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2007年度の5冊──徒然なるままに
暮沢剛巳
[くれさわ たけみ/美術批評]

大竹伸朗
『全景 1955-2006』
価格:9,450円(税込)
 2006年秋、東京都現代美術館で開催された大竹伸朗「全景」展は大きな反響を呼んだ。とにかく、国内でも最大級の規模を誇るあの巨大なホワイト・キューブが、3階に渡って、年齢・キャリア的にはまだ中堅の域にあるたった1人のアーティストの作品によって埋め尽くされ、美術館が巨大なジャンクと化してしまったあのインパクトはいまだ記憶に新しい。それから約1年後、待望されていた同展のカタログがようやく出版されたのだからこれを見逃すわけには行かないだろう。展覧会同様に、このカタログもまた大物量作戦を基本コンセプトとしており、「こんなものがよく残っていたな」というしかない少年時代の作品にはじまって、多くのアーティストブック、さらには代表作の「網膜」シリーズ等、総計約2,000点もの出品作品を余すところなく網羅した1,151ページ、重さにして約6キロにも達する紙の束の迫力は有無を言わせぬほど圧倒的だ。なおこのカタログには、詳細な年譜や書誌はもちろんのこと、数年前に大竹が『新潮』で連載していたエッセイ「見えない音、聴こえない絵」も掲載されている。これは以前も本欄で指摘したことがあるのだが、作品の圧倒的な迫力とは対照的なその軽妙な筆致もまた大竹の魅力の一部と言えそうだ。
 
一方、インパクトの強さでそれに勝るとも劣らないのが、やや遅れて出版された『戦争と美術1937-1945』である。一般に「戦争美術」というと、アジア・太平洋戦争期に陸海軍の委託によって制作された大型の「作戦記録画」のことを指す場合が多いが、戦後一時期アメリカに押収されていたそれらの絵画153点は、1970年に「無期限貸与」の名目で国立近代美術館に返還されたものの、その後も諸々の複雑な問題があって未だ断片的な公開にとどまっている。それに付随して、研究も遅々として進んでいなかったので、本書の出版には、長年の「空白」を埋め合わせる画期的な意義があるわけである。「1937〜」というタイトルが示すように、本書では盧溝橋事件に始まる日中開戦をアジア・太平洋戦争の起点ととらえ、「作戦記録画」を中心に、当時の戦況と密接な関連のあった歴史画や仏画、彫刻等計251点の「戦争美術」を対象として、当時の新聞報道などを参照した緻密な検証作業が行なわれているほか、現代美術やイギリスの戦争美術など「外」の視点からの問題提起も為されている。未亡人の了承が得られなかったために藤田嗣治の「作戦記録画」のカラー図版が掲載されていないのが悔やまれるが、他に類書が乏しいなかで本書の資料的な価値が群を抜いていることに変わりはなく、編著者たちの労苦と出版社の英断を素直に労いたい。
 
資料的な価値の高さという点では、斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』も傑出した書物である。本書は、気鋭の精神科医として活躍する著者が「BT/美術手帖」誌上で足掛け3年に渡って連載していた「境界線上の開拓者」たちをまとめたもので、大御所から若手まで、計23人のアーティストへのロングインタビューとそれに基づいた作家論によって構成されている。350ページ近いヴォリュームの大著だが、内容の充実振りはもちろんのこと、語り口も総じて平明なので一気に読み通すことも決して苦ではない。著者の最大の関心がアートの内と外の境界、精神医学でいう「境界例」へと向けられていることは本書のタイトルからも明らかで、インタヴューに登場するアーティストの人選ももっぱらその基準に即して為された観がある。また内容に関しても、草間彌生やできやよいを安直にアウトサイダーアートへと位置づける愚を避け、木本圭子には「諸感覚のブロック」、西尾康之には「鏡」、田中功起には「アイロニー」という切り口で迫るなど、専門的な知見が存分に生かされており、精神医学が作品解釈上の強力なツールであることをあらためて実感させられた。蛇足ながら、倫理性と美の一致という観点から「ペドファイル」と「ロリコン」を区別する著者の立場には私も全く同感であることも付言しておく。
 
ところで斎藤は、同書のあとがきで批評は「副業」に過ぎないと謙遜している。確かにその通りなのだろうが、では質量ともに彼の仕事に比肩する水準の「本業」をこなしている美術批評家がどれだけいるのかというと、これが甚だ心許ない。そんなどうにも暗澹とした気分のなかで挙げうる数少ない優れた成果の1つが、杉田敦『ナノ・ソート──現代美学…あるいは現代美術で考察するということ』である。ポストモダニズムやポストコロニアリズムといった概念を駆使して海外の著名アーティストを論じているくだりは一見ありきたりなのだが、もう少し注意深くテクストに接してみると、本書の最初と最後で論じられているドクメンタ11と12の対照的な評価は現状認識としてすこぶる適切であるばかりか、また個別の作家論に関しても、前述の概念をむしろ批判的に参照し、メディア論や科学思想的な観点も交えながら緻密で繊細な議論を展開しており、「極小の思考(ナノ・ソート)」という看板に何の偽りもないことがわかってくる。ところで、あとがきでも触れられているが、著者は現在小さなスペースを営み、国内の若手アーティストのサポートにも取り組んでいる。リヒターやタレルの研究、あるいは写真論では定評がある半面、今まで日本の現代美術に対して積極的に発言してこなかった著者には、次回作で是非、国内の動向を対象とした「極小の思考」を展開してほしいものである。
 
最後に、批評の成果ということで、2004年に結成50周年を迎えた美術評論家連盟の記念出版物である『美術批評と戦後美術』を挙げておきたい。評論家連盟といっても一般の人には馴染みが薄いだろうが、美術批評の危機を憂慮する認識はこの業界団体に所属する多くの会員に共有されているようで、ここ数年は精力的な活動が目立つようになってきた。本書の出版も、その一環として位置づけられるだろう。内容としては、第1部「日本の美術批評のあり方」には、結成50周年を記念して開催されたシンポジウムの記録が、また第2部「美術批評と戦後美術」には、日本の戦後美術の重要な動向を回顧する12本の論文が再録されている。もとより、半世紀以上にわたる戦後美術の歩みを1冊の本の紙幅で回顧することには限度があるのだが、それでも第1部のライブ感のあるやりとりと、第2部の緻密な検証作業によって、各年代の重要な論点が数多く取り上げられるなど内容は充実しており、そのなかでも個人的には、宮川淳やグリンバーグらを参照しながら、美術批評の役割を原理的に追究しようとした岡崎乾二郎の「批評を召喚する」から特に強い刺激を受けた。巻末に年表がつけられるなど、記録や資料としての側面が強い書物ではあるが、目次を見て興味を引かれた箇所を拾い読みするだけでも、戦後美術の一断面を知るきっかけとなるのではないだろうか。
暮沢剛巳
1966年生。美術批評。著書=『美術館の政治学』『「風景」という虚構』『美術館はどこへ?』など。編著=『現代美術を知る』など。
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