鈴木謙介氏×DNP DNPのメディアビジネス研究 インタビューシリーズ常時接続の時代、果たして人は「つながり」を求めているのか?

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本インタビューは、メディアビジネス開発に従事するDNPのメンバーが「ヒューマンネイチャー」の観点から、新たなビジネスを発想していく研究活動の1つ。ここでは、ひとまずビジネスの視点から離れ、異分野の有識者の方々への取材を通して、新たなメディア・ビジョンを探究していきます。

世の中のセオリーとされる「コミュニケーション意識」の裏側

人間の感覚とメディアは、お互いが呼応し合いながら変化を繰り返してきました。どちらが先とも言い難く、また進化とも退化とも言い難い移り変わりが、ゆるやかに、時に唐突に行われています。そうした時代の潮目に立ちながらも、我々は一歩先をいくメディアを創造できないだろうか。情報行動や若者論について独自の理論を展開している鈴木謙介氏に、3つの「コミュニケーション」の視点からお話を伺います。

▶メッセージを伝えたくない若者
▶社会の解体によって帰属意識が表面化した
▶パーソナライズされたものよりみんなと同じものが知りたい

鈴木 謙介(関西学院大学社会学部准教授)理論社会学・若者論
「社会学的理論」や「社会理想」と呼ばれる抽象的な領域と、若者の行動や心理、携帯電話や情報化社会に関する情報行動の実証的な領域を架橋させながら、独自の社会理論を展開。2006年からTBSラジオで放送中の「文科系トークラジオLife」でメインパーソナリティーを務める。主な著書に『暴走するインターネット-ネット社会に何が起きているか』(イーストプレス 2002年)、『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書 2005年)などがある。

メッセージを伝えたくない若者

鈴木先生自身、大学で社会学の授業を教えていらっしゃいますが、メディアとの接点において学生が抱いているジレンマや現状とのギャップといったことで、お考えのことがあればお聞かせください。

ここ数年、学生たちに授業をしていていつも思うのは、例えばインターネットや携帯電話について喋るときの最もティピカルな反応というのが、「携帯いらないよね、情報通信いらないよね」という反応だということです。産業の理屈においては情報通信でつながることは良いこと、伝わることは伝わらないより良いことなわけです。

ところが、実際の学生たちは、伝わりすぎることや、伝わらなくてもいいことが伝わるといったリスクやめんどくささのようなものに目を向けています。例えば、スクリーンショットなどがそうですね。画面を撮って伝えられるということは良いことなのかと思いきや、彼らにとっては、クローズドなコミュニケーションが流出してしまうという意味になるんです。

この一般的には良いことだと思われていることが、全然良いことだと思われていない話は、なんでなのかと思うわけです。
つながることを良いとするなかには、何らかの通信手段でつながるという限定が隠れています。その「ウィズ通信」※1というものは、僕たちはつながっていないという前提を含んでしまっているわけです。

これはすごく奇妙なことで、例えば1000キロ離れたおばあちゃんと孫がテレビ電話をするのであれば「ウィズ通信」でつながりましょうという理屈はよくわかります。ところが、僕たちの「ウィズ通信」の利用の多くはもともとつながっている人に対して、つながり足りてないよねという前提のもと、もっとつながろうよというコミュニケーションを提供してしまっているわけです。
つながることは悪いことではないけれど、そのつながりの過剰さというものが、つながらないところを価値の中心におくような構造に結びついてしまっているんです。

最近、学生たちとLINEのグループを作ったのですが、びっくりするくらいレスポンスが速い。例えば、LINEに写真が貼られたとして、でもその写真に何の意味もないんですよ。なんで貼ってあるのかもわからないわけです。僕の発言だけをひたすらコピー&ペーストして貼りまくるとか、もはやコミュニケーションではないんです。(笑)
つまり、メッセージの伝達ではないグルーミング※2に相当するようなやりとりがオンラインでも行われているということです。

メッセージの伝達ではないということは正確に伝える必要もないし、ハイファイ※3である必要もないということがわかります。そういったジレンマを抱えながらも、通信というのは、僕たちにつながろう、つながろうと言い続けていて、違和感を覚えます。

本当は正確に伝わらないといけないものが正確には伝わらず、正確に伝わったら困るところまでも伝わってしまうということが、「つながる」というひとつの言葉で混同されてしまっているわけです。こういった発想が媒体側や発信側から出てこないように感じます。もっとみんなつながりたいに違いないといったような、根本の発想から違っていることが多いのかもしれません。


「つながる」という言葉に混同される2種類の情報伝達

「つながる」という言葉に混同される2種類の情報伝達

社会の解体によって帰属意識が表面化した

次に、集団におけるコミュニケーションについて伺いたいのですが、主張と協調の間には、常に「あらがう」関係性があるように思います。ファッションであれば、例えば「ノームコア」※4などがありますが、そういった意識を使い分けている人や、逆に思い悩んでしまう人も多いなか、感じていることはありますか?

