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とかち国際現代アート展
デメーテル開催前夜
馬場正尊
 
川俣正
カサグランデ&リンターラ
ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルト
シネ・ノマド
岩井成昭
nIALL
芹沢高志
 
 デメーテルの正式名称は「とかち国際現代アート展」で、その名の通り現代アートのイベントである。10組のアーティストが帯広という土地で作品を発表している。ただし、そのフィールドが競馬場。そのことが、デメーテルという展覧会を独特のものにしている。なぜ現代アートの展覧会の会場に競馬場が選ばれたのか、その経緯はディレクターの芹沢高志がさまざまな機会に発言しているが、10組の作家の選択と「サイトオリエンテッド」と表現されるコンセプトは、まずこの競馬場という場所から始まったと言っていい。
 蔡國強、オノ・ヨーコ、シネ・ノマド、岩井成昭、金守子、カサグランデ&リンターラ、ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルト、川俣正、インゴ・ギャンター、nIALL(中村政人、岸健太、田中陽明)。参加する10組のアーティストは、それぞれのスタンスで場所へのコミットメントの方法を表現していた。
 ここでは、オープニング前後の様子をレポートする。幸いにも、最後の設営や調整を行うアーティストたちに直接話を聞くことができた。それぞれの表情を伝えてみたい。
会見1 会見2
▲会見1=左から、芹沢高志(同展総合プロデューサー)、岩井成昭、ジョン・ヘンドリクス (オノヨーコ専属キュレーター)、サミ・リンターラ、川俣 正、インゴ・ギュンタ ー
▲会見2=左から、川俣 正、インゴ・ギュンター、蔡國強、ヴェルナー・ペンツェル(シネ ・ノマド)、ニコラ・ハンベルト(シネ・ノマド)

蔡國強

 7月12日、オープンの前日に帯広入りした蔡は、ほんの数日前にはNYのハドソン川で巨大な花火のパフォーマンスを行い大喝采を受けたばかり。3日間帯広に滞在し、15日には神戸で次のパフォーマンスが待っている。おそらく世界でもっとも多忙なアーティストの一人だろう。ちなみに、僕らがインタビューする前はNHKが取材をし、その前には『アエラ』の坂田栄一郎氏が写真を撮っていた。
 穏やかな嵐のような人だった。到着するなり今回の作品のためのドローイングを始める。ドローイングといってもスケッチではない。それは儀式のようなもので、彼がこれから行おうとしている巨大な爆発のイメージを、キャンバスの上の小さな爆発でシュミレーションする。それは、作品の最終的なイメージを描くのと同時に、今から使おうとする火薬の力、危険さをスタッフと共有するために行われているようにも思えた。蔡が火薬を手にするとにわかに緊張が走る。
 「こんな種類の火薬を使うのは始めてだなあ……」と不安そうな顔をしながら和紙でできた畳3畳ほどもあるキャンバスに火薬を撒く。近くから拾ってきた石や植物を火薬の間に配置していく。蔡が、隣に立っていたボランティアの学生に「火を貸してくれ」と声を掛け、ライターを受け取ると、まるで煙草に火を着けるくらいの軽さで導火線に点火した。と、一瞬にしてボワッと炎と煙と歓声が沸き上がった。あたりには火薬独特の臭いが充満する。

蔡國強1 蔡國強2
▲蔡國強「帯広のためのプロジェクト 天空にあるUFOと社」
ヘリウムガスを充填する作業は、台風の中徹夜で行われた。「未知との遭遇」のような体験だった。
▲同
台風の強風で、膜や構造体は破損し、UFOは飛ばなかった。しかし、だからこそこの空飛ぶくじらのような姿が印象に残っている。

