南後由和氏×DNP DNPのメディアビジネス研究 インタビューシリーズ新たな情報環境の出現は、私たちのリアル空間での体験をどう変えたか。

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本インタビューは、メディアビジネス開発に従事するDNPのメンバーが「ヒューマンネイチャー」の観点から、新たなビジネスを発想していく研究活動の1つ。ここでは、ひとまずビジネスの視点から離れ、異分野の有識者の方がたへの取材を通して、新たなメディア・ビジョンを探究します。

“情報環境(メディア)”と“物理環境(まちや商業施設など)”の相互影響

インターネット、そしてスマートフォンの登場以降、私たちをとりまく情報環境は大きく変化し、時間的・空間的制約を意識せずに、私たちはいつでもどこでもメディアやサービスにアクセスできるようになりました。しかし、忘れてはならないのが、このような情報環境の目覚ましい変化とともに、リアルな空間=物理環境も進化し、物理環境上の人間の行動スタイルも変容しているということです。今回は、“情報環境”と“物理環境”の相互影響と生活者の変容について考察するため、建築・都市空間を専門に社会学的視座で研究をされている南後由和氏(明治大学)にお話を伺います。

▼両立する「時間消費/時間節約」欲求
▼「安心して迷える環境」がもたらした行動の変化
▼「モノ」ではなく「体験」で自分を着飾るいまどきの生活者

南後 由和(明治大学情報コミュニケーション学部専任講師) 社会学、都市・建築論
情報空間と物理空間の相互影響など、都市・建築と社会学について第一線で研究を行う。主な編著・共著に『建築の際』(平凡社、2015)、『磯崎新建築論集7 建築のキュレーション』(岩波書店、2013)、『モール化する都市と社会』(NTT出版、2013)、『文化人とは何か?』(東京書籍、2010)などがある。

両立する「時間消費/時間節約」欲求

建築・都市空間という“リアルな空間や場”の視点からみて、“情報環境やメディア”をどのようにとらえていますか。

私は「スマートフォンなどの新たなメディアの出現によって、人びとのリアルな空間の体験がどう変わったのか」に関心があります。例えば、物理的な店舗空間に関しても、何を快適だと感じるのかはインターネットや携帯電話が普及したことによって変わりはじめました。

とりわけ1995年以降、情報を効率よく検索して、瞬時に目的のモノや場所にたどり着きたいという欲求が一般化しました※1。ネットでも商品を買える時代に、わざわざ時間をかけて店舗に足を運ぶには、店舗の空間体験に独自性があることやその店舗でしか手に入らないものがあることも重要ですが、そこに膨大な商品の量があるか、陳列の仕方や動線が「わかりやすい空間」であるかも重要です。例えば大量の商品を陳列しながらも、どこにどんな商品が置いてあるかが瞬時にわかって、商品の検索がしやすいユニクロなどがそうですが、物理的な店舗空間も、このような情報化を背景とした欲求にマッチした「快適性」を提供する空間になってきている。つまり、情報環境の変化と物理環境の変化はその両面を見て考えていくことが重要ではないかと思います。

その両面を見ていくなかで、一見すると矛盾するようなことが起きています。例えば最近だと、ショッピングモール、代官山蔦屋書店や湘南T-SITEなどの商業施設に行って長時間過ごすことを「時間消費」といいますよね。ショッピングモールで半日過ごしたり、ブックカフェで本を読んだり雑用したりするなど、時間消費の選択肢が増えてきています。
代官山蔦屋書店へ行くことは、「時間消費」ではあるんですが、その一方で商品の量が担保されているので、一度にさまざまな商品が手に入るという点では「時間節約」になっているともいえます。

代官山蔦屋書店には、デザイン関係などのかなりの量の雑誌のバックナンバーもあって、それらに関心がある人は、一度その場所へ行きさえすれば、何かしら欲しいものや予期していなかったものに遭遇できる確率が高い。わざわざ出掛けて期待外れに終わるリスクが低いというか、時間ベースのコストパフォーマンスは高いといえるわけです。ネットは、検索可能性が高いメディアですが、遭遇可能性は低い。遭遇可能性は、いまのところリアルな店舗の方が勝っていると思います。

