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兵庫 江上ゆか
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exhibition居留地映画館−光と影の街散歩

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居留地映画館−光と影の街散歩

Slit
 旧居留地は近代に入り神戸港が開港した後に、外国人が居留する街区として整備された都心の一角で、いかにも港町らしい近代建築が、震災を経てもいくつかは持ちこたえ、古きよき神戸の面影を偲ばせる地区である。この旧居留地を舞台に9月の15日と16日の2日間に渡り、神戸21世紀復興記念事業の一環として「居留地映画館」というイベントが開かれた。企画・制作は旧居留地を拠点にいくつものアートイベントを開いてきたC.A.P.。復興イベントにふさわしく、2001人の巨大笑顔をプロジェクションする「bigsmile2001」から、キッズ謹製アニメの上映会、米朝一門による錦影絵なんてシブイものまで、盛りだくさんの内容。時間の都合で私は一部の作品しか見ることができなかったのだが、非常に充実した内容で印象に残ったのでレポートしてみたい。
 夕方から参加の私が目にすることの出来たのは、「ビルとビルの谷間や、空き地など都市のすき間で、9組のアーティストが、映像作品のプロジェクションや光と影によるインスタレーションを行」う、「スライド・ショー」の作品が中心だった。地図を片手にうろうろ歩き、最初に見つけたのは佐藤時啓+WanderingCameraの「漂流するカメラ(家)」。文字通り移動するカメラ・オブスクーラ。大きめの車ぐらいの箱に乗りこむと、潜望鏡のようにまわる天井のピンホールが、周囲の景色を写し出す。夜景であっても都市のそれは、街灯や信号機、車のヘッドランプから歩行者まで、暗室の中に想像以上にくっきりと浮かび上がることに驚く。見慣れた景色が眩暈のするほど美しい映像にかわり流れてゆくさまに、一緒に乗りこんだ(通りがかりらしい)おっちゃんおばちゃんからも溜息と歓声があがる。簡単な仕掛けであっと驚かせてくれたのは高橋匡太+川口玲子の「書割空間」。ドット状のライトでビル全体をすっぽり包みあげていた。網タイツで包まれたかのような奇妙なビルの姿に、道行く人も思わず振り返っていた。田尻麻里子の、人物の足が卵の殻を踏みつけるシーンを繰り返す映像作品は、以前にWPOで見たものよりも、画像の乾き具合と卵の殻を踏みつける音に鋭さを増し、より攻撃的に映った。空間と作品との関係が光っていたのは木村望美。猫の通り道のような、文字通りのビルのすき間に、下から光を浴びて回転する透明な花のオブジェを設置。ひそやかに揺れる花の影は、見上げたビルの壁の、気が遠くなるほど上にまで伸び、その先に切り取られた空にまで、遠く視線を連れていってくれた。点滴のように液体を少しづつ垂らし「蛍光発光」させる少年少女科学クラブのガラス管(液体の名前や、発光のしくみなど、丁寧に教えていただいたんですが、すっかり忘れました……すみません)も、ビルの狭間の闇で秘密めいたあやしい美しさを放っていた。
 また「スライド・ショー」とは別枠で、ビルの壁をスクリーンに巨大縦長アニメーション「build」(永田武士+モンノカヅエ)の上映も行われていた。マッドに歪んだ日用品の巨大テトリスの中で、逃げまどう男。積んでは壊れてゆく妄想の世界は、時事的な出来事のせいで余計に印象に残っているのかもしれない。
 オフィスとショッピング街が中心で、都心であっても決して繁華街ではない旧居留地一帯は、昼間の賑わいとは対照的に、夕方以降、独特の静かなざわめきの中に沈む。そんな旧居留地の夜に、光の作品がぽかりぽかりと浮かび上がった。何年もこの町で活動を続けてきたC.A.P.らしく、町の空気としっくりとなじむ、それでいて作品の輪郭線がくっきり感じられるイベントだった。
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居留地映画館−光と影の街散歩
会場:神戸市中央区旧外国人居留地
日時:2001年9月15日(土)・16日(日)12:00〜22:00
主催:「居留地映画館」実行委員会
企画/制作:C.A.P.(芸術と計画会議)
問い合わせ:Tel. 078-230-8707 [CAPHOUSE内]「居留地映画館」実行委員会事務局

スリット・ショー:岡本英揮/木村望美/佐藤時啓+WanderingCamera/少年少女科学クラブ/
         高橋匡太+川口玲子/田尻麻里子/屋台主義/るさんちまん/渡部裕二
BUILD:永田武士+モンノカヅエ

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exhibition夏休みの展覧会――いのちを考える 北山善夫と中学生たち

