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メディアとしての博覧会
暮沢剛巳
 3月25日に開幕した愛・地球博(愛知万博)が佳境を迎えている。この万博には121カ国と4つの国際機関が参加、当初は鈍かった客足も好天に恵まれた連休を境に急上昇、公式発表によれば5月12日付で3,862,224人と、現時点ですでに当初の目標であった1500万人の動員は確実な情勢となっている。開幕前の紆余曲折や不入りの予測に頭を悩ませていた多くの関係者は、さぞや胸をなでおろしていることだろう。ところで今回の万博に関しては、もう何年も前から何かと「もう万博の時代は終わった」との口さがない声が絶えなかった。かいつまんで言えば、これは70年の大阪万博をピークとして、以後の各種万博・地方博が動員数、話題性とも徐々に下降線をたどってきた事実を踏まえ、21世紀の現在ではもはや高度成長期のときのような関心の高まりは期待できないとの前提に立った見解だ。もちろん、主催者側もそうした意見は十分に承知したもので、今回はネイチャー志向を強く意識した「自然の叡智」という全体テーマを謳い、「人類の調和と進歩」といういかにもポジティヴな進歩史観に裏打ちされたテーマを掲げた大阪万博との差別化を図っている。事細かに検証する余裕がないので、このテーマの是非そのもの、あるいは各々の展示に対する浸透の度合いについては、会場を訪れて展示を実見する機会のあった読者に判断を委ねることにして、ここではただ、今回の愛・地球博を含めた万博というイヴェントの在り方を「メディアとしての博覧会」という一点にのみこだわって考え、そのとりとめもない雑感を書き付けておくだけにとどめたい。

万博のメディア的性格
「メディアとしての建築」展、会場風景
「メディアとしての建築」展、会場風景
 まず率直に告白しておけば、この「メディアとしての博覧会」というアイデアは私の独創ではなく、ある展覧会のタイトルから触発されたものである。元ネタとなったのは「メディアとしての建築──ピラネージからEXPO'70まで」と題された展覧会で、今年の2月5日〜5月8日にかけて東京大学の総合研究博物館にて開催され、一室だけの小規模な展示ながらもその問題提起は実に示唆的であった。言うまでもなく、メディアとは何らかの情報を含み、伝達する媒体を意味しており、常識的にはまず活字や映像などが想起される。しかし、例えばビアトリス・コロミーナがアドルフ・ロースとル・コルビュジエの異質な空間を対比して明らかなように、建築もまたれっきとしたメディアなのであり、それは一般にはモニュメントや文明の記憶装置としての役割を果たしてきた。ところが本展では、建築のメディア的な性格を「一時的にしか存在しない仮設の構築物が、かえって情報の伝達者としての役割を強く担うことがあるのではないか」というまったく逆の視点から捉え返すことが強く意識され(なお本展企画者の菊池誠は、それとはまた別にmediaの複数形mediumsが「巫女」や「霊媒」を意味していることも意識しているようだ)、その結果、会期終了とともに跡形もなく消え去ってしまう万博のパビリオン建築に対して一際強い関心が寄せられることとなった。本展カタログにも引用されている以下の一節は、万博建築のメディア的性格へと関心を寄せた本展の企画意図を物語るばかりか、それをさらに「メディアとしての博覧会」へと読み替えた拙文の意図の説明ともなっているだろう。 
万国博は19世紀にはじまった、新しい情報メディアの場であり、世界であった。しかもその情報はものをもって主とし、文字・文章・図表によるものは従とする構造をもっていた。さらにそれらの情報は、19世紀にそれぞれ体制を整備しつつあった国家、または近代的な企業を発信者とするものであった。……この情報メディアの場は、ある一定の期間のみに開かれるという非日常的な世界という性格をもっていた。(吉田光邦編『万国博覧会の研究』、思文閣出版、1986)。

