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アートアーカイブ探求
尾形光琳《燕子花図屏風》無機的な金に咲く王朝の花
──「仲町啓子」

影山幸一
※《燕子花図屏風 》の画像は2008年10月15日〜11月14日まで掲載しておりましたが根津美術館との規約により削除しました。

金色のデジタルアーカイブ
 金色をどのように扱い、表現するかが日本画の醍醐味の一つでもあると思うが、金や銀など光を反射する色をデジタルアーカイブするのは難しく、手ごわい存在である。それら金銀の再現性がデジタルアーカイブの質を見極める着眼点である。古典絵画のなかで金色を使った豪華絢爛な作品といえば、金箔地の画面に緑青などの濃い彩色を施した安土桃山時代の画家、狩野永徳が制作した金碧障壁画である。その狩野派の絵画技法を継承発展させて、俵屋宗達や尾形光琳などが、天下人ではなく豪商や大名などにも金碧画を広めていった意味は大きかったはずだ。なかでも現代に通じるデザイン性を感じさせるのが尾形光琳である。光琳の代表作のひとつにアヤメ科のかきつばたを一面に配置した国宝《燕子花(かきつばた)図屏風》がある。全面に輝く金地(金箔押し地)に、濃紺と緑の二色だけで満開のかきつばたを堂々と描いた屏風絵。岡本太郎はこの作品を「画面以外に何ものもない世界、これ等こそ我が国の芸術には極めて稀な、非情美をたたえた傑作である」と言った。このシンプルな構図で華やかな絵が色彩を失わず300年以上大事に残されている。金色のデジタルアーカイブの指標ともなりそうな《燕子花図屏風》について、作品を探求したいと思った。

国宝の科学的調査
 《燕子花図屏風》は毎年かきつばたが咲く初夏に、作品を所蔵する東京・根津美術館で展示されるのが恒例となっているが、2002年から保存修理のため公開が一時中止されたことがあった。そのとき高精細デジタル画像による細部撮影と透過X線撮影、及び蛍光X線分析による光学的調査も行なわれ、データの解析が作品の修理に反映された。顕微鏡やX線・赤外線撮影を行なった科学的調査は戦後間もない時期にあったようだが、このような近世の美術作品の修理においては前例のない画期的な調査手法であった。《燕子花図屏風》に引き続き光琳のもうひとつの代表作、国宝《紅白梅図屏風》(MOA美術館蔵)にも適用され、2004年東京文化財研究所の科学調査班は、従来説を覆してこの屏風には金箔が使用されていないという予想外の結果を発表し、NHKは特別番組として報道した。その真偽はまだ分かれているようだ。300年を経てもゴールドが褪せない《燕子花図屏風》を長年にわたり研究している実践女子大学の仲町啓子教授(以下、仲町氏)に作品の見方を伺いたいと思った。東京・日野市にある実践女子大学文学部美学美術史学科へ向かった。

宗達体験
仲町啓子氏
仲町啓子氏
 仲町氏は《燕子花図屏風》修理後の2005年、根津美術館において「宗達から光琳へ」という講演を行なっており、『国宝 燕子花図──保存修理竣工記念』には「〔燕子花図屏風〕の成立をめぐって」という論文を寄せた。実践女子大学の「香雪記念資料館」の館長も務める仲町氏は、日本美術史、特に琳派、浮世絵などの江戸時代の絵画・工芸の専門家である。東京大学文学部の卒業論文では《燕子花図屏風》と《八橋(やつはし)図屏風》(メトロポリタン美術館蔵)の関連を書いたそうなので、《燕子花図屏風》の研究は仲町氏にとってすでにライフワークである。これらの作品を描いた尾形光琳とはいったいどのような人なのか伺った。光琳は1658年に、書家として特に名のある江戸初期の芸術家、本阿弥光悦(1558-1637)の血を引く京都の町家に生まれている。雁金屋(かりがねや)を屋号とする、公家社会にもつながる高級呉服商の次男で、5歳年下の三男が陶芸で有名な尾形乾山(けんざん)である。よいものを享受できる環境に育ち、そこから光琳は和風趣味を表現するセンスを養った。尾形家に伝わるデザイン性に優れた「衣装図案帳」が服飾史上重要な資料として現在に残っているそうだ。光琳は雁金屋の商法が徐々に行き詰まることによって、30歳代後半(1690年代)から本格的に絵を描くようになった。狩野派の画技を習得し、俵屋宗達の絵を写して継承、展開していく。光琳は1700年頃、宗達画に触発されて実験的に《秋草図屏風》を制作、宗達の《松島図屏風》を忠実に摸写するなど、宗達体験をしている。傑作《燕子花図屏風》はこの後に誕生した。

