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特集=アートカフェ対談
熊倉敬聡+小山田徹
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コミュニティとしてのカフェ、ノードとしてのカフェ

 
コミュニティのとしてのカフェ
コミュニティのとしてのカフェ
 


熊 倉
……最初にアートカフェの具体例として、小山田さんが現在運営に参加している「バザール・カフェ」について話していただけませんか。
小山田……「バザール・カフェ」は、これまでさまざまな社会活動をやってきたグループの共同のミーティング・プレイスの一つであって、「コミュニティの中のカフェ」という形で運営しています。ここに関わっている人達はケア・サポートとかノウハウ、あるいはそれぞれ現場をカフェに持ち込むことで、社会とリンクする。バザール・カフェはその場所であるわけですね。だから、アーティストは、「アーティストとしての現場」を持ち込むことになっている。
熊 倉……アーティスト以外にいろいろな人達がいるわけですね?
小山田どちらかといえばアーティストは少数派ですね。ただ、いわゆる喫茶店やカフェと呼ばれるものと違うのは、やはりアーティストが何らかの形で参加しているからで、大きな影響を与えていると思います。けれども、「アートカフェ」という名の下に、「バザール・カフェ」が語れるかというと少し違うような気がします。僕自身は自分の現場を持ち込むということで参加していますからアートとの関係はありますが、バザール・カフェにとってはそれは大きな問題じゃないです。
熊 倉……バザール・カフェのように、人が集まって飲食をともなう空間が、アーティストの活動の一部になっているのは、例えば過去に、京都で「ウィークエンド・カフェ」がありましたよね。あの場合はアーティストの関わる度合いがもう少し強かったし、アーティスト同士の交流も積極にやろうという意志があったように記憶しています。最近アーティストがこういう場をつくろうしたり、それが増えているような気がするのは、既存のアートの枠組みや制度に飽き足らないかで、彼らはさまざまな出会いを欲しているわけですね。
小山田……バザール・カフェに参加しているのは、例えば、医療関係、看護婦、身障者、患者会、フェミニズム運動の関係者、庭師、あるいは大工さんやそれこそふつうのおじさん、おばさんまでものすごく広いんですね。面白いのは、それぞれが属している職業社会の立場から、カフェについて興味を持っていることです。僕はここでバザール・カフェをやっているんだけれど、アートという業界からは「アートカフェ」ってなんだろうという問いがある。医療業界の人達は、新しい福祉の形態として……医療の現場がさらにコミュニティの中に入り込んだような……「コミュニティ・カフェ」の活動として興味を持っている。建築業界の人は、建築としてカフェをもう一度捉えなおしたいといいます。熊倉さんが仰ったように、いま「アートカフェ」というものに関心が集まっているのだとしたら、いま言ったような動きとも関連するかも知れません。だとすると非常に面白いですね。
熊 倉……アートだけがカフェのような場を求めているわけではない。バザール・カフェはそういった様々な動きの結節点(ノード)として機能しているわけですね。

