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プライバシーステートメント
ミュージアム・ノート
Museums are not message──メディア形式としてのミュージアム
光岡寿郎
 前回は、ミュージアムでのカメラつきケータイの使用を、芸術作品と鑑賞者を取り巻く歴史社会的なメディア編成のなかに位置づけて考えてきた。そこで今回は、カメラつきケータイを手がかりに、再び「ミュージアム/メディア」というコンセプトへと立ち戻りたい。

メディアが帯びる二重の意味
 カメラつきケータイが、ミュージアムをメディアとして考えていくうえで興味深い論点になりうるのには、もうひとつの側面がある。それは、カメラつきケータイが、ミュージアム内部で展示のナラティヴを伝えるために予め組み込まれたメディアではなく、むしろミュージアムに外部から侵入し、そのナラティヴを組み替える可能性を持っている点にある。
 マーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージである」というフレーズは、メディア研究を行なううえでの二つの基礎的な視点を提示する。ひとつは、メディアに媒介されたコミュニケーションはその内容と形式から構成されていること。二つ目には、この両者は相互に独立しているのではなく、メディア形式もまたその内容の伝達のあり方を基底部で支えているという点である。
 メディア研究の立場から従来のミュージアムについての議論を俯瞰するとき、この「メディア形式」の視点は決定的に見落とされてきた。例えば、最も分厚い研究の蓄積としてやはり展示批評が挙げられる。この連載でも何度か指摘したように、展示のテキスト論的な解釈は、美術史や文化人類学が無意識に導入してきた自文化中心主義や男性中心主義的なイデオロギーを明るみに出してきた。しかし、そこで思い浮かぶもうひとつの疑問は、ではその展示が別の会場、例えば博覧会やデパートの催事場で行なわれたら、そのイデオロジカルな能力はどれほど保持されるのだろうか? もし、一定の来館者(エスニックマイノリティや女性)に抑圧的な力が働いたとしたら、それはミュージアムという建造物=メディア形式そのものにどこまで依存しているのかという点である。
 また、1990年代のイギリスのミュージアムスタディーズ(以降MS)においては、ミュージアムというメディアの独自性を画定しようという試みが存在した。フーパーグリーンヒルが、「ミュージアムは、マスコミュニケーションの形式の大部分と多くの類似点を共有している。さらに、対面式(face-to-face)のコミュニケーションの機会をも有しているのである」と語るとき
★1、その特性は、間接/直接のコミュニケーション形式を備えている点に求められた。しかし、ここでもひとつの疑問が残る。果たしてこのミュージアムのコミュニケーション形式の二面性は自明なのかと。つまり、テレビに代表されるマスメディアとミュージアムの「情報伝達の方式≒メディア形式」を比較するという前提があって、初めてこの特性が導き出されるはずだからである。MSの研究者は、メディアの内容と形式の区別を行なわずにこの特徴を導いたために、その先にある(と筆者は考えている)ミュージアムの本質的なメディア形式の記述にまでは至らないのである。
ギネス・ストアハウス サイエンスミュージアム
ミュージアムに埋め込まれたさまざまなメディア
左:ヴィデオ・インスタレーションのような解説ヴィデオ
ギネス・ストアハウス(ダブリン)
右:単体でナラティヴを生成するインタラクティヴメディア
サイエンスミュージアム(ロンドン)
ミュージアムというメディア形式、その未来
 カメラつきケータイの使用は、その意味でミュージアムというメディア形式、そしてそこにいま起こりつつある変化を抉り出していくための好例だと言える。僕自身は、ミュージアムのメディア形式の独自性は、その形式としての重層性に基礎を置くと考えている。つまり、映像、音声、インタラクティヴメディアといった各々固有の形式を持つメディアが、重層的に配置された総体としてミュージアムが構成されているという点にである。また、そこに現在のメディア研究の豊かなフィールドとしての可能性がある。
 そう考えた時、カメラつきケータイに代表されるデジタルメディアのミュージアムへの導入は、ひとつの転回点足りうるのではないか。というのも、従来ミュージアムに配置されてきたメディアは、ミュージアムというメディアが生成するナラティヴに寄与する「部分」として措定されてきたからである。つまり、そこでは依然としてメッセージの送り手としてのミュージアムとその受け手としての来館者という一面的な図式が機能していた。けれども、ミュージアムに次々と侵入してくる「ニュー」メディアは、メッセージを媒介する第三項としての機能を図らずも果たしてしまう。
 例えば、デジタル技術によって年々進化するオーディオガイド(いまやオーディオヴィジュアルガイドでもありうるわけだが)端末がそうだ。もともとは、来館者が展覧会を楽しむための補助的なツールとしてミュージアムに導入されたわけだが、そこで紹介される作品はもちろん展覧会の全作品ではない。また、そこで紹介されるべき作品が、キュレーターによって選ばれたものなのか、ガイド会社によって選ばれたのかはわからないし、その事実を来館者は気にもかけない。つまり、展示(展覧会)の企画者は、展示される作品を通じてひとつのナラティヴを生成する。そして、その意図からは離れた恣意的な作品の紹介≒もうひとつのナラティヴが、オーディオガイドによって持ち込まれる。そして、その両者を区別することなく、来館者はそのメッセージを受け取る。そこには、ナラティヴの分裂、もしくは混乱のようなものが生じており、それは多くの場合デジタル技術を利用し、物質的にも、電子的にも外部から侵入してくる新しいメディアによって引き起こされている。この問題を扱うためには、決定的にメディア形式の視点が要請されるというわけである。

最終回ということでまとめをと思ったが残りの紙幅も少ない。そして、「ミュージアム/メディア」という視点が現在進行形の議論である以上、早上がりの結論もまた必要とはされていないだろう。もしこの短い論考に関心を持った読者がおられれば、是非今後の業績を楽しみに待っていただきたい。

★1──Eilean Hooper-Greenhill, 'A New Communication Model for Museums,' in Museum Languages : Objects and Texts, Routledge, 1991.
光岡寿郎
1978年生。博物館研究、メディア論。東京大学大学院/ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ在籍。論文=「ミュージアム・スタディーズにおけるメディア論の可能性」など。共訳=『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』(鹿島出版会、2005)。
2008年2月
[ みつおか としろう ]
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