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アジアで開かれた2つのビエンナーレ──上海と光州──から見える2006年の美術状況
市原研太郎
 2006年の世界の美術界を振り返って気づくのは、近年目立つようになったビエンナーレのさらなる前進だろう。すでに90年代後半より、欧米以外のさまざまな地域で開催されるようになってはいたが、それらの新しいビエンナーレが企画展として成熟の域に入り始めたのである。2006年後半には東アジアの韓国(光州、釜山)、中国(上海)、台湾(台北)で行なわれたが、そこにシンガポールが加わり、記念すべき第一回のビエンナーレが南條史生の企画で実現された。

展覧会の質が問われる時
 とはいえ、ビエンナーレが開かれることを無条件に祝うようなムードは、もはや美術界にはない。現代美術がアジアにいまだ根付いていない時期であれば、少しでも公衆の目に触れることは美術界にとって歓迎すべきことだったろう。たとえば2000年に上海で開かれたビエンナーレは、現代美術が中国社会に本格的に導入されるきっかけを作ったが、中国という現代美術の後発の国で、このような展覧会は文化面ばかりでなく社会的にスキャンダルを引き起こすインパクトを秘めていた。しかし去年で6回のビエンナーレを数えた上海では、すでに複数の現代美術館が開設され、またコマーシャル画廊もこの大都市の一区画に密集して存在するまでになった。
 現代美術を取り巻く環境が急速に変貌した結果、ビエンナーレをとにかく行なえばよいということではすまされなくなった。この種の展覧会を多くの人が鑑賞するのは当たり前で、彼らが現代美術に親しんでいることを前提に、その企画内容について評価が下される。現代美術が物珍しいと思われた頃であれば、評判が芳しくなかったとしても啓蒙という目標を貫き通すことができた。しかし次の段階に差し掛かって要求されるのは、まさしく展覧会の中身である。言い換えれば、いかなるテーマで展覧会が組織され、そのテーマの下にどのような作品が集められるかが問われるのだ。
ジュリアン・オピー リュウ・チェンファ
ジュリアン・オピー作品 リュウ・チェンファ作品
中村哲也 上海ビエンナーレ会場風景
中村哲也作品 上海ビエンナーレ会場風景
上海/表出する現代美術のジレンマ
 とりわけアジアにおいては、ビエンナーレの及ぼす経済的効果を含めた社会への貢献や影響が重要視されている。その意味において、前述の上海ビエンナーレは現代美術のみの展示から4回を経て、ようやく反省期に入ったように思われる。というのも、今回のテーマが美術におけるデザイン性であり、さまざまな角度から現代美術に見出されるデザイン的なものを掬い上げたからである。デザインを取り入れた美術を尺度にして、それをいくつかのカテゴリーに分けて出展作が選ばれたのだ。
 もちろんデザイン性を無視して現代美術は語れない。だからこそ、この企画は非常に興味深い。しかしその裏には、中国の美術をめぐる複雑な事情があることも確かだ。それは、現代美術の新興国ということに関連している。なぜなら、この国では現代美術は一般に浸透しつつあるとはいえ、まだ歴史的な厚みをもっておらず、大衆の興味を引くには外面的な要素が不可欠とされるからである。デザインとは、外観が人目を集めるように施される諸々のテクニックである。中国でデザインが注目される理由はそれだけではない。現代美術が成立している条件として世界市場の力があるが、とくに海外のそれに依存する中国では、その需要に直接応えるかたちで美術界の活動が発展してきた。一般に美術市場の嗜好は、デザイン性の強い作品に傾きがちである。見掛けの美しさやそつのないバランス、つまり表面的な魅力に富み、深刻な内容からかけ離れていればいるほど、市場はそれに飛びつくのだ。しかし、まったく無内容に還元されてしまえば美術としての価値を失うので、どこかで歯止めが必要である。空疎な装飾に陥らない程度に内容(それも当たり障りのない)を残しておくこと。そのせめぎあいが、市場に顔を向ける現代美術のジレンマとなる。したがって、上海ビエンナーレのテーマが「デザイン」になったことも肯ける。今回のビエンナーレは、デザインという形式面を通して、今や世界の君主と化した感のある市場に翻弄される現代美術の姿を浮き彫りにしてみせたと言えるだろう。

光州/世界情勢を可視化
光州ビエンナーレ会場風景
光州ビエンナーレ会場風景
光州ビエンナーレ会場風景
 今年開催されたアジアの他のビエンナーレ、とりわけ韓国の光州の場合は、上海とは異なる事情に動機付けられているように見える。それを一言でいえば、美術における社会的問題の深化だろう。実は、光州は上海と回数では同じだが、最初から現代美術を貫いてきたという経験と自信が展覧会の質を徐々に向上させ、必然的に2006年のビエンナーレを最高の出来に仕上げた。光州が社会に敏感なのは、この都市の過去と密接な関係があるが、それだけではなく昨今のビエンナーレの趨勢に従っていることも要因のひとつである。21世紀に入って、現代美術は一部で前世紀にも増して社会的主題に取り組むようになった。ビエンナーレに出展される作品がその代表格であり、最近の世界の政治情勢を反映して、内容に政治的な題材や社会批判を盛り込んだ作品が多く見られるようになったのである。
 2006年の光州ビエンナーレは、この世界的潮流に沿った構成だったが、さらにそれを先に進める新機軸も見せている。それは、グローバリゼーションによって引き起こされる諸問題を、それに対抗する現代美術の求心と遠心の運動によって可視化する試みである。現代美術は、グローバル化した世界が抱える問題や矛盾を表現するだけでなく、収斂と拡散の相互作用によって解決の糸口を見つけることができるか。この課題を鮮明にした展覧会が、今回のビエンナーレだった。この賭けに成功するかどうかは、この相反する運動を統合するアーティストの力量と、この展覧会を目撃した人々の今後の思考と行動にかかっているだろう。
 とはいえ、現代美術をめぐる事態は予断を許さない。というのも、市場が支配する表層のデザイン性とビエンナーレに現われる深い社会性の二極に分化した2006年の現代美術の動向は、そう遠くない将来に劇的な変化をもたらしかねない鋭い緊張を孕んでいるからである。去年は、そのカタストロフに向けてのターニングポイントとなるのではないだろうか。
ジュン・グエン・ハツシバ 塩田千春
左上:ジュン・グエン・ハツシバ作品
左下:ギム・ホンソック作品
右上:塩田千春作品
ギム・ホンソック
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