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World Art Report
市原研太郎
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第2回ベルリン・ビエンナーレ・レポート
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久しぶりにベルリンを訪れた。新生ベルリンの再開発の青写真はすでに出来上がっているものの、実際の街並みとなるとまだ建設途中の地区が多い。統合のシンボルとして有名なポツダマー・プラッツ周辺も、半分くらい整備されたといったところだろうか。ベルリンの時間は、東京から来ると余計にそう感じられるのだが、ゆったりと流れている。

さて、4月の末とはいえ肌寒いベルリンで、2000年の秋に開かれる予定だったベルリン・ビエンナーレが開幕した。98年の第1回のビエンナーレは、ベルリンのオルタナティヴ・スペース、クンスト・ヴェルクを主宰するクラウス・ビーゼンバッハがキュレイターを務めたが、今回はアムステルダムにあるデ・アッペルのディレクター、サスキア・ボスに任された。前回は、ドイツの新首都で行なわれる初めての定期的な国際展だったということもあって関心が高く、様々なイヴェントが組まれたオープニングには、内外から多くの人々が集まった。新世紀になって開催された2回目は、50名ほどのアーティストが招待されたが、どちらかというと地味なスタートを切ったと言えるだろう。それでも、前回同様クンスト・ヴェルクと旧郵便局をメインの会場に、新たに鉄道のガード下の空間と保険会社の高層ビルのホールが加えられ、ほどよく分散された作品をじっくり鑑賞できる環境を作り上げていたと思う。

会場風景 会場風景
▲会場風景 ▲会場風景

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ボスによれば、今回のビエンナーレを組織するに当たってキーワードとなったのは「関係、関心、結合」である。企画の出発点にこうしたコンセプトを立てることは、「なんでもよい」という他の多くのビエンナーレに見られる無定見や、逆にテーマを絞り込むことで展覧会が理論の例証になってしまうという貧しさを回避できると、彼女は言う。したがって、作品の具体的内容はさておき、個人の自己表現を超えて関係性やコミュニケーションを重視する作品が集められた。とはいえ、このような問題提起に疑問がないわけではない。というのも、関係性というコンセプトは、受動的な鑑賞者を能動的な参加者に変えるといったメリットがあるとしても、送り手と受け手の間に対等な関係を設定するかのような枠組みを提起するように見せて、実は作者を一段高い位置に据えてしまうからである(もっともボスは、対等な関係を望んでいないかもしれない)。くしくも招待アーティストの一人であるカルロス・アモラレスが、パフォーマンスを含むインスタレーションで示したように、鑑賞者は作者が指示するゲームに巻き込まれてしまえば、当のゲームに参加したとしても、その規則(アモラレスの作品のタイトルから援用すれば「フレーム」)から逃れることはできない。彼のパフォーマンスが、鑑賞者をからかう悪魔の楽しげなダンスの形をとったのも肯ける。
カルロス・アモラレス スラシ・クソルヲン
▲カルロス・アモラレスのパフォーマンス ▲スラシ・クソルヲン

確かにカタログにテキストを寄せた執筆者たちが言うように、過去のアヴァンギャルドと同じくアートの制度を破壊して社会的にコミットメントすることは、不可能ではないにしてもほとんど有効性はない。チャールズ・エッシュをして、現代アートにアカデミズムの介在を許す所以だが、ベルリン・ビエンナーレの場合は、社会への関心という歯止めがあるので、この議論は有益である。しかし同時期、ベルギーのオステンデで開かれていた“Between Earth and Heaven”のように、あからさまなアカデミズム礼賛ということになれば、80年代の現代アートに顕著だった反動の再演にすぎない。カタログの執筆者の一人、ニコラ・ブーリオーの言う「関係性の美学」は、もしそれが美学的テーゼとして真剣にアカデミズムで語られるのならば、美学のみならずアートの実践に大いに影響を及ぼすだろう。しかし、それはどのような美学なのか? 古典美学のように社会的無効性に基づく理論ではなく、その批判的有効性を保ちつつ生じる美的な快とは何なのか?
パラストウ・フォロウハル シムリン・ギルとリーサ・ロバーツ
▲パラストウ・フォロウハル ▲シムリン・ギルとリーサ・ロバーツ

