鈴木謙介氏×DNP DNPのメディアビジネス研究 インタビューシリーズストーリーでは表現できない、人間の知覚に訴えかける「リズム」という考え方

998 View

本インタビューは、メディアビジネス開発に従事するDNPのメンバーが「ヒューマンネイチャー」の観点から、新たなビジネスを発想していく研究活動の1つ。このシリーズでは、ビジネスの視点から離れ、異分野の有識者の方がたへの取材を通して、新たなメディアビジョンを探究しています。

人間の知覚になじんだメディアを創造する

さまざまな生活シーンでメディアへの接触機会が増えたことで、私たちは必要な情報を無意識に取捨選択しながら、メディアとの「疲れない付き合い方」を獲得してきたといえます。情報の発信者からすると「どうすれば生活者の気を引けるか」について議論するわけですが、ここでは、情報量を増やして説得力のある広告をつくることや、優れたクリエイティブを創作する議論ではなく、人間の身体にとって違和感のない理想的なメディアの在り方について考察します。ここでいう「身体」とは、からだそのものだけでなく、からだを通して生まれる感情や感覚、直感を含んでいます。今回は、以前コミュニケーションの視点からお話を伺った鈴木謙介氏に、身体的な視点からみたメディアと人との関係性について伺っていきます。

▶ 0.2秒で伝わる「広告のセオリー」に立ち返る
▶ 人を引き付ける「ループ性」のあるリズム
▶ 人間の知覚になじむ、最適な「リズム」を見付ける

 

鈴木 謙介(関西学院大学社会学部准教授)理論社会学・若者論
「社会学的理論」や「社会理想」と呼ばれる抽象的な領域と、若者の行動や心理、携帯電話や情報化社会に関する情報行動の実証的な領域を架橋させながら、独自の社会理論を展開。2006年からTBSラジオで放送中の「文科系トークラジオLife」でメインパーソナリティーを務める。主な著書に『暴走するインターネット-ネット社会に何が起きているか』(イーストプレス 2002年)、『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書 2005年)などがある。

0.2秒で伝わる「広告のセオリー」に立ち返る 

近年、テレビCMをはじめとした広告のストーリー表現がますます緻密になってきたと感じます。その一方で、私たちはネオンサインやGIFアニメのようなストーリーをもたないループ表現の価値にも注目しているのですが、改めて、現代におけるストーリー表現とループ表現が持つ意味について、お考えのことをお聞かせください。

今、広告は、媒体がデジタルサイネージになることによって、表現方法がネオンサインのようなループから始まりと終わりがあるストーリーのあるものへと移っています。本来0.2秒で伝わることがセオリーだといわれていたはずの広告が、電車内のサイネージも10〜30秒間見つめ続けることを前提にしていて、それではなかなか目がいきません。

生活者の目を引き付けられていないという話もありますし、逆にループできるような素材では6秒動画のVine※1などが出てきていたりします。映像技法としてのループとストーリーは、映画の歴史からみても両方とも並行して存在しています。ストーリー付きの映画も古くからありますが、リュミエール兄弟の初期の映画はループなわけですよ。チャップリンの初期の喜劇映画もループですし。

本来、ストーリーは伝えるもので、ループは見せるものなので、伝わらなくても良いからただループしているだけというようなものが、使用できる情報通信量が増えたことによってなくなっていってしまうのは変なことだなと思います。


情報量に対する表現手法が抱える矛盾

情報量に対する表現手法が抱える矛盾
以前伺ったメッセージとグルーミングの関係に似ていますね。伝えたいことと、伝えなくても良いこととの表現の違いとでもいうべきでしょうか。

デジタルサイネージの大きい画面を使って6秒動画をループさせるだけでも相当面白いですよね。雑誌などの紙の広告と比べて、デジタルサイネージは情報量こそ少なくなっていますが、字幕のような「読まなければわからない情報」が増えていて不思議です。なぜ広告のセオリーが媒体が変わっただけでなかったことになるのか、人間の脳の認知能力はそんなに上がってないぞと。(笑)