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いのちを考える 北山善夫と中学生たち1


いのちを考える 北山善夫と中学生たち2

 今年もいわゆる夏休み企画と呼ばれる種類の展覧会やワークショップが、関西の美術館、博物館でも多数開かれた。教育担当学芸員のワーキングスペースをいきなり展示室に持ち込んじゃった芦屋市立美術博物館の企画にも度肝を抜かれたが、とにかく考えさせられた展覧会として、伊丹市立美術館の「いのちを考える 北山善夫と中学生たち」について触れたい。
 なにしろテーマが「いのちを考える」である。こんな重いテーマを正面きってとりあげるところが、まず凄い。私なんぞが申し上げるのもおこがましいが、どんと腰のすわった展覧会をいくつも開催してきた、伊丹の美術館でこその企画だと思う。
 展覧会は2室を使っていて、1室には北山善夫の作品を展示。土塊の人物や、宇宙をモチーフにした、緻密な描写の平面作品である。もう1室には伊丹市内の中学生を対象に北山を迎えて「いのち」をテーマに開催したワークショップで、制作された作品が展示されている。
 床から天井まで壁一面に新聞記事とエンピツ描きの絵。北山が長年わたり切り抜きを続けている新聞の死亡記事から、中学生がそれぞれに選び出し、その「死」を絵にしたものである。素直すぎるくらい逐語的に記事の内容を絵画化したものや、達者ではあるが劇画的で類型化した絵がいくつか目につき、今どきのイメージ環境というものを改めて考えさせられるが、何よりショックであったのは、「死」を単なる「死」以上に、人が人を「殺す」という問題と捉え、絵にしている生徒が多かったことだ。まあこれも、新聞に載る「死」の多くが、人を人が「殺す」ことによる死である、その多さを示している「だけ」なのかもしれないが……。絵と並んで、ところどころに原稿用紙も吊されている。自分がどんな場面を選び、どんなことを考えて絵を描いたのか、中学生たちの文章が綴られていた。疲れた、とか、もうこんなことは考えたくない、という正直な感想も。そして実はこうした感想こそ、結果はどうであれ中学生たちが自分たちなりに、北山の存在をきっかけに、自分の内側に向かいぎりぎりまで想像し考えたのだという、その制作のプロセスを何よりも生々しく語っているように感じられた。  天井からは、北山の立体作品(「天使の椅子」)と、やはりこれを契機に生徒たちがワークショップで制作した「死者への贈り物」のオブジェが吊り下げられていた。
 というように、ワークショップの、いわば結果が展示されていたわけだが、ワークショップが終わった後に、ワークショップの結果を展示することはできても、ワークショップそのものを展示することは不可能である。そして(特に美術館の)展示というものは、どうしても静的な要素が強いものである。だが参加者の間で、あるいは参加者の中で、なんやかやが起こっている、その動きこそワークショップの醍醐味であるだろう。ワークショップのプロセスや、動き続いてゆく感じを、どのように展示におりこんでゆくのか。この展覧会では、私にとっては生徒たちの作文が有効な鍵となったと思う。フツーの―参加者の家族や友人ではない、いわゆる関係者でもない―お客さんたちの場合はどうだったのだろう。
 伊丹市立美術館では、この「いのち」というテーマによる企画を、今年から3年わたり続けて開催を予定しているそうである。しかも来年度以降は美術家以外の、思想家や科学者といった人たちとのワークショップを予定しているという。来年度以降、ワークショップと展示との関係は、ワークショップが作品づくりに収斂してゆく今年以上に難しいものになるだろう。また、夏ごとの特別な体験を、そのほかの時間とどのように地続きにしてゆくかという問題もあるだろう。いったい来年はどんな「展覧会」を目にすることが出来るのか。ただ「楽しみ」という以上の期待を抱かせてくれる企画である。
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夏休みの展覧会 いのちを考える 北山善夫と中学生たち
会場:伊丹市立美術館  兵庫県伊丹市宮ノ前2-5-20
会期:2001年8月11日〜9月24日
問い合わせ:Phone.0727-72-7447

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report学芸員レポート [兵庫県立近代美術館]

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 まずはインフォメーションをさせてください。9月24日をもって私の勤める兵庫県立近代美術館は移転準備のため休館に入りました。来年4月の新館オープンまで半年間は、6000点の作品の引越準備をはじめ(当然ながら引越らくらくパックてなものはありません)、新館のハード・ソフト面の準備に入ります。
 そして触れずにはおれないテロのこと。前号で高松の毛利さんが挙げておられた以外に、こんなサイトも、ネット上では話題を呼んでいるようです。ネット上でマスメディアで流れるものとは違った種類の情報が発信されていることは、非常にありがたい。知らないこと、見えていないことの怖ろしさに、驚きと反省を新たにしています。しかし結局は、冷静な判断と、そして何より想像力こそ大切なのだと、これは美術に関わるものとしての自戒もこめて……。
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