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良質の専門書は最良の入門書である──暮沢剛巳
ネット上の美術館──四方幸子
良質の専門書は最良の入門書である
暮沢剛巳
 季節はすでに5月、この春から新天地でスタートを切った新入生や新入社員もそろそろ新しい環境になじみ、腰を据えて勉強や仕事に取り掛かろうとしている頃だろう。今回はそんな彼(女)らに向けて現代美術の入門書を幅広く紹介して欲しいとの依頼が舞い込んできたのだが、そもそも現代美術の良質な「入門書」とはどのような書物のことを指すのだろうか? この点に関しては私にもそれなりの持論があるのだが、しかしそのことにばかりこだわっていては作業が一向に捗りそうにない。そこで編集部からの要望を容れて、まず内容別に6つのカテゴリー(1──現代美術の最新入門・日本/西欧/アジア・アフリカ地域、2──同・理論編、3──美術館、アートマネジメント、4──美術用語事典、5──美術史、6──その他写真や映像・メディアアートなど)に分け、それぞれのカテゴリーにあてはまる良書をピックアップしてみることにした。

現代美術の最新入門・日本/西欧/アジア・アフリカ地域
海野弘+小倉正史『現代美術──アールヌーヴォーからポストモダンまで』
海野弘+小倉正史『現代美術──アールヌーヴォーからポストモダンまで』
椹木野衣『シミュレーショニズム──ハウスミュージックと盗用芸術』
椹木野衣『シミュレーショニズム──ハウスミュージックと盗用芸術』
松井みどり『アート:“芸術”が終わった後の“アート”』
松井みどり『アート:“芸術”が終わった後の“アート”』
 それでまずは日本の現代美術の入門書ということになるが、開始早々、じつはこれが最も厄介な代物という気もする。というのも、これは美術ジャーナリズムにおいてしばしば指摘されてきた事実なのだが、日本の戦後美術を包括的・実証的に概観した書物はいまだ書かれていないのが現状だからだ。その点、今春になって東京藝術大学+東京都現代美術館+セゾン現代美術館の共同企画として開催された「再考:近代日本の絵画」は、問題が少なくないとはいえ、まずはその意欲的な企画意図によって「正史」の不在を補うものと言えるだろう。欲を言えば絵画以外のジャンルにも対象を広げ、テキストもさらに充実させて欲しかったが、その網羅的な視野の広さと資料的な価値の高さを念頭に置いて、まずは同展のカタログを最も「正史」に近い書物として挙げておきたい。なお、戦後美術の歴史研究としては千葉成夫『現代美術逸脱史』や椹木野衣『日本・現代・美術』なども面白いが、この両著は決して「正史」ではなく、著者の強いバイアスがかかった批評集である。「入門」ということに重きを置くなら、前出のカタログなどに目を通して最低限の予備知識をえた後で取り掛かった方が無難であろう。また、歴史や理論よりもまず現場の臨場感を知りたいという読者のためには、山口裕美『現代アート入門の入門』あたりがお勧めである。
 一方、欧米の現代美術の紹介となると、翻訳書も加わってくるだけにグッと層が厚くなるのだが、数多ある書物のなかで、例えば海野弘+小倉正史『現代美術』は文体の読みやすさ、見取り図の的確さという点で安心して薦められる一冊である。ただし刊行されて日数が経過していることもあり、同書の歴史記述は80年代前半の時点で停止してしまっているので、それ以降の展開はまた別の書物によって理解を補っておく必要があるだろう。その点で有用なのが、ポストモダンと呼ばれた時代の熱気を強く実感させてくれる椹木野衣『シミュレーショニズム』や、さらにそれ以降のマルチカルチャリズムの趨勢を的確に描き出している松井みどり『アート:“芸術”が終わった後の“アート”』あたりになるだろうか。また傾向は異なるが、小林康夫+建畠晢『現代アート入門』も多様なものの見方を示している点では参考になるし、また使い勝手のいい美術館ガイドが収録されているなど、何かと重宝する書物だろう。ただ、現代美術の変化のサイクルが、早くもこれらの書物の見取り図の修正を迫るほどに流動的であることは忘れないようにしたい。より詳しい知識や情報をえたい場合には、時間に余裕があるなら「美術全集」的なシリーズ書籍を通読するのがよいだろう。このタイプの書籍は昔に比べて随分と少なくなったが、それでも「シュルレアリスム」「コンセプチュアルアート」などの巻が翻訳刊行されている「世界の美術」シリーズは、どれも充実した内容を誇っている。一方、欧米の現代美術の入門書が百花繚乱の観があるのに対し、アジア・アフリカの最新動向を紹介する書物は極端に少なく、まとまった書物としては、それぞれ東南アジアと中国を主なフィールドとする谷新『北上する南風』と牧陽一『アヴァン・チャイナ』(しかもこれらはいずれも出版から年数が経過していて「最新」とは言い難い)くらいしか挙げようのない現状はなんとも寂しい。近年、この動向を扱った展覧会企画が活況を呈しているだけに、いずれこのブームが美術書の出版にも波及して欲しいものだ。

