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 「日本的なるもの」と「モダンなるもの」と――小倉遊亀展……村田 真

小倉遊亀展 小倉遊亀、104歳。きんさんぎんさんにはかなわない(しかも向こうは2人だ)が、遊亀ちゃんは文化勲章も受章した現役の画家。別に差別するつもりはないけど、ただ無邪気に生きてるだけというのとはワケが違う。
 それにしても、先日90歳で亡くなった東山魁夷も含めて、日本画家は総じて長命だ。なかでも遊亀ちゃんの属している日本美術院(以下「院」)は、別名を「養老院」と呼ぶほど。呼ばないか。岡倉天心とともに初期の頃から院のリーダー的存在だった横山大観は満90歳で没。その年、院は財団法人となり、初代理事長に就任した安田靫彦は94歳まで生きた。第2代理事長に89歳で就任した奥村土牛は、理事長の座を95歳の小倉遊亀に譲った後、101歳で没。その遊亀ちゃんが104歳で現役なのだから、これはもう妖怪集団である。でも全員が長寿なわけではなく、むしろ長生きした者が理事長になる年功序列制といったほうが正解だろう。だから、遊亀ちゃんのあとを継いで60代で理事長に就任した平山郁夫は異例の若さ、小僧といっていいくらいだ。

 小倉遊亀展である。これは「パリ展帰国記念」と銘打たれているように、今年2月にパリの三越エトワールで開かれ「大好評を博し」た個展の「凱旋記念展として」行われたもの。でもカタログ末尾の「パリ展報告」を見ると、52日間の会期中の総入場者は5503人。1日平均100人ちょっとではないか。もちろん動員数だけで判断するべきではないが、それにしてもこれで「大好評を博しました」と胸を張るとは。
 ともかく、問題は作品だ。出品作品は計100余点、そのうち戦前のものは16点のみ。その多くは(特に顔の描き方が)童画を思わせ、ほのぼのしちゃいます。しかしこれらには、タイル張りの風呂に浸かる2人の裸婦を描いた戦前の代表作というべき「浴女」(今回は不出品)のようなモダニティが感じられず、単にほほえましいだけともいえる。ただ植物の描写はうまい。遊亀ちゃんが絵の道に進む大正時代(!)に安田靫彦をたずね、「一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入ります」との言葉をもらったというが、それを字義どおりに受け止めてしまったのか、葉っぱの描き方だけは達者なのである。

 日本画というのはとりあえず、日本の伝統的なモチーフを、伝統的な素材や技法で描くものといえるだろう。ところが遊亀ちゃんの場合、伝統的なモチーフを描いたものはみな凡庸である。同展の目玉のひとつとなっている敗戦直後の「麿針峠」は、絵としてちっともおもしろくないし、60年代後半の「菩薩」や「舞妓」、あるいは現在も描き続けている静物画などは、ほかの日本画家に任せればよい。前述の「浴女」のように、遊亀ちゃんが本領を発揮するのはモダンな日常風景を描いた時である。戦後でいえば、60年前後の作品。たとえば、どこかホックニーのポップ感覚に通じる「家族達」、紫、白、赤の色彩が鮮烈な「越ちゃんの休日」(越ちゃんとは越路吹雪のこと)、画面右隅の鮮やかなガラス格子に目が吸い寄せられる「兄妹」などだ。
 このような、戦後急速に普及する洋服や洋間といったモダンな生活様式を描いたものに佳作が多いのは、皮肉というほかない。はっきりいってこれらは、日本画のモチーフとしてはキワモノであるからだ。そして遊亀ちゃんの真価は、まさに「日本的なるもの」と「モダンなるもの」を融合させたキワモノ性にあるといっていい。だが、日本人にとってはキワモノでも、外国人の目からすれば驚くほど斬新なデザインに映ることもある。
 カタログの中で森英恵が、「もしも小倉遊亀先生がモードのデザイナーになっていらしたら、すごく成功されたに違いありません」と述べているのは卓見というべきだろう。なぜならその後、「日本的なるもの」と「モダンなるもの」をファッションに採り入れた三宅一生や川久保玲が、パリのモード界でそれこそ大好評を博しているからである。遊亀ちゃんのパリでの個展も、観客こそ大して入らなかったものの、そのキワモノ性を見抜いた人たちには「大好評を博し」たのかもしれない。

 

パリ展帰国記念 小倉遊亀展 巡回予定

    日本橋三越本店 1999年5月11日〜30日   
    大丸大阪心斎橋店 1999年8月12日〜24日   
    三越札幌店 1999年9月21日〜10月4日 
    福岡三越 1999年10月19〜11月7日  

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