『伊勢物語』の意匠
 1701年(元禄14)2月に光琳が法橋(ほっきょう)★1に叙せられた後、間もなく京都・西本願寺のために《燕子花図屏風》は制作されたとする説が有力視されている。仲町氏は、《燕子花図屏風》は平安初期の『伊勢物語』(作者未詳)をもとに描かれたことから、この作品を「物語意匠★2」という枠組みでとらえている。『伊勢物語』の第九段東下がりの途上、三河の国八橋で主人公たちが一面に咲いたかきつばたを見て、旅の憂愁と都に残してきた女性を思い、涙して詠んだ歌を、光琳は《燕子花図屏風》として再現した。京都時代の光琳44歳、江戸や武家と関わる以前の、上層町人たちの文化の継承者であることに誇りをもっていた光琳の世界を素直に伝えた作品、と仲町氏は評価している。掛幅画、団扇絵、蒔絵硯箱にもこのかきつばたは使われた。光琳の作品中これほど同じ画題が取り上げられた例はほかにないらしい。当時のかきつばたは、わかりやすく言い換えるならおそらく今のキャラクターグッズのような役割を担っていたのではないかと言う。『伊勢物語』の背景にある雅な王朝の雰囲気をかきつばたが象徴しており、硯箱や衣装など“伊勢物語グッズ”なるものが作られ、それらを身近におくことで生活を楽しむ趣向だ。実際に六曲一双の《燕子花図屏風》を近くで見てみると、緻密に描かれた繊細さはなく、見る者を主人公にする舞台美術のような迫力と潔いきっぱりとした躍動感がある。かきつばたは意外に大きく、その数の多さ、剣状の葉の根元の丸みや満開の花は妖艶ですらある。《燕子花図屏風》の10年後に、同じく金地濃彩の六曲一双屏風《八橋図屏風》が制作された。かきつばたに加えて、『伊勢物語』に詠まれたかきつばたの名所、三河の国の八橋をイメージさせる、狭い板を折れ折れに継ぎ渡した“八橋”が、抽象的な描写で大胆に配されて特異な画面を作り出している。まるで10年前の自分の作品を壊すかのような不可解さには、現代美術家につながるモダンな感性を感じる。

★1──法眼の次に位する僧位のこと。中世 ・近世になり医師・画家などにも与えられた位の称号
★2──物語や歌に登場するモチーフを画面で構成して、それとなく典拠を示す実用の道具を飾るデザイン


【燕子花図屏風の見方】
(1)モチーフ
『伊勢物語』のかきつばた。かきつばたは、王朝趣味に彩られた『伊勢物語』ゆかりの花。絵に文学的抒情を添えることで、格調高く高貴なものになってゆく。人物や橋などは描かず、金地の無背景にかきつばたをクローズアップして強い印象を与えている。

(2)機能
屏風は部屋を飾るもの。襖と違って持ち運びが自由な屏風は、随時、さまざまな接客の場所に持ち込まれ、飾られた生活空間を美化した。光琳のこの屏風もその空間を王朝風の優雅な雰囲気で満たしたに違いない。

(3)繰り返しの妙
右隻第1扇(右側の作品右から1枚め)から第2扇の部分と、第4扇から第5扇の部分。左隻第1扇から第2扇の部分と、第3扇の部分は、花の部分が同じため、同一の型紙を使いパターンを繰り返す構図である。

