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ジャン・ルノワールからジャック・リヴェットへ
──「ルノワール+ルノワール展」と「ジャック・リヴェット 秘密と法則の間で」
大久保清朗
消費と骨董趣味──「ルノワール+ルノワール展」
 渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで「ルノワール+ルノワール展」が開催中である。印象派の画家ピエール=オーギュスト、映画監督の次男ジャン。父の絵画と息子の映画を「共演」させ、両者の絆を探ろうとするこの横断的かつ縦断的な試みは、2005年、パリのシネマテーク・フランセーズの改装を記念して催されたジャン・ルノワール回顧特集の企画展に基づくものである。「家族の肖像」「モデル」「自然」「娯楽と社会生活」という4部構成の展示を経めぐるうちに徐々に浮かびあがってくるのは、肉親への、女性への、草木や動物への、社会への、一言でいえば生への讃歌に全霊を捧げたルノワール父子の姿であろう。ジャンの母であるアリーヌ・シャリゴをモデルとした《田舎のダンス》(1883)、あるいは《陽光のなかの裸婦(試作、裸婦・光の効果)》(1875-76)など、女性の肢体が放つみずみずしい輝きをカンバスに定着させた父ピエール=オーギュストに呼応するかのように、息子ジャンは『恋多き女』(1956)や『草の上の昼食』(1959)において、イングリッド・バーグマンの歓喜の表情、あるいはカトリーヌ・ルーヴェルの豊満な裸身をフィルムに焼きつけた。半世紀を超える歳月のへだたり、そして絵画と映画という表現の境界を超えて、父子の作品は手をたずさえて生の官能を謳いあげているかのようである。
 生の讃美者としてのルノワール親子。なるほど《ぶらんこ》(1876)の少女と『ピクニック』(1936)のシルヴィア・バタイユを愛でるうちに、誰しもたやすくそんな気分に誘われてしまう。しかしながら、そこはかとなく瀰漫するこのうららかな「気分」こそ、この展覧会の限界を露呈させてはいないだろうか。
 ピエール=オーギュストの、あの蜜のように甘い作風は我が国においてつとに人口に膾炙し、少なからぬ愛好者を勝ちえている。では息子ジャンの映画はそんな父の口当たりのよさを受けつぎ、父の威光のなかでぬくぬくと自足しているだろうか。少年時代のジャンがモデルとなった《狩姿のジャン》(1910)のかたわらで、プロジェクター投影されている『ゲームの規則』(1939)の名高い狩りの場面を見てしまうと、誰しもふとそんな疑問にとらわれてしまう。第二次大戦前夜の暗澹たる世相の反映であるといった読解も、「強制収容所を予告し、予言した映画」(ジャン=リュック・ゴダール)であるといった警句さえも、耳をつんざく銃声とともに、おびただしい小動物たちが情け容赦なく射ち殺されていく、その暴力のむごたらしさ、死のむなしさの前ではあまりに脆弱だ。後年「歴史は人殺しの連続である」(『イギリス人の犯罪』[青土社、1997])と記すにいたるジャンの冷徹な認識がすでに垣間見える。セルジュ・トゥビアナは「(ジャン・)ルノワールの作品が私たちの心に触れ、感動を呼び続けるとすれば、それは作品が生に対して常に開かれているからである。しかもその作品が、他のどの作品にもできない生の鼓動を捉えているからなのである」(「フランスにおけるジャン・ルノワール」、『「ルノワール+ルノワール展」カタログ』所収)と述べているのだが、少なくとも『ゲームの規則』の狩りの場面に響きわたっているのは、「生の鼓動」というよりも死の轟きであろう。
 だがそうした齟齬を「狩り」という題材の共通性によって有耶無耶にしてしまおうとする今時の趣向は、来場者を、見ること以外の何かに向かわせようとしているように思われてならない。そもそも、たかが数分の抜粋で『ゲームの規則』が「展示」されるとは、冒瀆いがいの何であるか。水浴する裸婦とか、パリの歓楽とか、そうした題材本意の単純化は、ベルエポックの多幸感ばかりを煽りつつ、作品との出遭いよりも、華やいだ舶来気分の消費ばかりをうながしている。だがルノワール親子の作品でフランス気分を満喫しようなどとは、結局のところ、小津安二郎の映画によって東洋の無常観だの和の美しさだのを賞翫せんとする骨董趣味と変わるところがない。骨董といえば、本展覧ではジャンが映画監督になる以前に手がけた、陶芸作品が数点展示されている。もともとジャンの陶芸活動は、ピエール=オーギュストの慫慂で始められたものだが、妻カトリーヌ・ヘスリングと映画作りに没頭するやジャンはこれをあっさりと放擲してしまう。遺されたジャンの陶芸こそ、父と子との決定的断絶を雄弁に物語るものではなかろうか。