 言葉では言い表せない興奮が走った。自分の目の前3mで、小さくても「爆発」という現象を見ることはほとんどない。それは、花火よりかなり乱暴なものだった。根元的な野生のようなものが一瞬、鎌首をもたげたのが自分でもわかった。キャンバスの上の石や植物などをどけると、そこには和紙が焦げてできた図像が浮かび上がる。天に浮かび燃える丸い物体の姿、蔡はそれを壁に立て掛け、設計図とした。
 オープン前夜、台風が北海道に上陸した。7月に北海道に台風が来ることなど歴史的に見てもほとんどない。ディレクターの芹沢高志は、半分あきれたように、でも半分は台風到来にわくわくしている子どものような表情をしていた(ように見えた)。実際は、そんな場合ではなかったとは思う。現場は徹夜の大騒ぎだった。
 その台風の影響をモロに喰らったのが蔡の作品だ。直径30mの巨大なバルーン(UFOと呼ばれていた)が、この日、空に飛び立つはずだった。夕方から、イチかバチかでヘリウムが充填し始められ、その巨体が徐々に姿を現し始めた。夜になり作業のための照明がつけられ、それによってバルーンはライトアップされる。白い塊が次第に大きくなっていく風景は壮観で、その様子は、会場の端からでもよく見えた。この暴風雨のなか、果たしてUFOは浮き上がることができるのか、スタッフの全員がかたずを飲んで見守った。おそらく蔡も眠っていない。
 次の日、まだ緊張の残る現場事務所で蔡をつかまえて話を聞いた。ニコニコしながら、「僕の作品はいろいろな環境が左右する。特に火薬を使うものはね。例えば、行政や警察の人が誰か許可してくれなければ、その作品は成立しないし、もちろんたくさんのボランティアやスタッフの協力がないと成り立たない。こんなふうに天気だって協力してくれないと苦労する。それが全部クリアできてやっとその一瞬が訪れる。そのためには、みんなが見てみたい、と純粋に思うようなものじゃなきゃだめなんだ。「オレが許可しないと、これをみんなが見れなくなる」、と思うと、役人さんもなんとか許可しようと思うでしょ。そして大きな爆発を見る。関わった人誰もが「あそこで、自分があんなふうにがんばったから今この爆発がある」と思える。そのとき、作品は大勢の人のものになっている。
 中途半端なものではダメ。徹底的に無駄で、すごくお金もかかって、たくさんの人が巻き込まれる。そうでないと、計画は途中で途切れてしまう。そんなこと、アートか戦争でしかできない」。
 最後に、Aの若い女性スタッフが、「蔡さんは、普通どんな生活をしているのですか?」という、僕からはできないような勇気ある、でももっとも聞いてみたい質問をした。「奥さんと子どもがいて、普段家にいるときは……」おそろしく普通の答えが返ってきた。

オノ・ヨーコ

 「SkyTV」という名前のついたこの作品は、1966年に発表されて以来、世界各国、さまざまな場所で発表されてきた。本人は会場には来ていなかったが、キュレーターのジョンがそのコンセプトと歴史を話してくれた。
 「例えば、ヴィバルディの作曲した音楽は、さまざまなオーケストラと指揮者によって、さまざまな時代のさまざまな場所で演奏されているよね。ヨーコのこの作品はそれに似ている。彼女のコンセプトと方法を生かして、それに携わる人々や場所、作品の解釈によって上演されている。芹沢は、サイトオリエンテッドという考え方をこのデメーテルのコンセプトにしたけど、そのような意味で考えると「SkyTV」が、ここ帯広でこんなかたちで作品化されているのは、まさにサイトオリエンデッドなのではなだろうか。TVに映っているのは、今、ここ、帯広の空」。

オノ・ヨーコ
▲オノ・ヨーコ「SkyTV」
厩舎の重い扉を開くと、鮮やかな帯広の空が目に飛び込んでくる。


 実際、ここで使われている81台のTVモニターは、地元新聞の「オノ・ヨーコの作品に参加してみませんか?」という問いかけに対して集まった中古のものが使われている。だから、サイズもバラバラである。帯広のどこかの家庭で使われていたモニターが帯広の空を写し続けている。
 厩舎の重いドアをガラガラと開けた瞬間、真っ暗な空間に、真っ青な空が10個、深いパースペクッティブの上に直列している風景には胸を打たれた。からだの底からぐっと感情が隆起してくるようだった。これが、この作品が長い時間をかけて上演され続けている強度なのだろうと思った。

