artscape
artscape English site
プライバシーステートメント
学芸員レポート
札幌/鎌田享東京/南雄介|大阪/中井康之|山口/阿部一直
「大阪・アート・カレイドスコープ OSAKA05」/
「第11回インド・トリエンナーレ」展
大阪/国立国際美術館 中井康之
フライング・シティ
高木正勝
上:高木正勝によるヴィデオ・インスタレーション
下:フライング・シティによるヴィデオ・インスタレーション
 映像を主要なメディアとした作品が国際展を席巻するようになって久しいが、そのような作品群を包括的に紹介するような展示やテキストに出会う機会は、まだ少ない。仮にも展覧会の企画を生業にしている者がそのようなことを言うのは問題意識の低劣さを指摘されるかもしれないが、従来の純粋美術の世界で確立されてきた批評基準が援用し難いという点に加えて、自分の中である水準を規定しようにもその水準を組み立てるだけの量を累積し難いこと、さらには、複数の映像(音声が加わることもある)を限られた空間に巧みにインスタレーションしなければならないという技術的問題も加味され、展覧会として本格的に取り組むことが難しい条件が揃う訳である。
 そのような意味で、3月に大阪府が主催して開催した「大阪アートカレイドスコープ」の一環として大阪港の海岸ギャラリーCASOで試みられた5組のアーティストたちによる映像インスタレーションによって構成された展覧会は興味深い試みであった。これは個人的な受け止め方かもしれないが、絵画や彫刻といったスタティックな作品の中に映像作品が紛れた構成展の場合、作品を観るという行為の中に流れる時間が乱され、それぞれの作品の中に上手くとけ込めないときがある。スタティックな作品に対する自分の姿勢というものはおよそ確立しているのだが、そのような作品と同時に、物理的な時間軸をどうしようもなく内包している作品(さらに作家が意図した時間というものも加わっているだろう)とのコミュニケーションが上手くとれないのである。という訳で、個々の作品の内容もさることながら、そのような作品群を企画者(アートスケープ・レギュラーの原久子)がどのように料理しているかが楽しみの半分であった。
 最初に遭遇する展示空間には「graf」による巨大なテーブルセットとデザインされた室内照明がぶら下がり、その横にはプロジェクターが置かれ、さながら少しおしゃれなリビング・ルームといった趣の空間がつくり出され、そのプロジェクターからは「フライング・シティ」という韓国人たちによるユニットが制作したドキュメンタリー風の映像が映し出されていた。テレビのような映像があるモダンな空間、というのはおそらく多くの人が共有している映像との接点であると思われるが、そのような典型的な装置を、最初の展示空間にスケールアップして提示することによって、企画者はヴィデオ・インスタレーションと称される作品の垣根をとても低くすることに成功していたと言えるだろう。
 他の4作家は、最初のその空間を中心に放射状にセッティングされていた。正面の奥には「高木正勝」による音と映像のヴィデオ・インスタレーション(というかヴィデオ・インプロヴィゼーションとか称されているらしいが)によって、柔らかで鮮やかな光の洪水とさわやかな音楽を浴びるような世界が用意されていた。
 右側の二つの展示室は「TV Moor」というオーストラリア出身のヴィデオ・アーティストが、自身を素材に都市空間や電話あるいは軍隊といった近代的なシステムと一人の人間との終わりの無い葛藤を映し出したような映像によって構成されていた。それにしても、人類が築き上げてきた近代的な空間な中に置かれた一個の人間が何とも滑稽で脆弱な生き物に見えてくるのは私だけであろうか。
 そして、左側の手前の空間には「林ケイタ」による、おそらくは警備用の監視カメラを利用してリアルタイムに展示空間に展示空間を映し出す映像インスタレーションが用意されていた。と文章化するとまるでコンセプチュアルなメタ空間を創造しているかのように思われてしまうかもしれないが、監視カメラの機能としてカメラアイがオートマティックに空間内を隈無く映し出す様子は、抽象的な画像による動画のように見えてくるような作品である。とは言え、監視カメラの映し出す世界というものが、昨今の様々な事件を思い起こさせることはもとより、エルサレム旧市街のすべての街角に仕掛けられている監視カメラ等、管理化された日常を連想させることは言うまでもないだろう。
