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学芸員レポート
札幌/吉崎元章福島/木戸英行|東京/増田玲|高松/毛利義嗣
「アンリ・カルティエ=ブレッソン回顧展」
東京/東京国立近代美術館 増田玲
 来年度以降の展覧会の準備で、7月にドイツに出張した。8泊で三都市というけっこうあわただしい出張だったが、いくつか写真展も観ることができた。ベルリンでは、昨年パリで開催された写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの回顧展が巡回開催中だったので、じっくりと鑑賞してきた。その印象もまだ新しい8月の初め、カルティエ=ブレッソンの訃報が伝えられた。去年のパリでの展覧会会期中にはまだ人前に姿を見せていたという話を聴いていたので、死去の知らせには少し驚きはしたが、1908年生まれの享年95歳、ありきたりながら、20世紀の巨人がまたひとり世を去ったというところだろうか。
 今回の展覧会は、数年前に設立されたブレッソンの財団が全面的に関わって組織され、代表作はもちろん、晩年うちこんだ素描作品、さらには幼少時のアルバムや世界各地での取材時の記者証など、多数の資料類によってブレッソンの知られざる素顔も紹介される、質量ともに充実したものだ。彼は取材の際に顔が知られていては支障があるからと、ほとんど自らのポートレイトを公表することすらしなかったのだから、その意味でも集大成というべき回顧展である。すでに90歳を越えており、死後のことをも見据えての財団設立ということだったらしいから、そのお披露目の展覧会が開催され、それをしっかりと見とどけての死去ということになるだろう。
 1947年にロバート・キャパらと写真家集団マグナムを結成、ライカを駆使し、現実世界から絶妙の瞬間を切り取る卓越したスナップショットで、報道写真の世界に独自の写真美学をもちこんだブレッソンの功績は、なによりも彼が1952年に出版した写真集のタイトル『決定的瞬間』によって記憶される。いまではニュース映像などの枕詞に、ほとんど一般的な映像用語として使われる「決定的瞬間」だが、これは英仏同時に出版されたうちの英語版の訳からきている。それほどの影響力のあった写真家ということを、この言葉は端的に示しているといえよう。もっとも原語というべき仏語版タイトルは直訳すれば「逃げ去るイメージ」で、「決定的瞬間」とは微妙にニュアンスが異なり、必ずしもブレッソンの写真美学が正確に受容されていたわけではないのだが、その話に深入りすることはここでは控えよう。
 展覧会の方は、回廊式につながっていく部屋ごとに、ヨーロッパ、アメリカ、アジアといった撮影地、あるいは人物、風景といったくくりで選ばれた写真が展示され、そのあとにとりわけ有名なイメージを集めた傑作の部屋、ヴィンテージプリントを集めた部屋と続き、いくつかのフィルムが上映される部屋があって、最後にドローイングの展示される部屋という構成。パリでの展覧会を観た人の話では、これはパリ展とはまったく異なる構成の仕方であるらしい。ベルリンでの展示は、上述のようにゆるやかなくくりで各部屋が構成されているとはいえ、それぞれの写真が撮影・発表時に結びついていた社会的文脈が詳しく紹介されているわけではなく、全体を通して浮かび上がってくるのは、「フォト・ジャーナリスト」としてのブレッソンの仕事の流れというより、「決定的瞬間」を代名詞とするブレッソンの写真美学のエッセンスという印象であった。パリ展はそれをより明確に打ち出す展示構成であったらしい。
 小型カメラによるスナップショットでフォト・ジャーナリズムの可能性を飛躍的に拡大させたパイオニアのひとりであるブレッソンだが、今回のような展示構成が成立し、それが実際に見ごたえのあるものであるということについては考えさせられる面もある。ジャーナリズムの文脈を捨象してもなお、じゅうぶんに観る者の眼を捉えて離さない完成度を個々のイメージに与える彼の写真美学は、フォト・ジャーナリズムにとっては諸刃の剣であったのかも知れないからだ。とはいえ、もちろんそこには、社会的なメッセージを伝達するという狭義のジャーナリズムを越えて、現実の世界の姿を写真に置き換えていく、広義のフォト・ジャーナリズムのきわめて洗練されたあり方として、ゆるぎない価値を見出すこともできる。映像の世紀を切り拓いたパイオニアの仕事は、こうした意味でも今日じっくりと振り返る意味のあるものなのだろう。このことは僕が目下、個展開催の準備を進めている木村伊兵衛についても共通する問題であって、個人的には非常に考えさせられた。
「ブレッソン展会場前」
ブレッソン展会場前にて。
奥に保存されたベルリンの壁と「テロのトポグラフィー」が見える。
 ところで、今回のベルリンでの展覧会の会場となったのは、マルティン・グロピウス・バウという展示施設である。東西冷戦時代には建物の前の通りに「壁」が建ち、東側との境界ぎりぎりという立地の建物だ。またすぐとなりには、ナチ政権下、ゲシュタポの本部があったことから、現在では「テロのトポグラフィー」と呼ばれる野外展示施設が、一部保存された「壁」にそって設けられていて、ナチスの恐怖政治の実態を伝えている。今回もブレッソン展を見たあと、この展示も見学したのだが、訃報に接してみると、第二次大戦中にはドイツ軍の捕虜となるも脱走、パリでレジスタンスに加わったという経歴もあるアンリ・カルティエ=ブレッソンの、生前最後の個展の会場として、ある意味でたいへんふさわしい場所だったのではないだろうかと思った。
会期と内容
●「アンリ・カルティエ=ブレッソン回顧展」
会期:2004年5月15日(土)〜8月15日(日)
会場:マルティン・グロピウス・バウ(ベルリン)
10963 Berlin-Kreuzberg
URL:http://www.gropiusbau.de/
[ますだ れい]
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