整合なき総体への誘い──『ユリイカ』3月臨時増刊号「ジャン・ルノワール」
『ジャン・ルノワール自伝』(みすず書房、2001)
『ユリイカ』3月臨時増刊号「総特集 ジャン・ルノワール」(青土社、2008)
上:『ジャン・ルノワール自伝』
(みすず書房、2001)
下:『ユリイカ』3月臨時増刊号「総特集 ジャン・ルノワール」
(青土社、2008)
 すべての作品を網羅することが今次の企画の目的ではないのは承知している。企画側の魂胆が多少あざといとして、それだけを指弾してみても詮ない。ジャン自身、「ある種の真実を受け入れさせようと思えば、見慣れた安ピカの衣裳を纏わせるのが必要なこともあるのだ」(『ジャン・ルノワール自伝』[みすず書房、2001])と書き、通俗の効用を認めている。にもかかわらず敢えて書こう。ジャンを受けとめるには、とにもかくにも「まるごと」でなければならない、と。あらゆるすぐれた映画作家がそうであるように、ジャンの映画はどれもが、部分によって還元しえない総体のひろがりへと見る者をいざなっていく。とはいえ(その作品すべてにジャンの創造性が貫徹されていることは確かだが)、個々の題材が全体でしかるべき整合性を保証するわけではない。『のらくら兵』(1928)の荒唐無稽な世界、『スワンプ・ウォーター』(1941)のアメリカ南部の原始的世界、そして『黄金の馬車』(1952)のコメディア・デラルテの即興的演劇世界、それらはバラバラなまま、ひとしくジャンの世界を形づくっている。加えて、晩年『ジョルジュ大尉の手帳』(1966)を皮切りに『ジュヌヴィエーヴ』(1979)にいたる彼の小説世界(なかんずく没する三日前に脱稿した『ジュヌヴィエーヴ』の、詩情と残酷さとが融合した破局の世界)が、映画の世界にさらなる深度と混乱を与えている。互いに矛盾するかのごとき渾沌を併呑してしまう、ジャンの懐の深さと付きあうのは並大抵のことではない。ジャンの言葉を借りるなら、「美しさはゆっくりとしか理解されない。それは観察を積み重ねてようやく明らかになるものなのだ」(『ジュヌヴィエーヴ』『イギリス人の犯罪』所収)。映画評論家の山田宏一責任編集による『ユリイカ』3月臨時増刊号「総特集 ジャン・ルノワール」(青土社、2008)は、そうした総体のひろがりに人々を誘う渾身の特集号だ。全作品の詳細な作品解説に加え、映画製作陣による貴重な証言が満載され、題名索引まで完備された本特集は、ジャンの世界のとば口に立つ人々にとって幸福なる遭遇を約束する一冊といえよう。

後継者たち──「ジャック・リヴェット 秘密と法則の間で」を中心に
 1950年代末から、ジャンの周辺に若き信奉者たちが集うようになる。ゴダール、フランソワ・トリュフォーなど「ヌーヴェル・ヴァーグ」を牽引する映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の同人たちである。24歳のときに『黄金の馬車』を見て感激し、『フレンチ・カンカン』(1955)では助監督もつとめたジャック・リヴェットもその一人であるが、新作『ランジェ侯爵夫人』公開を記念して、渋谷のユーロスペースと飯田橋の日仏学院でリヴェット監督作品の特集上映「秘密と法則の間で」が始まった。未公開作品も網羅したこの特集は、リヴェットのキャリアをとおして、ジャンがおよぼした後生への影響力を知る機会を与えてくれる。
