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1月1日(金)
貸しヴィデオ

正月ということで、去年見落とした映画を貸しヴィデオでまとめて見る。『キングダムIII』ラース・フォン・トリアーの制作したテレビ・ドラマの映画化第二弾。『II』と同様、紋切り型となった手法のオンパレードに大笑いしながらも、畳み掛けていくその勢いに引き込まれ次第に恐怖を覚えるようになる。『奇跡の海』に涙した観客がいたそうだが、実はコメディだったのです。この鬼才の新作『白痴』の公開が待たれる。『スターシップ トゥルーパーズ』(ポール・バーホーベン)『エイリアン4』(ジャン=ピエール・ジュネ)『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン)、SF映画出身の三人だが、新作で自分たちの実力を遺憾なく発揮した。バーホーベンは、不毛な土地の使い方がユニークで、今回もそれをバックに巨大な昆虫を登場させて明瞭な輪郭を描き出し、ジュネは、いつもながら古く錆び付いた道具類を宇宙船内に配置して時代錯誤を演出した。キャメロンだけは、埃っぽく曇った特徴的な画面が、短い海中シーンを除いてまったくなかった。ハリウッドで成功するために控えられたのだろうか。他に、最近アート界でも注目されているジョン・ウォーターズの古い映画をいくつか(今は亡きディヴァインの怪演がたまらない)。しかし彼の映画を見ているといつの間にか眠ってしまうのは、何故か。

 

1月11日(月)
白川昌生展
 11/11−1/23
 モリスギャラリー&Keyギャラリー

アーティスト自身がいうには、二本立てでやっているとのことで会場も二カ所。会場のひとつでは、階段の一部を切り取ったらしい複雑な幾何学的構造のオブジェ。もう一方には、社会的政治的問題を扱った作品。このように普遍的なものと特殊なものを別々にテーマとして制作するのではなく、両者を統合する視点には立てないものか。

 

白川昌生展

 

 

1月12日(火)
ラヴズ・ボディ
 11/12−1/17
 東京都写真美術館

鋭い問題意識のもと、明確な主題を押し出して開かれる展覧会は日本では珍しい。それだけでも賞賛に値する。ただそうした意気込みに力が入り過ぎたのか、多くのテーマが一気に噴出して焦点がぼけてしまった嫌いがある。ヌードを主題とした夥しい数の写真があるからではない。ヌードの外延を広くとりすぎて、その内包が限りなく零に近くなってしまったのではないかと思われるからだ。


LOVE'S BODY

 

竹岡雄二展
 1/12−2/20
 ワコウ・ワークス・オブ・アート

前日見た白川と同時期にデュッセルドルフのアカデミーで学んでいるので、どうしても比べたくなる。彼の場合、ドイツに残って制作発表を続けた。そのせいか、普遍化=抽象化が彼の創作の方向を決定づけた。しかし現在その普遍性の有効性が問われている。私には、竹岡の作品がモダンの美しい墓標に見えてしまうのだが。

 

竹岡雄二展

 

 

1月13日(水)
ニューヨークへ

ニューヨークにて映画を見る。『Steam』(Dir.Ferzan Ozpetek)と『Central Station』(Dir.Walter Salles Jr.)。前者は、トルコ風呂に魅せられたイタリア人の若者の数奇な運命。後者は、初老の女性と母を失った男の子との父親探しのロード・ムーヴィ(2月に日本でも公開)。両方とも、非西欧(トルコとブラジル)の人々の素朴で親密な感情の交流が瑞々しい。それを通して西欧モダンの疲弊した文化を乗り越えられるのではないかと思ったほどだ。映画館では、ジェネレーションX世代の若者の日常を描いた『Mary Jane's Not a Virgin Anymore』(Dir. Sarah Jacobson)も見た。アメリカの若者の生活ではリアリティ・バイトがあるかもしれないが、前の二つの映画のようにリアルなものに突き当たることはない。その他、ニール・ジョーダン、ポール・シュレーダー、テレンス・マリック、ステファン・フレアーズ、ケン・ローチ、ラリー・クラークなどの新作が目白押し。

 

1月14日(木)ニューヨーク
ジャクソン・ポロック
 11/1−2/2
 ニューヨーク近代美術館

これを目当てにニューヨークへ来たといってもよいくらいだから、真っ先に訪れ繰り返し見て堪能した(展評参照)。このような巨匠クラスの展覧会は、必ずヨーロッパとアメリカで開かれるが日本には巡回しない(本展はテイトギャラリーへ)。つんぼ桟敷に置かれる日本の文化はかわいそう。その他特別展では、ジョアン・ミロの版画“Black and Red Series”がよかった。MoMAではフィルムとヴィデオの上映も常時やっていて、ブラジル映画、ドキュメンタリー、8ミリ映画などの特集が進行中だが、私はこの日、アメリカの8ミリ映画の歴史を振り返るプログラム“Big As Life”の一つを見た(無料)。