●バザールカフェの誕生


小山田徹氏
熊倉敬聡氏
▲小山田徹氏
▼熊倉敬聡氏


小山田……ヨーロッパにはかつて「アートカフェ」と呼ばれるものが今世紀初めから1920年代にありましたよね。その後現在に至るまで、世界各地にそうした「カルチュラル」な……あくまでカルチュラルな……カフェはいくつも存在しているような気がします。しかし、僕がバザール・カフェのヒントにしたのは「コミュニティのカフェ」なんです。「お茶呑み場」。それは、デンマークやヨーロッパに行ったときの老人コミュニティとか、さまざまなグループの結節点としてのカフェなんです。それが刺激になって「あ、この方法はいけるんちゃうかな」と、ウイークエンド・カフェやバザール・カフェを始めたわけです。
熊 倉……僕は2年間ニューヨークにいましたが、つまらなかったのはカフェがなかっということですね。ダウンタウンにヨーロッパスタイルのオープンカフェが少しできたくらいで、あとはスターバックスしかない(笑)。なぜニューヨークはカフェを必要としないか……そのとき思ったのは、ニューヨークって資本主義の坩堝だから、1時間も2時間もゆっくりお茶するなんていう非生産的な時間や暇がないんです。
小山田……クイック・カフェで十分ということですね。
熊 倉……だからテイク・アウトして歩きながら飲むという形式になってしまう。
小山田……僕がデンマークや北欧にいって感じたのは「人間暇をつぶすときはどうするんだろう」ということです。例えば病気になったときや老後、シングルになったときの時間の過ごし方はどうすればいいんだろうということです。多分デンマークや北欧は国家をあげてそういうことを考えたんじゃないか。そして「集まる場所を作る」ということになったんじゃないか。僕がバザール・カフェを作る大きな動機は、関西では10年ほど前からエイズのケア・サポートやさまざまな福祉の授業をインデペンデントでやる人達が増えてきたことに[起因します]。でもその人達はどんどん忙しくなり、しかもサポート体制は制度としてはあまり変わらず人間の種類も増えず、したがってそういう活動をする人達がかなりの疲労とストレスを抱え込んだまま物事を進めなくてはいけない事態になった。それを解決する方法も制度的にはみつからなかったんですね。そんなときに、グチでもええから、別の活動ではあるにせよ同じベースを持った人達が集まる時間と場所を自分たちで獲得するのが一番近道違うか、という話になったんですね。そのとき僕たちが先行してやっていたウィークエンド・カフェのノウハウをそれにつなげたんです。それはやはりみんな時間と出会いを必要としていたということですね。時間を求めるためには何が必要かといえば、自分の職業性、ラベルというのを一回はずさないと時間ができないんです。私は何々であるということを明確に表明しなくても人と出会える場所。医者さんではあるけれど皿洗いもできるしコーヒーも飲んでいる、でもお医者さん。それが会話している中で医療的な問題に出くわし専門性が必要になったときにたサジェスチョンできる立場になる。そういう意味で、カフェは一番有効な場所であるということなんです。
熊 倉……カフェが面白いと思うのは、街路とは違って人の出会いが完全な偶然性によるのではなく、ある潜在的なプログラムのようなものに惹きつけられて人々がやってくる、ということなんですね。だからそこでの出会いがある種偶然であるにせよ、出会う人たちは意識下でその潜在的なプログラムを共有している。カフェはだから、合理的に仕組まれた組織的な空間でもなく、出会いが純粋に偶然的な公共空間でもない。それは何か「中間的な」空間、潜在的なプログラムを宿した空間なんですね。
小山田……多分バザール・カフェは、最初は15人くらいの企画者がいた。それは15の理念があるということですね。それをまとめようと思っても絶対にまとまらない。それぞれの魅力部分、楽しみの部分が集まって、はじめてひとつの塊としてのカフェになるんですね。どの仕事においても、人と出会ってそこから学んだり、喜びを共有したり、そういうことはすべてにつきまとっている共通の出来事ですから。しかもたまたま集まってきたメンバーは、それまで2、3回組織を作っては失敗した人達が集まっているわけですから、同じ轍を踏みたくないという意識が強かった。ほとんどの場合、理念化と組織化を同一視してしまうことから失敗するわけです。活動が拡大していけばいくほど、さまざまな人間が加わってくるわけだけれど、それを統制するために理念が強化されなければならない。ルールやシステムが強化されて、おもしろくなくなっていく……そういうことを繰り返してきた人達だった。だからこそ、楽しみの部分を優先しようとなり、カフェというかたちが出てきたわけです。人にサーヴィスを提供することもできるし、経済的自立を目指すこともできる。もちろん人材的な交流もできる、と。もちろんこれから先の問題として、例えば福祉事業というところをクローズアップしたときに、ボランティアを維持するために制度を強化していくことになるとしたら、理念がまたついてくるかもしれない。ただ、とりあえずのスタートとしては、カフェというかたちが最適だった。
熊 倉……いちばん幸福な人の集まり方ですね。
小山田……瞬間的にはそうかもしれません。たまたまうまく組織化できたんだろうなと思います。

