美術館IT情報:歌田明弘…2002.10.15.
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企画展中心主義から常設展示中心主義へ
歌田明弘
 
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連載/歌田明弘
連載/影山幸一

 地方の公立ミュージアムに行くと、立派なAV機器のあるコーナーができているのに、コンテンツがさっぱりない、コンテンツを作るスタッフがいないという問題もあるだろうが、そうした機器を導入したモチヴェーションがそもそもなかったのではないかと前回書いた。今回は、AV機器が活きているように感じられたミュージアムを取り上げよう。
 少しまえに、松山に行く機会があった。中心部から少し離れた道後温泉に泊まり、帰京する前に少し時間ができたので、近くにあった子規記念博物館に寄ってみた。温泉地にある博物館というと、それだけで偏見を持ってしまうのは、たぶん筆者だけではあるまい。観光地の人集めのためのエンタテインメント性たっぷりのお手軽ミュージアム。どうせそんなところだろうと時間つぶしがてらに寄ってみたら、予想外におもしろかった。結局、飛行機の時間までそこにいることになった。こういうことが(たまに)あるから旅行は楽しい。
 蔵を模したらしいアイボリー色をしたこの市立ミュージアムは、(1)道後松山の歴史、(2)子規とその時代、(3)子規のめざした世界の三部構成になっている。
 (1)は子規よりはるか昔の歴史までさかのぼっていた。(1)の時間軸に沿った導入部のあと、(2)では、今度は明治期の新聞の世界や政治とのかかわりで子規をとらえるという、横のパースペクティヴで展示されていた。(3)では、文学や俳句についての「子規のめざした世界」をたどるだけでなく、子規が愛したベースボールについてもなかなか深く取り上げていて、子規の関心がたんなる座興を超えたものであったことがわかる展示になっていた。
 漱石との交流や文学者・正岡子規が紹介されているのだろうぐらいにしか思っていなかった旅行客にとっては意外に深みのある展示だった。時間がかかったのは、展示物がそこそこあったこともあるが、展示品のあいだにAV機器が置かれていて、映像資料を見ることができるようになっていたからだ。明治期の新聞について関心を持っていたこともあって、ミュージアムの物理的空間の大きさ以上に時間がかかってしまった。
 ここまで読んでも、じつのところ何がそんなにおもしろいのかまだよくわからない人もいるかもしれない。展示物のあいだにAV機器を置くというのは、独創的でも何でもなく、AVコーナーを作るこのところのミュージアムの流れに比べて以前からあったむしろ古めかしいAV機器の使用法ともいえる。地元に関わりのある有名人を「だし」に、その地の歴史をたどるというのもよくある手だ。
 しかし、この施設の展示には、地方のミュージアムが参考にすべき要素がいくつも感じられた。
 まず第一に、地方のミュージアムは、地方性をはっきり打ち出すことが最大のセールスポイントになるという、ある意味で当たり前のことである。当たり前のことだが、こと美術館になると、とても当たり前とは思えない。中央がやっているのと同じ企画展をメインに据えている美術館が圧倒的である。バブルのように地方に美術館が作られたさいに掲げられた「大義」は、中央と同じ文化を地方でも享受できるようにすることにあったのだろうから、「中央と同じ」であるのも当然だが、それでは特色はない。金太郎飴のような地方美術館ができるだけである。とくに地方財政が苦しくなって、大きな企画展をやったり高価な作品を蒐集するのがむずかしくなれば、常設展示されている地元の作家の作品をいかに魅力的に見せるかにもっとエネルギーを注ぐべきだろう。東京でやっている美術展の作品をもしほんとうに見たければ、東京どころか、その本場に行って見ることもいまや容易になった。どんな作品にしても、その作品が生まれた地で見たほうがいいに決まっている。そして、地方の美術館も、地元の作家についてはそれができる。そのメリットを活かさない手はないだろう。
 日本の美術館の大きな問題は、企画展中心主義になってしまったことだ。ヨーロッパでは企画展専門の展示会場はミュージアムとは別の存在と考えられているそうだが、それならば日本のあらかたの美術館はミュージアムとは異質の機能がメインになってしまっているといえるかもしれない。
 手間ひまをかけても客を呼べないからなのだろうが、地元の作家の常設作品はたいていただ展示されているだけといったふうである。しかし、来館客のほとんどにとって始めて接する作家の作品にごく短い解説をつけただけで、「興味を持て」というほうが無理というものだろう。そうしたところにこそAV機器を置き、作家のインタヴューから生い立ち、地元との関わりをたどり、「地域の文化」がいかに育まれ、どんなふうになっているかを浮かび上がらせる映像を流したらどうだろう。
 来館した人が地元の人間であれ旅行客であれ、その土地に愛着を感じさせることができてこそ、地方のミュージアムの存在理由はあるというものではないだろうか。こうしたことは地方のミュージアムしかできないし、そうした映像は、のちのち地元の文化をたどろうとする人々のための一級資料になる。余分な情報なしに作品だけで見て感じてもらうのが鑑賞の本筋かもしれないが、そんな高尚なことを言っていたら、知名度の低い地元作家の作品は顧みられない。そして、アーティストのデータベースを作品から切り離し、AVコーナーに置くのは、データベースを殺すようなものだ。せっかく作品があるのなら、その作品の横においてこそデータベースの価値は増すというものだろう。
 企画展を訪れた人のうちごく少数が足早に通り過ぎていくだけだった常設展示のコーナーで、AV機器を使ってじっくり作品や作家の背景を見る人が現われたら、しめたものではないか。ないお金を絞り出して高い西欧絵画の企画展をやることよりも、地方のミュージアムをこうした発想のものにしていくことのほうが、長い目で見れば、地元のメリットは大きいと思うのだが。


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