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椿昇「国連少年」/ソフィ・カル展
南雄介[東京都現代美術館]

 
福岡/川浪千鶴
神戸/木ノ下智恵子
東京/南雄介
倉敷/柳沢秀行

国連少年
ソフィ・カル
上:椿昇「国連少年」/下:ソフィ・カル展
 とうとう戦争が始まってしまった。
 この戦争にいたるまでの論点、イラクの独裁政権をどう評価するかという問題には、ひとまず触れずにおくとしよう。たとえそれを「悪」と断じるにせよ、またそれを除こうと立ち上がったアメリカの「善意」を疑わないふりをしたとしても、それでもなお、戦争までのプロセスに見られたアメリカの「帝国」的なふるまいには、憤りを通り越した、ある種のやりきれなさを覚える。グローバリゼーションというかたちで不可視の支配網を広げたのち、この帝国は、今度はいっそうあからさまに力によって世界を覆いつくし、単一的な価値観=文化を隅々まで浸透させようとしている。そこには、もはや「他者」は存在しないかのごとくである。「建前」さえ必要としないこのような「あられもなさ」は、近代的なソフィスティケーションの枠組みを逸脱するものだと言えるだろう。藤原帰一はそれを古代ローマ帝国に喩えていた。私たちは新しい事態に直面しているのである。
 強者のこのような「あられもなさ」は、しかしこの戦争をめぐる事態ばかりに、アメリカの振舞いにばかりに見られるものではないのではないか。近年それは、私たちの身近のいろいろな局面に見て取ることができるように思う。「帝国」的なものは、今やいたるところに遍在している。無力感が広がり、虚無が私たちを蝕み始めている。
 もしかすると、この種の身も蓋もない現実主義は、今に始まったことではないのかもしれない。現実主義というものはつねにそうであったということも言えるのであって、それに対して美術は理想主義に与するものであった、と思う。少なくとも私たちが美術に惹かれるのは、そこに帝国的なリアリズムに対する突破口、理想主義の王国を見出だすことができるからではなかったのだろうか。
 と、このようなものが前置きになるのかどうかわからないが、しかしおそらくこのような状況にアクチュアルに対応しているのが水戸芸術館の椿昇「国連少年」。フレッシュガソリンや鯉やバッタは知っているものの、椿昇の特に熱心な観客だったわけではなく、また宣材からも展覧会の内容は具体的によくわからないのだけれど、チラシに掲載されたその「制作ノート」はこのような時代、このような状況を前にした私たちの気持ちを語ってくれているように思う。

 「今」:世界を覆う得体の知れないシステムは、ブッシュを「あの選挙」で勝利させ、「テロ」という永久運動概念を強引に世界市民に貼り付けようとしている。もはや誰にもどうすることも出来ないかのようにゆっくりと流れ落ち始める何かを感じ2004年に企画していたプロジェクトを急遽この時期に立ち上げた。
 「今」:我々をおだやかな沈黙に陥れようとする何者かに対抗しなければ「未来」という弱々しい生き物は永遠に遠ざかる。民主主義の生んだ多数決は「あの選挙」のように一票でも多い勢力が、もう一方を無視することではないはずだ。平和のための「自由な対話の保証」のために、まずはゆっくりと見て、静かに耳を傾け、事象に「関心」を持つ知を育むことが、惑星に生きるあらゆる生命に優しい環境を生み出すはずだ。その「関心」を喚起する手法にアートも含まれる。


 緒方貞子氏の人気の高さを見てもわかるように、私たちは国連が好きだし信頼感を寄せている。国連というもの、その響きには手塚治虫的な理想主義が漂っているのだ。私の友人は、戦争へと向かう時間の流れの中で、今年が鉄腕アトムの生まれた年であったことに注意を喚起した。確かにいま、私たちは未来を手にすることができるかどうかの瀬戸際にいるのだと思う。
 理想主義、ということに関して言えば――もちろん上で述べた理想主義とは位相の違う話であるのは承知しているが、あえて話を続けてしまうと――、日本の美術館の中でもっとも理想主義的な空間を提示してくれているのは豊田市美術館ではないかと思う。この意見には同調してくれる人も多いことだろう。谷口吉郎のモダニズム的ソフィスティケーションの極みと言える空間と洗練されたプログラム。4月から開催される予定のソフィ・カル展は、おそらくしばらく前に原美術館でやったものの再構成だと思うが、「盲目の人々」と「限局性激痛」の旧作二点によって構成される小企画展。原美術館では、かつて住宅であった美術館の展示空間と、作品の私小説的な生々しさ、フランス人特有の間合いの近い身体感覚が、うまく同調してひじょうに印象的、効果的な展示になっていた。だがいずれにせよ、ソフィ・カルの両作品は、淡々とした外観の下にひじょうにパッショネイトな、強い感情とドラマを秘めた作品なので、どのような空間で展示されようがその意図と効果がそれほど減じられることはないだろう。もちろん豊田市美術館のヨーロッパ的なテイストと人間的なスケールのホワイトキューブも、このような作品にとって理想的なセッティングの一つである。そして彼女の作品からは、理想と現実との間に介在する想像的なるものの働きと意味を感じることができることだろう。
 特に何の意味もないのだが、椿昇とソフィ・カルは同年で今年50になる。

会期と内容
●椿昇「国連少年」
会期:2003年3月23日〜6月8日
会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー 水戸市五軒町 1-6-8 tel.029-227-8120
   http://www.arttowermito.or.jp/

●ソフィ・カル展
会期:2003年4月4日〜6月8日
会場:豊田市美術館 豊田市小坂本町8-5-1 tel.0565-34-6610
   http://www.museum.toyota.aichi.jp

[みなみ ゆうすけ]

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