Interview ai
artscape
間島領一/中村ケンゴ
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この記事は、中村ケンゴがnmp-international 6/25号(1998)
artist file掲載のためにインタヴューしたものである。
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間島領一(まじまりょういち)
ポートレイト 間島領一
1974年から1976年までスペインのシルクロ美術学校で学んだ後、アメリカ、ロサンゼルスのオディス美術大学へ。1981年オディス・パーソンズ美術大学大学院修了。芦屋市立美術博物館(兵庫)、池田20世紀美術館(静岡)、ミヅマアートギャラリー(東京)などで個展。ワークショップも数多く行なっている。
ケンゴ

間島さんは最初、スペインの大学で美術を学ばれていますよね。これはどういうきっかけがあったんですか。

間島

僕は誰かにこうこうしろって言われて習うのが嫌だったからどこかに行ってひとりでやりたかったんだよね。それで最初はフランスに行ってみたんだけど、なんか自分に合わないなとか思って、それでその時たまたまスペインのマドリッドに友人のカメラマンがいたから、じゃあスペインにも行ってみようかなと。そこにシルクロ美術学校(Circulo Bellas Artes)というのがあって、国立だからめちゃめちゃ学費も安い。それに朝から晩までモデルはいるし、しかも毎月コンクールがあってお金が出るのよ。それでここだったら誰にも邪魔されずに勝手にやれるなあと思って、ここでやろうかと。

ケンゴ

その後、ロサンゼルスの大学(Otis Art Institute)に行かれていますが、これまたどういうきっかけなんですか。日本の美大に行こうとは考えなかったんですか。

間島

それも別にたいしたきっかけじゃなくて、親が向こうで仕事をすることになったので、最初はそれで行ったわけ。そしたらさ、ビザ取らなきゃいけないでしょ。でないと滞在できないじゃない。

ケンゴ

学生という身分が必要だった。


日の丸弁当 1995 W330xH250xD75cm

日の丸弁当 1995
W330xH250xD75cm 

 

間島

そう。だからそれでビザ取って、はじめは夜間の学校に通ったりして英語を勉強したりして、あと単位も持ってなかったから他にも学校に行ったし、とにかくビザがほしかったから。それからオディスへ行ったらおもしろくなって、こりゃいいやという感じで。

ケンゴ

結局大学院まで行ってらっしゃいますね。ようするにおもしろかったということですね(笑)。大学ではどういう授業が行なわれていたんですか。

間島

時間にしても講評にしてもわりと厳しかったですね。制作することに関しては本当に自由なんだけれども。実技だけではなくて一般教養にもちょっと変わった先生が多くて、音楽の先生は自分のFM局持ってたりして、彼のFM局行ってそこで音楽を聴いたりしてね、それでそのとき聴いたイメージを絵で表わせとか。あとローラースケート狂いの心理学の先生とか。

ケンゴ

うーん、西海岸な話ですね(笑)。

間島

実技のほうは先生によるんだけれども、例えばすごくフィールドスタディが好きな先生がいて、いつも外で待ち合わせるんだよ。それでいろんなところへ行ってレクチャー受けたりして、すごくおもしろいんだけど講評なんかは非常にきつい。もうケチョンケチョンに言われる。あとジム・ダインが中庭で自分の作品を学生に手伝わせてつくってたりとか(笑)。僕が思うに比較的厳しかったんじゃないかな。うんとサボってるやつなんて3年生まではいられるんだけど卒業はできなくて、トランスファーといって他の学校にやられてしまう。本当に学校からいいのが2、3人出ればいいって考えだから。できるやつにどんどん与えて、できないやつから金取っちゃうという。ただ、僕も出て16、7年経ってるし今は違うんじゃないかな。僕の頃はアッパーディビジョンスクールで単位を持ってないと入れなかったんだけど、今は普通に1年生から取るようになっちゃった。それでちょっとダメになっちゃったね。

ケンゴ

81年に日本に帰国されたということですが、そのときの東京のアートシーンに対してはどういう印象がありましたか。

間島

帰って来たときに紹介者もいてすぐに東京のギャラリーとコンタクトできたんですよ。当時でいえば大きいギャラリーです。でもなかなか展覧会をやらせてくれなくて。

ケンゴ

そのギャラリーと契約されたんですか。


この米誰の米? 1995 Asia city Museum of Art & History

この米誰の米? 1995
Asia city Museum of Art & History

 