つまり建築・都市空間をめぐって、情報環境もしくは物理環境のどちらか片一方だけ見ていては結局、「人びとの体験がどう変わったのか」が見えてこないということです。店舗空間だけに着目しても見えてこないし、スマートフォンだけに着目しても見えてきません。

「時間消費」と「時間節約」の両立

「安心して迷える環境」がもたらした行動の変化

情報環境と物理環境の両面に着目することではじめて明らかになることとして、例えば、スマートフォン登場以降における生活者のリアルな空間での行動スタイルは、どのように変化したと考えますか。

私のゼミに、若者の「散歩ブーム」に注目して研究をしている学生がいます。私が学生の時は、散歩サークルなんてなかったんですけど、今は散歩サークルに入っている学生が多く、スマホが普及した2010年前後から、大学に散歩サークルの数が増えました。散歩サークルで何をしているのかというと、お台場に行くとか浅草に行くとか、大体の行き先は決めておいて、あとは適当に歩いて、行く先ざきで写真を撮ってSNSなどにアップするわけです。散歩は、あまりお金もかからない。歩きながらであったり、景色を見ながら話すので、対面で話すより、間も持つ。

スマホがあれば、好きな時に待ち合わせて、好きな時に合流できます。事前に行き先を調べていなくても、グーグルマップなどの地図があるので安心して迷える。昔であれば、知らない場所に行くには、ガイドブックや雑誌の特集を見て、あらかじめ予習が必要でした。

今は、考え方が「あらかじめ」から「とりあえず」に変わってきている。例えば、ショッピングモールもそうですが、とりあえず行けば、いろんなテナントがあって、いろいろとすることがある。最近の大規模商業施設には、デジタルサイネージがあり、とりあえず行けば、どこに何があるかすぐに検索もできる。

スマートフォンによる生活者の行動変化:「あらかじめ」から「とりあえず」へ

「安心して迷える環境」になったのは生活者の行動の変化をとらえる意味で象徴的な変化ですね。一方で、変化のあり方は人それぞれともいえます。

「時間消費」をするのが実際にどういう人たちなのかは、私も興味があるところです。例えば、お金のない中高生にとって、ショッピングモールはデート代がかからずに長時間過ごせる場所として重宝されています。家に独りでいる高齢者のなかには、にぎやかなショッピングモールにいる方が寂しくないというので、無料送迎バスで朝からショッピングモールに行って、夕方帰るという人たちもいます。一方、代官山蔦屋書店で「時間消費」をする人たちのなかには、若者もいますが、駐車場に停まっている車は高級車ばかりで、富裕層が多い。もちろん立地や施設による違いがあるわけですが。

また、駅チカとか駅ナカとか、できるだけ自分の通勤通学経路で買い物をして、「時間節約」をしたいという欲求に対応した商業施設が増えてきている一方で、ショッピングモールや代官山蔦屋書店のような「時間消費」に対応した商業施設も増えてきている。なぜ両方増えてきているのかを考えるのは面白いと思います。

「モノ」ではなく「体験」で自分を着飾るいまどきの生活者

「美術館に行ってみる」なども「時間消費」的行動であると思いますが、来てみたはいいが「そもそもどう観れば良いかわからない」、途中から「自分は何を求めてこの展示を観ているのかわからない」、でも「なんとなく充実して帰る」という人も多いのではと思います(笑)。

晩婚・非婚化にともなうマーケティングとも連動しつつ、最近はなんでも「○○女子」って付けてセグメント化する傾向にありますけど、美術館に関しても「アート女子」ということばがありますよね。ツーリズムともあいまって、以前は美術館に来なかったような層が来るようになったのは確かです。その背景の1つに、写真を撮って良い展覧会が増えてきていることが挙げられます。SNSで誰かが展覧会に行った写真を見ると、自分も「行ってもいいかな」と思う。友だちや知り合いが楽しんでいれば、自分が足を運んで、つまらない思いをするリスクが低くなる。要は、わざわざ行く価値があるかどうか、損をしないで済むかどうか、時間ベースのコストパフォーマンスを判断しているわけです。

