洪水で孤立したかのような家の模型が置かれていたり、飛行機から脱出する様子を描いたカードが危うく立っていたり……と書いてしまうと、「災難」を図解した作品かと思われかねないが、単なる図解には終わらない不可解さの残る作品。白井の作品は常に言葉から逃れようとする。
第8回企画展。作者は江渡浩一郎。一言でいえば、「インターネットとインスタレーション空間をリアルタイムにリンクさせて成立する」(チラシより)ゲームのような作品。なるほど、システムはよくできているみたいだし、おもしろい人にはおもしろいんだろうなあ。
日韓から斎藤義重、草間彌生、朴栖甫といったベテラン各2人ずつと、小沢剛、やなぎみわ、崔正化ら若手各4人ずつの出品。いまさら「文化における両国の共通性と差異を考える」でもないだろうが、と思ったら、後援に「2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会」とあって、なんとなくわかったようなわかんないような。でも一番わかんないのは、国立美術館の研究員(千葉成夫)が区立美術館のコミッショナーを務めてること。
広島県北東部に建設中の灰塚ダムの周辺で行なわれている「灰塚アースワークプロジェクト」。その一環として計画されたのがこれ。ダム工事で伐採される木を使って60メートルの筏船をつくり、最高水位まで船を浮かべて山のてっぺんに置こうというのだ。まるでノアの方舟。でも、ダムが完成するのはまだまだ先の話なので、今回はマケットの展示、ワークショップ、シンポジウムを通して住民にプレゼン。そのシンポジウムに北川フラム氏とともに呼ばれたってわけ。別に呼んでくれたからいうわけじゃないけど、PHスタジオの“芸術家”としての心意気を感じる企画。
企画協力に「アキライケダギャラリー」とある。そーか持ち込み企画か。大きなのが5〜6点あったけど、あとは小品と平面。入場者はぼくとPHのメンバーだけ。サミシーぞ。
朝日新聞創刊120周年記念(だから予算は潤沢に違いない)、中之島公会堂(だから展示空間としてスリリング)、森村泰昌プロデュース(だから楽しませてくれるに違いない、ただしアートとしてではなくエンタテインメントとして)。だから期待して見に行った。そして見事に裏切られました。中瀬由央と濱地靖彦の「フライング・エレベーター」は止まってる、ヤノベケンジの「アトムカー」は1台を除いて調整中、池上恵一とBuBuの講座「こころとからだの部屋」には講師がいない、というのはまあ許そう。しかし、媚態をさらすだけの遠藤裕美子のどこが「女神」やねん、なにが「ワンダフル・ナイト」やねん。そもそも、なんでわざわざ中之島公会堂を使こうてんのや? これじゃ学園祭やんけ!
ピカソからバルテュスまで、フランス初代文化大臣マルローと関係の深かった芸術家たちの、出品点数270余点による見ごたえのある展覧会。でもいくら文化人とはいえ、政治家と芸術家がこんなに公私にわたって交際しちゃってもいいの? と、日本人的心配をする美術ジャーナリストもいる。
日本でその作品が話題になってからまだ10年もたたないというのに、なんだかすっかり過去の人(つまり巨匠)のように遠く感じられるウィトキン。だけど今回は別の話題でマスコミを騒がせてくれた。「フライデー」12/11号によると、出品予定だった25点の作品のうち7点が東京税関に引っかかって“強制送還”されたというのだ。ウィトキンは「私の知る限り、私の作品が税関で通関を許可されなかったことなど、これまで1度たりともなかった」(同誌より)と。ねえ。
イギリスの同名のヴィジュアル誌で活躍するアーティストたちの特集。アダム・チョツコ、サム・テイラーウッド、ダミアン・ハースト、ジェイク&ディノス・チャップマンなど、向こうのアーティストたちは「美術」の狭い枠にはまってませんね。
版画やドローイングなど小品の展示。思わず買っちゃいたくなるような線描が魅力。でも買わなかったのはカネがないから。
インタヴュー12月11日号(1997)
日本の伝統的空間を生かした住宅を手がけている建築家の個展。ギャラリー内に茶室が設けられていたんで、そこでひと休み。
森村泰昌の先生として名前は知ってたけど、実際に作品を見るのは初めて。彼は日米のハーフだが、森村が「日本の水墨画とそっくりであることへの感動的な驚き」(チラシより)というように、年を取るにつれて作品のフォルムやコントラストが日本的になっていく。これって日本人の普遍的現象でしょうか。
11月11日(水)
ジェラール・コラン・ティエボ展「お茶会」 9/24-11/30 北関東造形美術館
ちゃきちゃきのコンセプチュアル・アーティスト。名画のジグソーパズルを完成させて額縁に入れたり、四畳半の茶室にパソコンを持ち込んだり。こんなアーティストが生きていけるフランスという国の懐の深さに、あらためて感心させられる。
11月13日(金)
伊豫本一生写真展 11/2-14 マキイマサルファインアーツ