 

1月15日(金)ニューヨーク
ジグマール・ポルケ
 −1/16
 マイケル・ワーナー

崇高と反崇高の交錯するアーティスト、ポルケはまさに我が道を行く。光が透過する支持体は、ポロックでは絶対に考えられなかったものだろう。

 

ジグマール・ポルケ

 

デミアン・ローブ
 1/7−2/13
 メアリー・ブーン・ギャラリー

矛盾と狂気を孕んだアメリカの暗部をスーパーリアリズムのタッチで描く。ホラー映画風のどぎつい画面がアメリカでは売れるらしい。

 

デミアン・ローブ

 

ニコラス・ニクソン
 12/8−1/23
 ザブリスキー・ギャラリー

家族の写真を撮り続けてきたニクソンだが、日常や人物の断片を捉えて時間の移ろいやすさを暗示し、それによってアイデンティティの不確かさが表現される。

 

ニコラス・ニクソン

 

 

1月15日(金)ニューヨーク
ウォルター・ニーダーメイヤー
 1/12−2/6
 ロバート・ミラー・ギャラリー

彼の地元のイタリア・アルプスの風景をパノラマで撮るという手法は、アンドレアス・グルスキーに似ているけれども、グルスキーのように被写体の間の空間に引き込むのではなく、厳然たる事実を観客の前に突き付ける。この意味で二人の作品の雰囲気は対照的。

 

ウォルター・ニーダーメイヤー

 

ロバート・ライマン
 1/15−2/6
 ペイス・ウィルデンスタイン

いつもながらの作品にいつもながらに幻惑される。絵画を「描くこと」に還元することで、その表面に不確定な領域を生成するのだ。

 

ロバート・ライマン

 

ワルテルシオ・カルダス
 12/3−1/16
 ギャラリー・ルロング

かつて92年のドクメンタで見て面白いと思ったブラジルのアーティストである。少ない情報をもとに作品を豊かにすることを観客の想像力に求める手法に変わりはない。

 

ワルテルシオ・カルダス

 

 

1月15日(金)ニューヨーク
ジュリアン・アレン
 12/2−1/16
 ジョセフ・ヘルマン

手製の透明な下着と可愛らしいドゥローイング。チャーミングな小品。

 

ジュリアン・アレン

 

キース・ソニエ
 1/14−2/13
 マールボロ

ソニエの作品をまとめて見たのは初めてだったので、ポップでユーモラスでアナーキーな作品の特徴がよく分かった。広いスペースで作品が十分あれば、見る方は深い理解に到達できるという典型的な個展。

 

キース・ソニエ

 

シュリン・ネシャット
 1−1/15
 ホイットニー美術館[フィリップ・モリス]

このヴィデオ・インスタレーションを写真でお見せできないのは残念。対になった壁に映像を投影するのだが、一方では男性が身振りをつけて感情豊かに歌い上げ、他方では女性のシルエットが身動きせず聴いている。男性が歌い終わると、今度は女性の顔が浮かび上がり歌い出す。しかしその声は言葉にならず叫びか動物の唸りに似ていて、反対側でそれを聴く男性は当惑の表情を示している。このアーティストの生まれたイランの女性の置かれた社会状況とそれに対する彼女の反発を見事に映し出している作品。傑作。

 

1月15日(金)ニューヨーク
レミー・ゾグ
 11/21−1/16
 ブルック・アレクサンダー

このスイス出身のアーティストをもう少し知ってほしいと思う。作品がコンセプチュアルなので難解だが、たとえば今回のように簡単な英語の作品は意味を把握しやすい。彼の作品の持ち味は、クールなコンセプトというより主観的実存的なものの表出である。

 

レミー・ゾグ

 

クラウディア・ハート
 1/14−2/13
 サンドラ・ゲリング・ギャラリー

ベルリンに在住していたハートが久し振りにニューヨークで開いた個展。ヨーロッパのフォークロア的絵本の絵画と彼女自身が道化として登場しさまざまな表情を見せるヴィデオは、カーニヴァル的な哄笑を誘う。彼女の緻密に計算されたテクニックが光る。

 

クラウディア・ハート

 

マーク・ディオン
 12/12−1/9
 アメリカン・ファイン・アーツ

このアーティストが保存するものは、剥製の動物やガラクタばかりではない。蒐集の道具や冒険の行為まで蒐集してしまおうとする。この偏執的なコレクター癖に脱帽。

 