 ヌーヴェル・ヴァーグの黎明をつげる短編『王手飛車取り』(1956)を撮り、『パリはわれらのもの』(1960)で処女長篇を発表したリヴェットであるが、映画作家として彼に大いなる飛躍をもたらしたのは、1966年に手がけたジャンをめぐるテレビ用ドキュメンタリーの製作であった。「『修道女』(1966)の撮影と仕上げが済んでからすぐ、テレビ番組『現代の映画作家』の撮影のためにルノワールと3週間いっしょに過ごしました。これがわたしに多大な影響をもたらしたのです」と語るリヴェットは、その次作において、単に「ルノワールからインスパイアされた映画」ではなくて、「ルノワールが体現した映画の理想に献じ」ようと決意する。それは具体的にどのようなものか。「ものごとが提案され、その提案がどうなるか検討されるような映画、何よりも、役者や場所や出会った人々との対話があらゆる局面でなされるような、何ものも押しつけることのない映画。そこでは、映画を撮るということが映画の一部を形づくるのです」(インタビュー「時間の氾濫」、『カイエ・デュ・シネマ』第204号)。
 長篇第3作目として彼が取り組んだのは、ラシーヌの戯曲『アンドロマック』の稽古にはげむ役者たちのドラマ、『狂気の愛』(1969)と題された4時間12分に及ぶ大長篇である。役者たちの稽古の様子は、取材に訪れたテレビの取材班によって16ミリ・フィルムで収められていくが、徐々にその稽古場は狂乱と境を接するかのごとき修羅場と化していく。リヴェットは、この「映画内映画」の着想をジャンのドキュメンタリー製作の体験から得たと語っているが、映画の内部に、もうひとつ別の映画がはめこまれるという入れ子構造は、幾重にも錯綜した虚構の迷宮へと見る者を引きずり込まずにはおかない。爾後、この迷宮への傾斜は『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(1974)や『彼女たちの舞台』(1988)などその後の作品に綿々と引き継がれることになる。リヴェットの映画作家としての真の出発を告げる『狂気の愛』、その初の日本語字幕付き上映は本特集のハイライトであろう。
 リヴェットの過激な映画作法は、バルザックの『十三人組物語』に想を得た次作『アウト・ワン』(1970、上映時間はなんと12時間30分!)によって過激さの頂点を究めることになるが、同じ原作に基づく最新作『ランジェ公爵夫人』(2007)においても、彼の裡で息づくジャンの精神は健在である。バルザックの忠実な映画化を試みると同時に、リヴェットは主役モンリヴォー大将の鬱積した情念を、バイク事故で片足を失ったギヨーム・ドパルデューの立てる異様な跫音によってなまなましく描出してみせた。時代物(コスチューム・プレイ)である以前に、身体のなまなましいドキュメントであるという点において、それは同じく実際に片足を失ったトーマス・E・ブリーンが演じてみせた『河』(1950)の傷痍軍人の屈折ぶりを想起せずにはいられない。
 ジャンの魂は、他のフランス現代映画にも脈々と息づいている。たとえば、『カイエ』派の最長老格であるエリック・ロメールの最新作『アストレとセラドンの恋(仮題)』(2007)。17世紀の通俗小説の映画化ながら、唇に、素足に、乳房にそっと口づけをしているかのごとき触覚的な眼差しと、その卑猥さがことごとく濾過されたかのごとき澄みきったエロティシズムとによって見るものを顫わせる。5世紀のガリアを舞台とする恋人たちの純愛は、『素晴しき放浪者』(1932)冒頭における牧神たちの戯れ、『ピクニック』(1936)における愛撫と遥かに響応している。あるいはチュニス出身の気鋭アブディラティフ・ケシシュ監督の『身をかわして』(2004)。高校生たちの演劇特訓によって、ケシシュは、パリ郊外の殺伐たる団地とマリヴォー演劇空間とを接続させる。果敢なるアナクロニズムの挑戦は、大胆な撮影と緻密な演出において『ゲームの規則』の精神を受け継いでいるといえよう(最新作『麦粒と鯔』(2007)とあわせ、ケシシュは本邦での紹介が待たれる映画作家の一人だ)。ジャンの映画は、その血縁を超えた絆によって、今も多くのシネアストの作品と結ばれている。
 「ルノワール+ルノワール展」と連動した特集上映の掉尾として、4月から東京国立フィルムセンターで「ジャン・ルノワール監督名作選」が始まる。本特集において、ジャンとの幸福なる遭遇が来場者の多くに訪れることを願ってやまない。
おおくぼきよあき・映画研究]
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