情報通信量が増えたからストーリーを乗せないといけないという技術的な観点から、「みんなストーリーを見たいはずだ」という架空のニーズを勝手に作っていったんですよね。同じように、「情報通信量が増えたからハイファイ※2な情報を見たいはずだ」といったことも、勝手に作られているニーズの一つです。情報通信量に見合うだけの情報を突っ込もうとして、すごく集中して見ないといけないメディアを作ってしまったんだと思います。

人を引き付ける「ループ性」のあるリズム

受け手の解釈できる力にもよるのではないでしょうか。何かを感じ取る際にストーリーがないとわからないであるとか、ループだと意味を理解できずに拒絶してしまうといった現象はあるように思います。

ループはWeb広告においてはバナーですよね。バナーではお客さんはクリックしてくれないから、ストーリーのある初期のFLASH広告からやがて動画へと移っていき、そうなればなるほど「ちゃんと見ないとわからないもの」になってしまったんです。広告としては、最初から見ることができる人を制限してしまいます。

そういったストーリーとループの中間にいるのが、ユーチューバーではないでしょうか。
ユーチューバーのチャンネルはTVショッピングと同じではないかとも言われていますが、TVショッピングにはかなりのストーリーが盛り込まれています。学生に「プレゼンはTVショッピングに学べ」とよく言っています。「キッチンでお困りのことがありますよね、そんなときに〇〇が開発したこの特殊素材を使ったこの包丁・・・」のように課題があって、課題を劇的に解決するツールがあって、それを実践してみせる。さらに実践した体験者の声があって、最後にインフォメーションが出てくるという鉄板のストーリーがあります。これはプレゼンテーションの要素と同じです。

一方で、ユーチューバーはただ遊んでいるだけなんです。小学生に人気だということがよくわかります。ストーリーがあるわけではなく、ごっこ遊びをしているだけといえます。ループと言えるほどループしているわけではありませんが、明確なストーリーがあるわけでもなく「こういうおもちゃで遊びました」というだけです。

「踊ってみた」も同じことですよね。「遊んでみた」「歌ってみた」のような「○○してみた」ことを動画にアップする、といった新しい動きもあります。踊ってみることや真似してみることに何の意味があるかは、まったくわからない。(笑)「○○してみた」なんかは、かなりループ性はあるけれど、ループで見たいものでもなければストーリーも皆無なので、ただただリズムがあって、それを「○○してみた」というだけなんですよ。

人間の知覚になじむ、最適な「リズム」を見付ける

リズムは非常に重要ですよね。正しい内容が伝わることよりも、「今この状態にはこのリズム」といった、身体の感覚に合ったリズムで提供されるものほど、ヒットケースは生まれやすいと感じています。

音はもちろんですが、視覚的なリズムも重要となります。デジタルサイネージはどうしてあんなに視覚的なリズムが悪いのでしょうか。フレーム数※3が少なすぎといいますか。(笑)

僕たちは、音を環境のなかで選択的に享受しています。iPhoneで音楽を聞いてもいいし、人と話をしてもいい。ただし、音はひとつしか取れません。複数の音が入ってくると情報の整理ができないんです。ですが、視覚は複数の情報を整理できます。視覚的なリズムを環境のなかに埋め込むことはとても大事なことなのですが、これに成功しているデジタルサイネージはまだ見たことがありません。
 

人間が知覚する2種類のリズム

人間が知覚する2種類のリズム
過去成功したものでいくと、今の大学生たちの小学校時代に流行っていた「おもしろフラッシュ」がリズムの極みかもしれませんね。(笑)毎秒12や16のフレームで音楽に合わせて、矢印がびよーんと伸びていくだけではありましたが、とてもリズムのある動きと映像表現を完成させていたわけです。

それなのに、今は視覚的なリズムをもった映像表現をプロのクリエイターが創造できていないですよね。「おもしろフラッシュ」には、すごく視覚的なリズムがあったし、小学生はリズムのあるものが大好きですよね。芸人さんの芸も、最近はリズム主体のものが多いように思います。

