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ベルリン・ビエンナーレとベルリン
市原研太郎
ビエンナーレを特徴づけるベルリンの特殊性
 今回で4回目を迎えるベルリン・ビエンナーレが、3月下旬にオープンした(5月28日まで)。他の新興のビエンナーレ同様、前世紀の終わり(98年)に緒についたベルリン・ビエンナーレだが、それには他の都市にはない特殊な事情が随伴していた。ベルリンが、東西の政治体制の分断を象徴する冷戦時代の壁の存在で知られていたことである。ビエンナーレは、そうした第二次大戦のトラウマを背負い、さらに壁の崩壊(89年)、ドイツ再統合(90年)という冷戦以後のベルリンの文化を形成する一翼を担うものとして成長してきた。それゆえ、過去3回のビエンナーレには、深刻な歴史的経緯が無言の影を落としていたのである。ビエンナーレのメイン会場の「クンストヴェルク」が、壁に近い東ベルリン側のミッテ地区にあったことも、この展覧会の性格付けに大いに寄与しただろう。
 こうした条件を反映して、クラウス・ビーゼンバッハ(第1回)、サスキア・ボス(2001年第2回)、ウテ・メタ・バウアー(2004年第3回)がキュレーターの任に当たった過去のビエンナーレでは、分野や射程はさまざまだが、作品の傾向は能動的に社会に働きかける表現が主流をなしていた。というのも、20世紀のドイツを襲った社会的悲劇は、ナチズムの台頭に対して、人々が受動的に振舞ったことが一因となっているという暗黙の反省があったからだ。
受動的な反応を生み出す「動物化」した表現
 結論から言えば、4回目の2006年のビエンナーレは、このような方向性を180度変換するものだったように思う。つまり、基本的に受動的な反応によって構成された作品が並んでいたということである(もちろん例外もある)。この傾向は、世に氾濫している娯楽的作品と同様に、たしかに人々の好奇心をくすぐるものではある。ビエンナーレのキュレーターに指名されたマウリツィオ・カテラン(アーティスト)、マッシミリアーノ・ジオーニ、アリ・スボトニクの3人が強調する、各作品のかもす雰囲気(不安、恐怖、引きこもり、パラノイア、ノスタルジーなど)は、まさしく社会的環境の大きな変化に対して人間が示す感情的な反応を表わしている。
 環境に直接に反応するという意味で、これらの「動物化」した表現は、不思議さや異様さやグロテスクさで、鑑賞者の興味を掻き立てることはあっても、そうした反応を引き起こした環境の原因や責任については不問にして放置するのだ。しかも、その原因がすでに明白な場合、奇妙な反応は哀れみを催させることはあっても、共感を抱かせることはない。そこから、反面教師ならぬ反面犠牲者の姿を学び取り、間接的な社会批判として捉え返し、そのような犠牲者を出さないよう社会に働きかけることはできるだろう。しかしアートとして見た場合、作品にスケールと品格を付与する思考のダイナミズムは感じられない。
能動的な反抗を表現の手立てとして
 アートのこのあり方は、じつはアートの通常の状態だと言えるのかもしれない。なぜなら、アートの表現基盤は社会的に脆弱で、その圧力に立ち向かうというよりすぐ屈するというのが、歴史的に知られるアートの一般像だからである。したがって今回のベルリン・ビエンナーレは、アートの常識に復帰した展覧会と見なされてよいのだろう。とはいえ犠牲者となることなく、ましてや迎合や従属ではなく、抵抗や反逆を生きるアートはないのだろうか? そこに例外は紛れ込んでいないのか? 