(4)花群の配置・構図
屏風左右で対照的な構図。右隻は、4つの花群が上下繰り返すようにW型に配置している。左隻は、4つの花群を対角線上に配置している。全体の構成に力を注いでおり、かきつばたのリズミカルな動きには、溌剌とした爽快な印象がある。単に楚々と咲き乱れるかきつばたの群れを自然風に描いたのではない。

(5)色彩
明るい金、群青、緑青の三系統の色が使われている。群青と緑青は日本画で使う岩絵の具の中でも、とりわけ高価なもので、抜群に発色がよい。また、装飾性・平面性に富む金地は、かきつばの濃い青と緑色に対してバランスを保ち、単なる余白としたものではない。花の青色は濃い青と灰色がかった青。葉の緑色は白味のある緑と黄味を帯びた緑。絵具の盛り上がりが見られる。

(6)サイズ
かきつばたの大きさは実物大以上で迫力がある。蕾から満開の花まで、いろいろな花が登場している。

(7)季節
5月頃。

(8)サイン
光琳は1701年(元禄14)2月、朝廷より「法橋」の位を授かる。右隻、左隻ともに「法橋光琳」のサインが入っている。

(9)印章
「伊亮(これすけ)」の印章を用いた。光琳はこの時期惟富(これとみ)あるいは惟亮(これすけ)と名乗っていた。「惟」を「伊」に替えたのは、俵屋宗達やその弟子の喜多川相説(そうせつ)らが用いた「伊年(いねん)」という印にあやかったと思われる。


琳派とRIMPA
 琳派は、俵屋宗達に始まり、尾形光琳、そして酒井抱一へと受け継がれていく、江戸時代のひとつの絵画の流れを、後世につけた名称である。狩野派のように長年にわたり師弟関係によって受け継がれたものではなかった。時代を越えてそれぞれの作家に私淑し、同じ傾向の表現手法が継承されてきたのだ。東京国立博物館の展覧会「宗達・光琳派展」(1951年)、同じく「琳派展」(1972年)、東京国立近代美術館の「琳派 RIMPA」展(2004年)と続いて“琳派”の名は広まっていった。それ以前は宗達派、光琳派、光悦派などさまざまな呼び方をされており、また多くの琳派作品が欧米の美術館などに所蔵されるところとなり、近年ではグスタフ・クリムトの代表作『接吻』(1907-1908, オーストリア絵画館)に与えた影響なども指摘されている。短く発音しやすい“RIMPA”が日本にも波及するなど、“琳派”に統一されてきたのは最近のことらしい。リンパという音の響きとゴールドがよく合う。琳派の特徴は、装飾性や平面性、大和絵の継承と展開などが挙げられる。平安時代以来の伝統的な大和絵を、近世的な新しい感覚で復興したのが俵屋宗達。この宗達を独自の造形感覚で発展させ、豪華で濃厚な芸術に開いていった光琳。東京国立博物館では尾形光琳生誕350周年記念として「大琳派展─継承と変奏─」(2008年10月7日〜11月16日)が開催され、10月7日から19日までの13日間は《燕子花図屏風》が展示される。仲町氏は、「宗達が示した“金地”に対する解釈が、光琳画の出発点になっていることは疑いないし、光り輝く均一の無機的平面としての金地の“張り”こそ、光琳によって初めて我々が知った造形上の可能性であり、そこにこそ偉大な先達であった宗達をもついに乗り越え得た、光琳の真骨頂を見ることができる」と語っている。