マーク・ディオン

 

 

1月15日(金)ニューヨーク
フランシス・ベーコン
 −1/16
 トニー・シャフラジ・ギャラリー

何故か、アメリカでベーコンの作品を見たという記憶があまりない。というわけだろうか。会場には多くの人々が集まっていた。作品を見ていると、ベーコンが物質的素材から形象を抜き取る作業をしてきたように思える。

 

フランシス・ベーコン

 

フィリップ・ロルカ・ディコルシア
 11/18−1/16
 ソーホー、ペイスウィルデンスタイン

彼の撮る街行く人々は、ジェフ・ウォールのように演出しているわけではないのに、芝居をしているように見える。人々の一瞬の表情がさらけ出す虚構の現実というところか。

 

フィリップ・ロルカ・ディコルシア

 

ゲルハルト・リヒター
 11/1−1/16
 ノーラン/エックマン

写真、水彩、ドゥローイングと小品ながら素晴らしさを再確認。とくにアブストラクトがよい。

 

1月15日(金)ニューヨーク
フロ・ラン&カル・ローデス
 1/7−2/20
 エルガ・ウィマー

たんに悪趣味な写真作品だが、趣味があるだけまし。それがないものも多いから。

 

フロ・ラン&カル・ローデス

 

その夜、ブロードウェイのニュー・ヴィクトリー・シアターで、“Moon drunk”(セラ・ローゼンバーグ&ジョン・ケリー)と題されたパフォーマンスを観賞した。シェーンベルグの“Pierrot Lunaire”に触発され、これに関連のある楽曲の演奏とゲーテの詩の朗読、それにパフォーマンスを組み合わせて構成された洗練された舞台。後半は、上演の難しい音楽劇“Pierrot Lunaire”を世紀末的な色彩の強いパフォーマンスに仕上げて秀逸。

 

“Moon drunk”(セラ・ローゼンバーグ&ジョン・ケリー)

情報誌『Simon Says』より

 

 

1月16日(土)ニューヨーク
ヴァーン・ドーソン
 12/5−1/16
 ギャヴィン・ブラウン

一昔前のヒッピー・ムーヴメントを彷彿とさせる画面だが、しかし背景にはジャンボ機が飛んでいたりする。ニューヨーク周辺の過去、現在、未来を描いているらしいが、70年代にこうした傾向の絵画が流行したことを思い出した。

 

ヴァーン・ドーソン

 

ラインハルト・ムーハ
 11/14−1/9
 マレー・ガイ

ムーハの作品にこんなところで会えるとは。彼が70年代にニューヨークに来て作ったものを再利用した新作と知って二度びっくり。

 

ラインハルト・ムーハ

 

アリクス・パールスタイン、
 マイケル・バルー

 1/9−2/6
 ポストマスターズ・ギャラリー

いつもなにかを期待させて裏切るギャラリーだが、今回も同じだった。フォルムに拘っているかぎりいいものは生まれない。

 

1月16日(土)ニューヨーク
ミカ・レキシエ
 1/9−2/6
 ジャック・シェインマン・ギャラリー

このような単純なコンセプトで作品が作れる、あるいは作品になるというのは羨ましい。ニューヨークにはまだ強力なアート・マーケットがあるという証拠か。

 

ミカ・レキシエ

 

チェルシー地区の20丁目にあるビルに入っているギャラリーの数は多いが、その一つ一つについて語るには及ばない。漫画あり、ロシアン・イコンあり、CGあり、エセ・コンセプチュアル・アートあり、リチュアルなインスタレーションあり、自然志向あり、セクシュアルで装飾的な作品あり、と表層的だがヴァリエーションには事欠かない。付け加えておきたいのは、これらの作品が観賞に耐える一定の水準に達しているということ。
ヨーゼフ・ボイス
ロバート・アーウィン、
トーマス・シュッテ

 −6/13
 DIA芸術センター

久し振りにボイスを見て感動した。オブジェ、ドゥローイング、それらは物質でもフォルムでもない、つまり想像の所産ではなく存在論的なのだ。アーウィンは日本でもっと紹介されていいアーティストだろう(ジェームズ・タレルを何回もやるよりこちらを取り上げてほしい)。靄のかかったような空間の奥行きは、タレルのように神秘的ではなくとても美しくさわやか。シュッテのやっていることは、本気なのか遊びなのか分からない。ただし彼のドゥローイングは、ボイスとは違った意味で非常にうまい。

ダグ・エイケン
 12/5−1/16
 303ギャラリー

構成の仕方がよいこともあるが、その美しさに加えて深さを感じる映像に仕上がった。ビル・ヴィオラゲイリー・ヒルに続く重要なヴィデオ・アーティストになれるたろうか。

 

