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生アーキグラムに直に触れる楽しみ!
今村創平
アーキグラムのエッセンスを体感
アーキグラムの実験建築 1961-1974
 アーキグラムは、60年代、70年代のロンドンで活躍した、前衛的な建築グループである。彼らは、同時代の世界中の建築家に影響を与え、その時期以降各地に広がるアバンギャルド建築家たちの運動をリードした。彼らによる独創的でユニークな提案の数々は、現在に至るまで繰り返し参照されることで、現代建築の源泉のひとつともなっている。またメンバーは揃って主要な建築学校で教え続けたことで、続く世代へ多大な影響をもたらしてもいる。
 日本においても、アーキグラムは早い時期からきちんと紹介され(磯崎新『建築の解体』[1975、美術出版]では、一章がアーキグラムにあてられ、彼らのプロジェクトが詳細に報告されている)、また彼らのプロジェクトの傾向は、日本人の感性とも多分に共振するところがあり、昔から多くのファンがいた。
 ところが、磯崎氏の紹介を除けば、日本ではこれまでアーキグラムがまとめて伝えられたことはなく、いわば伝説的な存在として長い間位置づけられていた。今回、待望の「アーキグラムの実験建築 1961-1974」が水戸芸術館で実現したのを機会に、存命のメンバー4人、ピーター・クック、デニス・クロンプトン、デヴィッド・グリーン、マイケル・ウエッブが来日し(それも、ピーターは約10年ぶり、デニスは大阪万博以来、デヴィッドとマイケルは初めての来日であった)、あわせて水戸、東京でのシンポジウムが開催され、展覧会カタログ、DVDが発売されることになった。
 結論めいたことを先に書いてしまうと、今回の一連のイヴェントにおける最大のポイントは、本人たちの来日や、オリジナルのドローイングの展示によって、生のアーキグラムに接することができたことであろう。その期待の現われのひとつが、展覧会初日のギャラリー・トークで、実物のアーキグラムを一目見ようと集まった、会場に入りきれないほどの多くの聴衆である。そして、彼らが実に雄弁かつユーモアを交え
楽しげに、自らのプロジェクトや当時の活動を語る様の目撃者となったのである。そして、今回集められた300点あまりのドローイングも、オリジナルの持つ見事さとインパクトを、あらためて確認することになった。これまでにも、彼らのプロジェクトが書籍等で紹介されていたとしても、それらはいわば文学の翻訳のようなものであって、いかにそれが巧みな訳をなされていたとしても、やはり原文を読むことでしか本当にその作品に触れることはできない。そして、アーキグラムの持つ独特なセンスと表現とノリとが、このグループのエッセンスであり、それらをフィルターを介さずに感じることが本当に重要であることが、今回強く実感された。