現代美術の最新入門・理論編
 美術の理論というと、まずオーソドックスな美学・芸術学のことを指すのだろうが、本来これらはカントやヘーゲルを原典で精読するスキルを求められる学門であり、本格的に習得を目指すなら大学で研究に打ち込む以外には道はない。もちろん、一介の書評子が読者にそこまで求めるのは越権行為も甚だしいので、ここではせめて佐々木健一『美学への招待』を一読してその一端に接してみることを薦めておくにとどめておきたい。同書は「美を思索する」という美学の最も基本的な態度を簡潔に述べているほか、多くの参考文献もリストアップされており、コンパクトなパッケージのなかに必要最小限の情報を手際よく配置するという教養系新書の利点が大いに生かされている印象を受ける。一方美学には、当然のことながら「美を思索する態度」とは別に芸術作品を解釈する上での強力な武器としての側面もあるのだが、その事実に最も自覚的な著者としてここでは谷川渥の名を挙げておきたい。現代美学の最先端の研究成果に接してみたければ『美学の逆説』が、またそれを最大限利した現代美術のマッピングを知りたければ『20世紀の美術と思想』(監修)が好適であろうか。また元々が西欧に由来する美学という言説をいち早く日本に導入し、根付かせた先達の試みとして中井正一『美学入門』にも一定の敬意を払っておきたい。「入門」というには文体・内容ともに決して平易ではないが、約半世紀を経ても古びていない内容は今なお味読に値する。

佐々木健一『美学への招待』 谷川渥『美学の逆説』 谷川渥(監修)『20世紀の美術と思想』
佐々木健一『美学への招待』 谷川渥『美学の逆説』 谷川渥(監修)『20世紀の美術と思想』

美術館、アートマネジメント
 また現在では美術館・博物館学も多くの大学で開講されているが、これは多くの美術館・博物館が就職希望者に対して学芸員資格の取得を義務付けている制度上の要請によって成立している科目である。美術館の歴史や法規などが主な内容だが、科目の性質上その内容は必然的に資格取得という目的が最優先される、結果的にはどうしても画一的で面白みにかける面が強かった。だがバブル期のミュージアム建設ラッシュが一段落し学芸員の就職難が取りざたされるようになった現在では、多くの大学で特色のあるカリキュラムが実施されるようになり、講義などで用いられる教科書の水準も向上しつつある。武蔵野美術大学の教員諸氏が作成した『ミュゼオロジー入門』『ミュゼオロジー実践篇』という2冊の教科書は、まさにその格好の例だろう。また、上山信一+稲葉郁子『ミュージアムが都市を再生する』は都市のインフラ整備にミュージアムを活用しようという提言が盛り込まれており、従来の教科書的な美術館・博物館学とはまったく異なる視点を導入した仕事としても注目される。また最近では、美術館・博物館学とは別にアート・マネジメントなるより実践的な科目を開講している学校も増えているようだが、これに関する基本文献としても同じく武蔵野美術大学の教員諸氏による『アートマネージメント』を挙げておこう。