ダグ・エイケン


ダグ・エイケン

 

 

1月16日(土)ニューヨーク
エレン・カンター
 12/5−1/22
 XLザビエ・ラブールベンヌ

ロマンティックなファンタジーと恐怖を掻き立てる暴力的な攻撃性という恋愛にまつわる対立する情動を、女性の側から見据えてきたこのアーティストの新作は、テーマにぴったりの女優モニカ・ヴィッティをえて、映画の引用の織物となった。

ケン・プロスト
 12/16−1/16
 ポール・モリス・ギャラリー

ポルノ撮影現場のドキュメンタリー写真。セックス産業の裏側を記録したこのモノクロの写真シリーズは、ハードだがクールで劣情を催す類いのものではない。フェティッュ化されたポルノ産業に息抜きの隙間を見出そうとするジェフ・バートンや、ひたすら猥褻命のアラーキーとは対極にある写真。

 

ケン・プロスト

 

エレン・バーケンブリット、
アレッサンドロ・ペッソーリ

 1/14−2/13
 アントン・カーン・ギャラリー

今回見たなかでは、ドゥローイング作品でもっともエキサイティングなショウ。とくにバーケンブリットの鼻のとんがった女性(自画像)を描いたドゥローイングは、漫画のもつ通俗性と極度の傷つきやすさを同居させて私を魅惑する。

 

エレン・バーケンブリット

  

12 to 12

トライベッカにあるオルタナティヴのギャラリー「アート・イン・ジェネラル」で、昼の12時から夜の12時までフィルムとヴィデオのマラソン上映会があったので、夕方から見にいった。プログラムの内容はともかく、こうした企画を簡単に実現できることにニューヨークのアート界の底力を感じる。このイヴェントの目玉は、ギィ・ドゥボールの映画『スペクタクル社会』だった。感想としては、この映画が作られた70年代にはまだ真実とスペクタクルを区別できたが、現在それらを区別することはできないのではないか、ということ。

 

1月17日(日)ニューヨーク
ブルース・デヴィッドソン
 12/5−3/7
 インターナショナル写真センター

50年代の終りブルックリンにたむろするギャングの若者の姿を捉えた写真。後のラリー・クラークの写真にも通じる世界を、すでにこの写真家は記録していた。ノスタルジーも手伝って、若者たちの住む世界の光と影は美しく切なく、そしてとても格好いい。

バビアナ・スアレス
 −2/7
 ジャック・デラノ
 −2/28
 エル・ムセオ・デル・バリオ

スアレスは、自分が生れたプエルトリコの文化のハイブリッドな性格を通してアイデンティティを探求する。このハイブリッドを証明するかのような人物、ジャック・デラノの写真の回顧展も同時に開催されていた。彼は旧ソ連邦出身、移民としてアメリカに来て写真家となり、さらにプエルトリコに渡ってさまざまな分野で活躍した。彼の残した足跡は、プエルトリコの文化に深く刻まれているという。文化を活気づけるには、人々の許容力が求められるのだ。

 

バビアナ・スアレス

 

デュアン・ハンソン
 −2/21
 レイ・ジョンソン
 −3/21
 ホイットニー美術館

ハンソンの人形が以前ほどリアルに見えない理由は、時代が変わって服装に違和感があったり、素材とくに皮膚が人工的だというばかりでなく、私たちが見慣れたことにもよる。しかし不思議なことに、現在では観客が彼の人形に同化する傾向がある。みなさんは、ニューヨークでもっとも有名な無名のアーティスト、レイ・ジョンソンを知っているだろうか。すでに亡くなっているが、彼の作品は一見の価値があります。

 

デュアン・ハンソン


デュアン・ハンソン

  

その夜、マルガ・ゴメスのパフォーマンス“Jaywalker”(P.S.122)を観賞。マイノリティ(ラテン系アメリカ人)の立場を、ロサンゼルスの市街を歩く主人公に投影したこの一人芝居は、この過酷な条件をバネにたくましく生きる人々の姿をコミカルに伝える。

 

1月18日(月)ニューヨーク
Rendezvous
 10/16−1/24
 グッゲンハイム美術館

パリのポンピドゥ・センターの収蔵作品展は東京でも開かれたが、グッゲンハイム美術館の収蔵品と合わせて、モダンアートの歴史を辿り直すには最適かつ最強の展覧会を実現した。面白いのは、戦前では一致していたアートの評価が、戦後二つの美術館で分かれたのではないかと思えることだ。