ここの企画に関わっている写真家の高島史於に呼ばれて、展覧会ではなく場所を見に行った。銀座寄りの新橋に大正9年に建てられた築80年の古いビル内にあるので、空間は使いにくそうだけど魅力的。閉鎖する画廊が相次ぐなか、せっかくオープンしたんだからがんばってほしいよね。
押江千衣子展 11/13-12/5 西村画廊
花の絵。彼女に限らず、ここで個展を開くとみんな作品がきれいに見える。気のせいだろうと思ってたけど、よく見たら実際きれいに仕上がってた。だからどうだってことでもないけど。
出品作家のひとり、メアリー・ダフィーのパフォーマンス「ある身体の物語」を見る。両腕のない彼女が全裸で舞台に登場し、英語で独白する。「私はここに立つ/以前に幾度もこうして立った/あなたがこの障害を診ることができるように」と。彼女はただ全裸で立ち独白するだけ。通訳がなければ見世物だし、両腕があればストリップだ。でも、そうではないからパフォーマンスとして成立するのか。だとすれば、それを成立させているのは実は我々自身であるという自明のことに、あらためて気づかされるのだ。
11月15日(日)
靉光展 10/14-11/15 小田急美術館
最終日にすべり込み。靉光というと、コテコテのシュルレアリスム系洋画家だと思ってたけど、意外とデザインセンスを発揮してたんですね。晩年(といっても30代だが)の自画像が出てなかったのが残念。
午前3時頃起きだして、愛する妻と屋上にのぼって鑑賞。1時間余り見てたけど、7〜8個しか見えなかった。六本木だから見えないんだろうかと思ったら、全国的に見えなかったそうだ。しかし臨月の妻が寒空の下でこんなことしてていいんだろうか。
役に立つ器(工芸)と、役立たずの器(芸術)。圧倒的におもしろいのはもちろん後者。ジュゼッペ・ペノーネの「息吹」がいい。
展覧会情報関東エリア……荒谷智子
現代彫刻の第一人者といってもいいんだろうけど、なんか求道的でおもしろくないんだなあ。これって日本の彫刻界全体にいえると思うんだけど。
展覧会情報関西エリア……原久子
「あいまいな具象」や「ピンボケ絵画」を集めた展覧会。同展もそうだけど、ここでやる企画展はいつもそれなりにおもしろく刺激的ではあるのだが、なんか抜けてるというか足りないような気がする。それが空間的欠陥なのか、作品点数なのか、それとも愛とか色気といったものなのか、よくわからないのだが。すいません、曖昧なる印象で。
昭和40年会のメンバーを中心としたキワモノぞろいのパフォーマンス。ばっちり練習してるヤツ(スメリー)もいれば、打ち合わせもなしにやるヤツ(王選手と小沢剛)もいるし、出たがり(ゴージャラスの松蔭浩之)もいれば、出たがらない(会田誠)もいるし、どこまで演技でどこから天然なのかわからないヤツ(TASUKE)までいて、とにかく楽しかった。
11月20日(金)
平松洋レクチャー 「アジアの現代美術最前線」 工房“親”
毎月1回開かれているチカ・アートフォーラムの今年の最終回。「ベトナムの現代美術を中心に」というテーマなのに、話はルネサンスに行ったり美術評論家批判に飛んだり、でも最後はちゃんと自分の企画したベトナムの現代美術展にオチるところは、さすが平松パパ(2〜3日前にパパになったそうです)。
ポロックのカットアウトのフィギュアが、泥色の絵の具の海で泳いだりおぼれたりしている図。上野によれば、このフィギュアは古今東西を問わず美術史上に時折顔を出すらしく、タイトルの「ルヴハイ」も、このフィギュアがルヴリョフの杯に表われているからだそうだ。といっても、作品を見なければなんのことかわからないだろうけど。
ポーランド・グダニスクにあるヨーロッパ最古のクレーンから、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館まで、世界中の巨大建築の構造を紹介。企画はおもしろいけど、展示は投げやり。
笑える。でも、「ちんこ」や「寺山」が頻出するところに、作者のおそらくエネルギー源たるコンプレックスをかいま見る思いがする。
ヨーロッパのいわゆるアウトサイダー・アートを集めたもの。アウトサイダーとはこの場合、正規の美術教育を受けてない者を指すが、にもかかわらずなんでこうまで表現がパターン化するんだろう。もともと人間は自由でもなんでもなくパターン化した動物で、巷間いわれているのとは逆に、教育がそれを解きほぐすんだろうか。なーんて考えちゃいました。
レントゲン、オオタファインアーツ、ハヤカワマサタカ(彼も最近パパになったそうです。パチパチ)といった若手画商を集めたちびっこアートフェア。そそられる作品もあったが、どこに買うカネがあるんだ!? と天の声。ちなみに、この天の声は来場者全員に聞こえたらしく、売り上げはさっぱりだったらしい。これじゃ景気が上向かないわけだよ。
ダイムラー・ベンツ社のメセナとして、小林が南フランスに2ヶ月半滞在し、そこで制作した作品展。でも、メセナもフランスもまったくおかまいなしに、いつものものをいつものように描くのが彼のいいところ。南仏で出目金や蚊取り線香を描くヤツがほかにいるか?
