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Column Index - Mar. 18, 1997


a)【ダンス的コミュニケーションは可能か?
 ─笠井叡と木佐貫邦子のデュオ】
 ……………………●熊倉敬聡


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「Dance Selection '96」

会場:
スパイラル・ホール
会期:
1997年2月
25日、26日
問い合わせ:
アンクリエイティブ
Tel.03-5458-0548
カサイキサヌキカンパニー

カサイキサヌキカンパニー

カサイキサヌキカンパニー

カサイキサヌキカンパニー

カサイキサヌキカンパニー
撮影:池上直哉






spiral
http://www.spiral.co.jp/

Kuniko Kisanuki
http://www.cyber66.or.jp/
mori66-sj/laforet-sj/
museum/peform_index/
kisanuki.html

Butoh Dance| HIJIKATA, Tatsumi
http://www.bekkoame.or.jp/
~kasait/butoh/hijikata.htm

Butoh Dance| OHNO, Kazuo
http://www.bekkoame.or.jp/
~kasait/butoh/ohno.htm

ダンス的コミュニケーションは可能か?
─笠井叡と木佐貫邦子のデュオ

●熊倉敬聡

 

アンクリエイティブ企画制作の「Dance Selection '96」が、スパイラル・ホールで行なわれた。2月25日、26日は「スペシャル・デュオ・セレクション」と銘打ち、興味深い組み合わせのデュオが三つなされたが、そのラストが「カサイキサヌキカンパニー」こと笠井叡と木佐貫邦子の初デュオであった。
  笠井叡は、土方巽大野一雄と並ぶ舞踏家だが、79年の渡独後、14年間日本の舞台を踏まなかったことでも伝説化されていたダンサーだ。94年の久方ぶりの日本公演の衝撃は未だ記憶に新しい。一方、木佐貫邦子は、日本の試行錯誤を続けるコンテンポラリー・ダンス界にあって稀にも自らの「様式」を作り出しつつあるダンサーである。その二人のコラボレーションとあっては、否が応でも期待は高まる。そんな期待を裏切らぬ舞台が繰り広げられた。

踊りのシーシュポス

それは、開演のダウン・ライトもないまま、唐突に始められた。あちこちに体をぶつけ、奇声を発し始める笠井と、黙々と流麗で鋭利な踊りを展開する木佐貫。そこには、すでに今まで経験したことのないダンサーの関係性への予感があった。笠井は、周囲の壁、床、装置、あるいは自らの身体、声、思考までをも、「モノ」化、「オブジェ」化する、いや、それらのものすべてを限りなく他者化していくことにより、(ラカン的な意味での)「リアルなもの」に出会い、それとの不可能な同一化にすべてを賭ける。その、「リアルなもの」との格闘そのものとしての踊りは、昨今の、ハイパーリアルな「スタイル」に幽閉してしまっているダンスの対極にあるものだ。笠井は、他者の中の「リアルなもの」へと、自らを賭し、それとの同一化の不可能のただ中でもがき、舞う。疲労が、他者との「ノーマルな」コミュニケーションのコード(意味、ユーモア、挑発など)へと、笠井を連れ去ろうとするが、笠井は果敢にその誘惑を断ち切り、再び「格闘」へと入っていく。踊りのシーシュポス。

二つの「不可能」の踊り

その傍らで、木佐貫は、あたかもその笠井の存在論的格闘など存在していないかのように、無関心=無関係の中で、坦々と自分の踊りを踊っていく。流動の卵のように、それは次々とムーブメントを生み出し、自足していこうとする。が、それは自足しようとするほど、無関係であろうとするほど、笠井を唆し、笠井の踊りを生み出してしまう。ここでは、おそらくダンス的コミュニケーションの対極的な在り方が切り結んでいるのだ。笠井の(他者との)「関係」を踊ることの不可能と木佐貫の「無関係」を踊ることの不可能が、そこではぐるぐると渦巻きながら、一つの「踊り」を可能にしている。そんな希有なダンス的時間に我々観客は魅了された。

[くまくら たかあき/フランス文学、現代芸術]

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