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香川  毛利義嗣
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report大竹伸朗 ワークショップ−既景 既にそこにあるもの−

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既景


 大竹氏はこれまでほとんどワークショップを行ったことがなかったそうで、今回の内容については、両日とも午前中はトーク、午後は「本」のようなものを作る、という大枠は少し前から決めていたものの、具体的な作業の段取りはかなり間際になって決まった。 で結局、参加者がそれぞれ、雑誌とかチラシとかの印刷物を持参し、それを出し合ってバラした上で、お好みのものをあらためていくつか選ぶ。それを約10センチ×1 3センチの大きさにカットしたものを30枚ほど作り、二つ折りにし、重ね合わせて糊付けしていく。さらに表紙を付けて横の3面をカッターで裁ち落とすと、10センチ×6.5センチ、60ページほどのミニブックができる。これにさらに、自分が路上かどこかで拾ってきた何か気になるモノを糸で結びつけると、一応完成である。というわけで、予想に反してというのも何だが、かなりかっちりしたものが出来上がった。
 素材を持ち寄り、講師の示すフォーマットの中で各々が何かモノを作る、というオーソドックスというか実にストレートなワークショップになったのだが、これが意外におもしろい、ということに作業を始めて間もなく気付かされた。本のフォーマットをかなり細かく決めたことで、自由なといえば聞こえはいいが、たいていは退屈な余分な工夫だの想像力があらかじめカットされ、とりあえずそこに在る素材をどうするか、という目と手の作業に集中させられたように思う。また、同じ時間同じ空間で20名ほどが似たような作業を行ったわけだが、なごやかというよりも、講師も含めて結構互いに緊張しつつ牽制しあっている、といった感じの雰囲気が漂っていた。もちろんこれはアーティストによるところが大きいし、今回について言えば、午前中のトーク、すなわち、近年の大竹氏の作品のモチーフになっているような様々なモノたち、イカ神社とかワニのイチローとか「生外電」とかニューシャネルのドアとかのスライド、あるいはドリャーおじさんや山塚アイ(現EYE)のパフォーマンスのビデオとか、彼の感覚になぜか切り込んできたモノについての話によって、制作のスタンスが相当程度伝わっていただろうことも、何というかある種ストイックなワークショップになった理由かもしれない。
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会場:高松市美術館(香川県高松市紺屋町10-4)講座室
日時:2000年3月19日〜3月20日
定員:各20名(先着順 中学生以上)
問い合わせ:tel. 087-823-1711/1730

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report学芸員レポート[高松市美術館]

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 さて、以下は余分な話になるが、鳥肌実というマイナーな(なぜか「女性自身」で紹介されていたが)芸人を知っているだろうか。ソロ・パフォーマーといってもいいが、ネタの内容はといえば、「打倒自民党、打倒共産党、くたばれ公明党でございます」(ママ)だとか「僕の夢は、自分の国を持つことです」だとか、まあ電波系右翼ナルシストのスタイルを借りた街頭演説芸などを得意としていて、私が聞いたのは昨年発売された「鳥肌黙示録」というCD(入手可能かどうかは不明)のコピーである。ワークショップの時に大竹氏が「や、あいつはスゲエよ」といったような感じでこの芸人のことを教えてくれたわけだが、実際に聞くと話から想像していた芸風と少しちがっていて(もっと勇ましいモノかと思っていたが)、何度も聞くにつれ、しみじみとショボい怖さを感じてくる。ちょっとしたイントネーションとか声のトーンとか音楽とか、たぶん結構作り込んでいるのだろうが、狙いとは微妙にズレていく部分や、どこかなげやりなところがかえって脳のシワに入り込んでくる。いずれにしてもテレビでは到底かけられないようなネタであって、で、何がいいたいのかといえば、世の中にはこの鳥肌のように、あるいは山塚のように 、一時期の飴屋のように、当人の意識はどうあれ、アートにもマネージメントにも決して掬い上げられはしないがどうしようもなく作られたり行われたりしてしまう極めて濃厚なモノがあるということで、それらに接する度に私は、アートマネージメントの今日的な意味といったことを考えるのも有意義な作業ではあろうが、そういう考察の抽象性にやや飽いている自分を強く感じてしまう。
 
 と、ここまで多少歯切れ悪く書いた文章をartscapeテスト版のページ上で確認しつつ何気なく郵便物を開けたりしていたのだが、あるギャラリーのグループ展のパンフの中に驚くべき物件を見つけてしまい、見解をやや修正する必要を感じた。以下そのテキストの全文である。
 