ユダヤ映画祭
 1/17−1/27
 リンカーン・センター

映画のフェスティヴァルや特集はニューヨークのどこかでいつもやっている。今回もブラジル映画(MoMA)やフランス映画(グッゲンハイム)の特集、そしてユダヤ映画祭がリンカーン・センターで開かれていた。この日私が見たものは、「嘆きの壁」を取り上げた、『Man of the Wall: A documentary Mystery』(監督:ヘルツ・フランク、 セイモン・ヴィノクール、ヤコブ・スヴィルスキ)と『God@Heaven』(監督:ヨゼフ・ニューライト)の二本。それにしても、人間は何故かくも神を必要とするのだろうか。

 

ユダヤ映画祭パンフレット

ユダヤ映画祭パンフレット

 

アスター・プレイスのバーネス&ノーブル書店でベル・フックスのサイン会があると聞き立ち寄る。アフリカ系アメリカ人の作家のなかでトニ・モリスンと並んで人気のある彼女とあって店内は人だかりができていたが、新刊の自叙伝を朗読する声の詩的な響きと、質問を受け答えする時のユーモアたっぷりの気さくな語り口に魅了された。彼女は最後にクロス・クラス(人種や民族や階級を越えて)を強調していた。

 

1月19日(火)ニューヨーク
マン・レイ
 11/18−1/24
 ミッドタウン、
 インターナショナル写真センター

写真とフィルムを見ながら、現実から浮遊するレイの無重力の世界を追体験。分かっていると思っていたアーティストも、じっくり鑑賞するとより深い次元を知ることができる。

ロキシー・ペイン
 1/9−2/20
 ロナルド・フェルドマン・ギャラリー

黴や茸の生える世界。なんとも形容しがたいが、このような奇妙な展覧会をすることの多いギャラリー。

 

ロキシー・ペイン

 

フランセス・スターク
 1/7−2/6
 CRG

繊細で細かい。けれどもそれだけのようだ。

インカ・エッセンハイ
 1/7−2/13
 ダイチ・プロジェクツ

ポップでグロテスクなエロティシズム。きっちりと仕上げられそれなりに迫力はあるが。

 

インカ・エッセンハイ

 

 

1月19日(火)ニューヨーク
トニー・マテリ
 1/15−2/13
 バシリコ・ファイン・アーツ

奇妙でハイパーリアルな彫刻。注目されるためのスキャンダル狙いか。

 

トニー・マテリ

 

ステファン・プリーナ
 1/15−2/20
 フリードリヒ・ペッツェル・ギャラリー

ニューヨークでスペクタキュラーなエンターテインメント志向の作品が多いなか、コンセプチュアルな作品に接するだけでもさわやか。だが、彼の作品はいつも難解で解釈の施しようがない。

 

ステファン・プリーナ

 

ローラ・ロンドン
 1/14−2/20
 カレン・ゴールデン・ファイン・アート

彼女と同世代の若者たちのライフスタイルをそれなりに演じてみせている。しかしナルシスティックな感情以外、そこになにがあるのだろうか。

 

ローラ・ロンドン

 

 

1月19日(火)ニューヨーク
デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ
&ピーター・フジャー

 1/8−2/6 P.P.0.W

共にエイズで倒れた二人の友情は貴重なものだ。ロンドンと対比すれば一層かけがえのないものになる。

 

ヴォイナロヴィッチ

ヴォイナロヴィッチ

 

エイドリアン・パイパー
 −1/23
 トーマス・アーベン・ギャラリー

彼女の70年代の作品を集めた個展。自らのアイデンティティを追求してきた彼女の作品は、人種とジェンダーも絡んで複雑な様相を示す。

村上隆
 1/16−2/18
 マリアンヌ・ボースキー・ギャラリー

日本から到来したスペクタクルの代表格。それがもつパワーは、現在のニューヨークのアート界でも際立つ。

 

村上隆

 

 

1月19日(火)ニューヨーク
ジェイソン・ローデス&ポール・マッカーシー
 1/13−2/13
 デヴィッド・ズウィルナー

これまで派手で悪趣味なスペクタクルを展開してきたロサンゼルスのアーティストたちの登場。その二人がコラボレーションした作品が、どれほどのものか想像していただきたい。

 

ジェイソン・ローデス&ポール・マッカーシー

 

ヤン・クナップ
 1/9−2/20
 スペローネ・ウェストウォーター

現代に宗教を蘇らせようとする試みは必ずキッチュになることの証し。

 

ヤン・クナップ

 

 

1月20日(水)ニューヨーク
ルイス・ウィックス・ハイン
 2/18−2/28
 ブルックリン美術館

晩年の30年代の写真を展示。今世紀始めの工場や工事現場を撮ったことで有名なこの写真家の作品は、機械よりも人間に焦点を当てていたことがよく理解される展覧会だった。同時に開催されていたペルシャ絵画(1785-1925)の展覧会も素晴らしかった。

