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オーストラリア・レポート
東京/国立新美術館 南雄介
 もう10月も終わりに近づき、国立新美術館の開館までも、残すところあと3ヶ月を切るまでに迫ってきた。準備もいよいよ「佳境」、である。世間を見渡すと、さすがは芸術の秋本番、ということで、今月は、大竹伸朗の大回顧展(東京都現代美術館)やビル・ヴィオラ(森美術館)や、オーストラリア現代美術展(ブリヂストン美術館)などなど、見逃すと一生の後悔を残すような展覧会が続々と始まっているのだが、悲しいことに何一つとして見ることができていないのである。Recommendationということであれば、これらは見ておいた方がいいよ、とまあ、これだけ言っておしまいにしてしまってもいいのだが、それなら2000字ならぬ200字くらいで済んでしまうので、前回に引き続いてオーストラリア・レポート第2回ということにさせていただこうと思う(前回を読んでいない人もあるかもしれないので記しておくと、7月末から8月半ばまで2週間、オーストラリア政府の招待でメルボルン、キャンベラ、シドニー、ブリスベンを訪れたのである)。

 今回のツアーでは、作家訪問やスタジオ訪問というよりも、むしろ美術館やオルタナティヴ・スペースなどの展示施設、現代美術の助成や企画を行っている機関を訪問して関係者に会う機会が多かったことも理由の一つにはあるのだろうが、美術をどのように考え、プロモートしていくかという姿勢や方針や手法に関わる言説を、しばしば耳にした。そのなかでも代表的で印象深いのが、先住民文化と多文化主義をめぐるものである。
 オーストラリアを訪れる人は誰でも共通して感じるのではないかと思うのだが、オーストラリア社会においてアボリジニー等の先住民文化に与えられている重要性は、日本での想像をはるかに超えて大きなものだった。Indigenous Art──「先住民美術」という言葉を、私はこのたび初めて学んだのだが、都市の核になる大きな美術館──今回訪問したナショナル・ギャラリー・オブ・ヴィクトリア(メルボルン)、アート・ギャラリー・オブ・ニュー・サウス・ウェールズ(シドニー)、ナショナル・ギャラリー・オブ・オーストラリア(キャンベラ)、クイーンズランド・アート・ギャラリー(ブリスベン)など──は、どこもIndigenous Artのデパートメントを持ち、専門のキュレーターをおいていた。そして、かなりの数の作品が、それぞれの美術館の顔となるような場所に位置する広々とした展示室において、展示されているのだった。

 ここで急いで言っておかなければならないのだが、このIndigenous Artは、民族芸術や部族美術や原始美術や民俗芸術、何というのが一番正確で適した表現なのかわからないが、とにかくそういう種類のものとして一般に了解されている芸術とは異なった扱いを受けている範疇なのである。それを何よりもはっきり物語るのは、作品が作品として、つまり資料としてではなく、名前を持った作家の制作物として展示されていることである。これは、世界の他のどこの国でも、ほとんど例を見ない扱い方なのではないかと思われるのだが、どうだろうか。
 ごくごくおおざっぱに一般化してしまうと、個人の名前に帰属する芸術作品という概念やその一般的な了解は、きわめて西欧近代的なものなのだと思う。民俗学博物館や民族学博物館で、民族芸術や部族美術や原始美術や民俗芸術として展示されている資料は、「昭和30年代、上越地方」の絣だったり、「1970年代、ドゴン族」の仮面だったりして、作者個人の名前がキャプションに付されることは少ないが、それは実際にそのものを作った作者の個的な表現よりも、部族や民族や地方に伝承されている表現や型の方がその本質と見なされているからであろう。
 オーストラリアにおけるIndigenous Artは、これに対して、作者個人の名前とともに展示され、個人の表現という位置づけが明確になされている。アーティストたちは、作品やモティーフの伝統的な表現や意味や機能を保持しつつ、個人的な様式を発展させているわけである。その意味では、時間や歴史という概念のないところで伝承されてきた表現とは、異なった意味が与えられている。じっさい、地面の上や人間の肌の上に直接描かれていた形象が、アクリル絵具でカンヴァスや紙の上に描かれるようになったときに、すでに大きな変化は起こっているのである。
 先住民の人たちの芸術を、民族学資料から芸術作品へと転換する変化が起こったのは、それほど遠くない昔、1980年代のことであったと聞く。当時どこそこのキュレーターであった誰某が初めてアボリジニーの芸術を現代美術の文脈において展示した、といった話を、今回も耳にした。
 これがきわめて政治的な問題であるのはむろんのことで、この国の移民200年(1988年)とか独立100年(2001年)とかの節目とも関わっていたのだろうが、しかしそのような文化政策の枠組みのなかに収まってしまうことを許さないほどの力を、じっさいの作品が持っていたということも、指摘されなければならないだろう。多くの人々を直感的に引きつけるような力強さや繊細さが、アボリジニーの芸術にはある。そしてこれは、専門的な評価にとどまらない広がりを持っている。今回、メルボルンで大きなアートフェアを見ることができたのだが、アボリジニー美術の作品を展示し販売している画廊はほんとうにたくさんあって、そして日本から参加したギャラリストの話によれば、それらはとてもよく売れているということだった。また、エミリー・カーメ・ングワレエのような一部の作家の作品は、たいへん高い市場価値を持っているようである。(いくつかの美術館で、たとえ小さな作品でも、「ほら、うちにもエミリーがあるのよ」と誇らしそうに言われたのを記憶している)。

 このようなIndigenous Artをめぐる状況は、この国の重要な文化政策のポリシーの一つである多文化主義ともむろん連動するもので、美術におけるポストコロニアリズムの範例的な意味を持っていると思う。また、興味深いのは、先住民文化の尊重や多文化主義というオフィシャルな方針が、各都市の美術館や文化施設にとてもよく浸透していることだった。これは、美術に携わる人たちの多くが、同じ世界を共有しているということで、そのような状況に遭遇したとき、出かける前に聞いた「オーストラリアの人口の80%は大都市に住んでいるのですよ」という大使館の人の言葉を思い出したのだった。

[みなみ ゆうすけ]
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