Topics LogoArchive
logo
「意味とイメージ――あらわれる浪漫主義の明治」展……村田真
 メインタイトルの「意味とイメージ」だけ聞くと、小難しいコンセプチュアル系の企画展を思い浮かべてしまいがちだが、サブタイトルにあるように、これは明治の浪漫主義美術を特集した展覧会。これがおもしろいのなんの。

 日本の浪漫主義といえば、西洋のロマン主義とは歴史や社会的背景が異なっているので同一視はできないものの、「浪漫」が「ロマン」の当て字である以上、西洋のロマン主義と対応させようとした概念であることは確かだろう。同展ではその浪漫主義の範囲を広くとらえ、神話や伝説を含めた歴史画から、肖像画、風景画、工芸、挿絵、漫画まで展示している。なかでも興味深いのは、やはり歴史画だ。

 歴史画は、洋画・日本画を問わず明治期の絵画の代表的なジャンルだった。それは、「明治政府が新国家日本を建設する上で最も必要としたものが歴史、すなわち皇国史観に基づく天皇制の歴史の構築だったからであり、その歴史の延長上に明治の新体制、つまり中央集権的な近代国家日本を位置づけたかったからである」(安來正博「『美術』はいかに作られたか?――西洋画をとりまく明治の状況――」同展カタログ)。いいかえれば「歴史画は、天皇を中心とした古の時代の歴史的場面を、時に優雅に、時にドラマティックに描き出すことによって、民衆の国家意識、民族意識を扇動する役割を担」(同)っていったわけだ。

同展の歴史画が「おもしろい」のは、こうした神話や伝説を含めた日本のおぼろげな歴史が、油彩によって細部までドラマティックに描き出されている点にある。そのことを端的に示すのが、山本芳翠の「浦島図」だ。

浦島図

山本芳翠「浦島図」1893-95(明治26-28)年
写真:和歌山県立近代美術館カタログより

拡大図

 浦島太郎といえば、日本人ならだれでも昔話として聞かされたり絵本で見たりしたことのある物語。実は「このお話も国民共通の物語を作りあげるために、昔話が発掘されたひとつの例である」(植野比佐見「あらわれる浪漫主義の明治」同)そうだ。ともあれ、話で聞いたり絵本で見る限り、たとえば浦島太郎がどんな顔をしていたのかとか、玉手箱はどんな形だったのかとか、細部のイメージまで明確には伝わらない。つまり、浦島太郎をめぐるイメージは、その話を聞く人、読む人それぞれが想像をめぐらせてつくりあげるものだった。ところが山本芳翠は、それを見世物小屋の看板絵のごときクソリアリズムで描きあげてしまった。そこが「おもしろい」のだ。

 日本という国は江戸時代まで輪郭がぼんやりしていた。そのぼんやりした日本の国土の輪郭を物理的に確定したのが伊能忠敬であり、ぼんやりしていた国家の概念を政治・社会的に明確化したのが明治の新政府であり、そして、ぼんやりしていた歴史を視覚的に明確化したのが浪漫主義だった、といえるかもしれない。しかし幸か不幸か、浪漫主義の絵画はさほどポピュラーにはならなかった。少なくとも山本芳翠は、青木繁ほどポピュラーな画家にはならなかった。

 そこで思うのだ。もしこの絵のイメージが日本人の頭にこびりつくほど大衆化していたなら、浦島太郎の話を聞くたびにわれわれは、ピンクの上衣を羽織り首飾りまでした主人公の色男ぶりや、玉手箱に施された悪趣味な装飾や、竜宮城から連なる幾百人もの仙女たちの艶めかしい姿態まで思い起こすハメになっていたことだろうと。


意味とイメージ――あらわれる浪漫主義の明治

会場:和歌山県立近代美術館
会期:1998年10月17日-11月23日
問い合わせ:Tel.0734-36-8690

________________________________________________________top

Copyright (c) Dai Nippon Printing Co., Ltd. 1998