 私は、例外はあると述べた。その例外の名前を挙げておかなければなるまい。ジェレミー・ディラー、タシタ・ディーン、アンリ・サラ、クレメンス・フォン・ヴェドマイヤー、カイ・アルトフ&リュツ・ブラウン、トビアス・ブッへ。彼らの作品は、それぞれのやり方で社会的な矛盾の所在を確実に探り当て、そのうえで抵抗し反逆する表現の形式を見出している。つまり表現の回路を、受動的な苦難(受苦)から能動的な反抗(情熱)へと粘り強くつなげ替えているのだ。
Tacita Dean Presentation Sisters, 2005 Film still Courtesy Tacita Dean; Frith Street Gallery, London; Marian Goodman Gallery, New York / Paris Clemens von Wedemeyer mit / with Maya Schweizer Rien du Tout (gar nichts), 2006 Production still Courtesy Clemens von Wedemeyer, Maya Schweizer; Galerie Jocelyn Wolff, Paris
Tacita Dean
Presentation Sisters, 2005
Film still
Courtesy Tacita Dean; Frith Street Gallery, London; Marian Goodman Gallery, New York / Paris
Clemens von Wedemeyer mit / with Maya Schweizer
Rien du Tout (gar nichts), 2006
Production still
Courtesy Clemens von Wedemeyer, Maya Schweizer; Galerie Jocelyn Wolff, Paris
Anri Sala Time after time, 2003 Video still Producers: Bick Productions; The New Museum of Contemporary Art, New York Courtesy Anri Sala; Johnen Galerie, Berlin; Hauser & Wirth, Zurich / London Tobias Buche Untitled, 2004 Installation, verschiedene Materialien / mixed media installation Courtesy Tobias Buche; Klosterfelde, Berlin
Anri Sala
Time after time, 2003
Video still
Producers: Bick Productions; The New Museum of Contemporary Art, New York
Courtesy Anri Sala; Johnen Galerie, Berlin; Hauser & Wirth, Zurich / London
Tobias Buche
Untitled, 2004
Installation, verschiedene Materialien / mixed media installation
Courtesy Tobias Buche; Klosterfelde, Berlin
近代化の先に見るもの
 98年当時、ベルリンはまだドイツのアートの中心ではなく、マーケットが根付いてなかった。ビエンナーレは、時期尚早との声も上がったなかでの船出だったのである。それが幸いして、政治的・社会的ばかりではなく、経済的にも制約を受けずに実験的な展覧会を企画することができたのである。しかし今回のビエンナーレは、統合後のベルリンが転機を迎えていること、すなわち壁の記憶を忘却する方向へと一歩を踏み出したことを標す分岐点だったのではないか。都市の再開発が一段落し戦後の傷跡が癒え始めているこの時、ベルリンに外観となる建築だけでなく近代的(?)な文化を再注入することが要請されている。
 アートにおけるその結果が、確実に忍び寄るコマーシャリズムの勢力拡大である。まだマーケットはニューヨークのように十分に整備されてないにせよ、ベルリンは先に述べたような歴史的特殊性があり、それが文化的なステータスシンボルの価値をもち、ベルリンに画廊を開くことが美術界の話題となりつつある。その強力な潮流に向かって受動的に振舞うとしたら、かつて真空地帯だったベルリンのアートがもちえた能動性は二重に失われ、ただちに資本主義システムの餌食になってしまうだろう。そのようにして、近代化の意図とは裏腹に、表現が動物的な反応のスペクタクルへと還元されないという保証はどこにもない。ベルリン・ビエンナーレは、それを先取りしているのかもしれない。
Bouchet Installationsansicht / Installation view Courtesy Uwe Walter; 4. berlin biennale f%ャVr zeitgen%ャJssische kunst / 4th berlin biennial for contemporary art, 2006 Installationsansicht / Installation view Courtesy Uwe Walter; 4. berlin biennale f%ャVr zeitgen%ャJssische kunst / 4th berlin biennial for contemporary art, 2006
Marcel van Eeden Installationsansicht / Installation view Courtesy Uwe Walter; 4. berlin biennale f%ャVr zeitgen%ャJssische kunst / 4th berlin biennial for contemporary art, 2006 左上:Bouchet
Installationsansicht / Installation view
右上:Installationsansicht / Installation view
左下:Marcel van Eeden
Installationsansicht / Installation view
すべて、Courtesy Uwe Walter; 4. berlin biennale für zeitgenössische kunst/ 4th berlin biennial for contemporary art, 2006
[ いちはら けんたろう・美術批評 ]
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