島瀬敬章氏×DNP DNPのメディアビジネス研究 インタビューシリーズ見られ過ぎてしまう社会に求められる、「影」と「曖昧」のデザイン

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本インタビューは、メディアビジネス開発に従事するDNPのメンバーが「ヒューマンネイチャー」の観点から、新たなビジネスを発想していく研究活動の1つ。このシリーズでは、ビジネスの視点から離れ、異分野の有識者の方がたへの取材を通して、新たなメディアビジョンを探究しています。

「ファッション・ブランド」の視点から、これからのメディアのあり方を探る

今回お話を伺うのは、ファッション・ブランド「tac:tac」のデザイナー島瀬敬章さんです。従来、ファッション誌をはじめとしたマス・メディアは、ファッション・ブランドとの強い協力関係のもと、強烈なイメージとともに世の中のトレンドを創り出してきました。しかし、メディアの構造が大きく変わった今、生活者が求めるファッション・ブランド像や、この協力関係は大きく変化しています。ここでは、ファッション・ブランドが、今、生活者をどのようにとらえ、これからどのような関係を築こうとしているのか、という視点から、これからのメディアのあり方を探っていきます。

▼ブランドは「円錐型」から「ドーム型」に
▼「見られることは怖いこと」という感覚をいかに理解するか
▼作業を途中で終わらせる、曖昧なクリエイション

 

島瀬 敬章 (株式会社 エイ・ネット 「tac:tac」 デザイナー)
2008年エスモード大阪校入学。2009年神戸ファッションコンテストにてグランプリを受賞。2010年特賞としてエスモードパリ校へ留学。2011年パリ校在学中、南仏ディナールで開かれるファッションコンテストにてファイナリスト選出。パリ校を首席で卒業後、帰国。2013年「tac:tac」をパタンナー島村氏とともに設立し、2014spring/summerから活動を開始。現在、東京都杉並区高円寺の路地裏にある秋野ダンススクール跡に直営店をオープンし、デザイナーである自らも店頭に立つ。

ブランドは「円錐型」から「ドーム型」に

生活者とファッション・ブランドとの関係性について、率直に、今どのように感じていらっしゃいますか。

今の時代、ファッション・ブランドが発信しているものと生活者が感じたいもの、求めているものはズレていると思います。20世紀、ファッションが文化・産業として昇華してきた勢いのある時代は、デザイナーをはじめとする作り手と受け手である生活者が互いに強くリンクしていたと思うんですよね。高度経済成長期は特にそうだったのではないかと思います。でも、今は違って、ファッション・ブランドもお客さんのことをわかっていないし、お客さん自身もわかっていない。みんなお互いをわかっていない。お互いに「教えてよ」って言っても、お互いに教えられないんです。

なぜ、今、お互いにそのような状況になってしまっているのでしょうか。

これまでのファッション・ブランドの在り方っていうのは、ブランドを誇示して、イメージを流通させて、世の中を牽引していくモデルでした。ブランドが、まばゆい「光源」として、輝きを増せば増すほど、生活者がその強力な光に憧れを持つ、「円錐型」のようなモデルです。今現在でも、多くのデザイナーのタマゴたちはこの円錐の頂点に立ちたくて「モード」の世界を目指します。

一方、生活者についてですが、よく「若い子はお金を使わない」というけど、使っていると思うんですよ。いいご飯食べたりとか、飲んだりとか、旅行行ったりとか。箱根の温泉街とか行くと、意外と若いカップルがいっぱいいますよね。お金をたくさん持っているわけではないけど、頑張ってお金を貯めて、旅行してると思うんですよ。それは、単純に、「2万円のシャツを買う」のか「2万円で旅館に泊まって彼女と美味しいご飯を食べる」のかどっちをとる?「後者でしょ」という判断をしているだけ。

ファッション・ブランドって、こういう「体験する価値」について考えることを今まで怠ってきた。広告を流していただけで、「これを着てどうなるの」という体験をちゃんと提示できていなかったと思います。「こっちの方が偉いんだ、俺たちが流れを作ってやるんだ」という。多分そういう風潮は今でもあります。あと、最近の若い人たちは、強く提示されたものに対して、ついていく体力がない。資金力も少ないし、「まばゆい光に憧れて、追いかける」みたいな「円錐型」のモデル自体求めていないんですよね。上から強く照らされても、「まぶしいよ…。」みたいな。さらに、作り手は「新しいものを作ろう!」とやるけれど、生活者からしたらどこかに似ているんですよね。「なんか見たことあるし」とか「これって○○っぽいよね」みたいな。

