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「アートを楽しむ気持ち」の仕掛け人
ギャラリストという仕事
暮沢剛巳

レントゲン芸術研究所の姿勢

 ギャラリストと呼ばれる仕事がある。自前のギャラリーを拠点に、専属契約を結んだアーティストの展覧会を開き、作品の売買を行うことを活動の中心とした職業だ。このように書けば、なんだ昔からある画商を横文字で言い換えただけじゃないかと突っ込まれてしまいそうだが、しかし実際には、扱う作品が必ずしも伝統的な「画」とは限らない上、作品の売買とは別に、自らアーティストを発掘して育て、また様々な企画や仕掛けを通じてその社会的評価を高めていく役割が多くを占めるなど、その業態にはかなりの違いがある。現代美術のギャラリストは伝統的な日本画や洋画の画商とは異なる職業なのだと、この場で敢えて断言してもいいだろう。
 それゆえに、当然のことながら、日本ではまだ本格的なギャラリストが登場してからの日が浅い。つい先日も、この原稿の準備のために古い新聞記事のコピーをチェックしていたら、不意に「日本にギャラリストと呼ばれる人が現れて、まだ20年くらいしかたっていない」という一文に出くわし、驚いた半面なるほどとうなずいたほどである。(アマチュアの美術ファンだった学生時代まで遡れば)15年程度になる私のキャリアと照らし合わせても、この「20年」という数値はおおよそ妥当なように感じられる。それは逆に言えば、この20年来のアートシーンの盛り上がりは、自分たちと同世代のアーティストを世に送り出そうと様々な仕掛けをめぐらせてきた若手ギャラリストの存在抜きには語れないということでもある。
 私事で恐縮だが、私が初めて若手ギャラリストの存在に目を向けるきっかけとなったのが、92年の夏に当時は品川区大森に所在したレントゲン藝術研究所(現レントゲンクンストラム)で開催された「アノーマリー」展であった。ゲスト・キュレーターを務めた椹木野衣が中原浩大、村上隆、ヤノベケンジ、伊藤ガビンの4人を徴集したこの展覧会は、4人の強烈な個性のぶつかり合いと、そのぶつかり合いの結果生まれたポップで「反芸術」的な熱気によって開催当時大いに注目を集めたイヴェントである。その熱気と刺激的な顔ぶれに興味を引かれて会場へと足を運んだ私は、展覧会そのものもさることながら、多くの点で異例ずくめだったこの展覧会の成立した背景が大いに気になった。そして雑誌の記事などを当たった結果、展覧会場のレントゲンが、ディレクターである池内務(1964年生)氏の強い意向により、1954〜1974年生まれのアーティストに限って門戸を開いているギャラリーであり、「アノーマリー」展の成功もまたその独自の方針に多くを負っていたことを突き止めたのである。キュレーターとアーティストの存在しか気にかけていなかった当時の私にとって、ギャラリストが占める位置の大きさと、自分と同世代のアーティストを積極的にサポートしようとする姿勢は大きな驚きだった。以来既に10年近い歳月が流れてしまったが、その間レントゲンは同様の姿勢を堅持して多くの若手アーティストを世に送りつづけ、とりわけ90年代前半には東京のアートシーンを活性化する多くの話題を提供した。私自身、インディーズを髣髴させるその熱気には違和感を覚えながらも、「レントゲン」的な展開は常に気になって仕方なかったものだ。残念ながら現在は休廊中だが、一段とパワーアップしての前線復帰を期待したい。