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実際にビエンナーレに展示された作品を見ていくなかで、美的なものの所在を探っていくことにしよう。まず全体を見渡して気づくのは、どこかの地域に偏ることなく世界中からアーティストが選ばれているということである。「世界的規模に広げられた多文化主義」と私が言うアートの文脈を、この展覧会の企画者ボスも共有していることの証と見てよいだろう。そこから関係性の問題に着眼する興味深い志向も生まれてくる。同時期ベルリンで開かれていた東アジアのパフォーマンス・アートを特集した展覧会が、アーティストの属する文化的アイデンティティを探求する作品を集めていたのとは対照的な内容になるのは、けだし当然である。それは、作品の内容にばかりでなく制作の方法にまで波及する。一人の作者や一纏まりのグループとしてではなく、個々の作り手の結合も誘発するからだ。その結果、コラボレーションによって作られる作品が、いわゆる参加・体験型の作品とともに目立つ展覧会となった。

パトリシア・ピッチニーニ
▲パトリシア・ピッチニーニ(部分)
ジョアン・べナルヴァ
▲ジョアン・べナルヴァ
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多文化状況では、送り手と受け手の間に文化的なギャップのあることが前提される。文化、すなわち表象と認知のシステムに相違があるとき、その間を繋ぐ橋として示された作品が理解されるのは、どのような道筋を辿ってだろうか? たとえば今回の出品作のなかで、日本文化を主題にした作品をいくつか見かけた。それらは日本人アーティストの作品ではなく、パトリシア・ピッチニーニ(シエラレオーネ)とジョアン・ペナルヴァ(ポルトガル)のものである。ピッチニーニは、可愛い女の子がしゃべる姿を撮ったヴィデオ、ペナルヴァは、キツネに纏わる昔話の語りを背景に、霧の這う山中の景色をヴィデオで流した。これらは、異文化を他者が理解するその仕方を表わした作品と言えよう。彼らの異文化理解への関心は、当然ビエンナーレのコンセプトに合致しているが、その理解の程度は、日本文化にどっぷりと浸かっている者(私)から見て、文化の全体を把握していないとしても、その一面を切りとっていると思われた。と同時に、それらの表現の端々に、彼らが異文化に投げかけるエキゾティシズムのヴェールを感じた。それが、日本文化と彼らの関係を表現しており、文化へのコミットの仕方なのだ。一方、小沢剛の「相談カフェ」は、ことさら日本文化の特殊性を強調し伝達しようとした作品ではない。しかしながら小沢は以前私との会話で、文化的な相違がどのようなものであっても感情移入によって理解は可能と言っていたように、彼の作品にはコミュニケーションへの要求が潜在している。したがって今回の出品作に、ドイツ人がどのような反応を示すかが作品の意味にとって重要な要素となる。
小沢剛 ヘンリック・ハカンソン
▲小沢剛(部分) ▲ヘンリック・ハカンソン

作品が送り手の意図通りに理解されることがあるにしても、極めて稀だということは誰にも分かっている。たとえば、ある文化に特有の感情を、異なる文化に属する人間に真に理解させることは可能だろうか。ダニエル・バーンバウムは、カタログのテキストでその難しさを、ヘンリック・ハカンソンの作品を取り上げながら、ウィトゲンシュタインを引用しつつ力説している。もしそれが人間ではなく動物にまで及ぶとしたらどうだろうか、動物が感じる痛みを私たちは感じることができるだろうか。確かにニーチェ以来、真実はなく解釈しかないと言われてきた。そこから自由な解釈の可能性が開かれた。しかしながら、他者の身体的精神的痛みを共有する想像力さえあれば、それが本当にあったかどうかにかかわらず、コミュニケーションのいかなる場面においても横溢する感情を喚起することができるのではないだろうか。そしてこの共感を、美的な体験と名づけて構わないのではないだろうか。その意味で、クトリュグ・アタマン(トルコ)とダレン・アーモンド(イギリス)のヴィデオ・インスタレーションが、今回のビエンナーレのなかでもっとも感動を呼ぶ作品だったと思う。
クトリュグ・アタマン ダレン・アーモンド
▲クトリュグ・アタマン(部分) ▲ダレン・アーモンド(部分)

[いちはらけんたろう 美術批評]

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