●カフェと地域貨幣

バザールカフェのポストカード
バザールカフェの地図
▲バザール・カフェの
ポストカードと地図


熊 倉……ふつう経済学的には、サーヴィスは労働力の商品化としてしか語られないけれども、悦びをもたらすものとしてサーヴィスを見直すということは、いま非常に重要だと思いますね。
小山田……バザール・カフェにしても、他のアートカフェにしても、参加してみたいという人がどんどん増えているのは、おそらく生産や流通といった仕事に携わっている人達が商品経済に疲れているせいではないかと思うんです。だからこそ、非物質的なサーヴィスのやりとり……自分が与え、受け取り、それがどういう等価値をもつのか、もう一度確認したいという欲望が高まっているのかもしれませんね。
熊 倉……最初、バザール・カフェの話を聞いたときに、ただ人が集まってコミュニケートするだけではなくて、モノやサーヴィスを現実に交換する計画があるんだと聞いて、非常におもしろいと思ったんですね。実際、あるコミュニティにおいて、ふつうモノは商品として資本主義的に交換されるわけですが、カフェという結節点を通して、ある非資本主義的な交換の回路を作っていく、そういう意味で言っていたわけでしょう?僕自身は地域貨幣に関心があるのですが、あれにしても価値が増えていかない、資本主義のグローバリゼーションとは違った経済の回路を作ることにもつながっていくと思うんです。
小山田……このあいだ藤浩志さんというアーティストが、福岡の方の商店街の再生計画で、子供達を主体としたフリーマーケットである「子供ショップ」というのをやったんですって。それは完全な物々交換なんですが、交換する物がない子供のためには工房があって、そこでいらなくなった物を組み合わせて何か価値を作り出すらしいんです。その作り出された物1個に対しては、スタンプが1個貰える。それは地域貨幣と同じなんですね。そのスタンプは[別の物]と交換できるわけですから。子供達は大興奮して、スタンプ欲しさのためにバンバン物を生産したらしいです(笑)。そうした、商店街の中にフリーな時間と空間をもった場所を存在させるということは、いまここで話してきた「カフェ」に近いんじゃないかと思う。それはターミナルとか結節点に変わっていくものでもあるんじゃないかなと思います。
熊 倉……今、バザール・カフェでモノやサーヴィスを実際に交換しているんですか?
小山田……制度的には存在してないけれどみんな勝手にやってる。いらない物は誰かがもって帰るし、畑に何かできれば消費されていきます。例えば「庭いじりしたいから、バザール・カフェで働かせてくれ」っていうようなこともあるんです。庭いじりが楽しいので、その対価としてとしてバザール・カフェで働くというのは交換なんです。あるいは人材交換というのもあります。どこかの福祉学科の学生なんかが来ていると、それは実習生として拾われていくわけですね(笑)。そういうことは勝手に起こってしまう。これがややこしくなると「登録制度」や「貨幣制度」が出てくるんだろうけれども、最初からはそれを設定しないで、ギリギリのところまで踏ん張っとこかなと思うんです。やはり制度やシステムを創設する人間がどうしてもパワーを持っちゃうでしょう。<
熊 倉……人の集まりの中で必然的に自生してくる、それが重要なんですね。
小山田……そうですね。なんとなくムーヴメントが1〜2年刻みくらいであるんです。強力な磁場を持った人間がいたりすると、その人のカラーで活動が始まったりする。でもそれは持続するわけではなくて、また誰かが出てくる。その中で微妙に「制度化」されたものが修正されて、それが繰り返されていくのであれば、長続きしそうな気がします。
熊 倉……ある場所や仕組みが必要になってきたときには、それがなんとなく自然に生まれてくるということが重要なんですね。日本でも地域貨幣が注目されているみたいですけれども、下手をするとコミュニティ自体がその制度を必要としないにもかかわらず、「いま、流行ってる」とかいって、自治体がシステムとして勝手に導入してしまうというような危険性がありますよね。
小山田……地域貨幣についてはすでにコンサルやプランナーといわれる業界ではノウハウとして共有財産として持ってますね。でもそれはホントに貨幣か?っていう気がするんです。
熊 倉……多分地域貨幣と呼ばれているものは、資本主義的な貨幣から、ある全く別の交換なりコミュニケーションの媒体となるものへの過渡的なものなんですね。
小山田……これはアメリカのコミュニティの中から最初に設定されて出てきたものだと思うんですが、なんかクリーンなイズムを感じるんです(笑)。
熊 倉……ピューリタン的な?
小山田……人間てホントそれで始末がつくのかな? もっとゴチャゴチャするはずで……コミュニティというのはそういうゴチャゴチャが唯一存在できる隙間のような気がするのに、ここに独自の貨幣制度を持ち込むのはどうなのか。ある種の善的なイズム、理念でしょう。僕はもう少しいい加減でもいいのかなと思うんですが。

●アートカフェのアーティスト

★地域貨幣については
他に以下のWebサイトの
記事を参照。
1――『Webmag』38号
「地域通貨の可性」
2――『HOT WIRED JAPAN.Matrix.vol.22.16.
May 2000』
「もう一つの経済システムの
試み」
●西部忠インタビュー
「地域通貨LETSが持つ意味」