小山登美夫――行動派ギャラリストのモットー

 さて今度は、90年代後半以降のアートシーンを大いに盛り上げた個性派ギャラリーについて一瞥してみよう。ちなみに、ここでいう「個性派」とは文字とおりの「個」、ギャラリストが自らの名をそのままギャラリーの名にかぶせて、自分の個性を強調したギャラリーのことである。ここで挙げた条件に当てはまる代表格としては、谷中の白石コンテンポラリーアート(SCAI)や青山のミズマアートギャラリー、恵比寿のオオタファインアーツハヤカワマサタカギャラリー、大塚のTaka Ishii Galleryといったところだろうか。そのいずれ劣らぬ個性派ギャラリーの中から、今回は小山登美夫ギャラリーへとスポットを当ててみたい。
 ギャラリストとしては珍しい(?)東京藝大出身の小山氏が、西村画廊やSCAIでの修行を経て、門前仲町の食糧ビル(一昨年まで佐賀町エキジビットスペースがオープンしていたこのビルには、那須太郎ギャラリーやSHUGOARTSも入居していて、オフィス街の中の意外なアートスポットとなっている)に自らの拠点を構えたのは96年の春のこと。ギャラリーの歴史は6年弱と浅く、氏自身もまだ30代の若さだが、ギャラリーの契約作家である村上隆や奈良美智らを短期間のうちに社会的成功へと導いたその手腕は、国内外のアートシーンで既に高く評価されている。そんな小山氏が、自分の仕事について語る口ぶりはいたってクールなものである。

 作家の才能をどういう風に定着させるかが、僕らの仕事です。その作家にどういうメディアが合っていて、どのスタンスで仕事してどの位置に落とし込むのが一番ふさわしいのか、そういった事を常にアンテナを張ってリサーチし、マネジメントして行く……僕のやり方がいままでの日本のギャラリーの人たちと違うとすれば、インターナショナルなマーケット、欧米のマーケットに対して利用はしてもおもねることなく、自分の周りからリアリティをもって出てくるアートを、的確に欧米のマーケットに落とし込もうとしているところです。

 自分がいち早く才能を見出し、活動をサポートしてきたアーティストが、その後高い評価を獲得すること――若くしてギャラリスト冥利に尽きる体験を味わった小山氏だが、用意周到なリサーチ、迅速かつ正確な情報収集と分析、的確な現状認識に基づいたマネジメントと展望などの必要を語るその口ぶりは、あたかも外資系のやり手ビジネスマンのようでもある。確かに、アート・ディーリングは外国のマーケットを舞台に、ときに巨額の金を動かすビジネスなのだから、敏腕ギャラリストである小山氏の仕事振りがそこにダブって見えるのはある意味当然のことだろう。ただしギャラリストの場合、扱う商品が食糧でもなければ工業製品でもなく、容易に評価の定まらない現代美術の作品であるところに特有の難しさがある。厳しい市場原理に揉まれる中で、海のものとも山のものともわからない作品をいかに高く評価させ、流通させていくのか――結局のところ、その決め手が自分の作品を見抜く眼と自分の見抜いた作品に対する愛情という極めて主観的な要因に他ならないことを、小山氏は人一倍強く実感しているのだろう。事実、氏の眼の確かさは、ギャラリーのホームページに掲載されている契約作家のリストからも容易に察せられる。また回廊6年目にしてのこの充実振りは、氏が多くのアーティストから厚い信頼を寄せられている証明でもあるだろう。
 ところで、小山氏にとっての仕事上のモットーは、意外なことに(?)「アートみたいなバカバカしかったり、面白かったり、感動したりするモノを、どれだけの人々が楽しめるかというところが大事なんです」といたってシンプルなものである。それゆえ、「文化をサポートしているという気は、まったくありません」と、妙に気負った様子もまったくない。貸画廊が主導するアートシーンへの対立軸を打ち出そうと、企画専門のギャラリーが大同団結したプロジェクト「G9」の音頭を取ったり、『たけしの誰でもピカソ』や「芸術道場GP」の審査員を務めたりと、行動派のギャラリストとして知られる小山氏だが、一見仕掛け人めいているその行動も、別に突出しようとしているわけではなく、仕事上のモットーに忠実であろうとした結果に過ぎない。案外と、ギャラリストに何よりも必要な素養は、卓越したビジネスセンスや作品の善し悪しを見抜く鑑識眼以上に、この自然体な「アートを楽しむ気持ち」なのかもしれない。そしてそれは、先に紹介した多くのギャラリストたちにも共通する資質のように感じられる。
 なんにせよ、職業としてはまだ十分に認知されていないかもしれないが、現代美術の活性化に当たって、今やギャラリストはなくてはならない存在である。小山氏をはじめとする「アートを楽しむ気持ち」に溢れた若手ギャラリストには、今後も東京のアートシーンを大いに盛り上げて欲しいものである。

[くれさわたけみ 文化批評]



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