川俣正

 川俣正は、北海道出身である。高校まで近くの岩見沢で過ごした。ここは故郷に近い。また、直接この競馬場に足を運んだわけではないが、ここで走る馬に賭けたことはあるらしい(おいおい、高校生だぞ)。そういう意味で、参加した作家のなかで、唯一、場所に対して具体的なコンテクストを持った作家であると言っていい。
 川俣のデメーテルへの参加は、昨年、ディレクターの芹沢と今福龍太との札幌ドーム対談のなかで偶然決まる。対談の次の日、川俣はそのまま帯広に行き、会場であるこの競馬場を見てから芹沢に直接「参加するよ」という連絡が入った、と聞いている。
 ここで行われる「ばんえい競馬」とは、いわゆるサラブレッドが出走するのではなく、輸送用の「ばんば」という骨太の馬が、重い荷物を引きずってそのパワーを競う北海道独特のものだ。そのレースは道内を巡回する。サーカスや移動遊園地のようなもので、レースが開催されている数日間だけ、この場所がにぎわうことになる。逆にそれが行われていない残りの300数十日間は、空白の土地として存在している。川俣は、それを知っていた。

川俣正
▲川俣正「不在の競馬場」
不在の競馬場を走る、不在の木馬。

 「不在の競馬場」という作品は、その不思議な物語を現実化、意識化したようなものだった。川俣は、「ばんえい競馬」の出走馬に「デメーテル号」という名前をつけ、それを実際の競馬に出走させた。同時に、木馬を帯広の競馬場に置いた。
 デメーテルがオープンした13日、偶然にもその実在のデメーテル号の初出走レースが岩見沢の競馬場で行われた。競馬新聞を買うと、枠にはちゃんと「デメーテル」と書いてあるのがおかしい。川俣は、「馬券買うなんて高校以来だなあ」と言いながら帯広の場外馬券場で7枠デメーテルの馬券を購入、もちろん一点買。残念ながら6着だった。デメーテルというイベントは終わっても、実在のデメーテルは、数年間この北海道を走り続けることになる。架空と現実が混在した、よくわからないストーリーがつくられる。
 川俣は言う。「いろいろな国際アート展に参加するが、このデメーテルはそれらのどれとも違う。もちろんアートとしてのクオリティを持つことは当然のことだが、今までにはないスタンスで参加していることは確か」
 川俣は、とにかくこのデメーテルを楽しんでいるように見えた。実際、そのときの場外馬券場は、いつもはおよそいないような人種が右往左往している奇妙な風景が繰り広げられ、同時にレートまでが動いた。

カサグランデ&リンターラ

 この二人の建築家は、ユーラシア大陸を横断し、フィンランドから車でやってきた。その車、赤いランドローバー冒険仕様が作品の一部として厩舎の前に止めてある。そしてその車が何よりも強度を持った作品だった。窓ガラスの一部はひび割れ、ウィンチには泥が絡みつき、車体には無数の小さなキズがある。誇らしげな顔をして止まっているように見える。車内を覗くと、釣りの道具やルアー(食料を調達した)、救急用のリュック(抗生物質の注射まで完備)、GPSの機材などさまざまなものが積まれている。長い道程と旅の物語を、車体がそのまま背負っているかのように見える。僕にとっては、それだけでも十分であった。
 厩舎の中では、ロシアの24地点で録音された、各地域の地元ラジオ局の放送が低く流され、その前に、各地域で出会った年老いた女性のポラロイド写真が、ポンと静かに貼ってある。じっと耳を澄ませて聞き慣れない発音や音楽を感じながら、その女性の写真を見ていると、厩舎の前に止まっている車が体験してきたであろう風景や出来事を勝手に想像してしまっている自分がいた。まるで旅をしているような展示空間だった。

カサグランデ&リンターラ
▲カサグランデ&リンターラ「ダラス―カレワラ」
フィンランドからユーラシア大陸を横断して、ここにある。

 気になったのは、彼らの職業が建築家であること。しかし参加アーティストのなかでもっとも建築的ではない、というと語弊があるかもしれないが、とにかく接地性が薄く、孤独で、さまざまな制約から自由な作品を提示しているのが彼らだった。そのことについて話しかけてみると、「ときに旅に出たくなる。建築はあまりに現実的な作業であることが多い」という答えが返ってきた。

ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルト

 作品の周辺を掃除していたり、作品の補修をしていたのが本人たちだった。どんな作品をつくっているのかを尋ねて見ると、PCで自分たちの作品のスライドを見せながら、1時間にも及ぶレクチャーがその場で始まり、こちらが口を挟む暇もなかった。
 彼らは、牛乳ケースをさまざまなかたちに積み上げることによってできる空間を、世界各国につくりあげている。それは、テンポラリーなものもあれば、そのままパーマネント作品として設置され続けることもある。時には、バスの停留所として使われたりと、さまざまな運命をたどっている。作品が置かれる都市の事情や国柄が表れているのが興味深い。
 彼らの作品は、巨大化の一途をたどっている。最初は庭先に置いてあるようなサイズだったのだが、やがて100人以上を収容する劇場になり、「今、こんなの計画してるんだ」と言って見せてくれたスケッチは、高さが20mもあるバスターミナルだった。なかにはエレベーターまで設置されている。
  牛乳ケースの構造体のなかにエレベーターが通っているものすごいCGが描かれていたが、果たしてあんな建築が実現できるものなのだろうか。
 もっとも、彼らは自分たちのつくっているものを建築であるとはまるで考えていないようだった。確かに、建築家のアプローチでは到達できない空間だと思えた。
牛乳ケースは、世界中、豊かな国から貧しい国までどこにでも、しかも大量にある。またあらかじめ積み重ねることが前提につくられているために強度も十分、基本的な構造は共通。まさにインターナショナルデザインのパーツである。

ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルト
▲ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルト
「帯広-ライトマシーン」
地元「よつ葉乳業」の牛乳ケースでつくられた構造体。トンネルのなかは涼しい。

 会期が終わればまたそのまま使えるので、メーカーも提供しやすいもののようだ。帯広でも、地元の牛乳メーカー「よつ葉乳業」の緑色のケースが使われていた。作品には「よつ葉乳業」のロゴがたくさん入っている。いつも街中に散在している日常的な箱が、こんな空間になって再編成されている風景は、住人には親近感の湧くものなのではないだろうか。

シネ・ノマド

 この作品をつくっている二人、ニコラとヴェルナーは、やはり旅人の臭いがした。ここで発表されている「スリー・ウィンドウズ」という映像作品を、僕は東京の東長寺のP3ギャラリーの最後の展覧会として観た。静寂の寺の地下の空間のなかで、まんじりともせずに壁にもたれかかって1時間以上ずっと画面を眺め続けていたのを覚えている。観る者に、そうさせてしまう映像だった。終わりも始まりもない、長い長い旅のような映像。ここ帯広では、雨音と風音を薄いBGMとして感じながら改めてこの映像を観ることになった。
『スリー・ウィンドウズ』という作品は、ビートジェネレーションの時代を生きた孤高の詩人、ロバート・ラックスのパトモス島での生活を、3つの映像で映すというもの。背後には淡々としたラックス本人による詩の朗読が入る。

シネ・ノマド
▲シネ・ノマド「スリー・ウィンドウズ」
ゲルのなかで上映された。

 シネ・ノマドの二人に、この作品をつくることになった経緯を聞いてみた。遠く離ればなれの場所で、ニコラとヴェルナーの二人が偶然、同じラジオ番組を聞いていて、そこで流れたのがこの『スリー・ウィンドウズ』の被写体であるロバート・ラックスの詩であった。お互い、それが気になって仕方なく、再会した時、二人はそれの偶然に驚き、そしてそれは偶然ではないということを悟る。すぐにパトモス島に飛び、そしてラックスの撮影を開始するのだ。撮影終了後、ロバート・ラックスは亡くなっている。

岩井成昭

  岩井の作品は美しかった。厩舎のなかは真っ暗でなにも見えない。そのなかを、音を求めて怖々と歩く。どこか遠い場所からつぶやきのような音が聞こえてきたかと思うと、突然、頭のすぐ後ろで声がする。光のない世界だから聴覚はいつもの何倍も研ぎ澄まされる。
 岩井はもっとも長く、そしてゆっくり帯広に滞在し、この地域とつきあった。今年の始め、冬の帯広で地元の100人近い人々とワークショップを行い、ここに住む人々の「声」を集め、それを作品にしている。
雪の降る音、雪の味、雪の朝……。そのアノニマスな人々の声は、不思議な力を帯びて耳に届く。
 もう一つ、岩井の作品は近くの公園の池のなかにもある。夕闇が近づきかけた頃、そこに向かった。誰もいない池に静かにアイヌ民謡の朗読が響く。耳のかたちのネオン管を写した水面が、まるで声に呼応しているかのようにユラユラと揺れる。とても丁寧な仕事だ。

