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大西若人インタヴュー
「パブリック」と「アート」の関係について考える(2)
パブリックアートは都市開発の免罪符か?
村田 真

review1 ―大西さんが福岡に勤務していたのはいつ頃ですか?
大西:90年4月から94年3月まで。その前は宮崎にいましたが。
―87年に北九州の八幡の製鉄所で、鉄鋼彫刻シンポジウムがありました。87〜88年頃、日本でも地域に根ざした野外展の試みがずいぶん出てきた(註:長野県小布施市の「小布施系」、山梨県白州町の「白州アートキャンプ」、山口県岩国市の「88環境アートプロジェクト」など)。それは、87年にミュンスターの彫刻プロジェクトがあり、その前年の86年には、ベルギーのゲントでヤン・フート企画の「シャンブル・ダミ」展があって、そこらへんの情報がその頃日本に入ってきたという事情があると思うんです。
大西:でも、北九州の場合はパブリックアートという言い方はしてないですよね。パブリックアートって曖昧だから使いやすいということがあるんでしょう。公の側からすれば、公のためのアートですし。
―まあ大西さんのいわれるように、パブリックアートという言葉自体が一種の免罪符として使われ、パブリックアートといえば許されてしまうようなところはありますね。
大西:一方で、昨年のビッグサイトでの「アトピック・サイト」展も、岡崎乾二郎さんなんかはパブリックアートだといってしまう。あの場合の「パブリックアート」というのは、パブリックな場にあるアートというより、パブリックとはなにかを考えるアートだったわけですよね。それもパブリックアートなのかどうか……。
―岡崎さんもいってるけど、もともとアートはパブリックな存在ですよね。それが「アート」と認められる以上はパブリックなわけで、にもかかわらず「パブリックアート」といわなければならないという逆説。
大西:あの展覧会は、一般にいわれるパブリックアートの欺瞞性みたいなものを暴き出したわけで、そういう意味でメタ・パブリックアート、つまり「パブリックアート」を考える「パブリックアート」だったわけですよ。……もうパブリックアートという言葉を使わないほうがいいかもしれないですね。
 このあいだ、田甫律子さんが「コミュニケーションアート」といってました。彼女は今、芦屋のほうで阪神大震災の被災者のための住宅をつくるので、パブリックアート計画に関わっている。何人か関わっていて、ほかの人は完成したら引き渡しておしまいって作品が多いんですが、彼女は農園をつくるんです。そこに作品があるから見てくださいというんじゃなくて、行為として関わっていく。それをコミュニケーションアートといってるんだと思うんです。
 また、アトランタではアートフェスティバルがあって、そのひとつのプロジェクトを彼女が任された。市民4万人に自分たちの夢を小さな紙に書いてもらって、それを膨らませたゴム手袋の中に入れて、マーガレット・ミッチェルが暮らしたという家の周囲に貼りつけたんです。4万個の手に囲まれるという感じで。ところが、火を付けられちゃったんです。南部の街ですから人種問題もあるのかもしれませんが、家ごと放火された。田甫さんも最初は「なんてことを!」と思ったらしい。でも、宗教的背景の違う人にいわせれば、燃えるというのは浄化を意味し、天に願いがかなうんだと喜んだ人もいたそうです。
 だから、美術としての良し悪しとか、地域とかコミュニティとかいってるけど、彼女の作品はいろんな文化的違いを顕在化させた、そういう役割は果たせたわけです。それをパブリックアートと呼ぶ必要があるのか、アートと呼ぶ必要があるのか……たまたまそれを提案した人がアーティストだった、ともいえるわけですよね。
―種の社会運動というか、市民運動みたいな。
大西:そうですね。ひとつの方向に持っていくような運動ではないですが、自分たちの抱えてる問題を浮き上がらせてはいる。……だけど、美術が社会問題を解決することはないでしょう。
 そもそもミュンスターは街を美しくする必要がない。わざわざものを置かなくたってきれいな街ですから。だからアメリカのように、いわゆるモダニズム建築の無機質さを補うためというのではない。
