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Artscape Book Review
暮沢剛巳
.

芸術は芸術である

. ティエリー・ド・デューヴ
『マルセル・デュシャン――絵画唯名論をめぐって』
『マルセル・デュシャン──絵画唯名論をめぐって』
ティエリー・ド・デューヴ
『マルセル・デュシャン――
絵画唯名論をめぐって』、
鎌田博夫訳、法政大学出版局、
2001

 
マルセル・デュシャンは何とも厄介なアーティストである。その存在は、20世紀美術の系譜のなかにエアポケットのような穴を穿ち、その「空白」を埋め合わせるための様々な言説を駆動させずにはおかない。「芸術とは何か?」という問いは、古くは古代ギリシャの哲学者が思弁の対象とし、新しくは「2ちゃんねる」のスレッドでも口角泡を飛ばす議論が交わされている問題だが、その長大な問いの中にあって、デュシャン(及びその周辺)の占める位置が決して小さくないことには誰しも異論がないだろう。
そして本書『マルセル・デュシャン――絵画唯名論をめぐって』の著者ティエリー・ド・デューヴもまた、紛れもなくデュシャンの問題に憑かれた一人だった。本書においてド・デューヴは、レディメイドが1912年のベルリンにおいて「発明」されたという事実に注目し、その発明及びそれと引き換えに為された絵画の「放棄」という事態を表裏一体のものとみなして、それをすべてのデュシャン解釈の起点に据えようとする。レディメイドといえば、少し後の1917年に、ニューヨークのアンデパンダン展で出品拒否された「泉」をその始まりとみなす通説が今までの主流であったわけだから、一見些細なこのエピソードからも、従来とは違った新機軸を打ち出そうとする著者の意気込みは容易に察せられるだろう。
もちろん、ド・デューヴが1912年を特権視しているのには、他にもいくつかの伏線がある。例えば、デュシャンその人がパリからミュンヘンへと拠点を移したのはまさしくこの年であったし、ある作品に「処女から花嫁へのパサージュ」というタイトルを付したのもこの年であった。また、互いの影響関係について踏み込む余裕がないが、カンディンスキー、クプカ、ドローネーらが抽象的な「純粋絵画」を創始したのも同じくこの年であったという。ド・デューヴは、これらの事実を相互に関連付けて(とりわけ、色彩を媒介としたデュシャンとカンディンスキーの相違の指摘は、熟考に値する)、その多層性のなかから、絵画からレディメイドへのパサージュを浮かび上がらせようとする。絵画と呼べないものを可能な絵画と名づけること――ド・デューヴが「絵画的唯名論」と呼ぶレディメイドの核心は、まさにこの矛盾のなかに潜んでいるわけである。
デュシャンを一つの頂点に据えて、芸術をただひたすら名前の問題として考え抜こうとするド・デューヴの態度は、恐らくゲーム理論に擬して考えることができる。芸術とはあくまでも芸術であって、それ以上でも以下でもない。今まで慣習的に芸術と呼ばれていたものとは違う刺激を産出すれば、もちろん拒絶されてしまう場合が大半とはいえ、なかには新たに芸術としての地位を与えられる場合もある。美術史とはまさにそのようなトートロジカルな体系の記述であり、いかにして既存の文脈のなかに差異を持ち込んで更新をはかるのか、美術史への新規参入を目論むアーティストの戦略はさながらTVゲームやマーケティングにもたとえられるだろう……。これは、『絵画唯名論』での提起した問題を、さらに原理的に追究してみせたド・デューヴの別の主著『芸術の名のもとに』でさらに詳しく展開されている問題でもある。わずかな懸隔が仇になって、残念ながら後者の翻訳は参照することができなかったが、デュシャンを起点とする20世紀美術の唯名論の問題は、今後真剣に検討される必要があることを再確認しておきたい。

『Marcel Duchamp A Life in Pictures』
『Malcel Duchamp A Life in Pictures』
Jennifer Gough-Cooper &
Jacques Gaumont
Marcel Duchamp:
A Life in Pictures

