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Acquisition Method──採取の技法 #9
田中浩也
■ 「MOVE」
「採取」の基本は「移動すること」であるというのは言うまでもない。前回の加藤文俊さんのプロジェクトにも、情報メディアやネットワークを自然に活用した「歩き方」の提案が含まれていたが、今年はとにかくそうした実践が広く関心を集めた1年であったように思う(もちろん筆者の個人的/研究的関心が、その方向に向いている理由もあるけれど)。関連書籍も圧倒的に増えた。たとえば、ウィリアム・J・ミッチェル『サイボーグ化する私とネットワーク化する世界』(渡辺俊/訳、NTT出版、2006年、原題「ME++ -The Cyborg Self and the Networked City」)
という本がある。本論では数々の引用からなる近未来のライフスタイル予測が繰り広げられているが、「訳者あとがき」にさりげなく記された図式が非常に興味深い。引用してみよう。

「縦軸を境界⇔ネットワーク、横軸を遊動⇔定住とするような座標平面を想定すれば、“農業革命”は第一象限から第二象限へ、“産業革命”は第二象限から第三象限へ、そして“情報革命”とは第三象限から第四象限へのパラダイムシフトと位置づけることができよう。符号が反転するということは、価値観も大きく転換するということである」

各自、お手持ちの紙に上記の座標平面を書いてみてください……。もちろんこれは、上述の書物全体を見取るための図式として、敢えて大胆に行なわれた整理であり、簡略化されたものではある(そのまま信じ込むのはややリスキーかもしれません)。詳細については書籍を直接参照していただきたい。しかし、この図式の明瞭性は今後の情報社会を考えるにあたって大きな布石ともなるものとも思える。一言で言えば、「ネットワークに接続しながら遊動すること」(さらに、そのことの意味や価値を考えること!)が今後のライフスタイルを考えるにあたって、ひとつの糸口になりそうだからだ。

■「TRAIL」
画像はすべて、現在筆者らが開発中の「GEOWALKER」のスナップショットである。

ご存知の方も多いであろうが、「アリアドネの糸」というギリシア時代の伝説がある。
「テセウスに恋したアリアドネが迷宮の道案内に“糸玉”を渡し、テセウスは迷宮の入り口から糸をほどきはじめた。糸を順にほどきながら迷宮を深く探索し、最後にそれをたぐりかえすことで、無事に迷宮から戻ることができた……」

現在のパーソナルな情報“メディア”……情報の蓄積・伝達・通信・処理を行なう端末は、こうした「アリアドネの糸」のような「たどる」「たぐる」といった役割を果たしつつある。そして、いつも「スタートに戻れる」という安心が確保されていることで、逆に深い探索や冒険(??)に駆り立てられる……すなわち行動力が刺激されるという効能がある。つまり、「未知な世界に向かって背中を押してくれる」メディアでもあるのだ。

現在の情報文化は大きく2つの可能性に開かれているといわれる。ひとつは「個室化」、もうひとつは「遊動化」である。自室でさまざまな機器に囲まれて、特に移動しなくてもさまざまな情報を摂取しながら生活/仕事できるという側面と、ネットワークを背景に携えながらあちこちを歩き回ってアクティヴに行動できるという側面……。筆者自身は圧倒的に後者の立場なので、たとえば「採取」というキーワードを使って、現実世界を動き回る楽しみを増幅したくなるのである(冒頭に紹介した書籍にも「ポスト定住型の遊動社会」というタームが強調されている)。

でも実際、そんなに大袈裟なことでもないのかもしれない。
よく知られているように、「散歩」や「ドライブ」は、人間の創造性を活性化するに加えて、偶然の情報や人との出会いへの可能性を拓いていく。そして「未知」の場所を、「既知」を経て「熟知」の場所に変えていく行為は、地域や町といった具体的な生活世界を、改めて自分の活動範囲として領有・獲得、そして自分たちの場所として共有化していく「楽しみ」の時間でもある。その取得や表現・共有の手法を情報メディアに移行する、あるいはそれによって新たな価値を増幅する、という流れは必然であるようにも思える。

■「WALK」
もう1冊書籍を紹介して今回の論を閉じよう。

「産業革命によって足の文化が消えようとしたまさにその時、〈ウォーキング〉が復活したが、デジタル社会に直面した今、人々はまた歩き始めている」(海野弘『足が未来を作る──〈視覚の帝国〉から〈足の文化〉へ』2004)

この本は、ルソー、ベンヤミン、松尾芭蕉等を引用しつつ、新たな文化は「歩く」ことから再びはじまるという論が繰り広げられている。しかし、現代において、人がモバイル・デヴァイスとともに遊動するという行為が、どういう経験をもたらすものなのか、実際には未知の部分も多い。だから私たちはまだまだ「試す」必要がある。

道具が増えていくスピードに対して、道具を試す経験が十分に足りていない、というのが2006年を通しての素直な実感である……。
来年も引き続き、機器を作りながらの実践的思索をお届けしたいと思っている。みなさん、よいお年を。

田中浩也 http://htanaka.sfc.keio.ac.jp/
[ たなか ひろや ]
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