―今の話で思い出したのは、作品を壊したり落書きしたりするヴァンダリズムですか、アメリカあたりでよく見かけますね。ぼくはあれ、いい傾向だ……というと語弊があるけど、あれは作品に対する一種の批評ですよね。破壊行為自体はともかくとして、コミュニケーションアートじゃないけど、作品に対してストレートにリアクションを起こすという意味では、まさにその作品の存在価値があったと思うんです。
 日本では幸か不幸か、あまりそういうのはないですね。反応がないというか、無視されることが多い。そういう意味では、破壊こそされないけど不幸だなと。で、その違いはなにかというと、パブリックという概念の受け止め方の違いではないか。
大西:日本でも「彫刻のある街づくり」をしている自治体で似たケースがないことはないと思いますよ。バイオリンを弾いてる女の子の像があって、しょっちゅうバイオリンの弓の部分が折られるんですよ。そのたびにマスコミは「心ない人による……」って憤慨する。いわゆる近代的な作家性ってのがあるじゃないですか、侵すべからざるみたいな。でも、そういう作家の作品を、そもそもそんなパブリックなところに持ち込むのは果たしてどうなのか、という疑問はありますよね。
 本当にコミュニティのことを考えるならば、ひとりの作家性がどうのなんて問題ではないはずで、確かに闇討ちみたいに作品を壊すのは卑怯ですが、一方で、作家性を盾にそれを侵害してはいけないっていうのはおかしいですよね。それはひとつの反応なわけですから。
―日本では、アートが聖なる領域に祭り上げられてるところがありますね。手の届かないところにあって、手を出しちゃいけないんだっていう。それもアートを遠ざけている要因のひとつでしょう。
大西:パブリックアートの場合、だれがつくったかというのは後から付いてくればいいはずです。見て気に入ればだれの作品か知ればいいわけで、最初から「これは誰々の作品だから大事にしなくちゃいけない」っていうのは、順序が逆ですよね。
――そもそもパブリックとかコミュニケーションとかいわなくたって、アートはコミュニケーション・メディアだし、パブリックなものなのに、それをそうでないかのようにパブリックアートとかコミュニケーションアートだとかいわなくちゃいけないのは、やっぱり不幸な時代だと思うんです。まあ、それだけアートが社会から乖離してるわけですけど。
 それと、日本では消費のサイクルが早すぎる。ミュンスターの場合、10年に1度の開催で、しかも作品の一部を残してる。あのやり方はうまいと思いますね。カタログにも出てるけど、第1回、2回、そして今回と作品の変化が読み取れる。どんどん非物質化しているのがわかっておもしろい。1回目の時は石や鉄を使って、明らかにモニュメント性のある抽象彫刻だったのが、2回目になると、サイト・スペシフィックなインスタレーションが出てくる。でも、まだ物質性はキープされているんです。それが今回になると、ずいぶんエフェメラルなものが増えてきて、大西さんも書いてたけど、一時的な楽しさや広告的な効果を狙ってるとしか思えない作品もある。
大西:曽根裕さんの作品は、個人的には好きなんですが、全然サイト・スペシフィックじゃないですよね。あれは地下道で見るより、美術館のほうがゆっくり見られますし。でも、彼はそれを逆手に取ってるような気がします。彼はコミュニケーションをテーマにしているっていうか、彼自身がコミュニケーションしちゃって、それはミュンスターというコミュニティを彼なりに確認する作業だと思うんですが、その記録を、空間性から切り離されたビデオで流すわけですよね。
 考えようによっては今、サイト・スペシフィックでないほうがリアリティがあるんじゃないですか。場所に拘束されなくなってきてるんですよ。テレビだって全然違う場所のものがパッと流れてくる、それが当たり前になってるわけですから、そうするとむしろサイト・スペシフィックでないほうがリアリティを持ちうると……。
―サイト・スペシフィックというのは最近、マイナスのイメージでいわれることが多いような気がします。建築でいうサイト・スペシフィックとアートでいうサイト・スペシフィックとでは違いますよね。建築はもともとサイト・スペシフィックでしかない。
大西:でしかなかったんですが、いわゆるモダニズム建築で……といっても、モダニズム建築の解釈もいろいろあるわけで、難しいところですけど。
―どこにでも建てられるようになった?
