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山口情報芸術センターに行ってきた
地域の文化施設はどこにいく──せんだいメディアテークから最近の美術、文化施設まで
鈴木明
山口情報芸術センター
山口情報芸術センター、外観
 山口情報芸術センター(YCAM/ワイカム/公募愛称「ビッグウェーブやまぐち」もある)のオープニング企画「アモーダル・サスペンション」に行ってきた。磯崎新さんの設計ということもあり開館前から建物のデザインは見ていた。しかし中身、つまり活動の内容については「山口市にできた情報芸術のセンター」という「館名」以上の認識はなかったのである。以前キヤノン・アートラボにいた阿部一直さんがキュレータになったことも聞いていたし、2年前に開館した「せんだいメディアテーク(smt)」(「メディアテーク」の名は磯崎さんの功績だ)で活動内容の「デザイン」に関わった経験から類似施設への関心は大ありだったのだが……。
 予備知識なく訪れたYCAMの印象記から始めて、最近の文化施設の動向までを考えてみたい。
 まず、思ったよりかなり大きな、というより長い施設である。長手は約170メートル、山並のような屋根の一番高いところは舞台のフライタワーを納めていることにあとで気付いたくらいだから、20メートルほどの高さはむしろ低いくらい、さすが。床面積が15,000平方メートルほど。敷地は山口市内の県庁や市役所、県立博物館、美術館、図書館の集まる官公庁文化施設・公園ゾーンではなく、むしろ庶民的な湯田温泉地区にある。
 施設の計画は、市の再開発事業に端を発すると聞くが、YCAMとさらにNHKの移転によって明らかにこの場所のポテンシャルはあがっている。前面の空地は公園として整備中。インスタレーション展示にも利用されるようで、YCAMの長さは十分にシンボリックなのである。
 建築としては記念性も正面性もある。すました感じの文化施設を予想していた。が、内部に入って驚いた。客で一杯なのである。それも、親子連れやご老人もふくめたフツーの市民が! そのにぎわいは山口市立図書館があることが理由であると察しがついた。
山口情報芸術センター
山口情報芸術センター、図書館
 かなり立派な図書館である。人口約15万人の山口市はじめての市立図書館だそうだ。中央館としての機能、すなわち移動図書館(すでに運用/ぶっくん)やこれから整備される分館のセンター機能を持つ。開館時15万冊、5年後に30万冊を蔵書する。都道府県の中央図書館からすればさほど大規模ではないが、二層分吹き抜けた閲覧室、開放式の書庫、思いきり外に開いた壁面などは、オシャレであり受験勉強やご隠居がたむろする地域図書館とは印象がまったく異なっている。
 なぜ、YCAMの印象記を図書館から始めるか? その理由は図書館は人を集める、からである。利用者の数は施設の印象を決定するからだ。事実、僕がYCAMに到着した22日午後3時過ぎ、雨天なのに驚くほど大勢の利用者が頻繁に出入りしていた。その大半は図書館利用が目的で、たぶん、ついでにギャラリーを覗いていくという客(市民)であろう(筆者の印象だが)。
 さて、オープニング展の「アモーダル・サスペンション」やウォルフガング・ミュンヒ+古川聖を初めとする作品群は、いわゆるインタラクティブ・アート系であったが、そういったフツーの市民でも子どもでもわかるものでよかった。ギャラリーは「スタジオabc」と無機的に名づけられている。一番大きいスタジオaは劇場、その次bはいわゆるホワイトキューブ。cは映画館。展覧会は入場無料というスタンスもよい(今後もその方針を貫くそうだ)。「アートとメディアの新領域を拡げる」というYCAMの主旨から見ると、このユーザ像は『アートスケープ』の読者にはいささかたよりなく感じるかも知れないが、これはせんだいメディアテーク(smt)と同じ現象である。僕には好感が持てる。地域に根差す情報芸術センターのユーザはとりあえず図書館目当てからはじまっていいのである。地方の文化施設、美術館利用者は、当然のことながら現代芸術家、批評家であるとは限らないのである。

地域・住民参加という文化・イベント
