伝匠美 文化財の保存と次世代への継承

酬恩庵一休寺方丈 襖・壁画 47面 制作ルポ|2009~2010

制作ルポ 一休禅師に捧ぐ狩野探幽障壁画群全47面伝匠美完成

事業概要

  • 酬恩庵一休寺
    酬恩庵一休寺
  • 一休禅師の墓(左)と虎丘庵(右) 一休禅師の墓(左)と虎丘庵(右)

京都市南郊の京田辺市薪(たきぎ)。この近辺は古くから奈良・名古屋・京都・大阪をむすぶ交通の要所であり、現在ではベッドタウンとなっている。その一角の甘南備山麓には一休寺が佇んでいる。

総門をくぐると同時に、まっすぐにのびた石畳に目を奪われる。杉苔や周囲の石垣を眺めながら参道をのぼると、次第に厳格な禅の世界へと導かれる。拝観受付を右にまがり宗純王廟(一休禅師の墓)、一休禅師の住まいであった虎丘庵を過ぎたところにある中門が江戸時代初期の方丈(重要文化財)へと誘う。

この方丈内部には500年以上この地を見守る
一休禅師木像(重要文化財)が安置され、その仏間を囲むように狩野探幽と原在中による障壁画が鎮座する。平成21年一休寺境内整備事業の一環として、47面に及ぶ障壁画全ての伝匠美を制作し、原本にかわって荘厳な空間を再形成するというものである。

宝物殿宝物殿

礼之間から見た室中之間礼之間から見た室中之間

一休禅師について

一休禅師は名を宗純といい、天皇の子に生まれながら仏門にはいり純粋な禅を追求した。

純粋で反骨精神に溢れた人間性がときに風狂を招くが、多くの民衆に愛された。妙勝寺の再興を63歳で実現し、酬恩庵と名づけ終の棲家とした。芸道を愛したことでも知られ一流の能楽師、連歌師、茶祖・村田珠光といった芸能者たちが一休を慕い酬恩庵を訪れたという。

民衆のなかで一休の伝承が膨らむひとつの契機は1668年に刊行された一休の説話「一休ばなし」である。有名な「このはしわたるべからず」のとんち小僧としての一休像は、江戸時代後期の「一休諸国物語図会」、明治時代の「一休諸国物語」、「一休禅師」などの一休講談ものを経て大正、昭和と受け継がれ子供絵本やアニメにも登場している。

原本

所蔵先 酬恩庵一休寺(京都)
形態 襖絵・壁画 47面

伝匠美

撮像方式 スキャニング方式、
大型銀塩カメラ撮影 併用
印刷方式 「伝匠美」専用機
複製方式 現状再製と標準再製

各部屋にマウスを当てるとその部屋の作品をご覧になれます。

礼之間 室中之間 檀那之間 書院之間 仏間 相之間 仏壇 衣鉢之間

檀那之間 陶淵明図・林和靖図 狩野探幽筆 紙本墨画淡彩

一般的には、外護者や高貴な帰依者などが来訪する際に応接間にあてられる室とされる。現在は一休禅師が大徳寺との往復に使われた輿(みこし)が展示されている。

右手が林和靖図、左手に見えるのが陶淵明図だ。林和靖(林逋)は中国・宋代の詩人、苦して独学し奇句が多いことで知られる。陶淵明は中国魏晋南北朝時代の文学者で日常生活に即した詩文を多く残し「隠逸詩人」「田園詩人」称される。おそらく探幽は、一休禅師の生き様に通じる2人の高士を画題として選んだのであろう。

さて探幽画の魅力は余白にすら空間の奥行きを感じさせる見事な表現力であるが、残念ながら原本は経年劣化と度重なる修復により本来の画面が損なわれていた。そこで、今回の事業では石川登志雄先生監修の下、原本に触れることなく、デジタルデータ上で汚れの洗浄と破損・修復部分の修正を行うことで、作品本来の空間を鑑賞できるようになった。

  • 檀那之間
  • 原本原本
  • デジタル再製画伝匠美

室中之間 瀟湘八景図 狩野探幽筆 紙本墨画淡彩

室中は大衆に説法を行うとともに、祖師を祀り仏事を行う場である。この空間を取り囲むのは探幽が得意とした瀟湘八景図だ。瀟湘とは中国の洞庭湖に二つの川「瀟」と「湘」が流れ込み合流する地点で、そこでは気象や時間の移り変わりによって、さまざまな情景が繰り広げられたという。正面にある枯山水庭園と相まって、優美な山水の世界に浸ることができる。

画面に目をやると墨が薄れて絵が認識しにくい部分があるものの、およそ次のような八景を描いたと言われている。仏間に向かって右側の面に描かれているのは、【1】「山市晴嵐」と【2】「遠浦帰帆」。正面に描かれたのは右から【3】「漁村夕照」、【4】「烟寺晩鐘」、【5】「平沙落雁」。仏間の正面に位置する烟寺晩鐘に向かって歩く人物がどこか一休を彷彿とさせる。向かって左側の面には【6】「洞庭秋月」、【7】「瀟湘夜雨」と続き、最後に【8】「江天暮雪」と季節が移り変わる。瀟湘八景図といっても作品によって構図は様々だが、これはクラーク財団原板の瀟湘八景図屏風(狩野探幽筆)における画面展開と近似している。

