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ミュージアムスタディーズの現在──拡散するプラットフォーム
光岡寿郎
[みつおか としろう/博物館研究・メディア論]

 「美術館や博物館を扱う学問とは何か?」そう問われたとき、私達は何を思い浮かべるだろうか。もしも、展覧会のカタログまで読んでしまう美術館好きであれば、「美術史」や「美術批評」と答えるかもしれない。いやいや、学校の先生などは、ミュージアムは社会教育施設なのだから「教育学」ではないかと反論するだろう。そして、どの大学にある学科というわけでもないが、「博物館学」、「美術館学」という冠をつけた学問もあるし、最近は「アートマネージメント学科」などが雨後の筍のように乱立している。
 では、ミュージアムスタディーズの現在の動向と言われたとき、博物館研究の末端にいる私ならどう答えるか。こう答える。「美術館、博物館を論じるディシプリンのプラットフォームは依然として拡散する一方である」と。ゆえに、それらを一つの動向として示すこと、それ自体にあまり意味はない。なぜなら、今博物館研究者に求められていることは、ミュージアムの「あるべき姿=理想像」を示すことではなく、「そうある姿=可能態」の見取り図を描くことにあると私は考えているからだ。そして、拡散している学問的なプラットフォームの断片を丹念に拾い1枚のキルトに織り上げていくことは、その一つの方策と言ってもいい。そこで、ここでは近年のミュージアムに関わる著書の紹介、それ自体をもってキルトの広がりを示したい。
 まずは『博物館体験−学芸員のための視点』だ。日本でもミュージアムエデュケーションに関心を持つ学生が増加したのは近年の傾向だと思うが、それに比して学びの場も、文献の邦訳もあまり進んでいないのが現状である。この本の著者、フォークとディアーキングは、アメリカでのハワード・ガードナーらを中心とした社会構成主義的な「学び」の概念を背景に、ミュージアムにおける来館者の「学び」を個人や展示室内に還元することの限界を明らかにし、個人的、社会的、物理的コンテキストの相互関係性の中から生まれる多様な来館者の体験に迫る方法を提示している。現在のアメリカでのミュージアムエデュケーションの基礎を知る上での良著。
 続いて、現在日本のミュージアムにおいては最大の懸案事項となった感のある指定管理者制度についての入門書、『指定管理者制度で何が変わるのか』。文化政策の研究者や、現場で活躍する文化施設の運営者などが、それぞれが置かれた立場から「指定管理者制度」の可能性を問うアンソロジー。指定管理者制度の導入当初は、公立美術館学芸員のヒステリックに響く批判が一部に存在していたが、各論者が「指定管理者制度」そのものの是非というよりは、「指定管理者制度」を通して従来の日本における文化施設の運営面での問題点を炙り出したり、変化のきっかけを見出していく姿勢には好感が持てる。マネージメント面からミュージアムに関わりたいという方はまず手にとってみて欲しい。
 とここまでは教科書的な紹介。ここからは少し私自身の関心にひきつけて紹介したい。最初は「ミュージアムという概念」を扱った良著、『ミュージアムの思想』だ。「美術館冬の時代」と言われて久しく、この10年「ミュージアム」に関わる多くのシンポジウムが開催されてきた。しかし、そこで最も厄介だったのが「ミュージアム」という言葉そのものだ。というのも「ミュージアム」という言葉自体が、「美術館」や「科学博物館」といった「接頭辞付きミュージアム」を全て包含し、過剰な意味を帯びているからだ。松宮は、「ミュージアム」という概念を、「普遍的世界」として拡大していく西欧近代の思想空間の中で問いなおすことで、「無限に細分化されていくものに対して一定の概念枠組みを与える統括概念」としてのミュージアムを明らかにする。「ミュージアムという言葉」に振り回されたときに立ち戻るべき一冊。
 また、欧米ではベネディクト・アンダーソンの『増補 想像の共同体』を始め、近代の国民国家とそのディスプレイとして機能したミュージアムとの関係性を論じた研究は既に一定の蓄積があるが、その日本での成果と呼べるのが『博物館の政治学』だ。明治期から第二次世界大戦期までの、博物館と帝国主義国家としての日本との関係を丹念に調べ上げた労作。とりわけ、総動員体制下における「科学教育」とミュージアムとの関係性、そして蓄積が薄い日本の植民地博物館に関する論考は、ともにそれぞれの領域における基礎文献としての価値は高い。
 そして、最後に紹介するのが、"Museum, Media, Message"である。これは1993年にイギリスのレスター大学で開催された同題の国際会議をベースにした論文集。1980年代以降、ミュージアムエデュケーションやミュージアムマーケティングの側面から、ミュージアムとその来館者との関係性に対する関心が強まるなかで、1990年代、とりわけイギリスではときに「ミュージアムコミュニケーション論」と呼ばれる領域の当時のアジェンダがほぼ全てここに収められている。ミュージアムに媒介された意味の生成にフォーカスしたとも読める「ミュージアムコミュニケーション論」は、ミュージアムをメディアとしてとらえうる可能性を示す点で魅力的なのだが、これに続く議論が欧米であまり進んでいないのがなんとも惜しい。この論点の意義に関しては、初夏に文化資源学論集に掲載予定の拙稿「ミュージアムスタディーズにおけるメディア論の可能性」も参照頂ければ幸いである。
 いずれにせよ、上述のように「ミュージアムスタディーズ」を中心としたミュージアムを扱うディシプリンは、世間の感覚よりもずっと拡散したままに留まっている。ゆえに、ミュージアムを考える際の独自性のありかは、ある専門性(美術批評、ミュージアムエデュケーションなど)に基礎を置くのではなく、そのプラットフォームのフレーム(専門性の組み合わせ)に反映されることになるだろう。
■もっと詳しく知るための類書ガイド
(1)ミュージアムエデュケーション
(2)ミュージアムコミュニケーション
(3)その他
光岡寿郎
1978年生。東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学専攻博士課程/セットエンヴ。博物館研究、メディア論。論文=「ミュージアムスタディーズにおけるメディア論の可能性」など。共訳=『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』(鹿島出版会、2005)。
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