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勝つためのトレーニング

「ガールズ・ブラボー」展示風景 
「ガールズ・ブラボー」展示風景 
ロサンゼルス

「ガールズ・ブラボー」展示風景
「ガールズ・ブラボー」展示風景
ロサンゼルス

 僕のスタジオ、ヒロポン・ファクトリーは、昔のオウム真理教のサティアンそっくりなプレハブ小屋に、大体20人以上の若いアーティスト志望の子たちを集めています。昔でいったら天井桟敷や状況劇場のような感じで、安い賃金で酷使するかわりに、僕も君たちの才能をもし掬えるならば、掬う事でギブ・アンド・テイクの関係にしようじゃないかと「東京ガールズ・ブラボー」のような展覧会をやったりしています。
 つい2、3日前も、作品をつくった女の子が僕の所にもってきてそれを展覧会に出してくれと言ってきたけれども、それがあまりにも、いいかげんだったので僕は「こんなの出していたら、うちらの面目は丸潰れじゃないか、何だこれ」と展示を却下しました。その時考えていたことは、その子に対して何をどうオーガナイズしていくと、その子のやりたい事を発展させてあげて、しかもポジティブに、ある種右上がりの成長を促すことができるかということでした。それは、日本の美術教育においては全然考えられていないことです。僕は、矯正ギブスをつけるように、すごくテクニカルにワン、ツー、スリー、フォーとステップのあるトレーニング方法を授けてしまう。例えば、「東京ガールズブラボー」の出展作家 山口藍という娘が、うちのスタジオを辞める事になった理由は、僕とのディスカッションの中で何か本質的なものがあふれ出してしまい、それに対して彼女とボーイフレンドとの間で何がしかの話が持たれて……で辞めていったのです。
 彼女の絵面というのは非常に和風ですが、話を聞いていると、隠されたセックスに対する願望、人に言えない作品にも出せずにいるドグマが作品のちょっとしたところに出ているのを発見し、「そこが君のいちばんやりたいところなんじゃないの」と肥料を与えたら見事に開花して、セクシュアリティと自分と、自分が今まで好きだった時代劇とかそういうものを上手く関係付けて作品をつくりはじめられたんです。ただし、彼女の彼氏にとってみれば由々しい事態で、僕は恋人でも何でもないのに、彼が知らない彼女のセクシュアリティのところまで手を延ばしてマニピュレートしてしまった。ある意味で非常に不謹慎なことかも知れないし、彼氏がいい気持ちがするわけない。でも僕は、それはトレーニングのひとつだと思うし、アーティストを育てるというポイントにおいては間違ってはいなかったと思ってます。オリンピックの強化選手や日本のスポーツが弱かったりするのも、そういう教育を施してまで勝ちたいかどうかというジャッジが、選手もトレーナーもまだ出来ていないからではないかと思います。僕は勝ちたいし、勝たせたい。ゆえのエディケーションも一つありだと思います。

今、何がリアルか――アートは人に買われて何ぼ

 「ガールズ・ブラボー」展で話題になったタカノ綾は、ある種天才的な画力を持って生まれてきた人ですが、はじめの頃は、ゲームの中の夢の場面を切り取ったような、そういうスケッチしか描いていませんでした。もともと芸術学科で美術史を勉強していたので「その美術史的なるものを加味すると、日本の美術界の評論家は喜ぶぜ」と言って彼女がその通りにやると、見事に美術の業界の人たちが引っ掛かってきた。引っ掛かってくるということ、それが、僕はコンテキストだと思っています。そこら辺のエデュケーションの方法論を捕まえたのは、昨年、ロサンゼルスのUCLAで客員教授をやった時です。ポール・マッカーシーやチャールズ・レイなど、僕の尊敬するアーティストたちが同じ教育の現場に携わる環境で、学生から質問を受けてディスカッションをして生徒の未分化なものをひっぱり出し、それを本人に見せつけてゆくといった作業で、その方向でエデュケーションなりトレーニングをしていっていいのではないかと思うようになってきた訳です。
 1999年の東京で一体全体何が受けるのか。受けるものに届かせる為のアートがあってもいいのではないかというのが僕の戦略です。例えば同じく「東京ガールズブラボー」の作家、青島千穂の作品はコンピュータの中のスケッチみたいな作品をギャラリーの空間に置くことによって、コンピュータ内でのリアリティとは違ったエフェクトを起こす。そこに多分ニーズがあると思ってやったら、案の定、ものすごいリアクションがありました。ロサンゼルスでは過剰なほどのリアクションがあって「コンピュータ・ジェネレートされたシャパニーズ・カルチャーだ」と新聞にも大きく出たりしました。こういうある種フリーマーケットや展示即売会のような雑多な展示形態も、僕がキュレーションする展覧会の特徴です。アートというのは、人に買われて何ぼだと思っています。
 日本の美術史上重要とされている作品は、決して蔵に眠っていたようなものばかりではありません。伊藤若冲(じゃくちゅう)や酒井抱一などは、江戸時代の貴族の徹底したアマチュアリズムによって開花した芸術であり、それは日本の「今」に続くアマチュアリズムの美意識に繋がるリアリティだと思います。一方マーケットというものもあり、そのマーケットに落とし込んでいく時は、時代時代のマーケットの変遷によるリアリズム、例えば狩野派であったりといった美術史そのものだと思うので、今だったら一体何がリアルかということを考えます。そうすると、僕の中では、こういう雑多な展示で、若いお客さんたちに3.000円とか5.000円とか安い値段でオリジナルアートピースが買ってもらえる、その行為自体がリアルなんじゃないかなと思っています。

 タカノ綾HP:http://member.nifty.ne.jp/tehanu/


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