 
下を見たらキリがない(捨題)
 本企画の参加作家を選んだのは私ではないので、これはわが「日本」の、特に若手の現代(前衛的という意味です)美術家諸兄姉一般に向けたものとします。
 いうまでもなく、わが国の現代美術家をめぐる状況は厳しい。マーケットは貧弱。みなさんの多くが発表の場とする「貸画廊」は、この国の美術関係者自身から蔑まれがちです。しかし、そうしたすべてを足しても、みなさんが絶望し、自嘲していい理由にはなりません。わが国の特殊性や矛盾は、文化と社会のあらゆる面にみられます。つまり美術以前の問題です。美術はそんなものを吹っ切らねばならぬ。コンプレックスは捨てましょう。そもそも世界には、わが国より状況の悪い国が圧倒的に多いのです。貧しく、人権も自由もない。画材も画廊も作家向きのアルバイトも、乏しい国が大半です。それだけでも「日本」に感謝し、国を愛する十分な根拠です。もし納得いかないなら、どこへでも出国し、徹底的に「日本」を絶てばいい。それでも結局、人はあなたを「日本」の作家とみなすでしょう。だから「日本」とは愛想よくつきあうか、さもなくば忘れていたらいいのです。
名古屋覚(なごや さとる 美術ジャーナリスト)
−ギャラリイK「知性の触覚 日本・25人」(2000年5月8日〜20日)パンフレットより−

 
 
 こうして書き写していても辟易してくるが、物を書く人間であれば当然持っているべき最低限の教養も言葉に対する敏感さも欠くこのグロテスクかつオイオイ大丈夫ッスカ的な文章を目にした私は、ひょっとしたらこれはあえて反面教師を装ったものかと疑い一応画廊に確認したが、そうではなく日頃感じていることをストレートに書いたものらしいということが分かって、腰が抜けそうになった。鳥肌実が「芸」としてやっていることをマジモノでやられ、こともあろうに「美術ジャーナリスト」の名において堂々と世間に流通しているとは確かに、「美術家をめぐる状況は厳しい」といえる。「絶望し、自嘲」する美術家に同意せざるをえない、ともいえる。「お前は天皇か」と一言だけツっこんでおけばいいのかもしれないが、しかし、美術が文化や社会と無関係な場所で成立しえると信じてしまう能天気な「美術」信仰、「国家」を隠れみのに舞い上がる鼻もちならない権威主義(「下駄を履いているなら下駄を愛せなんて、バカ言え。」という宮台真司の秀逸な喩えが思いだされる)、江戸時代にタイムスリップしたかのような露骨な差別観(「下を見たらキリがない」などとは、最大限譲歩しても、自分が自分に対してしか使えない言葉のはずだ)など、本人は勇ましいつもりなのだろうが、その実、自己の脆弱さを丸出しにしてなおかつそれを客観視できないこの手の放言の発話者にはやはり、欧米および美術家および知的思考および何より「日本人であること」に対する(以上推察)「コンプレックスは捨てましょう」と言っておいてあげるべきだろう。「人はあなたを『日本』の作家とみなすでしょう」、そうかもしれないしそうでないかもしれない。だから何? たぶん「日本国」のパスポートによって守られているんだから国に文句をたれるな、と言いたいのだろうが、たかだか一冊のパスポートによって人のアイデンティティが決定されている現状がどこか狂っている、と感じるのが正気というものではないのか。
 以上の私の感想は、グループ展の内容とかギャラリーとか美術家(氏名と作品写真一枚の他は何らの発言もデータもパンフに掲載されない上に、冒頭にあの文章を載せられた出品作家には、まったくお気の毒さまと思う)に対するものでなく、あくまで、この美術ジャーナリストを名乗る人間のこの文章に関するものである。念のため。
 というわけで、現在「アートマネージメント」として行われている活動については私自身も含めて確かに疑問も異論もあるが、それでもやはり、上のような種類の暴言、つまり「美術」や「社会」が妄想に近い観念の中で空回りしている有害な言説がそれらの活動の実践性によって減少し、いくらかでも具体性を伴った水準で議論が成立していく契機となるのであれば、まったくもってよろこばしい、基本的には全然OKッスネ、というのが(前半とやや調子が違ってしまったが)とりあえずの今回の意見である。

鳥肌黙示録
問い合わせ先:Tel. 03-3481-9537 ことり事務所

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