 

ルイス・ウィックス・ハイン ルイス・ウィックス・ハイン

 展覧会パンフレット

 

レイナー・ガナール
 1/9−1/30
 マックス・プロテッチュ

情報化社会のもとでの言語と知識のコミュニケーションをテーマとしてきたガナールが、ニューヨークで開いた二回目の個展。そのスタイルはハイパーコンセプチュアリズムといってよいが、コンセプトのメタレベルへと向かう彼の野心的な姿勢に注目したい。

 

レイナー・ガナール

写真はレイナー・ガナール本人

 

イネス・ヴァン・ラムスウェールデ
 12/5−1/23
 マシュー・マークス・ギャラリー

“Me”とタイトルされた今回の個展では、アーティストの分身らしき子供から老人までのポートレイトを展示。しかしたんなるポートレイトではない。シンディ・シャーマンのように汚いものを見せつけるのではなく、美しいが同時に死体のように醜いものを提示してアンビヴァレントな感情の交錯する世界へと鑑賞者を引き込む。それがスペクタクルにならないのは、彼女の表現が世紀末のデカダンスに深く浸っているからである。ニューヨークのギャラリーで見たなかで、もっとも衝撃的な展覧会だった。

 

イネス・ヴァン・ラムスウェールデ

 

 

1月20日(水)ニューヨーク
オリット・ラフ
 1/9−2/13
 シルバースタイン・ギャラリー

これも表層をなぞる作品。しかし生理的な匂いを感じる。

 

オリット・ラフ

 

ペギー・プレハイム
 1/14−2/20
 ボナクダー・ジャンクー・ギャラリー

別のスペースにグロテスクな死を暗示する奇怪な写真があるので、たんに子供時代を懐古する作品ではなくなっている。

 

ペギー・プレハイム ペギー・プレハイム

 

ミゲル・アンヘル・リオス
 1/9−2/6
 ジョン・ウェーバー・ギャラリー

ニューヨークの街路図を示しながら、その地下にある秘密のネットワークを透視させる作品。

 

ミゲル・アンヘル・リオス

 

 

1月20日(水)ニューヨーク
ゲーリー・ヒル
 1/9−2/6
 バーバラ・グラッドストーン・ギャラリー

ホイットニー美術館の展示よりもこちらのほうが面白かった。CGのオブジェが互いに貫入可能であることを示すイメージは、趣向は単純だが軽やかで興味深い。

 

ゲーリー・ヒル

 

アルバート・オーレン
 1/16−2/27
 ルーリング・オーガスティン

絵画の善し悪しを見分けるには、その表現が大きく見えるかどうかを確かめることである。ゲイリー・ヒュームとは違った意味で、オーレンの絵画もスケールが大きい。

 

アルバート・オーレン

 

フェリックス・ゴンサレス・トーレス
 12/4−1/16
 アンドレア・ローゼン

会場に漂う孤独感と喪失感は、パセティックな雰囲気を醸し出している。

落合タム&スティーヴン・パリーノ
 1/1−1/30
 ティーム・ギャラリー

ニューヨークには珍しくカオスを作り出す展覧会。

その夜、ほとんど台詞のない役者の激しい運動だけで話題となった劇“De La Guarda”をダリル・ロス・シアターで見た。役者たちはほとんど空中を飛びっぱなし。そのうえ水や風を浴びる。立ち見の観客もそのとばっちりを受け、役者の動きの巻き添えになる。都市における野蛮の回帰、少なくともホットなものの復活か。

 

De La Guarda

 

 

1月21日(木)ニューヨーク
ドッソ・ドッシ
 1/14−3/28
 メトロポリタン美術館

ルネサンスの粗雑な紹介くらいで巨匠クラスの画家の展覧会もほとんどないのに、日本でドッソ・ドッシのような傍流に属する画家の展覧会をやることを望むのは身のほど知らずというもの。これもフランスからの巡回展で、ヨーロッパとアメリカに住む人が羨ましい。彼独特のマニエリスィックな様式に陶酔の二時間でした。

 

ドッソ・ドッシ「メリッサ」(部分)

 メトロポリタン美術館パンフレット表紙
ドッソ・ドッシ「メリッサ」(部分)

 

Paradise 8
 1/16−4/3
 エクジット・アート

8人のインディペンデントのキュレイターが共通するテーマでアーティストを選び、同じスペースで展示する。重複するアーティストも多く、企画の趣旨にあるように展覧会を開かれた流動的なものにするというコンセプトであれば、それぞれのキュレイターの特色を無理に区別する必要はない。出品作は未知の新人たちのもので興味深かったが、写真を撮れないということで紹介できないのは残念。