熊 倉……バザール・カフェに参加しているアーティストについて少しはなして貰えませんか。
小山田……バザール・カフェにいるアーティストは……建築家やデザイナーも含めて……自分たちのことを「用務員」と呼びたがるんです(笑)。というのは、「アーティストっていうけど、それは何をやっているの?」と言われてなかなか説明できないわけですね。また、ここにアーティストとしてだけ参加しているわけではなく、料理を作ったり、店内改装しているんですね。
熊 倉……アーティストも近代においては、金が儲かるかどうかは別として「専業化」していたと思うんです。でもいまある種のアーティストは「アート」という専業に固執することを止めようとしています。
小山田……そうですね。今回このWebでインタビューされているアーティストの小沢剛、宮島達男、中村政人、きむらとしろうじんじんといった人達は、話をしてみるとみんなちょっとアートからはずれている人達です。それがカフェをはじめたのが「アートカフェ」と呼ばれた(笑)。それぞれがヴェクトルとしてもっていきたい方向には、いま言われているところのアートがあるわけではない。多くの場合、世の中で流通しているアートカフェはプロダクト・デザイナーの世界とか、アートなディレクションがなされている空間だったりする。けれども、この四人は全員、本人がアートに関わっているから「アートカフェ」と呼ばれているのであって、決しておしゃれな空間をつくったりしているわけではない。また多分、彼らのアートカフェは永続的に続く空間としてあるものではなく、簡単にはじめられる「お誘いアート」のプレゼンテーションなんやと思う。僕がやっていることもそうです。以前東京でやった「屋台」という企画も、屋台で営業しようというのではもちろんなくて、その共有空間は誰にでも勝手に作れるからなんですね。そういう楽しさを体験して、うちもやってみようかなと血迷う人が何人かでてくる(笑)。1920年代のヨーロッパの「アートカフェ」にしても、空間自体はモダンというよりもクラシカルなものだったでしょう。ただ、集まっていた人間がさまざまな先端アートに関わっていたと言うことですよね。
熊 倉……そうですね。例えば、カフェとかバーとか、イギリスだとコーヒー・ハウスと呼ばれる空間など、さまざまにあったわけだけれども、それぞれ歴史的・社会的文脈において役割が違っています。18世紀フランスのディドロが書いた『ラモーの甥』は、確か当時のパリで最初にできたカフェの一つに語り手が立ち寄るシーンから始まっています。その当時ジャーナリズムが台頭してくるんです。そのネタというのは多くがカフェで話されていたことで、それが紙の上に載って流通する。イギリスのコーヒー・ハウスにしてもそのような役割を担っていた。19世紀後半からのキャバレー文化はそれとは違って、むしろ現在のサブ・カルチャー的なものと快楽を結びつける場としてあった。ロートレックをはじめとしていろいろなアーティストがそこに関与した。その流れは、未来派やダダにも通じていますね。

●特殊化しない空間とデザイン

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藤浩志
▲藤浩志
「こどもしょうてんがい」
●かえっこショップ
ファッションの前を通る
かえっこうんそう
藤浩志
●かえっこショップ
藤浩志
●かえっこバンク
藤浩志
●かえっこファクトリー