まずファッションの話が出たのでそこから話を始めると、ファッションはもともと自己表現ではありません、帰属を示すものです。日本だとかつては身分によって何色を着てはいけないとか、今だと制服のように服装は基本的には所属や帰属を示すものです。それは自己表現として着られるようになった今でもあまり変わっていません。

大学の卒業式でもなぜか女の子は袴を着ることになっています。卒業生という帰属に入るためには、昼間は袴を着て、夜の謝恩会ではドレスを着ることになっているんです。(笑)
自己表現としてファッションを着ている人って本当にごく少数でしかない。ノームコアはノームですから、エクストリームなものがないと成立しないんですよ。

ファッションというものはエクストリームな可能性を追求して、それを既製服として、いわば大量生産できるラインのなかに乗せていくことで、そのなかに微妙な差別化を含みながらやってきました。確かにそうだけれども、「帰属」ということに関して言えば、デザイン性や新奇性とは実は関係してないので、派手でも地味でも袴であればいいんです。

むしろ、ファッションの自己表現性みたいなものって社会の秩序のなかでこれが規範だと決まっていたときよりも、選びにくくなっているというか、何を着るかの基準を自分に定められないから、どの集団に帰属するかをファッションによって示さざるをえないわけです。

この集団と個人の帰属基準を誰が教えてくれるのかというと、まさに通信の世界の話だと思っています。もっといえば匿名の声や噂です。明示的なルールとしてはどこかに書いてあるけれど、こうしなさいとは書いてないんですよ。お焼香問題と一緒で前の人がその人のやり方でお焼香をあげたら全員がそのあとに続くんです。(笑)

パーソナライズされたものよりみんなと同じものが知りたい

仕入れる情報が増えすぎてしまって選べない状態になっていますね。何が正しいかの声を求めているというべきでしょうか。

社会から「こうですよ」というものを与えられないことによって、困っていることはたくさんあるわけですよね。
似たようなものでいくと、育児なんかもそうです。昔は、村や社会から「ああせい、こうせい」という声がいっぱいありました。それが今ネットになっているわけです。何を食べさせればいいのか、何歳から始めるのがいいのかとか。なんとなく横目で情報交換しながら病院に行っても、ネットにはこう書いてありましたが、みたいなことになっている。

そういった通信の世界において、あらゆる場面のセカンドオピニオン化が進んだ結果、本来やらなくてもいいところまで気を回さないといけない。
Amazonのレコメンドエンジンなどとも関わってくるのですが、ビッグデータをもとにパーソナルにカスタマイズされた情報は、セカンドオピニオンにならないんですよ。あなたはこれが欲しいはず、ですから。

それこそ、パーソナライズされた情報が監視されているようで気持ち悪いという話とはまったく別に、「俺が何を欲しいのかを知りたいんじゃない、みんなが何を欲しがってるのか知りたいんだ」という人は結構いて、「あなたにぴったりの就活スタイルはこれですじゃなくて、私が浮かない就活スタイルを知りたい」なんです。そういったことを知るためには、パーソナライズ広告はなんの役にも立ちません。そして、本来広告はこういった機能を持っていたわけですよね。みんなが欲しいものはこれです、というものが広告だったので。

情報接触における2種類の欲求

情報接触における2種類の欲求


今はマス広告であることがダメなことのようになってしまっているので、社会から「この人はこうしなさい」という抑圧は、そういう意味ではなくなった。でもなくなったら、一人ひとりは欲しいものが別にあったはずだ、というのは幻なんですよ。みんなが通信したいはずだというのと一緒で。


※1 通信を使ってつながろうとすることの造語
※2 情報の内容自体に目的があるのではなく、コミュニケーションそのものを目的とする「毛繕い」のような行動を意味する言葉
※3 忠実度や再現性の高い状態
※4 ノーマルとハードコアを合わせた造語。高級さや際だった感性といった「人とは違う」要素から遠ざかり、あえて人と似たり寄ったりな変哲もない服装を選ぶというトレンドの流行とともに登場した語

編集後記

「メッセージを伝えたくない」であったり、「帰属する集団を探しているのにパーソナライズされても困る」といった反応に対して、企業が提供するサービスは対応できていないケースが多い気がします。
メディアの創造にあたっても、産業の理屈で正しいとされる事柄と対峙して、常に本質を見極める必要があるのだと思います。テクノロジーの発達により世の中の情報量が爆発的に増えたからこそ、クローズドなコミュニケーションを提供したり、帰属を創っていくメディアといった、時に逆説的とされるアプローチが求められるのではないでしょうか。

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C&I事業部 メディア本部 藤原 瞳太