一方で、はやり廃りや寿命が短い側面もあるような気がしますが。

もちろんあります。ただ、視覚的なリズムの可能性を追求してないのは確かです。サイネージの多くは音を発することができないという制約がある。だから視覚でリズムを作らないといけない。そこを作らずに、増えた情報量をすべてストーリーとしてじっくり見ないとわからないものに突っ込んでしまっている感が、ものすごくもったいない。

リズムというと音楽的なリズムのことを考えてしまいがちですが、例えば、日本テレビさんが「エヴァンゲリオン」の映画をテレビ放映するときに、スマホアプリと連動させて「ダダダダダ」と画面をタップさせる企画をやりました。そういった連打という動作は非常によくリズムを表しています。

実際、スマホゲームでやる「連打」や「なぞる」という動作は、観察しているとすごくリズムがあるじゃないですか。画面をなぞっている人たちは、あるリズムのなかで指を使っていて、自分にとっての気持ちのいいリズムがあるはずなんですよ。そのリズムにうまくはまらないものは、アプリではブレイクしていかない。

ゲームセンターの音ゲーがありますが、でかい筐体のインターフェースのなかで両手でバンバンとやるわけです。同じゲームがスマホアプリになると、びっくりするくらい使えないんですよ。音ゲーは得意なのですがうまくできなかったんですよね。全然追いつけない、感覚的にリズムがないんですよ。視覚的なリズムが音のリズムと合っていないし、指のリズムもありません。

例えば、両手で交互に打つだけでそこにリズムが発生します。リズムは画面の大きさで全然違うということもわかりますよね。そういったリズムをつくるインターフェースが追求されていないように思うんです。
インターフェースに何を乗っけるかはそれぞれ違うものですが、インターフェースのところでリズムのフォーマットを作っていかないと、どんなリズムでノッていいのかわからないものになってしまう。これは自分のなかでリズムを感じられるものであればいいはずなんです。

情報の発信者が、リズムのような「身体に関わるメディアの可能性」を追求しきれていないケースは多いのではないでしょうか。
一方で、ストーリー以外の表現の余地に、情報の発信者自身が気付いていることもありますよね。気付いていながらもストーリー重視の構造が変わっていかない理由はどこにあるとお考えでしょうか。

ニーズだと思っていない場合もありますし、やっぱりストーリーの方が高尚な感じがしますよね。作り手にとって間違いなくやりがいがあるんです。それが受け取る側にとっても同じ意味を持つかというと、そうではないということを忘れてはいけません。

そういった本来向かうべき方向と、作り手が抱いている現実との距離感がもっと縮まれば、さらに面白いものが生まれやすい構造となっていくのではないでしょうか。


※1 ショート形式の動画共有サービスで、ユーザーは6秒間ループ再生されるビデオクリップを共有することができる
※2 忠実度や再現性の高い状態
※3 1秒間あたりのフレーム(画面)の数。テレビは30フレームが基本で、フレーム数が多いほど滑らかな動画になる

編集後記

メディアを、からだを通して生まれる感情や感覚の観点からみていくと、「ストーリー表現のコンテンツは瞬間的な認知には向かない」ことや、「気にとめられないメディアではループ表現が有効」であることがわかります。また、デジタルサイネージの事例からは確立された配信フォーマットがまだ世の中にないことがわかりますし、ゲームセンターの音ゲーをスマホアプリ化する動きからは、最適なインターフェースの必然性を黙殺したケースも多いことが見受けられます。

「人間にとって違和感なく享受できるものはなにか」という本質に立ち返ることで、例えばGIFアニメがループして身体的に訴えかける「サイネージのループ型フォーマット」のような、人間の知覚を意識したメディアを創造していくことができます。見られることを前提に構成したストーリー広告のように、発信者の視点に立ちすぎることは時に危険であり、人間の知覚とのギャップに気づけなかったメディアは一定のスピード感をもって淘汰されていくのではないでしょうか。

 

  • LINEで送る
  • Facebookでシェアする

ABセンター コミュニケーション開発本部 藤原 瞳太