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小山田……アートカフェと呼ばれるそれは、多少なりともそういった特殊性を帯びた集まりだとか空間を指すのでしょうが、いま挙げた四人組は多分それではないですね。クラブカルチャーとかは、ある似通ったヴィジョンを持った人達だけが集まって、社会と分断しながら先端的なものを煮詰めていくことで出来てくる。また、ちょっとモラトリアムな特殊性を帯びた空間と時間から出てくるのでしょうが、でもそれは、ほっといてもどんどん出てくるものです。また、インターネットのネットワークを作ることで可能になることがあるにしても、もっとフィジカルな、クリーンイズムではない状態であることがいま重要なんかなと思うんです。インターネットはかなりクリーンイズム入っていると思うんですが、小沢君をはじめとするアーティストたちがアートカフェをやる動機として持っているのは、それでは始末がつかないものがあるということを忘れたくなくて、それをこねくり回していると思います。僕も一緒ですけれども。それを提示する方法として「カフェ」はやりやすい。コーヒーカップを持ち出せば道ばたでも可能ですからね。
熊 倉……インターネットの普及などの情報化によってクリーン化された身体に対して、本来身体がもっていた猥雑さや欲望を引きだすための装置として「カフェ」が重要だということですね。
小山田……それがアートかどうかは本当は僕には分からないんです。
熊 倉……特殊化、専門化されたという近代的な意味でのアートではないけれど、ものを作りたいという一種人類学的なアルスの新しい展開ではないでしょうか。
小山田……僕が考えているカフェはそれとは違うかもしれません。特殊性を帯びた集まりではないんです。手法が違うというのかな。バザール・カフェを改装するときに選んだ様式は、モダニズムなんやね。
熊 倉……というと?
小山田……白くて、プレーンで、しっとりとくるデザインで、安くて効率的。だからそれはアーティスティックなデザインではない。つまり、ばりばりかっこいいデザインではない。言い換えれば、ばりばりかっこいいのは実はデザインがこなれていないんじゃないかと思っているんです。その辺のオープンカフェ見ても「ダサイ」としか思えないんです。
熊 倉……それは分かります。特殊性を持たせないことをあえて選んでいるということですね。
小山田……そう。だからある意味で意図的に選択した「ちょっとダサ目」のデザイン。それがかっこいいと思っているから。従業員のエプロンや調度品にしても、できるだけ特殊なデザインを放棄して、でもギリギリ保てるものを選択したんです。そこで交わされる会話や人の集まり方も、例えばアーティストだけが集まるようにしないとかして、微妙に心がけているんです。
熊 倉……それは物のデザインだけでなく、人のコミュニケーションの場を作ることも含めてのデザインということですね。管理のためのデザインではなくて、柔らかい関係を作るデザインといったらいいのかな。そうすることで他者を受け入れるポテンシャル高くなる。 今、人々は自らの活動を専門化するということに疲れているんじゃないか。だから違う何かを……スペースとか空き地とかを……欲しがっている。そのひとつとしてカフェがあるわけでしょう。もうひとつカフェが重要なのは「飲食」が伴うということですね。僕は料理が好きなんですけれども、「人をもてなす」というのは、他者とのコミュニケーションにおいてベーシックなことですね。

●プライヴェートの空間/パブリックの空間


バザールカフェと内部
バザールカフェと内部
バザールカフェと内部
▲バザールカフェと内部

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小山田……それと、カフェにはいろいろな人間が集まってくるんだけれども、それがプライヴェート空間の拡張としてあるのか、パブリックなものとしてあるのかの差は大きいですね。クラブの空間や穴場、溜まり場といわれる空間は、そこに集まる人にとってはプライヴェートなファンタジーの延長にあるものでしょう。僕の興味はそれにはないです。一生懸命考えながら空間を作るんだったら、それとは逆の、もう少し「パブリック」な空間……と呼んでいいかどうか……を作るの努力せなあかんのかなと。
熊 倉……プライヴェートとパブリックの間にある「共にある空間」。私でもなく公でもない。
小山田……そう。道ばたの隙間なんかで老人や近所の人達がドラム缶をおいて焚き火するようなスペースがたまに残っていたりしますが、あれはプライヴェートだけれどもパブリックでもある。ああいう空間は微妙なルールで成り立っていて、そこには1年に5人くらいは外部の人もその焚き火に参加できるかもしれない。それはプライヴェートの延長という視点からは獲得できない。
熊 倉……僕は大学で教えていますが、いま学内にはなんとなく集まって和んだり話したりする場所がほとんどない。キャンパスに新しい建築を作るにしても、そのような場所を作ろうという発想があまりない。あれだけの人数がいながら何かを共有するというスペースがないというのはちょっと不思議な気がする。
小山田……最近の僕の職業は「大工」なんです(笑)。さまざまな共有空間を作ることに対しては、半分チームが出来ていて仕事としてやっているんです。建物全部を作るための認可を持ってるわけではないので内装工事になるんですが、いろいろな人間が施工しながら施主を巻き込んでいるので(笑)、作業の間にゲストルームが出来ていたりする(笑)。中退した学生とかが、出会って2日目に現場で働いていたりとかするわけです。
熊 倉……資本主義社会の分業は、ある個人にとってみれば一つの固定的な職業にしか従事できないわけで、それが職業に疎外されるという事態……それ以外の職業をしてはいけないというシステム……をもたらすわけですが、でも今(数はまだ少ないかもしれないけれど)、ある人たちは潜在的にそのようなシステムから出たいと考えているわけですね。せっかく生まれてきたんだから死ぬまでにいろいろなことをやってみたいと。それは幸か不幸かバブル経済が崩壊して、定職を失った人が増えたということや、フリーターであることを選ぶ、あるいは余儀なくされている若者が増えたということとも連動している。月曜日には大工さんで、火曜日はカフェを手伝うということが自然になりつつある。バザール・カフェはそのような新しいライフ・スタイルの場の一つとして機能しいるんではないですか。
小山田……それをしっかり楽しむためには、やはり自分に何かがないと面白くないということで、ちゃんと就職したりするんですよ。僕はこんなふうに図らずもアートに関わって長くやってきているんだけれども、学生達はまだ何もなかったりするので、バザール・カフェや内装工事の仕事を一緒にやると悔しく思うらしいんですね。それで自分のバックボーンをしっかり作ってから人と付き合いたい、と。彼らは年齢的には若くて、僕はとてもコミュニケーションとれないんじゃないかと思っていたんですが。