リタ・アッカーマン&アナ・アスプ
 1/21−3/23
 スイス・インスティテュート

オープニングに行った唯一の展覧会。人が多くて作品を見る余地がない。アッカーマンは好みのアーティストなのでゆっくり見たかったが。今回は壁画を描いてました。

リタ・アッカーマン&アナ・アスプ

 

 

1月21日(木)ニューヨーク
フィーヴァー: アート・オブ・デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ
  1/21−6/20 ニュー・ミュージアム

バスキアやキース・へリングよりもはるかに重要なグラフィティ・アーティストの回顧展。彼をグラフィティ・アーティストと呼ぶにはあまりにも活動の幅が広く、アートばかりでなく執筆やエイズ問題の運動にも携わったことはよく知られている。展示された作品はすべて素晴らしく、彼の再評価の日も遠くない。ニューヨークの美術館で開かれていた最良の現代アートの展覧会。

 

フィーヴァー: アート・オブ・デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ

 情報誌『Simon Says』より

 

その夜、ココ・フスコ&ナオ・ブスタマンテの“Stuff”(ディクソン・プレイス)を見た。この二人のラテン系アメリカ人のパフォーマンスは、ラテン・アメリカ文化を消費する西欧の人々の意識を食べ物とセックスと旅行を題材に矯正し、文化間のコミュニケーションを活性化しより豊かにしようとする。

Stuff

 情報誌『Simon Says』より

 

 

1月22日(金)ニューヨークからロサンゼルスへ
トゥンガ
 1/9−2/2
 クリストファー・グライムズ・ギャラリー

前回のドクメンタに出品した彼の新作展は、やはり死の香りの漂うものだった。トランクにはバラバラ死体が詰められている。

 

トゥンガ

 

エレン・フェラン
 1/23−2/27
 パトリシア・フォーレ・ギャラリー

表層の裏を予感させる表層のイメージ。でもそれだけか。

 

エレン・フェラン

 

ニナ・ボヴァッソ&ローレンス・スーアード
 1/23−2/27
 リチャード・ヘラー・ギャラリー

前者はスキゾフレニックで元気、後者は奇妙な雰囲気。

ニナ・ボヴァッソ

ニナ・ボヴァッソ

ローレンス・スーアード

ローレンス・スーアード

 

ジョージナ・スターの
 キュレートによるミニムンダス
 1/9−1/30
 ロザムンド・フェルゼン・ギャラリー

小品ばかりの展示ながら、各作品ではなくこれを企画したスターの趣味が透けて見えて楽しい。

 

ジョージナ・スターのキュレートによるミニムンダス

 

 

1月22日(金)ニューヨークからロサンゼルスへ
チャールズ・ブリッテン
 1/23−2/27
 クレイグ・クラル・ギャラリー

カリフォルニアに住む人々の荒んだ生を撮った写真家の回顧展。ロバート・フランクよりもハードだが、ダイアン・アーバスほどグロテスクではない。

 
チャールズ・ブリッテン展案内
チャールズ・ブリッテン
展示風景
展覧会案内カード

マシュー・マッカスリン&チャールズ・ロング
 −1/30
 ショシャナ・ウェイン・ギャラリー

前者は、ヴィデオ遊園地。後者はソフトでコミカルな彫刻。

マシュー・マッカスリン チャールズ・ロング
マシュー・マッカスリン
チャールズ・ロング

ロサンゼルスに来て感じること。ここはニューヨークとは文化圏を異にしてなんでもありの世界。モダンの命運が尽きようとしている現在、それを中心となって支えてきたニューヨークの文化が瓦解しようとしている。それに対してロサンゼルスはまだ生命力があり、陽気だがどこか変、しかも素朴。だがこれらがすべてコマーシャリズムに取り込まれている。ニューヨークにはまだ残っていたモラル(今回紹介したマルティ・カルチュアリズムの活動がそれを物語っている)が、この都市にはないからだ。これがLAテイスト。

 

1月23日(土)
ブルース・アンド・ノーマン・ヨネモト
 1/23−7/4
 ロサンゼルス
 ジャパニーズ・アメリカン国立美術館

新築されたこの美術館の開館記念にヨネモト兄弟の展覧会を開いたことは大成功だった。というのも日系アメリカ人として彼らが経験してきたさまざまな矛盾や問題は、彼らの作品の至る所に込められているからだ。それは表面的でも図式的でもなく、深く考え抜かれて作品の構造のなかに封じ込められている。それは、彼らがアメリカ社会のなかで、アーティストとして生きることの困難を克服する過程で生まれてきたのだろう。

 

ブルース・アンド・ノーマン・ヨネモト

 