「メディアとしての建築」展、会場風景
同展、会場風景
 ちなみに本展は「ROMA 1760 イマジネーションの遺構」「LONDON 1851 鉄とガラスの世紀」「PARIS 1889 鉄骨建築」「CHICAGO 1893 ホワイト・シティ」「PARIS 1937 30年代の怒涛の中で」「NRNBERG 1937 政治スペクタクルの桟敷」「BRUXELLES 1958 電子詩曲」「OSAKA 1970 情報化時代の祝祭の装置」の8部によって構成されている。要するに、冒頭の1部を除けば全てが万博建築によって占められ、19〜20世紀の代表的な万博建築を時系列でたどりつつそのメディア的性格を明らかにすることが試みられている。まず1851年のロンドン万博だが、これは何と言っても会場のハイド・パークに建設された「水晶宮」がハイライトである。建築技師ジョセフ・パクストンが設計したこの鉄とガラスの巨大な構築物は、約10万点におよぶ展示品を一同に会することによって、ほぼ世界全域にネットワークを広げた大英帝国の栄華を透明なディスプレーによって誇示、「万博の時代」の幕開けを告げたのであった。次いで1889年のパリ万博では、エッフェル塔が最大の目玉となる。高さ300メートルを超えるこの鉄塔もまた当時の技術の粋を凝らしたものであったが、一方でそれは会期終了後も長らく実用に供され、仮設が常であった万博建築に恒久設置というアイデアを導入することになる。コロンブスの新大陸発見400周年を記念して開催された1893年のシカゴ万博は、展示ホールを擬ルネサンス様式の白亜のファサードが覆った「ホワイト・シティ」がその代名詞となり、万博と都市計画の強い親近性を浮かび上がらせた。岡倉天心がフランク・ロイド・ライトに強い影響を与えたとされる日本館「鳳凰殿」を「平等院のようだ」と評したのもこのときだ。1937年のパリ万博では、複雑な経緯の末に坂倉準三の設計した日本館パビリオンが伝統とインターナショナルスタイルを巧みに融合させたものとして高く評価されグランプリを受賞、またドイツ館では、ニュルンベルクの党大会で「光のドーム」の壮大なスペクタクルを演出したアルベルト・シュペーアの都市計画模型が展示された。第2次大戦後のブリュッセル万博では、ル・コルビュジエとエドガー・ヴァレーズのコラボレーションによる「電子詩曲」が登場して万博建築のインターメディア的な傾向が強調され、そしてアジアで初めて開催された1970年の大阪万博では、「お祭り広場」を中心として敗戦国である日本の戦後復興と国際化の極点が示されたのである。
 極めて大雑把な要約で恐縮だが、それでもここに浮かびある一連の趨勢は、万博というイヴェントの持つメディア的性格をいくつかの側面によって明らかにしているだろう。まず万博とは、世界中の名品珍品を大量に集めてみせた「驚異の部屋」のスケールアップ版であり(ミュージアムの歴史を語る上で決して万博を欠かせないのはそのためだ)、体系的な展示を可能とするディスプレイの発達を促す一方、そのような収集を可能とした開催国の権勢の誇示にも繋がっていく。参加各国がこぞって自国の伝統と先進性を合わせて誇示、奇妙なアマルガムが現出するのもナショナリズムの昂揚ゆえの事態にほかならない。また万博には巨大なラボや公共事業としての側面もあり、会場はさまざまなテクノロジーを駆使した最新機器で埋め尽くされ、いかにもユートピア的な未来都市が出現する。過去の未来像を凍結保存したかのようなこの小さな展覧会が描き出した万博の見取り図は、かつて大阪万博をはじめ沖縄海洋博、つくば科学万博などを経験したわれわれにとっても十分合点の行くものだろう。

「環境」の変質
 では、この見取り図を万博の系譜の末端に位置する今回の愛・地球博に当てはめ、そのメディア的性格を考えてみた場合にはいかなることが言えるのか。すでに触れたように、そこで真っ先に浮上するのが「環境」という視点であろう。われわれにとってはもはや万国の物産やハイテク機器はさして珍しいものでもないし、また万博の会場風景も、未来都市というよりはテーマパークに近いものに見えてしまう。その代わりに、会場である海上の森が名古屋市近郊に位置するとは思えないほど豊かな自然に恵まれていることが以前から強調されてきたし、オオタカ営巣地発見後のドタバタやリニアモーターカーの導入に象徴されるように、自然保護対策には細心の注意が払われてきた。マスコットのモリゾーとキッコロにしても、森林をイメージしたキャラクターである。低成長時代を迎えて久しく、情報のグローバル・ネットワークが確立された現在、万博のような19世紀に起源を持つイヴェントの有効性が疑われるのは当然といえば当然の話だ。だが「驚異の部屋」やナショナリズム、未来都市といった従来の視点に代わって「環境」という問題意識が強調されたとき、ひょっとしてそこには従来の開発至上主義型とは異質な万博像が出現していたのかもしれない……。広大な会場を循環するグローバル・ループを周遊しながら、ふと私はそんなことを考えていた。
 椹木野衣は、『戦争と万博』において丹下健三の「大東亜建設忠霊神域計画」や田中角栄の『日本列島改造論』などを例に取り、かつて「環境」が大東亜共栄圏の建設を髣髴とさせる戦時概念として構想され、その開発至上主義的な視点が大阪万博にも深く浸透していたことを指摘している。この卓見に依拠して言うならば、当初の会場造成計画が大幅な修正を強いられた今回の愛・地球博は、文字通り「環境」を前面に掲げることになったのみならず、開発至上主義からネイチャー志向へとゆっくり移行してきた「環境」概念そのものの変質にも対応しているのではないだろうか。「環境」という情報を発信した21世紀初の万博のメディア的性格は思いのほか入り組んでいて、その意義が明らかにされるのはしばらく先のことになりそうである。


[ くれさわ たけみ ]
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