美術用語事典
美術手帖編集部編『現代芸術事典』
美術手帖編集部編『現代芸術事典』
 現代美術の用語集としては、『現代美術のキーワード』『現代芸術事典』など、やはり老舗だけあって美術出版社のラインナップが最も充実しているが、これは正確には用語集というよりインタビュー集と呼ぶべきだが『アートワーズ』など、他社からも遜色のない書物が出版されている。このタイプの書物は形式による厳しい制約を受けるため内容的にはどれも大差ないのだが、さりとてどの書物も西欧の動向が中心で、日本や第三世界の現代美術の情報が少ない点まで似通ってしまっている現状にはいささか苦笑せざるをえない。また当然のことながら用語集はあくまでも用語集、最低限のマニュアル的な知識をえる上では便利だが、決してそれ以上のものではない。本格的な調べ物や読書には、やはり該当分野について深く突っ込んだ専門書を精読する習慣をつけて欲しいものである。

美術史
高階秀爾(監修)『西洋美術史』 高階秀爾『日本近代美術史論』
高階秀爾(監修)『西洋美術史』 高階秀爾『日本近代美術史論』
 もちろん、現代美術といっても決して過去から切断され独立して存在しているわけではなく、それは何千年もの間連綿と続いてきた美術史の最前線に位置する動向の総称である。であればこそ、「現代美術」と呼ばれる以前の美術の歴史に関しても基礎的な素養を養っておきたいものだが、H.W.ジャンソンの『美術の歴史』、E.H.ゴンブリッチの『美術の歩み』、H.H.アーナソンの『現代美術の歴史』といった定評のある通史はみな事典や電話帳のように分厚く(もちろん、いずれも時間さえあれば是非一読をお勧めしたい書物なのだが)、気軽に読めるコンパクトな一冊となるとなかなか思い浮かばない。その点、専門領域に自閉することなく美術史全般を的確な見通しで俯瞰する事のできる高階秀爾の語り口はさすがというべきで、西洋美術・日本美術の双方にまたがってこのカテゴリーにうってつけの書物を著している。とりあえずここでは一冊ずつ『西洋美術史』と『日本近代美術史論』を挙げておこう。また逆に、誰もが知っているような歴史上の名画を既存の美術史とはまったく違ったアプローチで読み解こうとした試みとして、前田英樹『絵画の二十世紀』も紹介しておきたい。何かと話題の尽きないフェミニズム系の解釈を学ぶには、入門というには重厚だがやはり定評のあるポロック+パーカー『女・アート・イデオロギー』を読むのが最善であるように思う。

その他写真や映像・メディアアートなど
 また絵画や彫刻といった伝統的な媒体ばかりでなく、以前であれば考えられなかったような手法や媒体を表現へと取り込んだのも現代美術の大きな特徴だ。関連諸領域のなかで今回は写真・映像・メディアアートに関していくつか取り上げてみよう。まず写真・映像に関しては、何と言ってもヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』とロラン・バルト『明るい部屋』という2冊の古典に指を屈する。もちろん技術書や歴史書にも多くの重要文献があるのだが、この2冊が突きつけている問題は写真・映像の本質を考える上で決して避けて通ることのできないものである。メディアアート関連では、今のところこの分野について詳述されたほとんど唯一の新書である三井秀樹『メディアと芸術』が最も手ごろで読み易く、サウンド系では藤枝守『響きの生態系』が多くの示唆に富んでいる。ローズマリー・ゴールドバーク『パフォーマンス』が絶版久しい今、残念ながらこの領域は良質な入門書が皆無に近い状態なのだが、表象文化論の教科書として編集された一冊である『身体――皮膚の修辞学』には、この身体芸術を読み解くためのヒントが潜んでいるので積極的に役立てたいところだ。また、同じく大学の教材ということで言えば、『先端芸術宣言』には、開設以来多くの話題を呼んだ東京藝術大学先端芸術表現科の現場の声が満載されており、今日の美術教育の最前線がいかなるものであるのか、読者の想像力を掻き立ててくれる。

ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』 ロラン・バルト『明るい部屋──写真についての覚書』 藤枝守『響きの生態系』 小林康夫・松浦寿輝編『身体──皮膚の修辞学 表象のディスクール3』
ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』 ロラン・バルト『明るい部屋──写真についての覚書』 藤枝守『響きの生態系』 小林康夫・松浦寿輝編『身体──皮膚の修辞学 表象のディスクール3』

