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アフリカ諸国の博物館の理念と教育活動

―移動展と自国の言葉の使用―


 19世紀末、アフリカ大陸は、各部族の領土には何の配慮もされずに分割されてしまった。植民地争奪は、部族としてのまとまりを無視するだけでなく、部族間の親密度とは無関係に、幾つもの部族を一緒くたにしてしまった。しかし、植民地政府の下での政治的圧力の過酷さが、様々な部族を団結させ、その結びつきは独立戦争によって一層強固なものとなった。現在ほとんどの国は独立し、もはや何もせずに、かつて植民地化されたという事に不満を述べてばかりいるわけにはいかなくなった。
 ボツワナの首都ガボローネにある国立モニュメント美術館は、植民地事業という悪行を転化して、それを最大限に活かすという国家的事業に大きな役割を担おうとしている。ここでは、国民全てを対象とした移動展や、大半の国民が住んでいる田舎に、mobile museum(動く博物館)を巡回して、植民地時代の圧制の下で生まれた部族間の協力と忍従を活かして、様々な部族をこれまで以上に団結させようと考えている。
 これらのアウトリーチ・プログラムは、様々な文化を持つ部族に共通する文化的価値を活かし、文化の相違を分断の口実にする替わりに、文化を豊かにする機会に換えることを目的にしている。それは、文化の相違こそが、政治的不安定を生み出し、現代アフリカ政治的動乱を導いた部族主義の手段だと考えられるからだ。
 移動展やアウトリーチでは、文化の交流を奨励するために様々な部族の文化的成果に光を当て、ひいては国の文化的アイデンティティーの発展に助力しようと考えている。したがって、そのテーマは、「多様さの統一」である。また、アフリカの伝統文化は西洋文化に圧倒されて、次第に危機に瀕している。それに対応するため、移動展では、アフリカは暗黒大陸で、世界に何も貢献してこなかったという植民地のプロパガンダを払拭することに努めている。
 アフリカの美術館・博物館は、住民の多い田舎から遠く隔たった大都市か、首都に建てられている。580.000・の広大な国土に、僅か130万の国民が住んでいるボツワナでも、それは同様である。美術館・博物館のある都市から大勢の田舎の住民までは、遠大な距離が隔てている。伝達手段の発展にもかかわらず、大半の田舎の住民が首都ガボローネにある国立美術館・博物館を訪ねる機会は全く無い。
 そこで、これら大勢の田舎の住民に奉仕するために採用されたのがアウトリーチ・プログラムである。他の国々で既に実施されている様々なアウトリーチ・プログラムを研究した後、子供たちが実物に触れ、匂いを嗅ぎ、味わい、見ることが出来る、ハンズオンmobile museumが誕生した。今では美術館のロゴになっている「ゼブラ」として多くの国民に親しまれている。
 ランドクルーザーを改装し、実物資料、スライド、映画、プロジェクターなどが詰め込まれた「ゼブラ」号は、毎年全国各地の学校を訪問するために4台用意されている。その運営に当たっているのはアシスタント・キューレーターと二人のアシスタントである。学校を訪ねると、通常の授業に替わって、生徒はグループに分けられ、スライドや映画を使って講義を受け、資料のハンズオン体験をする。午後になると親や大人たちが招待され、ガイドツアーに参加した後、子供たちと一緒にとても人気の高い伝統舞踊に参加する。夕方には、村中の殆どの住民が、校庭で上映される映画会に集まってくる。このmobile museumによって、美術館は、かなりな僻地にまでたどり着くことが出来、他方、田舎の住民は美術館について見たり、学んだりする機会が得られるようになった。
 ところで、植民地時代の最も重要な遺産の一つは、アフリカ大陸に公用語としてヨーロッパの言語―例えば、フランス語、英語、ポルトガル語―が導入されたことだ。アフリカ争奪とそれに続く植民地分割のもう一つの遺産は、新たなアフリカの国々を構成している人口の多民族化である。一国の中で、多くの言語や方言が使われているのだ。
 政治家たちはこれまで、多民族、多言語という問題を解決するために様々な解決法を打ち出してきたが、殆どの国では、実際的な理由から、以前の宗主国の言語を公用語としてきた。それに加え一つあるいは、幾つかの土着の言語を公用語とした国もある。ボツワナでは、セツワナ語も公用語とされた。公用語は学校で教えられ、全国で話されている。公用語として認定された言語の他に、百万人以上の住民に話されている多くの言語があるが、公用語でないために、学校で教えられることは無く、全国的に話されることも無い。話されも書かれもしない言語は廃れてしまう。
 これらの言語も貴重な文化遺産であると考えている国立モニュメント美術館では、mobile museumではヨーロッパの言語の使用を最小限にとどめ、土着の言語を積極的に使っている。それは、単に言語の保存という理由ばかりでなく、ヨーロッパの言語は土着の言語の微妙なニュアンスを捉えることが出来ないからでもある。その文化の言語によってのみしか解釈できない文化的な側面があるのだ。
 1980年にmobile museum を始めた当初は、小学校高学年のクラスには英語を使用するようにという教育省の要請に従ったが、程なく、田舎で英語を使ってセツワナの文化を解説することが不要な問題を引き起こすということに気付いた。第一に、この年代の子供の英語力が不十分であり、第二に、資料には英語名がついておらず、相当する英語名を見つけても、それは単純かつ一般的で、土着の言語によって伝えられる意味を十分に伝えきれない。そこで、セツワナ語が使われるようになったのである。
 すなわち、アウトリーチ・プログラムは、住民に積極的に参加してもらい、できるだけ大勢の住民の参加を促すという目的で始めたことなので、公用語だけではなく土着の言語を使用することが当然の帰結となったのである。

[佐藤厚子]


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