超えて表現されたものに通底した共通項を横断的に探索できるしくみが求められているにもかかわらず、ネットワークの基本的な統一フォーマットがないのがデジタルアーカイブの問題だと、具体的かつシリアスな視点を投げかける。美術館における作品分類は、図書館が配本サービスの向上を目指して分類を整備してきたのとは異なり、オリジナル作品を自由に鑑賞することが第一義のためか、各館ごとの分類項目となって、美術館同士が共通項目を積極的に作っていくという意識はデジタルアーカイブ以前では少なかったようだ。この美術館の抱えている問題を岡崎も同じように実感したのだ。美術には分類はなじまない。ただ情報科学ではこれらの問題をセマンティックWebやオントロジーなど、解決する方向で研究が進められ、より便利になるのは時間の問題という気もする。東京国立博物館では最大公約数的な仕組みにしない方向の「ミュージアム資料情報構造化モデル 」を発表した。また岡崎は著作権について「悪質なものを除いて、デジタル画像の観賞は過剰に反応せず、広く作品を見てもらうというのがいいのではないか。デジタル画像の扱いに無意識的になった方が文化的インフラになったということだ」と、文化度を高めるのにデジタルアーカイブは有用であることを再認識させてくれた。「最初にジャンルなどを構えてしまうと何も出てこない」と言った岡崎は、著作権の開放にも前向きだ。

 1990年Bゼミの所長・故小林昭夫氏との出会いを今でも印象深く心にとどめている。初対面にもかかわらず、アートの仕事を模索し、彷徨っていた私をただ美術好きというだけで信用してくれたのか、それとも天気が良く気分が良かったのか、今となっては分からないが二人だけで長話をしたあと、笑顔でBゼミ受講生の総名簿をポンとくれた。それは厚くはなかった。しかし、重く感じられた。以後、私は現代美術を志向して仕事を続けている。その名簿に名前がある岡崎と今回初めて会い、インターネットやデジカメが普及していなかった16年前を振り返ると、毎週のように銀座の現代美術系画廊を歩き回っていた時代のことを思い出す。

 アーティスト自身によるデジタルアーカイブが増えつつあるのは、単にデジタル環境が整ってきたというのではないだろう。絵画の準備のために、前進するための記録、創造するための保存に気がついたとも言える。アーティスト自身によって制作される、現代美術デジタルアーカイブというのは、鑑賞者からするとアーティストとの距離が近く感じられ、安心して情報を享受できる。部分的であれ、低解像度であれインターネットで公開してくれれば、さらに嬉しい。現在、横4m50cm×縦1m80cmの大画面の絵(2枚一組の作品)を制作中である。
(画像提供:エンガワ)
■おかざき けんじろう
美術家。1955年10月24日東京生まれ。近畿大学国際人文科学研究所教授。
学歴: 1977年多摩美術大学彫刻科中退。1979年Bゼミスクール修了。

主な展覧会:
1982年「第12回パリ・ビエンナーレ」(パリ市立近代美術館)
1989年「ユーロパリア'89現代日本美術展」(ベルギー・ゲント現代美術館)
1990-91年「JAPAN ART TODAY─現代美術の多様展」(ストックホルム文化会館など北欧巡回)
1993年「アートラボ第1回オープン・コラボレーション展」(東京・O美術館)
1994年「ART SCOPE '94」(東京・スパイラルガーデン)
1994-95年「戦後日本の前衛美術展:Scream Against The Sky」(アメリカ・グッゲンハイム美術館ソーホー/サンフランシスコ近代美術館ほか巡回)
1995年「視ることのアレゴリー1995:絵画・彫刻の現在展」(東京・セゾン美術館)
1996年「美術家の冒険:多面化する表現と手法展」(大阪・国立国際美術館)
1997年「第9回インド国際トリエンナーレ1997」(ニューデリー・ラリットカーラアカデミー)
2000年個展(東京・南天子画廊)
2002年「ART TODAY 2002」(長野・セゾン現代美術館)
2003年「アート・スコープの12年 - アーティスト・イン・レジデンスを読み解く」(東京・原美術館)
2004年 個展(東京・GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE
2005年 個展(東京・南天子画廊)など。
主な活動:
1986年ACCの奨学金により渡米
1988年8ミリ映画「回想のヴィトゲンシュタイン」制作
1990-91年美術理論誌「FRAME」(第1〜3号)編集執筆
1993年コンピュータ・アート・ワーク「Random Accident Memory」制作
1994-2003年「灰塚アースワーク・プロジェクト」(広島県三良坂・総領・吉舎町) 企画制作
1994年メルセデス・ベンツ日本ガスコーニュ・ジャパニーズ・アート・スカラーシップにより渡仏(フランス・モンフランカン市アーティスト・イン・レジデンス)
1996年「21世紀への都市芸術プロジェクト GALLERY アトピック・サイト オン・キャンプ/オフ・べースTOKYOアートゾーン」企画
2002年「ヴェニス・ビエンナーレ第8回建築展」日本館ディレクター(イタリア・ヴェニス)、その他美術評論など多彩な活動を展開。
主な著書:
『和英対峙 現代美術演習』共著1989,現代企画室
『モダニズム のハードコア:現代美術批評の地平』共同編著,1995,太田出版
『現代日本文化論11 芸術と創造』共著,1997,岩波書店
『ルネサンス 経験の条件』2001,筑摩書房
『漢字と建築』共同編著,2003,INAX出版
絵本『れろれろくん』ぱくきょんみとの共著,2004,小学館
絵本『ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ』谷川俊太郎との共著,2004,クレヨンハウス
『絵画の準備を!』松浦寿夫との対談,2005,朝日出版社など。

■参考文献
artictoc』Volume0,2006.1.15,近畿大学国際人文科学研究所
岡崎乾二郎・松浦寿夫『絵画の準備を!』2005.12.31,朝日出版社
BゼミLearning System 編『Bゼミ「新しい表現の学習」の歴史1967-2004』2005.10.28,BankART1929
岡崎乾二郎『ルネサンス 経験の条件』2001.7.10,筑摩書房
岡崎乾二郎「美術家の見る美術館の画像提供」『アート・ドキュメンテーション研究』第7号,1999年,アート・ドキュメンテーション研究会
岡崎乾二郎「デジタルな感傷――モボ・モガとクラフトワーク」『論座』8月号,1998年,朝日新聞社
岡崎乾二郎「美術、美術館、キュレーション 」『InterCommunication』No.15,1996,NTT出版
ピエール・フランカステル著 大島清次訳『絵画と社会』1968.2.25,岩崎美術社
2006年2月
[ かげやま こういち ]
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