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「リアルさ」の意味が変貌する映画『タイタニック』
――複製される実在とその亀裂
北小路隆志

たとえば荒川修作のこんな発言が『タイタニック』を楽しむうえで意外と本質を突くものかもしれない。少し長くなるが引用しよう。

「環境というのは人工的に全て造り上げて、初めて使い方がわかるんです。……私たちが奈義(の美術館)で徹底してやったことは、1ミリ四方といえども与えられたものの世話にならないということです。だから龍安寺の庭にしても、本物を持ってきてはいけない。全てあそこに作ったんです。少しは開拓されたボキャブラリー、それを使ってインスタントに歴史的環境を造り上げて、その環境があなたなんだということを、静かに言いたかったんです」(*1)

ある「環境」を「人工的に」そして「インスタントに」まるごと全て「造り上げる」こと。そこに人物や事物が配置され、物語が展開し、カメラは回る……。これは確かに映画がその誕生以来持ち合わせてきた性格だ。しかし何かが違ってきており、『タイタニック』はやはりある種の「亀裂」を映画史にもたらす。さまざまなメディアが既に(「静かに」ではなく声高に)伝えているように、監督のジェームズ・キャメロンは誇大妄想的な偏執狂(?)であり、1912年4月15日に北大西洋上で沈んだタイタニック号のほぼ実物大のレプリカをスタジオに設置された巨大な海水タンク上に「造り上げ」、細心の注意を払って内装や調度品等々を当時のまま設えたあげく、沈没させている。キャメロンも荒川同様にそうしたプロセスを経ることで初めて「環境」の「使い方(いかに映画を撮影すべきなのか)がわかる」という考えの持ち主なのだ。

TITANIC http://www.titanicmovie.com/

タイタニック
http://www.foxjapan.com/

タイタニック

(*1)
『現代思想』1996年8月号
「都市と身体」
キャメロンが前作『トゥルー・ライズ』から挑戦を開始したいわゆる「フォトリアリスティック」なSFXは飛躍的に成熟度を増している。つまり様々な技術の合成によって、現実には(既存の撮影技術では)実現不可能なショットを私たちはこの映画の中で幾つも目撃する。そこには完璧にリアルな映像が見出されるばかりで、破綻は存在しない。つまりここでの「平面」は綻びを微塵も見せずに「リアルさ=本物らしさ」の極致を演出するのだが、私たちはそれでもやはり(だからこそ?)画面が「人工的」であると感じるのだ。映画における「リアルさ」の意味が反転する。映画の「リアルさ」は本来「人工的」な印象から遠ざかるべきものだが、むしろ完璧な「人工性」が、キャメロン的な「三次元のアニメーション」が、画面を覆うのだ。

この作品を契機に映画における「リアルさ」の意味が変貌するだろう。ハイパーリアル?「大気もないハイパーな空間で四方に拡がりつつある組み合わせ自在なモデルが合わさってできた産物」(*2)。『タイタニック』はそうした「産物」なのか? 確かに“シミュレーションの先行”とでも呼ぶべき事態が存在する。海底に沈む船の様子を映し、前もっていかに船が沈んだかを正確に「再現」するCG画像をも私たちに目撃させたうえで、おもむろに物語は開始される。シミュレーションの先行、「全ては前もって死に絶え、予め蘇っている……」。だがこの映画のヒロインで事故の生存者である女性は「確かにそう沈んだだろうが、私はそれをまったく違うものとして体験した」とそのCG画面によるシミュレーションを見守りながらつぶやくのだ。「発生的ミニアチュール化こそシミュレーションの次元だ。そこで実在はミニアチュールの細胞やマトリックス、そしてデータの記憶や命令のモデルが造られる――それを基にして無限にくり返し実在は複製されるのだ」(*2)。しかしキャメロンはそうした「データの記憶」に亀裂を見出すだろう。それが船上でヒロインが出会い、恋に落ちる若い画家(模造の造り手!)の存在に他ならない。私たちが映画を通して目撃するこの魅力的な男性は“タイタニック・オタク”が全精力を傾けて調べあげた「データ」の〈外部〉だ。出航寸前にポーカーで三等切符を獲得したこの男の名や存在は「完璧に」忘却され、いかなるシミュレーションからも脱落する。だから映画はある種の可能世界を提示するのだ。もしあの船に若い画家志望の男が紛れ込み、ある女性と出会い、恋に落ちたならば……。

(*2)
ボードリヤール
『シミュラークルの先行』
竹原あきこ訳

前述のCG画像による事故のシミュレーションに説明を加えるでっぷり肥満した男は、船が氷山と接触してから水没するまでに要した時間が2時間40分程であったと告げていた。この時間を意外に長いと感じるべきか、短いと見なすべきか? たとえば、こんな比較が成立する。パニックに陥る乗客を落ち着かせるべく奏でられた楽団のあの有名な演奏を背景に、もし映画が上映され始めたとして、私たちは3時間を越える大作『タイタニック』を見終えることはできなかった。そうした想像がなぜか私を慄然とさせる……。

『タイタニック』
1997年12月20日より全国東宝洋画系にて日米同時公開

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