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Art Scape
1999年8月 ヨーロッパ篇---熊倉敬聡
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8月19日 ミュンヘン
青騎士展

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レンバッハ市立美術館 パンフレット表紙
レンバッハ市立美術館 パンフレット表紙

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 ノイエ・ピナコテークとレンバッハ市立美術館に行く。
 レンバッハ市立美術館付属のクンストバウで青騎士の大展覧会が行われている。ミュンヘンで、短命だが美術史上至って貴重な足跡を残したこのグループの活動が通覧できる興味深い展示だ。20世紀初頭の様々な造形的実験・ムーヴメントが、そこで交錯しあい、また南部ドイツの精神性と化学反応を起こしつつ、独特な表現を獲得していく過程が手に取るようにわかる。
 レンバッハ市立美術館本体の方は、やはり青騎士の重要なコレクションで世界的に有名である。とりわけカンディンスキーの具象から印象主義、抽象へと至るスリリングかつ美術史的に重要な過程が、40〜50の作品群によりまざまざと体験できる。それを観ながら、自分が美術に始めて興味をもった頃(16歳?)、なぜかセザンヌとカンディンスキーに強く惹かれ、高校3年のレポートで、まさにこのカンディンスキーの抽象へと至るプロセスをテーマにしたことを想い出す。

 

8月20日 ミュンヘン
ダッハウ強制収容所跡

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ダッハウ強制収容所フェンス
ダッハウ強制収容所フェンス

収容棟内部
収容棟内部

 ミュンヘン郊外のダッハウに行く。強制収容所跡を訪れるためである。バスを降りると、青く広がる空の下、広大な敷地が現れる。その広さに素朴に驚く。門から中に入るとまず巨大な管理棟があり、その向こう側に、再現された収容棟が二棟ある(実際には三十数棟あったが取り壊された)。内部は当時の様子が生々しく再構成されている。最盛(?)時には、定員(?)を遙かに超える人々がすし詰めのように押し込められていた。しかも限りない清潔と秩序を要求されながら。一つの染みでも見つかると懲罰(しばしばそれは直接死を意味していた)の対象となった。
 ふと、今回の旅で訪れた知りあいたちの室内を想い出す。世界的に見て、現代日本人も突出して「清潔」好きだが、ゲルマン系の人たちのそれは、日本人のそれを遙かに凌駕している。文字通り「染み」一つ許さぬかのような「潔癖」と「秩序」。自分の中で、その二つの「清潔」が奇妙に響き合う。
 偶然の好天で晴れ渡った空の下、この収容所跡のただ中を歩くのは、凄まじい体験である。このミュンヘン郊外ののどかな晩夏の空の下、50〜60年前、どんな想いでユダヤ人たちが毎日を送っていたか、想像を絶する。
 収容所の正門は、当時のまま残されている。その扉に「労働は自由なり」と今も刻まれている。なぜか、高校時代に読んだマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を想い出す。人間の労働が極度に禁欲化されるとき、「ピュア」になる時、狂気が──「ピュア」を汚すあらゆる物・人を抹消しようとする狂気が、そこに取り憑く。アメリカの「ピューリタニズム」を想い出す。そして、パリからミュンヘンに来る飛行機の中で読んだ『ル・モンド』のある記事を想い出す。カンサス州の教育委員会が、州の全学校に科学的な進歩史観を禁じ、「神は7日で天地を造られた」という類の歴史観を強制する決定を下したという記事だ。ある種のアメリカ人たちの宗教的蒙昧主義の狂気もまた恐ろしい。
 しかし、収容所跡の体験はそれだけにとどまらない。なぜドイツ人はこのようなものを己れの眼前にまざまざと「残す」のか?その事実にまた驚嘆する。どこかの国の自称「知識人」たちが従軍慰安婦や南京大虐殺をめぐって称える歴史観とは言うまでもなく大違いだ。この、自分たちの「罪」をあえて現実の中に残すという単純な事実に、歴史を引き受けるという選択と勇気を感じる。
 実に様々なことを考えさせられる訪れであった。

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