レンブラントが数点入っているにせよ、よくこれだけの二流三流品を借りてきたものだと感心した。クズの山が高ければ高いほど、その頂上に咲く花は美しいということを教えてくれる展覧会。
先日開かれたセゾン美術館の「ディアギレフとバレエ・リュス」展と似て非なる別企画。ロバーノフ・ロストフスキー夫妻のコレクションというだけあって、こちらは1点1点が美術作品然としている。
なんでしょうね、この人。チラシの写真を見る限りではアメリカのニューカラーフォトグラフィを思わせるが、実際に見たら単なる絵葉書。イギリスの前田真三ってとこでしょうか。
この春オープンした記念館をようやく訪問。岡本太郎の自邸を改装したもので、アトリエや居間、庭に置かれた作品を見られるほか、2階の小スペースでは季節ごとに企画展を行なっている。今回は「まつり」だが、太郎さんは毎日がお祭り状態だったんじゃなかったっけ。
その太郎さんに最近ぞっこんの倉林靖が企画した、岡本太郎と祖母井郁の2人展。倉林によると、太郎作品に見られる「生の輝き」こそ今の世の中が必要としているものであり、「今回の展示では、その流れる力の対立、継承ということまで考えられるようにしたいと考えた」(チラシより)とのこと。そーですか、そこまで考えられませんでした。
おっぱいか包茎ちんこの先っちょから銀色の液体が噴き出しているような絵。と、言葉にしないほうがよかったかも。
マクドナルドのMマークが円陣を組んで黄色い光を放ってるインスタレーション。長時間見てると胸クソが悪くなる、ということまで計算に入れてるんだろうなあ、作者の性格を考えれば。
11月29日(日)
第4回アート・ドキュメンタリー映画祭 11/28-12/11 ユーロスペース
川俣正とフランスの映像作家ジル・クデールの対談。ジルは川俣のプロジェクトを何本か撮っており、今回はそのうちの3本を上映している。対談ではそれぞれの仕事を自己紹介し、インスタレーションと映像という違いはあっても、コラボレーションを重視する作品づくりの方法が共通していることを指摘。でもそれは公の話で、本当のところ一番の共通項は、ふたりとも相手にしゃべる間を与えないくらいおしゃべりなこと。
11月30日(月)
女児誕生 14:52 慶應義塾大学病院
私事で恐縮です。ヤバイっすねー、とうとう自分の痕跡(遺伝子ですか)をこの世に残しちゃいました。文章や作品とは違って相手は生き物だかんね、もう取り返しがつかないもんね。自分の痕跡が未来永劫に続くかもしれないと思うと、安堵と後悔が交錯する。これでもういつ死んでもいいという思いと、これでもう勝手に死ねないという複雑な思い。とかいっても、ちっちゃな口を開けてクースカ寝てるこの娘は、そんなこと関係なしにブイブイ育っていくんだろうなあ。
オリンピック・ヴェロドローム&水泳競技場、 ベルリン 1999年完成予定 TNプローブ (c)Philippe Ruault
インタヴュー記事
【1998年12月】予定
写真――可能性のかたち 10/24-1/17 原美術館