間島

いや、その契約というのが日本には無いんだな。契約はどうするのかな、とは思っていたんだよ。ところが無いんだな。でも結構ガードはするんだよね。

ケンゴ

契約もしていないのに「ウチの作家だから」って言うやつですよね。今でもそういう話はよく聞きますよ。

間島

そうするとたまには買ってくれるんだけど僕としては展覧会をやりたいわけだからそのギャラリーを通して、他のギャラリーでやったりするわけ。ところがね、いろいろあってそのギャラリーとはうまくいかなくなってしまった。ギャラリー自体もいろいろあったみたいで僕を担当していた人がやめちゃったんだ。それで僕も浮いちゃったわけ。それに日本がすごいバブルになっちゃって、誰がやっても同じ状態になってしまって、これはやってられないということもあった。

ケンゴ

それで作家活動を休止して店舗などのインテリアデザインをされていたということですが。

間島

そう、そっちが中心だったね。当然ながら子どもももう高校生だったしお金も必要だったしね。とにかくアーティストととして活動しても金は入ったんだろうけど、ギャラリーは浮かれちゃってるし、これはやばいなっていう状況だった。それだったらインテリアの業界も活況を呈していたし実際仕事もおもしろかったしね。そっちを6、7年やって、結構ユニークな仕事もやってたよ。

まあ、本当に僕の作品が評価されて売れるようになるにはこれからも時間がかかるだろうし、大変だろうとは思うけど当時の場合はね、関係無いんだよ。誰でも売れちゃってた。

ケンゴ

間島さんは世代的にみても日本では非常に早くからポップな作品をつくっていらっしゃいましたが、同世代の作家達、多分「もの派」あたりの人達になると思うのですが、彼等との間に何らかの交流はあるのでしょうか。

間島

その当時にもいろいろあったんですよ。まあ、前衛の派閥みたいなものだよね。僕は何かグループに属したりそういった活動みたいなものって好きじゃないんですよ。それで一緒になってみんなで話すことはなかったから、ちょっと僕にはわからないんだよね。

それからやっぱり僕のはこういう作品だから彼等にとってはアートとは認められない存在なわけだよね。相手にしてもらえなかったというほうが正しいかもね(笑)。

ケンゴ

でも96年くらいから華々しい復活をして(笑)、ここにきて間島さんの活動は俄然注目されていると思いますが。


ミートパイ 1996

ミートパイ 1996

 

間島

そうだね。やっぱり嬉しいですよ。
それで彼等の中の二人くらい、著名な作家ですよ(笑)、が「マジマート」(1997年11月から翌年1月まで東京のミヅマアートギャラリーで開催された個展)を見に来てくれたんだよね。僕は彼等と扱ってる画材屋が一緒なんだけれど、その画材屋さんが言うには彼等のアトリエに「マジマート」のカタログがあったらしいんだ。それで絶賛していたって(笑)。えー!?と思ったけれど、相手にされなかったことを思えば彼等も少しは見る眼がでてきたのかなと思ったけれど。

ケンゴ

間島さんは美術館での展覧会の他にワークショップもたくさんやられていますよね。一度東京現代美術館で行なわれたワークショップを拝見したことがあるんですが、参加していた人達、大人も子どもも含めて非常に熱心にイキイキと取り組んでいたのが印象的でした。

間島

僕等の若い頃といったら美術館というのは非常に神聖な場所でね、一人じゃとても嫌だっていう、今だってそういうところはあると思うんだけど、これからはそうではなくて誰でも気軽に行けるところにしなきゃいけないと思う。ワークショップっていうのはそのためにあると思うんだ。だからやってくださいと頼まれたら断わらないよ。でもワークショップというのはやっぱりすごく難しいし大変なことだよ。例えば子どもにしても3日なら3日、集中力を持続させることというのは大変なわけです。だけれども彼等も僕等と同じで、作品ができあがったときの充実感とかね、あと僕はそのできた作品を美術館に展示する期間をつくってほしいってよく言うんだけど、そうすると嬉しいわけじゃない。お父さん、お母さんにも自慢して見せられる。そうするとすごい自信につながるし、その子の作品があるということでたくさんの家族の人が来るわけでしょ。そうすると美術館ってこういうこともやるんだということがみんなにわかる。そうやって少しずつでもいいから広げていかないと美術界という狭い世界だけでシャンシャンとやっているだけだということになってしまう。


パイめん 1996

パイめん 1996

 