発信者が隅から隅まで作り込んだもの、こじつけたものを発信すると、逆に情報が減ってしまいます。それが、(作り手は)みんなわかっていない。何かしらの対抗策は取っているけど、提示の仕方や構造が円錐型のモデルのままで、結局、昔と何も変わっていない。今の若い子とかは、そんな状況にどこかで退屈を感じているはずです。「それ以外になんかないの?」と。でも一方で、そこまで「ドカン!」という新しい変化も求めていないんです。疲れちゃうし。大事なのは、提示の仕方を「曖昧」にすることです。提示したことを最終的に明確化するのは、発信者や作り手ではなく、結局その服を着る生活者です。みんながフラットな関係であり、ブランドは「媒介」であり、「場」を提供すればいい。だから、tac:tacは、「円錐型」ではなくて、「ドーム型」を目指しています。

2つのブランド・モデル
 

「見られることは怖いこと」という感覚をいかに理解するか

強い光源としてのブランドが生活者にとってまぶしすぎるとすると、ロウソクの火みたいに淡くゆらぐ光のようなブランドやコミュニケーションが求められているのでしょうか。

ロウソクは近づけば明るいし、気分次第で離れれば暗い。みんな「影」が欲しいんですよ。今の街って、すごく明るいし、すべて照らされていて、情報が見え過ぎてて疲れちゃう。隠れることができない。フランスの場合、街に影がある。本を読む場所には光が照らされているけど、そこ以外は暗いみたいな。光と影がちゃんとある。

一方、東京の街並みや、学校の教室、電車は疲れますよね。明るく照らされすぎていて。人から見られる意識が強くなりすぎてしまう。だからみんな下を向いて歩くんです。見られることが怖いから。下を向いていれば他人から見返されなくて済むし、見られていることにも気づかないで済むから安心できるんです。「見る」、「見られる」どちらか一方だけというのはありえない。大事なのは、ファッション・ブランドなどの作り手側が、その微妙なバランスを理解できるかどうかなんですよ。

ファッション・ブランドという立場からだと、普通、「見られたくない」という感情をネガティブにとらえてしまいそうですが。

「見る時/見られる時」どちらの感情も理解していないと本当のモノは見えない。だから僕は、tac:tacの洋服を着ていて、「ああtac:tacだ」と、一目でわかる服は作りたくない。でもわかる人にはわかる。ちょっと違うから。ルック※1も、ブランドの服を着用したモデルから離れて撮られた「引き」の写真でいいというのはそこに理由がある。ぱっと見では違いがわからないけれど、よく見ると雰囲気が違うとか。それがまた、ファッションであり、リアルであると思うんです。「曖昧」でもクリエイションとして昇華できていれば、作り込みすぎなくても、相手に刷り込まれます。

「引き」で撮られたルック
 

作業を途中で終わらせる、曖昧なクリエイション

今、「曖昧」なものが求められているのでしょうか。

「曖昧」な方が、作り手としても余裕ができますよね。隅から隅まで余りなく作り込まなくてもいいし、途中で作業を終わらせられる。本来、デザイナーの仕事は、途中で作業を終わらせないのが本来の役目だとは思います。でも今は、それが嫌だっていう生活者が多いというのが事実です。作り込まれたものは疲れるから、「曖昧」な方がいい。お客さんも作り手も楽じゃないといけない。今は楽で格好いいものが求められているんです。

僕ももともと、デザインを「盛る」ほうの人間だったし、目に見える形としての新しいこと、目立つこと、をやりたいと思っていました。でも、いろいろ模索した上で、それとは違った新しいことをやらないといけないと気付きました。その答えは、「余白を残す作業」であり、「余裕を持たせる/持つこと」です。ブランドを続けていくにあたっては、余裕が無いとダメです。余裕が無いと「余計なこと」を考えられない。その「余計なこと」は、洋服にとらわれないアイデアだったりする。

洋服のデザイン以外の「余計なこと」を考える余裕がなくて、洋服のことだけ考えてたらそれだけで終わってしまうと思うんですよね。そのために、どこかで効率的な作業をしていかないとダメというか。それは、もちろん妥協するという意味ではなく、クリエイションとして昇華させる必要があります。