Atlas Press(@las), 1999
 
とはいえ、学問や批評の領域でいかに重要な議論ではあろうとも、唯名論云々といった話題は、美術史に通暁した上でさらに言語哲学などに精通していることも要求される、いわば上級者向けの切り口である。デュシャンという名前に必ずしもなじんでいない読者のためには、もっと平易でとっつきやすい、いわば初心者向けの切り口で書かれた書物の方が好適であろう。そこで紹介したいのが、『Marcel Duchamp: A Life in Picture』である。洋書である以上万人向けとは言えまいが、内容としては高校生にも読める平易な英語で書かれたバイオグラフィーであるし、またわずか30ページ程度(しかもその半分は図版である)にまとめられているので、少なくとも私の知る限り、日本語で書かれたどの類書よりもコンパクトな入門書なのは確かである。
ちなみに、本書の冒頭でも若干の言及があるが、母方の祖母は銅版画家、また二人の兄ジャック・ヴィヨンとレーモン・デュシャン・ヴィヨンは画家と彫刻家といった具合に、デュシャンの生まれ育った家庭環境は極めて「芸術的な」ものであったようだ。しばしばその反芸術志向が強調されるレディメイドが、実は「芸術的な」環境抜きに成立しえなかった事実は、あらためて芸術の唯名論的な本質を浮き立たせているようにも感じられる。なお本書では、紙数の制約もあるのだろうが、1912年のミュンヘンに関する記述はほとんど皆無。デュシャンの何を重要とみなすのかは、人によって、立場によって大いに変わってしまうものなのである。

『村上隆展 召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか』
『村上隆展 召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか』
『村上隆展 召還するか
ドアを開けるか回復するか
全滅するか』、
東京都現代美術館、2001
 
ところで、デュシャンに深く傾倒している人を俗にデュシャンピアンと呼ぶ。美術界には、自称・他称を問わず多くのデュシャンピアンがいるもので、ときにはデュシャンの代表作「独身者の機械」にちなんで、独身であることをデュシャンピアンの必須条件とみなす悪質な(?)冗談さえまことしやかに語られることがあるのだが、先にTVゲームやマーケティングを引き合いに出して考察した唯名論の問題へと舞い戻ったとき、実際にそう称されているのかどうかはともかく、デュシャンピアンの呼称がこの上なくふさわしく思われる美術家の存在が、否応なしに強く意識されてしまう。言うまでもなく、村上隆のことである。
村上隆に関しては、いまさら何の説明も要らないだろう。今から約10年前、日本画檀から現代美術への参入を果たした村上は、その卓越した造形力と、オタク文化を背景とした挑発的なコンセプトを武器に、多くの批判や毀誉褒貶も何のその、瞬く間に日本を代表するアーティストへと上り詰めてしまった。私自身、既に別の場所でも書いているように、村上の作品や言動には以前からかなり批判的な部類なのだが、それにしてもアートシーンに占めるその大きな存在感まで否定することはできないし、また意外にも(?)今回が国内の美術館での初個展だった「召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか」(及びその展覧会カタログ)が、この異形のアーティストの(現時点での)全容を知る格好の機会だったことも認めておかねばならない。
周知のように、村上はこの数年来ヒロポン・ファクトリーというアトリエを主宰しており、そこでは「親方」村上を慕って集まった多くの若手アーティストをはじめ、デザインや模型制作、あるいはパブリシティなどを担当するスタッフが諸々の作業にあたっていて、文字とおりにファクトリーのような様相を呈している。村上の作品は、デビューの頃よりその工芸的な完成度が高く評価されてきたし、近年ではその完成度は寸分の狂いもないアーティファクトの域にまで達しているのだが、このカタログで多面的に紹介されているファクトリーの共同作業や役割分担を知るに連れ、アートシーンを様々な戦略でかき回す「デュシャンピアン」村上が、一方では日本画壇の徒弟臭を色濃く残したオールド・ファッションなアーティストでもあることが実感されるのだ。掲載テキストが新味を欠いているのは残念なのだが、それでもこのカタログは村上の二面性が反映された格好の手引きだと言えるだろう。

なお諸般の事情もあって、この連載書評も今回でひとまず終了することになったのだが(長い間、とりとめもなく変化する話題にお付き合いいただいた読者諸氏に心から感謝します)、振り返れば約1年半前、この連載の初回で真っ先に取り上げたのが例の「スーパーフラット」のコンセプトブックであったことを、とってつけたように思い出してしまう。村上隆で始まったこの連載が、やはり村上を以って終了する選択の偶然は、われながら今のアートシーンを象徴する事態であるようにも感じられるのだが、さてどんなものだろうか?

参考文献
ティエリー・ド・デューヴ『芸術の名のもとに』、松浦寿夫+松岡新一郎訳、青土社、2001
『マルセル・デュシャン全著作』北山研二編訳、未知谷、1995
ピエール・カバンヌ編『デュシャンは語る』、岩佐鉄男+小林康夫訳、ちくま学芸文庫、2000
『BRUTUS』2001年9月1日号(特集=奈良美智、村上隆は世界言語だ)
『ユリイカ』2001年10月号(特集=村上隆vs奈良美智・日本現代美術最前線)
『BT/美術手帖』2001年11月号(特集=村上隆 召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか)

[くれさわたけみ 文化批評]

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