美術館というのは人が来ないとしかたがないんだからワークショップだけじゃなくて、もっといろいろなイベントをやるとか、エンタテインメントとして機能する部分が無いと一般からどんどん離れていってしまう。もっとおもしろいことやらないと。でもこういう考え方って美術関係者になかなか受け入れられないんだよね。

ケンゴ

作品についてもお聞きしたいのですが、間島さんは主に「食」をテーマにした作品をつくっていますよね。人間の生理的欲求として性であるとか食であるとか睡眠ということもありますけれど、アートの場合、セックスの問題については非常によく扱われています。でも「食」に関することを表現しているアーティストって意外とあまりいないと思うのですが。


ヌードルガール 1995

ヌードルガール 1995

 


ヌードルボーイ 1995

ヌードルボーイ 1995

 

間島

何故、「食」についてそんなに感心が無いかというと、食べるという行為というのは生まれてから死ぬまでずっとやってるわけですよ。

ケンゴ

そうか、セックスというのはある程度学習しないとわかりませんものね。

間島

あれは獲得しなきゃいけないからね、ドラマチックなんだよ(笑)。

ケンゴ

食べるというのは、あまりにも日常ですものね。


マジマフライ 1996

マジマフライ 1996

 

間島

そう。でも日常という意味で考えると食べるというのはポップなんだよ。
「食」というテーマに徐々に移ってきたというのはどういうことかというと、まずひとつ言えることは今まであまりやられていなかったということ。それだけにどうやったらいいかってこともわからない。小説とか映画とか音楽というのは「食」はわりとあるんですよ。それはよく考えてみるとみんな動くんだよね。動いてストーリーを展開しているわけです。小説でも何でも。それを美術でやる場合、もちろん動いてもいいんだけど、ポン、と一点で表現するのは難しい。

ケンゴ

例えば日の丸弁当の作品がありますが、ミニマルな表現、そして政治的なイメージもそこから受け取ることができるというストレートかつ多義的な作品だと思うのですが。


マムマム 1996 平塚美術館

マムマム 1996 平塚美術館

 

間島

非常にポップなイメージもあるでしょ。
そういうことをだんだん見つけておもしろくなってきた。それで今は「食」というのが自分のメインテーマのひとつになると思ってるし、これからたくさんのやつがくっついてくるなっていうのがわかる(笑)。これは日本だけじゃなくて「食」というテーマは世界的にも重要なスポットになると思う。

ケンゴ

オーストラリアで現在開催されているグループショウ(間島はこのインタビューが行なわれた時、シドニー現代美術館の "EAT! the food exhibition" に出品していた)に出品されていますが、日本の美術館で展覧会をやるときと比べて何か違いというのは感じますか。

間島

まず、美術館の運営のされ方自体が非常に違うよね。大きな美術館にもかかわらずキュレーターの数が非常に少ない。4、5人くらいかな。でもスタッフは100人以上いるんだ。

ケンゴ

キュレーターはキュレーションだけに集中できるという事ですね。


マムマム 1996

マムマム 1996

 

間島

そう。あと館長自体がぜんぜん違うなって感じましたね。いろんな日本の美術館で展覧会をやったけれども、展示中に館長が出てくることなんてないもの。例えば作家は来なくて作品だけ来てるということもあるでしょう。そういう展示に対してもすごく厳しく鋭い目でチェックしてるんですよ。

ケンゴ

日本の美術館ではそんなことなかったですか?

間島

ない、ぜんぜん。少なくとも初日の始まる前から朝早く来て全体を見まわした後、「いい展覧会ができた。私は嬉しい」なんて作家に言いに来るあの微笑みは今まで見たことはなかったね(笑)。新鮮だったよ。


ハイグレード 目玉焼テーブルセット 「この子誰の子? 」1995 Asia city Museum of Art & History

ハイグレード 目玉焼テーブルセット
「この子誰の子? 」1995
Asia city Museum of Art & History

 

(東京、大田区のアーティストのスタジオにて)
近況

ベテランから新人作家まで、約40人のアーティストの未完成作品に手を加え修繕した作品を展示する「間島領一の修繕アート」がギャラリーユマニテ東京にて開かれる。2月現在、様々な技法や素材でつくられたアーティストの作品を修繕中のため、間島氏は毎日スタジオにカンヅメになっている模様。

間島領一の修繕アート
会場:ギャラリーユマニテ東京
   東京都中央区銀座1-8-2 銀座プルミエビル4F
会期:1999年3月7日〜3月27日
問い合わせ:Tel: 03-3564-4350

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