 骨太で難解な専門書であっても読者の気構えひとつで十分に入門書としての役割を果たすだろうし、逆にハンディで平明な新書であっても本格的な味読に値する書物も存在する――その意味で言うと、すべての書物は入門書足りうるわけで字義通りの「入門書」など必ずしも必要ないのではないか。誤解を恐れずに書けば、私が冒頭で触れた「それなりの持論」とはそのものズバリこのことであり、今回もつねにそのことを念頭においてブックガイドの作成にあたり(もちろん、比較的容易に入手可能な和書を最優先したが、目下の出版事情では必ずしもその条件を満たせなかったことを告白しておかねばなるまい)、やや難解であっても「入門」にふさわしいと判断した書物は、積極的にリストの中に加えたつもりだ。スペースの制約もあって、ここで紹介できた書物はごく少数に限られてしまったが、それでも一人でも多くの読者が、このブックガイドを通じて現代美術に関心を寄せてくれることを期待したい。非力な書評子にできるのは、せいぜいそのきっかけを作る程度のことに過ぎないのだから。

■文献一覧
『再考:近代日本の絵画──美意識の形成と展開』展カタログ、東京藝術大学ほか、2004
千葉成夫『現代美術逸脱史』晶文社、1986
椹木野衣『日本・現代・美術』新潮社、1998
山口裕美『現代アート入門の入門』光文社新書、2002
海野弘+小倉正史『現代美術──アールヌーヴォーからポストモダンまで』新曜社、1988
椹木野衣『シミュレーショニズム──ハウスミュージックと盗用芸術』増補版、ちくま学芸文庫、2001
松井みどり『アート:“芸術”が終わった後の“アート”』朝日出版社、2002
小林康夫+建畠晢『現代アート入門──〈今〉に出会う歓び』平凡社、1998
「世界の美術シリーズ」──岩波書店より随時翻訳刊行中
谷新『北上する南風』現代企画室、1993
牧陽一『アヴァン・チャイナ──中国の現代アート』木魂社、1998
佐々木健一『美学への招待』中公新書、2004
谷川渥『美学の逆説』ちくま学芸文庫、2003
谷川渥(監修)『20世紀の美術と思想』美術出版社、2002
中井正一『美学入門』朝日選書、1975
岡部あおみほか『ミュゼオロジー入門』武蔵野美術大学出版局、2004
岡部あおみ(監修)『ミュゼオロジー実践篇』武蔵野美術大学出版局、2003
上山信一+稲葉郁子『ミュージアムが都市を再生する』日本経済新聞社、2003
伊東正伸ほか『アートマネージメント』武蔵野美術大学出版局、2004
ロバート・アトキンス『現代美術のキーワード』杉山悦子ほか訳、美術出版社、1993
美術手帖編集部編『現代芸術事典』美術出版社、1993
ジーン・シーゲル『アートワーズ』新装版、木下哲夫訳、スカイドア、1997
H.W.ジャンソン『美術の歴史』第3版、村田潔ほか訳、美術出版社、1995
E.H.ゴンブリッチ『美術の歩み』友部直訳、美術出版社、1983
H.H.アーナソン『現代美術の歴史』上田高弘ほか訳、美術出版社、1995
高階秀爾(監修)『西洋美術史』美術出版社、2002
高階秀爾『日本近代美術史論』講談社学術文庫、1990
前田英樹『絵画の二十世紀』NHK出版、2004
グリゼルダ・ポロック+ロジカ・パーカー『女・アート・イデオロギー』萩原弘子訳、新水社、1992
ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』佐々木基一訳、晶文社、1999(ほかに岩波文庫版、ちくま学芸文庫版などでも翻訳あり)
ロラン・バルト『明るい部屋──写真についての覚書』新装版、花輪光訳、みすず書房、1997
三井秀樹『メディアと芸術──デジタル化社会はアートをどう捉えるか』集英社新書、2002
藤枝守『響きの生態系』フィルムアート社、2000
ローズリー・ゴールドバーグ『パフォーマンス』中原佑介訳、リブロポート、1982
小林康夫・松浦寿輝編『身体──皮膚の修辞学 表象のディスクール3』東京大学出版会、2000
東京藝術大学先端芸術表現科編『先端芸術宣言!』岩波書店、2003
[ くれさわ たけみ ]
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