高山明氏×DNP DNPのメディアビジネス研究 インタビューシリーズ演劇プロジェクトから見えてくる、これからのメディアのあり方

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本インタビューは、メディアビジネス開発に従事するDNPのメンバーが「ヒューマンネイチャー」の観点から、新たなビジネスを発想していく研究活動の1つ。このシリーズではビジネスの視点から離れ、異分野の有識者の方がたへの取材を通して、新たなメディアビジョンを探究しています。

都市と演劇の視点から、メディアのあり方を探る

今回お話を伺うのは、従来の劇場を飛び出して、都市でさまざまな演劇プロジェクトを展開する演出家の高山明さんです。
一見、「演劇」と「メディアビジネス」はそれほど関わりがないようにも思われますが、高山さんの作品や取組みを通して見えてくる都市と演劇をめぐる考え方は、メディアの考察にとどまらず、地域創生事業を含むさまざまなビジネスシーンにとっても示唆に富むものです。ここでは高山さんと演劇や劇場の未来について考えながら、これからのメディアのあり方を探っていきます。

▼劇場を離れて、街へ出る演劇
▼演劇のパートナーとしてのローカルメディア
▼メディアのネットワークが作り出す未来の劇場

高山明プロフィール

高山 明(演出家・Port B主宰)
1969年生まれ。2002年、Port B(ポルト・ビー)を結成。観客論を軸に据え、現実の都市や社会に「演劇=客席」を拡張していく手法により、演劇のアーキテクチャーを更新し、社会のなかに新たなプラットフォームを作ることを試みている。2013年にはシンクタンクPort観光リサーチセンターを設立。観光、建築、多様なメディアといった異分野とのコラボレーションに活動の領域を広げ、演劇的発想・思考によってさまざまなジャンルでの可能性の開拓に取り組んでいる。

劇場を離れて、街へ出る演劇

高山さんはご自身の演劇作品にインターネットやラジオなどのメディアの要素を取り入れながら、演劇の枠組みを変えるような活動をいろいろとされていますね。

僕は今、演劇の仕事よりも美術の仕事の方が多くなってきていて、自分では演劇をやっているつもりでいても、単純に「舞台を作っていない」という理由から、周りの人はそうは思っていないところもあります。でも、僕はかなり伝統主義的で、演劇の根本へ向かおうとしている人間なんです。

「演劇」という言葉は、ギリシャ語の「テアトロン」が語源になっています。「演劇」というと、今だったら舞台のことを想像すると思うんですが、「テアトロン」というのは古代劇場でいう客席のことなんです。古代ギリシャ時代では、都市国家の規模は市民全員が劇場に収まるくらいだったそうで、市民といっても成人男子のみでそこには奴隷や外国人は含まれていなかったのですが、古代ギリシャ劇場は円形になっており、上方の客席に座ると舞台の壁の後ろに街や海が見えるんです。つまり、客席から何かを見たり、聞いたり、議論したりすること自体が「テアトロン」と呼ばれていて、当時の観客は劇場で行われるギリシャ悲劇や喜劇をネタに、劇場の後ろに見える街(生活・政治)や海(経済・軍事)のことを考えたんじゃないか、そしてそれを一般名詞にしていった歴史があるのではないかと思います。

演劇を作っている人間は、多くは舞台を広げていくための発想をするんですけど、僕の場合は基本的に客席をどう広げ、また舞台をいかに小さくしていくかを考えています。そうすると舞台は、例えばスマートフォンのなかのアプリ※1だけでいいや、となります。このアプリが舞台となり、ここを経由して観客を移動させ、街の方に足を運んでもらうのが僕のコンセプトのほとんどすべてです。ギリシャの古代劇場の構造を見ると、このことは実に演劇的なことで、むしろ演劇の本質はそこにある。つまり、観客が街について考えたり、国とか自分が属している共同体について議論をしたりするような作業こそが演劇で、その構造を忠実にやっているんです。

具体的にはどのような取組みをされていますか?

「ツアーパフォーマンス」という、お客さんがパフォーマーとして街をツアーするパターンをしばらく作ってきました。2003年頃から始めて、それにインターネットを結び付けてはどうかと思い、2010年に「完全避難マニュアル※2」というプロジェクトをやりました。60分で一周し、正確で均一的な山手線的東京時間からの避難所という意味合いで、山手線29駅すべてからアクセス可能な「避難所」を設定しておき、入り口となるWebサイトでお客さんがクイズに答えると、おすすめの駅のページに誘導されます。どういう場所なのかは分からないまま、そのページに載っている地図の場所へとにかく行ってみると、例えば大塚駅の場合は駅から歩いて5分ほどのところにイスラム系のモスクがあるわけです。イスラムというとちょっとなじみがうすいところがあって、普段は訪れる機会が少ないと思うんですけど、無理やり行かせてしまうとある種の予期せぬ出会いがそこで生まれます。僕らはそこから先の動きについてコントロールしないので、お客さんはパフォーマーとしてプログラムの先を勝手に体験していきます。そういう形で、インターネットを通じて街のなかに出て行ってもらい、人と人が勝手に出会ってもらうためのアーキテクチャーづくりをやりました。

アプリやWebサイトなどが舞台としての役割を果たすことで、演劇は劇場を離れて街へ出て行くことが可能になりますね。今の観客や都市生活者がそうした演劇を求めているという、時代による変化は感じられますか?