 最後に左側奥には「るさんちまん」という日本人のユニットによるアナログな映像を類推させるような作品が待っていた。暗室化された展示室には、暗闇に慣れた眼によって辛うじて可視可能な光のアニメーションが怪しく映し出しているのである。それは小さなヴィデオ・プロジェクターから発せられた映像が、扇風機につけた反射率の低い反射板によって振動するような動きを与えられながら、暗黒の壁面に淡い泡のような映像を映し出していたのである。そのマニュファクチュアルな作業と意味性を排除した微かな光跡が、現今の日本文化を代表するといわれているアニメーションを見せられているように感じた……。
 企画者によれば、「映像という『膜』と都市おける表層/深層との関係」を映像インスタレーションによって構成するという企図によって組み立てられたということであったが、確かに近代的な「都市」空間に生かされている我々の現実を映し出す鏡として、映像作品が相応しいことがよく分かる作品群であった。とはいえ、映像作品を安易にカテゴライズして様々なスタイルを見せる、というようなことではなく、それぞれの作家の表現の特性をよく理解した上で、丁寧に個々の作品をインスタレーションするという手法に好感が持てた。個人的には「るさんちまん」のような存在が、とてもドメスティックな雰囲気を漂わせながらも強烈なオリジナリティを感じさせていた。

会期と内容
「大阪・アート・カレイドスコープ OSAKA05」海岸通りギャラリーCASO会場
会期:2005年3月5日(土)〜3月24日(木)
休館日:日曜日
会場:海岸通りギャラリーCASO
大阪府大阪市港区海岸通二丁目7-23 Tel. 06-65766-3633

学芸員レポート
コンフェランス
チョプラ氏と作家たち
インド展会場
上:インド展記者発表 
中:チョプラ氏と作家たち(国立近代美術館にて) 
下:インド展会場(日本作家の展示風景)
 さて、前回述べたように2005年1月15日から2月10日にかけて開催された「第11回インド・トリエンナーレ」展の日本側コミッショナーとして、選出した4人の作家(吉田暁子、長谷川繁、矢櫃徳三、伊藤存)の内、3作家と、1月9日から16日までニューデリーに滞在した。既に過去の事例になると思うが、帰国後、「日本側参加記録」という名のカタログを作成する必要もあり、当事者としては現在進行形的な部分もある。このアートスケープ内で森司氏がブログで述べていたように、京都造形大の担当している授業の中で、森氏が担当した「第11回バングラディッシュ・ビエンナーレ」と併せて報告会のようなものを行なった。その中で森氏が指摘したのだが、インドやバングラディッシュにおいては美術がまだ美術以前の状態として存在していて、どのように自国の美術を一つのモデルとしての西欧美術に近づいていくのか、ということが問題とされているというのが実態であるように思われた。
 今回のインド展に参加してもらった4人は、一言で言えば、絵画的な表現領域において日本のポスト・コロニアルな表現の可能性を追求しているような作家たちである。そのような意味を、インドの美術批評家チョプラ氏は、日本画を出自とした吉田氏の作品には同意して貰ったように思うが、カンヴァスに油彩で表現を行なう長谷川氏の表現に対しては、残念ながら無反応に近いものがあった。しかしながら、絵画表現の可能性ということを考えたときには、自国の絵画手法にこだわることばかりでなく、西欧的なものを一度解体したうえで、再度、一個の人間として構築を試みる、という必要もあるはずだ。そのようなことを徒然に思ったインドへの旅路であった。
会期と内容
●会場:ラリット・カラ・アカデミー(ニューデリー)
●会期:2005年1月15日(土)〜2月10日(木)
[なかい やすゆき]
札幌/鎌田享東京/南雄介|大阪/中井康之|山口/阿部一直
ページTOPartscapeTOP
DNP 大日本印刷 ©1996-2007 DAI NIPPON PRINTING Co., Ltd.
アートスケープ/artscapeは、大日本印刷株式会社が運営しています。
アートスケープ/artscapeは、大日本印刷株式会社の登録商標です。
artscape is the registered trademark of DAI NIPPON PRINTING Co., Ltd.
Internet Explorer5.0以上、Netscape4.7以上で快適にご利用いただけます。