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アートという試金石──「狂乱」後の世界を生きるために
市原研太郎
 一年前にマイアミのアートフェアを初めて訪れた際、噂には聞いていたが、そのあまりに度外れた活況を目撃して、私は思わず「狂乱のアートフェア」と叫んだ。では、一年後の今年のマイアミはどうだっただろうか?

いくつかの反抗的な態度
 現象的には、12月初旬の期間中マイアミで行なわれたアートフェアの数は去年にも増して多くなり、ついに20を超え市場の貪欲な期待の焔が衰えないことを如実に示した。その様子は、マイアミを訪れる直前に滞在したテキサスのダラスとフォートワースのアートをめぐる落ち着いた環境とは好対照をなしていた。私は、そこでお気に入りのアーティストの一人、フィル・コリンズの数年にわたるプロジェクトの成果を心ゆくまで堪能したのである。
 しかし実際にアートフェアを見て回ると、内実が去年と変わっていることに気づいた。それは、市内のホテルで開かれる愛好家相手の小さなフェアでも、Scope、Pulse、NADAといった独自の特徴を打ち出すフェアでもなく、それらの中心に君臨するArt Basel Miami Beachの会場で感じられたことである。とはいえ広大なコンヴェンションセンターは、去年と同様多くの観客を呑み込んで賑っており、各画廊の作品の売れ行きも悪くなさそうである。違ったのは、顧客に応接するギャラリーの側が、市場の無軌道な加熱ぶりに冷水を浴びせるようなスキャンダラスな展示の仕方をしていたことである。それがほんの一握りの若手ギャラリーでしかなくても、作品の売買に専念するこの特殊な空間では、その姿勢はきわめて突出して見える。具体的に名前を挙げれば、中国のコンビニを出店してアート市場の消費を諧謔的にパロディ化したShanghART、やる気のないいい加減な展示でお茶を濁し、最後にコレクターを「SCUM(人間の屑)」と吐き捨てるReena Spaulings、黒ずくめのハードゲイの世界でブースを埋め尽くし偽悪的に振る舞うPeres Projects。数は少ないが、それらのギャラリーの反抗的な態度は非常に目立ち、フェア全体の印象を変質させるのに十分なインパクトをもった。私は、昨今のフェアをめぐる浮かれ騒ぎに反省を促す効果があったと思う。
ShanghART Reena Spaulings
Art Basel Miami Beach会場風景
左上=ShanghART
右上=Reena Spaulings
左下=Peres Projects
Peres Projects
アートの本質を再考するきっかけ
 そのような目でもう一度会場を見回すと、他のギャラリーに飾られている作品が改めて力のあるものとして現われてきた。90年代から現在まで、現代アートのメインテーマは何だったのか? アートの根幹に関わる理念についてあれこれ考えながら作品を見ていくうちに、80年代以前のアートの主題と重なりつつ微妙にずれる90年代以降のアートの流れが浮かび上がってきた。それは、80年代以前創作の主導権を握ってきたマテリアリズムに、90年代ヒューマニズムが割って入ってきて、表現のアリーナの勢力図を形成したアートの現代史である。この二つの理念は、90年代以降に調和と葛藤を繰り返して現在に至るが、そこで作られた表現がスケールの大きさやダイナミズムに帰結する。アートフェアで、この二大原理に正面から取り組んでいるアーティストの高潔な表現から、美術館での企画展以上の深い感動を得たことに驚いた。現代アートの「現在」を考察するためには、アートフェアに行くこと。そのような感想を抱いた今回のマイアミのフェアは、少なくとも私にとって前回とは異なり、アートの本質を深く観察する機会を準備してくれていたのかもしれない。
 フェア会場の一隅を利用して開かれたイヴェント、特にアート関係者を招いて行なわれたシンポジウムも、アートの近現代史を回顧するという点で有意義だった。これに参加したダン・グラハム、ジョアン・ジョナス、マリーナ・アブラモヴィッチ、ヴァリー・イクスポートら20世紀後半を代表するアーティストたちは、今日の現代アートの繁栄以前の、彼らの生きた不遇な過去を証言することで、足元をしっかり見据えて歩むことの重要性を示唆した。言い換えれば、アートの使命や機能の再確認を聴衆に求めたのだ。
Art Basel?Miami Beach Art Basel Miami Beachでのシンポジウム
ラディカルなヒューマニズム
 このように今年のマイアミのアートフェアは思いがけない収穫を私にもたらしたが、今年はアートの世界を構成するもう一方の極のビエンナーレでも、予想以上に優れた企画の展覧会にめぐり合えた。イスタンブールやアテネのビエンナーレがそれである。今年最大のアートイヴェントだったヴェネツィア・ビエンナーレとカッセルのドクメンタが、正直に言って期待はずれに終わったので、余計にそう思われたのかもしれない。前者は、キュレーターのホウ・ハンルウが現代社会の基礎の再発見とそれを危機に導く諸要因を抉り出した作品を陳列し、後者は、若いギリシャ人キュレーターが、「破壊」のモティーフを一つひとつの作品に探り当てて、展示の順路を辿ることでその物語が紡ぎ上げられるように配置し、各作品にまつわるエキセントリックな「破壊」の非情な無意味さに、美的形式を添えていた。
 しかし、それらにも増して収穫だったのは、スウェーデンのイエーテボリで行なわれたビエンナーレである。それは、現代における抵抗の可能性を探る企画の展覧会だったが、25名という少数のアーティストによる作品は、悲惨な結果を生み出している逼迫した政治的問題を内容としていて、会場に緊張感溢れる雰囲気を醸していた。これらのビエンナーレはすべてヒューマニズムを根底に据えた企画の展覧会であり、それを具現した作品の紹介である。もちろんそれは、マテリアリズムに口実を与えるだけのブルジョワ・ヒューマニズムではない。現在われわれにもっとも必要とされるのは、人間の自由と平等を同時に実現するラディカルなヒューマニズムである。アートは、この困難な課題に対して解決の糸口となる表現を提供できるだろうか。それが、狂奔する現在の経済バブルの時代の後を生き抜く、アートの試金石となることは間違いない。
ShanghART Reena Spaulings
Art Basel Miami Beach会場風景
すべて筆者撮影
[いちはらけんたろう・美術批評]
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