【画像製作レポート】
 国宝《燕子花図屏風》を所蔵する根津美術館へ、写真掲載申込みの手続きを申請した。10日間ほど待って、作品を撮影した4×5のカラーポジフィルム2点(右隻・左隻)が送付されてきた。Webサイトに作品の写真を掲載する許可を根津美術館が出すのは今回が初めてと言う。「貴館所蔵品の写真撮影等・ネガ等の借用における申請書」の記載には、「その複製、公衆送信等の対象となる媒体ごとに、最長1ヵ月以内の期限を定めて」とあり、Webサイトに《燕子花図屏風》の画像を1ヵ月間以上掲載することが許可されなかったのは残念だった。しかし、こうして出典元の明らかな真正データの画像が少しでも多くWebサイトに掲載されれば、日本の美術の質の高さを内外に知らせ、文化の向上にもつながっていくように思われる。
 ポジフィルムは、Power Macintosh OS9.2, Photoshop7.0とEPSON GT-X700によりスキャニングし、24bit, 1200dpi, 35MB, Photoshop形式にデジタル化。ポジフィルムの右隻に白黒の明暗ガイドが作品と共に写してあったが、左隻にはなく、カラーガイドは写されていなかった。そのため図録や書籍にある作品の写真を参照しながら色調整を行なった。

主な日本の画家年表(15世紀〜19世紀)
主な日本の画家年表(15世紀〜21世紀) 作成:筆者
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■仲町啓子(なかまち・けいこ)
実践女子大学文学部美学美術史学科教授、香雪記念資料館館長。日本美術史、特に琳派、浮世絵などの江戸時代の絵画・工芸が専門。1951年大分県生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院博士課程単位修得退学、群馬県立女子大学文学部美学美術史学科助手を経て、1985年より現大学。1996年ニューヨーク・メトロポリタン美術館客員研究員。美術史学会、国際浮世絵学会、The Japanese Art Society of Americaに所属。主な著書・論文は『尾形光琳』(1996, 新潮社)、『琳派に夢見る』(1999, 新潮社)、「〔燕子花図屏風〕の成立をめぐって」『国宝 燕子花図──保存修理竣工記念』(2005, 根津美術館)など。

■尾形光琳(おがた・こうりん)
江戸中期の画家。1658 〜1716年。京都生まれ。高級呉服商「雁金屋(かりがねや)」の次男。画家、陶芸家として知られる乾山は弟。曽祖父は本阿弥光悦の姉を妻とし、尾形家は光悦流の書や俵屋宗達の画風に親しんだ。絵は狩野派の画技を習得し、能を最大の趣味とした。40歳にして画家として生計を立てる。44歳で法橋に叙任。その直後に描いたのが《燕子花図屏風》(根津美術館)、最晩年に《紅白梅図屏風》(MOA美術館)を描いた。琳派の代表的画家。

■燕子花図屏風デジタル画像のメタデータ
タイトル:燕子花図屏風, 右隻 左隻。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:尾形光琳,1701年(元禄14)頃制作, 六曲一双(各縦150.9 cm×横338.8cm), 紙本金地着色, 国宝。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: 根津美術館。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 各35MB。資源識別子:No.10301(33981 BC EGIG,EGDI)。情報源:─。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:根津美術館

■参考文献
仲町啓子「尾形光琳の屏風絵をめぐる問題について」『古美術』第76号, p.4-p.12, 1985.10.10, 三彩新社
仲町啓子「尾形光琳の画風大成についての一考察──〔燕子花図屏風〕から〔八橋図屏風〕へ──」『実践女子大学文学部紀要』第28集, p.135-p.152, 1896.3, 実践女子大学
仲町啓子「琳派の草花」『日本美術工芸』5-584, 5月号, p.22-p.28, 1987.5.1, 日本美術工芸社
仲町啓子『新潮日本美術文庫8 尾形光琳』1996.9.10, 新潮社
仲町啓子『美術館へ行こう 琳派に夢見る』1999.2.10, 新潮社
仲町啓子 監修『すぐわかる琳派の美術』2004.8.20, 東京美術
『国宝 燕子花図──保存修理竣工記念』2005.10.8, 根津美術館
東京国立近代美術館 編『琳派 RIMPA──国際シンポジウム報告書』2006.4.20, ブリュッケ
仲町啓子『もっと知りたい 尾形光琳 生涯と作品』2008.9.25, 東京美術
『美術手帖』Vol.60, No.913(特集 琳派), 2008.10.1, 美術出版社
2008年10月
[ かげやま こういち ]
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