●アートプロジェクトと地域性

熊倉敬聡氏


熊 倉……世代的なコミュニケーションということでひとつ思い出すのは、いつか「アートスケープ」に、ダムタイプのメンバーの親を連れてきて、みんなで集まったことがあったでしょう。
小山田……「夏のお食事会」ですね。
熊 倉……ふつうコラボレーションっていった場合には、ジャンルは違っても世代的には同じ人たちがやるという水平的な発想しかないでしょう。だからその「お食事会」は、世代とか歴史を縦に貫くようなコラボレーションへ転換しはじめたのかなと思って非常に面白かった。
小山田……ゼロの地平から作るのは無理だから、自分たちの繋がりの強いもの絡めたんですけれども、それはもっともスリリングで面白かったですね。こういった「ファミリー・プロジェクト」は随所で行なわれていて、効果はあったようです。
熊 倉……京都ではバザール・カフェも含めてこうした活動が自生的に生まれてきていると思うんですが、それはなぜなんでしょう?
小山田……潜在的に京都は職業が少ないんだと思う。あるいは就業率が低い。学生と老人と外国人が多いということもありますし、その人達は何をやっているかといえば不明瞭なんですね。また、京都を訪ねてくる人は東京とは違って職業を離れて観光にくるわけで、それを総体としてみると人口のほとんどが職業を持っていない。そういう環境とさらに経済基盤がダウンしていることに関係してる。
熊 倉……旧西ベルリンなんかもある意味で京都に似ていましたね。あそこも政治的なエア・ポケットだから、大企業なんかもやって来なかった。だから生活している人達はその日暮らし。
小山田……だから工夫する以外にないんですね。それが足りないと気が狂ってしまう。アーティストにしたって東京と違って「アート」という経済母胎はそんなにない。建築やデザイナーやってますといっても、それだけで食ってる人なんてほとんどいない。そうなると、自分の職業に対するアイデンティファイはすごく曖昧になるし延々と悩み続けなアカンことになる。そういう人は繋がりやすい。結局、個人の経済状態が低いから共同で空間を持ったりするんですね。だからそれは専門的にはならないんです。同時に、京都大学はいまでも垣根ないし、西部講堂周辺ではある種の自治権を持った学生が変なサークルを延々やっているわけで、そういうのをみんな見ているから。
熊 倉……それに比べると東京はまず、規模として大きすぎるんですね。しかも(少し安くなったとはいえ)不動産が高いから、お金がない人は……アーティストはだいたいお金がない……どうしても郊外に出ざるを得ない。造形作家で大きなスタジオが必要な人や、特に劇団のように大きなスペースを必要とするところは外に出る。
小山田……住んでいるところと活動するエリアが違うんですね。京都は歩いて帰れる。
熊 倉……多分バザール・カフェを東京に作ってみたって機能しないと思うんです。
小山田……あれは京都ローカル。
熊 倉……東京を「ひとつ」の都市として考えることを止めないといけないんじゃないかと思う。それは、実際アート・プロジェクトとしてもみられるんだけど、例えば秋葉原のコマンドNや向島の現代美術製作所なんかは、東京を「地域」の集合体として捉えなおそうとしているんですね。その方がよほど面白いクリエイティブなことが生まれてくるんじゃないかな。

[2000.6.30 東京にて]

現代美術製作所外観
現代美術製作所外観
現代美術製作所外観
「Art in Living Room」展
「タムラサトル」展
菱山裕子
三田村光土里個展
▲現代美術製作所=上から
■「Art in Living Room」展
1999 3/20―3/22
会場展示風景
Project Space I
■「タムラサトル」展
1998 10/24―11/29
■菱山裕子
「What are you looking for?」展
2000 4/15―5/21
Space I
■三田村光土里個展
「Permanent Room」1999

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