 住民参加は最近の「妻有トリエンナーレ」を初めとするいわゆる地方の芸術祭が得意である。そこが固有性をもっていようがなかろうが、特定の地域に芸術創造のモチベーションと同時に観客やマンパワー求めるふだんは地味な山村にも「ハレ」的な内外(地域的・全国的)の動員が見込まれる。そこには美術や文化といった、批評的な枠組みは必要ない。一方、文化施設は、ハコを持ちあくまでも、その場所その地域にあって、地域の利用者を前提とする活動と運営をプログラムしなくてはならない。ただのイベント、フリーマーケットの動員だけで手柄を立てるわけには行かない。「ケ」としての普段の活動に責任を持たなくてはならないのである。そういった文化施設の日常は必ずしも派手な成果に繋がらない。
 対極は東京六本木、六本木ヒルズのタワー最上階でオープンした「森美術館」。一年中「ハレ」の施設、と言える。海外ブランドで、夜景で、観光名所で、カップルで、クラブで、オープニング・パーティで、アーティストやキュレータのインターナショナリティとステイタスで、そのうえ、シネコンやカルチャースクールでヒトと関心を惹きつける。ここには文化が根付くための地域やコミュニティはあってないようなものである(事実根付く必要がないから超高層ビルの最上階に位置する!)。キュレーションより前にありとあらゆる「ハレ」の要素が、大規模な集客をする。
 おそらく地方の美術館(東京にある美術館も含めて)や文化施設は、この民間地域再開発プロジェクトのアート界への殴り込みにショックを受けていると思う。特別なコレクションを持ち、常設展でことなきを得るスタンスの館であれば問題はないのだが、現代美術や現代文化のプログラムを中心に据えた施設はどうしたらいいのだろう? 地方の文化施設は地域やコミュニティを足掛かりに、本来の文化施設の意義を再構築することが可能なのだろうか?

プレイベントに見る地域との関わり
アモーダル・サスペンション
アモーダル・サスペンション
アモーダル・サスペンション
「アモーダル・サスペンション」
写真:Archi BIMIng(上、中)、伊奈英次(下)
 YCAMのオープニングで「アモーダル・サスペンション」を持ってきたのは好企画だった。準備を周到に行なう間にラファエル・ロサノ=へメルの国際的で大掛かりなキュレーション技術や人脈を受け入れる側が血肉化することができたからだ。smtを初めサテライト・プレゼンテーションの連携も確立できたようである。インスタレーションは一般の目も惹いた。運転開始直後は夜空のサーチライト乱舞に、すわUFOの来襲か、と110番もあったらしい。六本木の日常は山口では事件になるのだ。夜空の光線はケータイからのeメールを載せて、どこかの国から届いたメッセージと遭遇する仕掛けも、首都圏からはるか遠く離れた山口市という場所で起こるから面白い。このイベントにホントに世界中から700万アクセス、1万近いメッセージが届いたというのは、オープニングに向けたパブリシティ戦略を差し引いても大成功といってよいだろう。教育プログラムがそろそろ始まるということだが、「アモーダル」のスケール感とアイディアを取り入れてユニークな活動を期待したい。
 建設が急ピッチで進む金沢21世紀美術館(2004年10月9日開館予定)のプレイベントも盛んである。こちらは現代美術のコレクションを持つ正攻法でいく美術館であるが、大学や以前からある市民芸術活動の拠点との連携する活動がすでに始まっているようだ。抽象的な妹島和世の建築イメージよりもeメールを通じて刻々と伝えられる活動がリアルな姿を感じさせる。
 YCAMが、県の施設でありアーティストインレジデンスである秋吉台国際芸術村と相乗効果を見せているように、建設中の青森県立美術館(2006年開館予定)は三内丸山遺跡という圧倒的な場所の力を後ろ盾にする。青木淳の建築は遺跡のトレンチ(塹壕)からイメージを受け継いだという土のタタキが露出した展示室を持つ。いわゆるホワイトキューブではない、展示空間がインスタレーションに個性を強要することになろう。プレイベントは青森固有の、三内丸山なみの迫力を持ったアーティストと地元の子どもを巻き込んでさかんであるが、そろそろ固有の展覧会イメージが形成されても良い。当初、屋外彫刻をどう展示し、コレクションするかというテーマがあったと記憶するが、自然地形を敷地とする国際芸術センター青森(レジデンス)などと関係をうまく築いていくべきであろう。
 
地域の固有性と地域サービスとは
 菅谷明子はニューヨーク公立図書館が、図書を集め、貸し出し、読書相談だけでなくビジネスやリクルート、医療など幅広いレファレンス(よろず相談)・サービスを行なっていることを報告した(『未来をつくる図書館』菅谷明子著、岩波書店、2003)。ここはオフィス代わりに利用できるだけでなく、面接テクニックや履歴書作成テクニックまで教えてくれるという。分館である舞台芸術図書館はリンカーンセンターに位置し、現役の役者も出入りして役作りなどのために頻繁に利用するという。もちろんプロも頼れるのが図書館なのだ。