人の手を介さず金泥を再現人の手を介さず金泥を再現

今回のプロジェクトでは伝統工芸師による金泥加工を施さなくても、金泥を使っていると見間違うほど、忠実に再現できた。

見落とすほどの薄墨で表現された満月見落とすほどの薄墨で表現された満月

次にポイントとなったのは、薄墨の再現である。探幽は空間の奥行きを出すために極端なまでの薄墨表現を用いており、その最たる箇所が【6】「洞庭秋月」における満月である。微かな墨の濃淡差を保持し満月を再現できたことは、後世の学術研究にも役立つことであろう。

室中之間

  • 【1】山市晴嵐【1】山市晴嵐
  • 【2】遠浦帰帆【2】遠浦帰帆
  • 【3】漁村夕照【3】漁村夕照
  • 【4】烟寺晩鐘【4】烟寺晩鐘
  • 【5】平沙落雁【5】平沙落雁
  • 【6】洞庭秋月【6】洞庭秋月
  • 【7】瀟湘夜雨【7】瀟湘夜雨
  • 【8】江天暮雪【8】江天暮雪

衣鉢之間 山水図 狩野探幽筆 紙本墨画淡彩

住持の衣鉢財物を蔵する室とされる。狩野派は描かれる場や依頼主の求めに応じて真、行、草体の諸方式に描き分けた。一休寺は基本的に行体で描かれているが、唯一この室だけは奥向きの草体で描かれている。表向きの正式儀礼の場に用いられる真体に対して、草体は奥向きの書院に多用される方式である。探幽は狩野派にあって草体方式を大いに発展させたとされるが、淡墨による軽い筆さばきがこの作品にも見てとれる。

左手にある4面の襖は経年変化により、両端の2面と中側の2面の色調にかなりの差があった。そこで監修者の指導の下、保存状態の最も良好な作品を基準とし、その基準に合わせて全ての作品を再現する「標準再製」を施した。

衣鉢之間

礼之間 松竹梅図 狩野探幽筆 紙本墨画淡彩

礼之間

平素の訪問客の場として使われていた室とされ、松、竹、梅といったやさしい画題が迎えてくれる。ここにおいても描く対象物を引き立たせる金泥表現を、印刷で再現した。

相之間 原在中筆 紙本金地着色 / 仏 間 原在中筆 紙本墨画淡彩

  • 相之間
  • 相之間
  • 仏 間
  • 仏 間

室中正面の襖を開けると手前の仏間両端の仏壇小壁に2面、奥の相之間に2面が存在する。いずれも狩野探幽の流れをくむ原在中が手がけたものだ。紙本金地着色で描かれた松と梅は原本に使用されていた金箔と同等レベルの金箔を使用した。金地に黒ずみが目立ったため、デジタルデータ上でバーチャル洗浄を行った。

書院之間 竹雀図 狩野探幽筆 紙本墨画淡彩

書院之間

探幽が後期に展開した瀟洒な水墨画様式は、狩野派の家法を一変させたとされている。それが、この竹雀図に遺憾なく発揮されている。軽妙で巧みな画面構成により余白にまで空気感を与える表現力、あえて根元を描かない筆線の省略。これは当時49歳の探幽が確立しつつあった「減筆体」という技法であり、伝匠美ではとくに墨の濃淡とすばやい筆致を理解し、再現した。

探幽が発展させた減筆体

探幽が発展させた減筆体は、一休が愛した茶の湯の嗜好にマッチしている。

監修者から

限られた条件下で住職、文化庁、そして社会の要望に応えたかった。様々な手段を模索し、たどり着いた結論がここにあります。続きを見る

株式会社伝統文化財保存研究所 代表 石川登志雄

住職から

重要文化財である方丈の価値を維持したまま、長年苦慮していた障壁画の保存を実現できました。
続きを見る

臨済宗大徳寺派 酬恩庵一休寺 住職 田邊宗一

酬恩庵一休寺 http://www.ikkyuji.org/

酬恩庵一休寺

拝観案内

開館時間 9:00~17:00(宝物殿は9:30~16:30)

拝観料(2009年1月現在) 大人(中学生以上):500円、
子ども:250円、 30名以上:450円(団体割引)
団体でお越しの方は事前のご予約をお願いいたします。

〒610-0341 京都府京田辺市薪里ノ内102

TEL:0774-62-0193

■ 電車でお越しの場合
  • ・近鉄「新田辺」駅から1.5km
  • ・JR「京田辺」駅から1km
    京阪バス「一休寺道」下車徒歩5分
    タクシーで「一休寺」まで約5分
■ 車でお越しの場合
(有料駐車場あり)
  • ・乗用車 300円
  • ・小型・中型バス 500円
  • ・大型バス 800円
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