岩井成昭
▲岩井成昭「耳と耳の間 」
夕刻、静寂のなかアイヌ語の朗読が続く。水面に映る耳の記号がユラユラと揺れる。

 池のほとりに寝ころんで、アイヌ語の朗読に耳を傾け、というよりその声以外は何の音もしない空間で、ただじっとしている時間は、とても心地のいいものだった。

nIALL

 「ニアル」と読む。この作品は、不思議な成り立ちをしていた。作品というより、プロジェクトのプロセスと呼んだほうがいいかもしれない。その経緯が、デメーテルそのもののようにも思えた。最初は、芹沢が岸に、会場内のカフェをつくることを依頼した。しかし中村政人、田中陽明というアーティストが参画することによって、それが次第にプロジェクト化してくる。3人が始めて帯広に陸路で入った時、峠を越えて帯広の郊外を通過していて街の風景がおかしなことに気がつく。そこは、まるでフィクションの世界のように人工的でよそよそしい、ちょうど住宅展示場を歩くような感覚だったらしい。しかし、そこには実際、人が住んでいる。後で地元の人に尋ねてみると、帯広では住宅展示場の家をそのまま売却して街ができていることがわかった。そうやって、帯広の郊外は広がっているらしい。あのよそよそしい空気と、バラバラのデザインの住宅が均質に並ぶ不思議な風景はそうやってできていた。

nIALL
▲nIALL「nIALL Project」
競馬場のなかに、住宅パーツの断片が配置されている。そこには、nIALLの周到な戦 略が潜む。


 アーティストの中村は、もともと都市の風景の形成や商品化された住宅の在り方自体に興味を持っていた。岸と田中は建築家であり、住宅という存在は切っても切れないものである。そこで、3人は、この現象をテーマにして作品をつくることになっていった。作品といっても、nIALLの場合、それはデメーテルの開催で完成するするするものではなく、会期中のワークショップやそこから派生するさまざまなプロジェクトによって厚くなっていくもののように見える。実際、彼らはそういったプログラムを組んでいた。
 競馬場のなかに設定された架空の街の敷地には、住宅地の境界線と住宅パーツの断片がシュールに並んでいる。その風景は、どこか『ツイン・ピークス』や『ファーゴ』を思い出させる、静かな郊外の暴力のようなものをたたえていた。彼らは、この風景のことを「ワンダーランドスケープ」という造語で呼んでいる。
「nIALLは「不確定要素「n」は、I(主体)とALL(総関網)により構成される従来的な世界像に干渉し、現実の社会循環に潜む問題の発掘からその解消にいたるまでの一連のシナリオを、有機的に生成する」
 ステイトメントからも読みとれるように、彼らの仕掛けようとしている罠には一見平和に見える帯広の空の下で、実は静かに、当たり前のように進行している不思議な現象を、不思議ななままに露わにしようとしていた。「nIALL的」なアプローチは、ここ帯広でのみで展開されるものではなく、かたちを変えて日本中で展開可能であろう。微妙に立ち位置の違う3人のアーティストは、またそれぞれにフィールドで、nIALLを展開していくのではないだろうか。

芹沢高志

 競馬場という場所を選んだことが、デメーテルを特別なものにしていることは間違いない。なによりも作家性の強い行為は、場所を選ぶということではなかっただろうか。この場所を選んだことで、それに対応できるアーティストもおのずと決まってくる。それくらい強い場所の力のようなものが、ここにはある。
 僕は、会場のなかの厩舎の一室を借りて一週間住まわせてもらった。そこは、ばんえい競馬の開催中、競走馬と調教師が一緒に暮らす空間だ。馬小屋と人の住居が隣どうし同じ屋根の下にある。部屋は当然、馬臭い。落書きやレースの予定表など、活気の余韻のようなものが残っている。小屋にも馬の存在感がありありと残っている。それ自体があまりに強烈な体験だった。

競馬場風景1 競馬嬢風景2
▲競馬場

 芹沢のディレクターとしてのメッセージはそこにこそある。この競馬場で行われる「ばんえい競馬」という北海道独特の競馬は、いわゆる競馬とはずいぶん違って、北海道の各地を巡回する。会期中、競馬場は人口700人の街になり、それが終わると誰もいなくなる。1年のなかの数日間だけ街となる、幻のような場所だ。川俣正は、自分の作品のタイトルを「不在の競馬場」と名付けたが、それはまさに場所自体の名前のように思えた。
 東京に戻ってきてからも、どうも競馬場の空気が身体に残っている。それは、長い旅の後の余韻に似ている。
[デメーテルは、2002年9月23日まで開催]

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