途中で作業を終わらせながらも、クリエイションとして昇華させるためのポイントはありますか。

究極のところ、僕は「tac:tacって、○○っぽいね」とか思われてもいいんです。重要なのは、「○○っぽい」けれど、その上で何が違うのかをきちんとブランド側が示せるかどうかです。そして、そのためには何が必要なのかというと、やっぱり説明を徹底することだろうなと。

それは、広告とかではなく、デザイナーやtac:tacに関わる人間たちも含め、直接、熱くお客さんと話して、感じてもらう機会を少しでも増やすということです。この点に関しては、きちんと「手間」を取るべきです。「効率が悪い」といって、多くの企業はやらないことだと思います。僕は、世の中でなんとなく使われている「お客さま」っていうことばが聞いていてあまり好きじゃないというか。「さま」付けしているけど、実際は逆のことを率先して行っているケースが多いと思います。

本当に「お客さま」がどう考えているかを知るっていうのなら、やっぱり現場に赴いて話をして、経験しないとわからない。むしろ、「さま」を付けずにもっと対等でもいいんじゃないかと思います。ブランドも「お客さま」も、お互い勉強しあって、衝突しあって良いものを作っていくべきです。tac:tacのスタンスっていうのは、その土台となる「場」を作る。「場」さえ作れれば、そこが魅力的なら人は必ず集まるし、いい情報さえ流せば人は集まる。実際、それは難しいことだと思いますが、それこそが、tac:tacが、こういう人の来ない高円寺の路地裏であえてやっている意味なんです。

東京 高円寺 ダンススクール跡にあるtac:tac店舗(左:店外/右:店内)
 

この店舗の場所は、50年以上、ダンススクールとして機能してきたわけじゃないですか。長く続く「場」には、長く続いた魅力や意味や価値がある。でも、自分たちがこれをいまから作るにはそれこそ10年、20年とか、相当な手間と時間をかけなければいけない。じゃあ、「作らなくても、すでにある場所を見つけてくれば良いのでは」と思った。ただ、ゼロから作ったものも、見つけたものも、考え方次第ですべてが自分たちの表現になりうる。もちろん、簡単にこの場所でやれたわけではありませんし、実際、大家さんにも、会社に対しても根気よく交渉を続けました。誰もやっていないことは、手間もかかるし、なかなかすぐにお金にはならない。でも、その「手間」を省くと、お客さんは「ああまたか」となるんです。

例えば、青山とか人が通る場所に店を出せば、人は来るし、売れる機会も増える。でも、作り手としての脳みそは回転しないと思います。一方で、ここは人が来ない。だから、常に初心を忘れないし、どうやったら来てくれるだろう、今の人たちは何を考えているんだろうと、必死に考えることができるんです。それがここでは得られるというか。仮に、tac:tacというブランドが大きくなったとしても、ここだけは変わらない場所にしたいんです。


※1 ブランドもしくはブランドの商品を紹介するための着用イメージ、写真

編集後記

島瀬さんの独自の「ファッション・ブランド」としての視点を受けて、これからのメディアが考えるべきキーワードの1つは「曖昧」であると私たちはとらえました。作り込まれた完成度の高い商品やサービスを、当たり前のように「完成度の高いものとして」提示されることに退屈やしんどさを感じている生活者に対し、未完成で、解釈の幅や付け入る隙のある「曖昧さ」をいかに戦略的にデザインできるかが、今の生活者の感覚や気分に寄り添う大切なポイントとなるでしょう。そのような生活者の感覚の背景にあるのは、リアルな環境もヴァーチャルな環境も、今、私たちを取り巻く環境に「影」が少なくなっているということです。街の照明だけではなく、監視カメラ、顔認証、プロファイリング、そして、ソーシャルメディアなど、私たちは「常に誰かに見られている」ことを意識しなければならなくなりました。

そんななかで私たちは、他者の視線から逃れるための「衣」や「シェルター」を求めているのではないでしょうか。ソーシャルメディアの登場以降、「承認欲求」が着目されがちですが、メディアは、生活者の「逃れたい・隠れたい」という欲求にも着目し、影や匿名性をはらんだ魅力的な「場」をいかにデザインできるかが重要です。

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ABセンター コミュニケーション開発本部 西垣 辰彦