平川典俊
 12/4−1/23
 ロサンゼルス、Taka ishii Gallery

ボーダーをつねに意識してきた平川は、ボーダーのこちらとあちらで表現の質を変えてきた。しかし最近勝負を賭けたかのような振る舞いが目立つ。ボーダーにまともに突き当たる作品を発表しているからだ。ボーダーを突破できるだろうか、それとも逆に跳ね返され押し潰されるだろうか。

 

平川典俊

 

オラフール・エリアッソン
 1/9−2/6
 マーク・フォックス

写真、ライトのインスタレーション、そして霧の滝の作品、そのどれをとっても美しい。美しいだけでなく深みもある。このアイスランド出身のアーティストに注目。

 

オラフール・エリアッソン

 

チャールズ・レイ
 11/15−2/21
エイミー・アドラー
 11/15−2/14
 ロサンゼルス現代美術館

レイの作品は、取り扱うオブジェの機能を奪い去るのではなくそれを攪乱する。それが作品に、ユーモアと去勢されたような意気消沈をもたらすのである。アドラーは、ドゥローイングで描いた自分の世界を写真に閉じ込めようとする。その可愛らしさを保つために。

 

チャールズ・レイ

チャールズ・レイ

 

 

1月30日(土)
野村和弘展
 1/11−1/30
 秋山画廊

現在のアートのあり方に対するラディカルな批判と積極的な行動へのアピールとなったこの作品こそ、普遍性と特殊性の分裂の打開に向けてのきっかけとなるのではないか。

 

1月31日(日)
今月の推薦図書

 ジャクソン・ポロック
  "Jackson Pollock"(MoMA),

 ダグラス・ゴードン
  "kidnapping, douglas gordon"
  (Stedelijk Van Abbemuseum Eindhoven)

 ケン・プロスト
 "por'na-graf'ik, ken probst"
   (Twin Palms Publishers)

 荒木惟経
 "ARAKI, TOKYO LUCKY HOLE"(Taschen)
   "remembered rapture"
  (bell hooks, Henry Holt),

 デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ
  "Fever: The Art of David Wojnarowicz"
  (New Museum of Contemporary Art)

 平川典俊
   "matters1988-1997"
   (noritoshi hirakawa)

 ブルース・アンド・ノーマン・ヨネモト
  "memory matters and modern romance,
   Bruce and Norman Yonemoto"
   (Japanese American National Museum)

 

2月予定
曽根裕「アルペン・アタック」
 草月ギャラリー 1/27−2/17

礒崎真理子展

 草月美術館 1/27−2/17  

曽根裕「Her 19th Foot」1995

曽根裕「Her 19th Foot」1995
スエーデンのマルメにて

撮影:末正真礼生

 

 

2月予定
川俣正「東京プロジェクト―New Housing Plan」
 1/23−4/10
 ギャルリー・ドゥ

 

川俣正「東京プロジェクト―New Housing Plan」

 

 

2月予定
ドゥェイン・マイケルズ展
 2/3−2/28
 小田急美術館

 

ドゥェイン・マイケルズ展

 

 

2月予定
ゴヤ展
 1/12-3/7
 国立西洋美術館 

 

ゴヤ展

 

 

2月予定
ドナルド・ジャッド1960-1991
 1/23−3/22
 埼玉県立近代美術館

 

ドナルド・ジャッド

 

ドナルド・ジャッド

埼玉県立美術館展示風景

 

 

2月予定
共生する/進化するロボット展
 1/29−3/22
 インターコミュニケーションセンター

 

共生する/進化するロボット展

  

 

2月予定
MOTアニュアル1999
「ひそやかなラディカリズム」

 1/15-3/28
 東京都現代美術館

 

MOTアニュアル1999「ひそやかなラディカリズム」

  

 

2月予定
菅木志雄
 2/6−3/28
 横浜美術館

 

菅木志雄「散境端因」

「散境端因」1998
photo(c) 高梨 豊

 

 

2月予定
パサージュ展
 2/5−4/18
 ワタリウム美術館

 

パサージュ展

 

 

2月予定
NEW LIFE展
 2/12−3/13

 会場・会期
 現代美術製作所(東向島2/12〜3/7)
 小山登美夫ギャラリー(佐賀町2/12〜3/6)
 スウェーデン大使館展示ホール
 (神谷町2/12〜3/3)
 ナガミネプロジェクツ(銀座2/12〜3/13)
 ナディッフ(原宿2/12〜3/7)
 ヒルサイドギャラリー(代官山2/12〜2/28)
 ミヅマアートギャラリー(青山2/13〜3/13)
 P-House(恵比寿2/12〜3/5)

 NEW LIFE

 

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