日本の演劇は、有名な演出家の舞台でもアイドルや芸能人が出ていないとチケットが売れなくて、小劇場の場合、人気の劇団でも本当にコアなお客さんの数は3,000人ほどだといわれるくらい、すごく小さいマーケットなんです。それに対して「完全避難マニュアル」にはどうやら1カ月で6,000人くらいが参加したようで、しかもお客さんはそれを演劇としてではなく、街を使ったゲームに参加するような感じでやってくれました。劇場を離れるとこういう可能性があるんだ、というのが街に出てみての感想でした。演劇が持つ1回性※3やライブ性、絶対に1カ所に集まらなければならない場所性の魅力はもちろんありますが、そこだけが演劇の魅力だと考えているお客さんは減ってきていると僕は思います。これだけインターネットが発達して複製的なものがいくらでも見られる時代に、1回性の価値についてあまり固執しすぎていると、演劇はかえって反動的になってしまうんではないでしょうか。

街へ出た演劇のイメージ

街へ出た演劇のイメージ

演劇のパートナーとしてのローカルメディア

街について考えるための演劇というものが劇場を飛び出し、インターネットなどのメディアを起点に街へ出て行くとなると、演劇プログラムをつくるにあたっては街とメディアの関係性に着目することがより一層重要になってきますよね。

最近の試みとして秋田市でローカルメディアとのコラボレーションをやりました。AMラジオだとかWeb新聞社だとか、ケーブルテレビなどの秋田のローカルメディアに「占いに関する番組を作りませんか?」と提案をして回り、いろんな話合いを重ねた上で、乗ってきた7社くらいと一緒に占いの番組を作りました。コンテンツに関しては、それぞれのメディアが得意なものを作ってもらって、例えばラジオだったら、秋田でも有名な占い師の人にインタビューをして、「秋田の運命を占う」というような 15分番組を8本くらい作ってもらいました。視聴者は何も知らないので、「最近占いの番組が多いな」みたいな感じですが、最後はインスタレーション※4にして、本物の占い師に会場に来てもらって出張占いをしたり、占い師になりたい人向けの学校を開いたりして、結果的に複数のメディアが占いを軸に秋田について考えるためのツールになっていきました。

この取組みの面白い点は、まずマスメディアと違ってローカルメディアは融通が効くので、かなり積極的に取り組んでもらえる点です。演劇的に考えると、古代ギリシャでは1つの劇場によってコントロールできる範囲が都市の範囲という考え方があったので、劇場をメディアととらえたときに、それを今やるとしたらローカルメディアだと思ったんですね。ローカルメディアに声をかけてみたら案の定乗ってきてくれて、ローカルメディアを通して「秋田」と「占い」について同時に考えることになりました。複数のメディアによる複数の視点みたいなものが街のなかで「上演」されるのは、僕にとってはとても演劇的で面白かった。

高山さんはなぜ「占い」というテーマを選び、ローカルメディアはどのようなモチベーションで参加したのでしょうか?

そもそも「占い」というテーマを選んだのは、リサーチで秋田に足を運んだ際、舞踏家の土方巽さん※5の子孫の方に案内をしてもらっていたところ、いろいろと秋田が占いにゆかりのある場所だということが分かったからでした。そこから、占い師という職業が地域のビジネスモデルとして成り立たないかと考えて促進しようという動きが、占い師の人たちのなかからも出てきていました。あと、AMラジオ局は番組制作の途中から本当にやる気になってくれて、「面白い番組が出来たから、コンクールに出そう」とか言って。そういう盛り上がりは、自分たち地域の課題とか特質みたいなものを掘り下げるような作業としてやられた印象がありますね。

テーマを見つけるまでは、何度もその地域に足を運んで「この街はどういう街かな」と観察します。綿密にリサーチをしなくてはいけないのでかなり手間はかかるんですけど、地域の独自性を掘り起こすためのツールとして演劇を使っていきたいし、そのパートナーとしてローカルメディアが機能すれば、「うちらの街ってこんなに面白いところだったんだ」というような発見が出来るのかな、と。また、それは地域独自のもので、地域の魅力や歴史を別の視点からとらえ直すことにつながるんじゃないか、と思っています。

メディアのネットワークが作り出す未来の劇場

ローカルメディアが特定のテーマを軸につながっていくことで、地域全体が「劇場」のようになり、観客は街の至るところで地域について考えるきっかけを与えられますね。そうしたものが、これからの劇場の形といえるのでしょうか。