ギャラリー・トーク ギャラリー・トーク
展覧会初日のギャラリー・トークの様子

ペーパー・アーキテクトとしての可能性
 この展覧会は、ウイーンから始まり、ロンドン、パリ、ニューヨーク、ソウル、台北など、10年近くをかけ世界をまわり、最後に日本に巡回したものである。水戸でのシンポジウムの席上でピーター・クックは、ポンピドー・センターでの展示方法がもっとも堅苦しいものだったと発言しているが、メンバーのひとりデニス・クロンプトンが手がけた今回の水戸での会場構成は、これまでで最もよかったと言っていたようだ。そのピーター・クックの感想どおり、今回の展覧会は、彼らの価値観がストレートに伝わってくるきわめて楽しいものとなっている。
プラグインシティ
図1:《プラグインシティ》
 展覧会場に足を入れると、まずはマイケル・ウエッブのプロジェクトが闇の中からブラック・ライトで浮かび上がる、照明を落とした小さな空間がある。そしてその先には、一転して明るく色彩鮮やかな、はじけた雰囲気を持つ空間が広がっている。ピーター・クックの代表作《プラグイン・シティ》が巨大に拡大され天井から斜めに吊り下げられ[図1]、彼らのデヴューともなった「リビング・シティ」展の一部を再現した立体的なインスタレーションとともに、空間をダイナミックなものとしている。《プラグイン・シティ》や、ロン・ヘロンによる《シティ・インターチェンジ》などからは、彼らの未来志向はもちろんのこと、〈都市の変容〉〈都市のネットワーク〉への強い関心があらためて確認できるが、それも彼らの先輩である同じくイギリスの建築家、スミッソンズからの継承であるとともに、一方で21世紀になりますます〈都市の変容〉が語られるという今日の状況と照らし合わせてみるのも面白いだろう。
 こうした彼らの発想は、今日のグローバルな状況を先取りしていたとも言えるが、インターネットもなかった時代に何故そうしたことが可能であったのか。建築とは、基本的にきわめて保守的な分野であって、昨今リノベーションが注目を浴びるのも、既存の建物が現状に合わなくなっているからであって、建築とはそもそも現状から遅れるという宿命を持っているとも言える。それらならば何故、アーキグラムは時代を超えて先に進むことができたのか。彼らは実現を前提としないという姿勢を明快にすることによって、ペーパー・アーキテクトというジャンルを確立し、その可能性を認知させたのである。
 二つ目の部屋には一時期もうけられていた彼らのアトリエが再現され、彼らの好みのもので埋められた仕事場の様子からは、往時の彼らの活動の雰囲気を感じ取ることができる。
「庭師の手帖」のインスタレーション
図2:《庭師の手帖》のインスタレーション
 三つ目の部屋では、デヴィッド・グリーンのドローイング《庭師の手帖》を、立体としたインスタレーションが目を引くだろう[図2]。トマトからコードが延びたヘッドホンをして踊る女の子のコラージュ《エレクトリック・トマト》などのプロジェクトに顕著なように、彼らにとって自然とテクノロジーは、適当に折り合いをつけるものではなく、唐突にコラージュ的に出会うものであった。環境問題は今日の大きな課題であるが、それは単に数合わせの対応で済むものではなく、彼らのように自然もテクノロジーもともに楽しみつくすという姿勢から、新しい発想のヒントも生まれそうである。
 その他、《モンテカルロのよびもの》《ウオーキング・シティ》と言った代表作から、その他無数のプロジェクトとともに、彼らのアーキグラム以降の個別のプロジェクト、また彼らの共同の場であった『アーキグラム』誌全9冊が展示された。彼らのドローイングで密実に壁面を埋め尽くされた展示室は、当時の熱狂を示しているようであり、また個別のドローイングを丁寧に見ていくと、それぞれにおいてオリジナルな発想やプレゼンテーションが開発され、とても一瞥では汲みつくせないポテンシャルに圧倒される。


「アーキグラム展 アーキグラム展
「アーキグラムの実験建築 1961-1974」展示風景 すべて著者撮影

建築の変化に対応する柔軟なチーム体制
 彼らはプロジェクトにおいて先端的であったのみならず、チームのしてのあり方もきわめて新しかった。90年代には、日本でも若手建築家が複数名でチームを作る傾向から、彼らをユニット派と呼ぶことがはやったが、そうしたグループでの設計は、90年代ころから世界的に目立った傾向となった。つまり、以前のように一人のスーパースターが設計をするのではなく、共同でプロジェクトを進めるという方法である。だが、一方でアーキグラムは、いつも6人一緒というわけではなく、プロジェクトごとにそのうちの何人かが協働するという、きわめて柔軟な体制を持っていた。これは、今日のネット社会的な傾向を先取りしていたと言えるかもしれない。彼らには、「統御と選択(control and choice)」というプロジェクトがあり、建築の変化に対する自由度を確保しようという試みが提案されている。これは建築家・原広司が昨年末の自身の展覧会で「連結可能性と分離可能性(connectability and separability)」という概念の重要さを強調していたことを連想させるように、これもまた今日的問題を予見していたといえよう。
[ いまむら そうへい ]
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