大西:まあ、ユニヴァーサルスペースですよね。均質空間を世界中に、赤道直下でもアラスカでも超高層が建てられる。現状はそうなんですが、最初は個々のモダニズムの建築家が全部そう考えていたわけではなく、基本はもちろん鉄とガラスとコンクリートを用いながら、その場所に適用していくことを目指していたはずなんです。それが結局どこでも一緒になってしまった。
 それに対する揺り戻しとしてポストモダンが出てきて、その中で場所性がいわれるようになったわけです。ゲニウス・ロキとか、東洋でいえば風水とか。ただその時、単純に周囲に合わせること、景観に配慮することがサイト・スペシフィックだというのは、短絡的だしつまらない。典型的なのは、鉄筋コンクリートの建物なのに、近くにお城があるからといって屋根瓦を乗せるような建築ですよね。
―それは今のパブリックアートにも通じるところがありますね。景観におもねってしまうという……。
 話を元に戻しましょう。さきほど大西さんは、「パブリックアートに対する考え方が変わってきた」とおっしゃいましたけど(前号)、そのへんをもう少し詳しく。
大西:そんな大した話ではないんですが……。最初はパブリックアートに可能性を感じてたんですよ。それは、現代美術が一般社会から乖離しているっていうか、取材して記事を書いても、ある種のむなしさが常につきまとうわけです。たまたま美術という伝統的ジャンルが確保されているから書けるだけで、実際の読者人口というのは、特に現代美術はどんどん下がっているし、読んでる人もいつも同じじゃないか……まあ現代音楽も、現代詩もそうかもしれませんが(笑)。
―そうそう、現代詩はもっと悲惨らしいですね。
大西:そういうことに対するむなしさと、だからこそ新聞みたいなゼネラルなメディアでもうちょっとがんばらなくちゃいけないのかな、という発奮材料でもあるんですけどね。
 で、その時にパブリックアートが出てくれば、街の中にも美術があるということで、一般読者にも語りかけやすいわけですよ。社会から乖離した美術が、また接点を持ちうるんじゃないかという期待感があったんです。でも、次々とできていったものを見ていくと、極端に社会にすり寄った楽しいだけの作品になってしまうか、あるいはアートなんだからいいじゃないですかっていう、パブリックアートを自己目的化してしまったような現状があると思うんです。だから、ただパブリックアートだからいいというわけにはいかなくなってきた。
 ミュージアム・シティ天神でも、もうちょっとアーティストの側も、事務局サイドにしても、がんばってほしいなって感じはある。それだけぼくらの期待が大きいからなんですけどね。ぼくらとしては「おもしろいものやってますよ」って、メディアを通して伝えたいんですよ。でも実際に行ったら、まだ地図もできてなければ、作品も期待したほどおもしろいかっていうと、ま、それほどではないかな、ということもある。地元の人や読者に「あんなもんですか」と思われてしまうのが一番ツライですよね。
 今年のヴェネツィア・ビエンナーレでいえば、ぼくはけっこう肩入れしてるんですが、内藤礼さんのやり方って今のパブリックアートとは対照的ですよね。あの作品は、内藤さんがいる時だと1時間に5人くらいしか見られないんです。鑑賞者の数はものすごく少ない。あれは、言葉にはなかなか置き換えられないし、写真にも撮りづらい作品だから、本当に見た人にしかわからない。
―体験する以外にないですからね。
大西:でも、だからこそ美術にしかできないことをやってるともいえるわけです。ま、あれを美術というのかどうか……ああいう表現は特殊なケースかもしれないけれど、そこまで突き詰めたものがパブリックアートにあれば、そうとういいですよ。彼女の作品は1時間に1回、点検しないといけない。人が歩く風圧で倒れるんですから(笑)、そりゃパブリックアートには向かないですけどね。だからぼくはプロジェクト型の、期間限定型のほうがおもしろいものができるんじゃないかと思います。
――テンポラリーだからこそ思い切った冒険もできるし、またミュンスターみたいに、その中から優れた作品を残していくことだってできますしね。……今日はどうもありがとうございました。

大西&村田
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