おそらく既存の劇場という場は、今後は古びていくことになると思います。一言でいうと、劇場はおそらく「公民館」みたいになっていく。「公民館」というのは、例えば図書館と大学と美術館と劇場が渾然一体となって区別がつかなくなり、そこでレクチャーとか、ワークショップとか、上映会とか、パフォーマンスとか、もちろん展覧会とかが行われて、なんかもうぐちゃぐちゃですが、そういう総合的な施設になっていくというのが僕の予想です。

実際、先鋭的なプロデューサーのそうした動きは目立ってきています。例えば、ミュンヘンのカンマーシュピーレという劇場のディレクターに就任したプロデューサーは、オープニングイベントとして3日間朝から晩まで劇場をすべて開放して、難民問題についてのレクチャーとパフォーマンスと上映会とワークショップとシンポジウムのプログラムを組みました。僕はそれを見て、自分が秋田市でやったローカルメディアとのコラボレーションを、劇場内でいろんなふうに展開しているのだという印象を受けて、多分それが劇場の未来形じゃないかな、と思いました。

ただ、欧米型の劇場では地域とどのように関係を築くかが重視されているのに対して、日本の劇場は特に地域への還元は意識せず、むしろ芸能プロダクションとの関係を重視しているようなところがあるのでかなり古いです。僕の予想ではこの状態はしばらく変わらないだろうと思っていて、だとしたら劇場を離れて街に出て行った方が良いだろうと。

僕がやりたいのは、劇場だけでなく、メディアとかインターネットの力を使って、あらゆることをミックスして都市に展開していくということなんです。それを仮に「公民館運動」と呼ぶとして、今後はメディアのネットワークによってできたある種のレイヤーを「劇場」と呼んでしまい、おそらく東京は最も時間がかかるので最後になりますが、地方や海外でどんどん実験していこうと思っていて、実際これからそういうプロジェクトを横浜、前橋、金沢、台北、フランクフルト、アテネ、ハンブルクといった都市でやっていきます。

「公民館運動」のイメージ

「公民館運動」のイメージ

メディアが1つに集約されるのではなく、拡散しているものがネットワークだけでつながっている方が、僕にとっては面白い。特に、東京オリンピック・パラリンピック大会も控えていて、さまざまなものが一点に集中していく流れはこれからもっと強くなっていくと思います。それを考えると、拡散的にバラバラなものが勢いづいていく方が面白いのではないかとも思っていて。僕の場合は、都市とどう付き合うか、ということをずっとテーマとしてやってきたので、「公民館運動」を実際の都市で展開した時にどういう面白い動きが生まれるんだろう、というのが今の自分のモチベーションでもあります。


※1 高山明さんの主催するPort Bでリリースしているスマートフォンアプリ「東京ヘテロトピア」のこと。
※2  2010年にフェスティバル/トーキョーで発表された演劇プログラム。2014年にはドイツ・ムーザントゥルム劇場の製作により、約1カ月間にわたりフランクフルト市周辺でも大規模に「上演」された。
※3 演劇の大きな特徴の1つとして、観客が目の前の舞台で繰り広げられるパフォーマンスを生で体験できるのは、たった1回限りしかない、という意味での「1回性」が挙げられる。
※4 絵画や彫刻、映像、写真等と並ぶ現代美術における表現ジャンルの1つで、展示場所にオブジェや装置を用いて空間を構成し、場所や空間全体を作品として体験させるもの。
※5 秋田県出身の舞踏家・演出家。新しい身体表現を追求して前衛的な「舞踏」という概念を確立し、さまざまな芸術分野に影響を与えてきた。

編集後記

インターネットやアプリなどを使った体験型の「演劇らしくない演劇」を多く手掛ける高山さんですが、その発想は古代ギリシャ演劇に依拠したものでした。劇場というものを「(1つの都市をコントロールできる)メディア」ととらえることで、現代都市との関係性から、劇場の機能をそのまま現代のメディアに置き換えることが可能になります。そうして演劇とメディアは、高山さんの作品のなかでいわば必然的に結びついたのだと感じました。
インタビューのなかでもっとも興味深いのは、演劇が劇場を離れて都市へ出て行くと、そこでは1つのメディアにパワーが集約されるのではなく、分散的な複数のメディアがネットワーク化された状態が起こってくるという「公民館運動」のイメージです。 こうした現象は、演劇以外のさまざまなジャンルにおいても起こりつつあるように思いますが、これからのメディアを考えるにあたっても有効なフレームワークとなるはずです。つまり、演劇自体を「街について考えるためのメディア」ととらえれば、ゆるやかなメディアネットワークとそれによって形成される「ある種のレイヤー」を、演劇・劇場の未来形としてだけでなく、メディアの未来形として描くことも可能になってくるのです。

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C&I事業部メディア本部 石澤 祥子