 同じニューヨークMoMAをはじめとする美術館やギャラリーばかりが脚光を浴びてきたが、じつはこのような施設が「ケ」としての市民文化や生活を下支えしていることを知らされて愕然とするのである。地域との結びつきや市民の文化的活動を考える時に参考になるのは意外にも「図書館」なのである。
 「妻有」などで、アーティストや建築家が小さなコミュニティに入り込んで、一定の成果をあげたとすれば、それは「アート」世界への貢献というよりも、ニューヨークの「図書館」が下支えしているような、リアルな世界、地域に必要とされる数々のよろず相談や閉鎖的なコミュニティならではのガス抜きだったのではないだろうか? これが現代アートの守備範囲の拡張と見るかどうかの判断は、批評家に任せておけばよい。
 さて、それでは図書館が僕がいうように、独自の活動を行なおうとする地方の(地域の)美術館、ギャラリーなどいわゆる文化施設の中で決め球になり得るかどうかが問われなくてはならない。図書館が併置された文化施設、smtもYCAMも、その図書館の運営と活動がまったく別立てであり問題がないわけではない。たとえば、YCAMではオープニング企画の「アモーダル」が夜6時に運転を始め、前庭では野点風のお茶やコーヒーが振舞われ、世界からのメッセージによって光りの線が夜空で激しく乱舞し始めるころ、図書館は非情にも店仕舞いをする(平日10:00〜19:00、土・日10:00〜17:00)。大半の親子連れは図書館の閉店と共に、これから始まる文化的アクティヴィティ(筆者も7時からレクチャーした)を尻目に帰路につくのである。
 もちろん、サラリーマンは退社後、足早に図書館を目指さなくては開館時間に間に合わない。その穴埋めなのだろうか、どこの図書館も図書の貸出しに力点が置かれているようである。新着書で目に付くのは複数購入されるベストセラー本である。デジタルメディア化してもこの傾向が続くとすれば、レンタルビデオ屋とさして変わりなくなってしまうのではないだろうか。DVDのパッケージがさらに購入されるようになるとますますこの傾向が強くなりそうである。レファレンスというユーザと館のインタラクティブな活動は忘れ去られそうである。浦安市立図書館などのように図書館が独自のキュレーションで講演会など積極的な文化活動を行なう例もなくはないのだが、「本=貸出」という流れにはない活動のなかに、地域文化・固有の生活文化創造という本来のサービスがあることをもっと考えて良い。もちろん、これはユーザの側の意識改革も必要なのであるが。
 最近公募された武蔵境新公共施設(2006年開館予定)の建築を求めるコンペ。若い建築家はかなり応募するようである。要項を見るとこれも図書館を持った公民館的な施設。読みようによっては「メディアテーク」そのものを要求しているようである。建築家たちがどのような答えを出すのか楽しみだが、僕の関心はデザインの新奇さにあるのではなく、どのように地域と文化というプログラムを組み立てるかにある。

二極化する美術館、文化施設
 森美術館の登場は、いい意味でも悪い意味でも既存の美術館とそのコンセプトに対して決断を迫る。現代美術をキュレーションして見せる施設、すなわちハコである美術館はキュレーションの真価が問われることになった。その時、規模やノウハウだけでなく、世界的な批評のネットワークを確立することから始まった森美術館は圧倒的な力と迫力で屹立していることに気付くのである。
 同時に一方で地方の美術館は、地域やコミュニティとの関係という、固有性をどう確立するかが問われる。コレクションの独自性ばかりではない。smtもYCAMも美術コレクションを持たないことを、デジタルな表現や文化を中心に据えるという決意で示したことから始まる施設である(図書館はもっと奮起してほしいが……)。その決意は、デジタルなメディアを用いた地域サービスや活動を確立することによって、はじめて実体化されるのである。
 決して大きくはない規模の町ながら、客もスタッフも、やる気まんまんのYCAMを訪れてそのことを強く感じたのであった。
[ すずき あきら ]
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