今は、SNSで共有、拡散することを織り込み済みで、食事をするお店や遊びに行く場所を選ぶ若い人たちが増えています。美術館も、その展覧会で展示されているコンテンツに深く興味があるというよりも、美術館に行っている自分がオシャレというか、ブルデューというフランスの社会学者がいう「ディスタンクシオン」(差異化)※2のような、優越感を感じられるといった二次的な動機もあるように思います。

カラーランなども、Instagramなどに写真をアップすることが実際の参加の動機でありゴールであったりしますよね。お洒落なファッションやアクセサリーではなく、「体験」をSNS上に公開し、アーカイブすることで自分を装飾して表現する、このいまどきの感覚に対応することが重要なのでしょうか。

そうですね。SNSのネタをリアルな空間で探している。カラーランやハロウィンも、それらは友だちや見知らぬ大量の人たちと時間と空間を共有して、一緒に何かをする「集団的体験」であるとともに、その「集団的体験」の場が物理空間に閉じずにSNSへつながっています。

カラーランにしろハロウィンにしろ、群集というか、同じ空間に大量の人たちがいることも共通点です。SNSはリアルな空間の友だち同士でしか使用していない人もいれば、リアルな空間だけでは知り合えない大量の人たちとコミュニケーションすることを楽しんでいる人もいます。前者だとSNSもリアルな空間も人間関係の広がりがほぼ同じ大きさの同心円なので、リアルな空間で会っても非日常性はあまりない。後者だと、リアルな空間でも大量の人たちとのコミュニケーション的熱狂を欲求する人が出てきてもおかしくない。それゆえ、前者と後者ともに、リアルな空間では、見知らぬ大量の人たちとの「集団的体験」を求めようとしているといえるかもしれませんね。

ただし、「体験」というのは昔からあったわけじゃないですか。モノ消費からコト消費へいう文脈で、「体験型消費」ということばが使われていますが、「体験型消費」は、きっと単なるコト消費の先の議論をしなければならないと思うんですよ。例えば、体験型消費を売りにした大型のショッピングモールでは、敷地が広いから、ドッグランがあったり、アウトドアの商品を実際に使って試すことができる場所があったりする。だけど、何かイケてないんですよね。敷地が広いので単に商品を並べるだけではなく、「体験」とセットで売ることもしやすいわけですが、その場所に行かなければ真に体験できないことは少ない。

そう考えると「体験価値」についての議論は、今のままの「体験消費型商業施設」のような状態にとどまっていると、おそらく数年で行き詰まるでしょうね。


※1 パーソナルコンピューターをはじめとする情報技術が本格的に普及し始めた1995年を、現在の情報環境と物理環境の転換点ととらえている。
※2 文化的趣向・教養などの洗練性を通して他者との差異化・卓越化を計ること。

編集後記

インターネットやスマートフォンの登場で、店に行く前に商品が一番安く売っている店を比較したり、旅行先の口コミを事前に調べたり、「あらかじめ」綿密な情報収集や検討を行える情報環境が整いました。しかし、情報環境が整ったことが、逆説的に、事前に調べる必要なく場当たり的に行動することを可能にし、実際の生活者のふるまいとしての「とりあえず」行動を促しているという視点も、メディア・コミュニケーションを設計するにあたって見落としてはならない重要なポイントです。

また、「時間節約/時間消費」の両立が起きていることは何ら不思議なことではなく、情報環境の進化によって生活のあらゆる場面で「時間節約」が可能になったことが、同時に、節約で生まれた時間をどう有意義に過ごすかという「時間消費」の欲求を生んでいるのだろうと考えられます。特に、この「時間消費」欲求に対応するのが、いわゆる「体験型消費」であるといえますが、ターゲットとなる生活者にとって「その体験はSNS上でのファッションとしてどのように機能するのか?」を考えることが、「体験」を「価値」につなげるひとつのヒントになるのではないでしょうか。

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ABセンター 第2本部 西垣 辰彦