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ビエンナーレに前線を
−キョン・パークのオルタナティブな試み
太田佳代子

現代都市の本質と可能性を探る

今年の第2回光州ビエンナーレのキュレーターに選ばれた時、キョン・パークは一も二もなく「都市」を主役にしようと思っている、と言った。
 「都市」――正直いって食傷気味の言葉だった。思えば80年代半ばあたりから、そう、ちょうどバブルがブクブクいい始めた頃から怪しい魅力を放ち始め、神戸地震でシュンとなるまで思いきり消費された言葉である。このテゴワく、かつ膨大なテーマと敢えてどう取り組もうというのだろう?
 ウブな考えであった。だからこその企画なのである。
 彼の展示「未来像――新しい地理上に立つもの」は、世界22都市の「まさしく現代的な状況」がテーマで、それを記録した作品を集めている。つまり、若干の都市模型や建築ドローイング以外は、写真、映画、ビデオ、CD-ROMが素材で、すべてスライド・プロジェクションによって会場中に映し出される。観客はさまざまな状況が静かに錯綜する、インマテリアルな都市空間をナビゲーションするのである。
 都市の恐怖に対抗する要塞となったシカゴのゲットー、過去のユートピアからいきなり別のユートピアへスライドしようとするハバナ、貧困社会を偉大なるマスの象徴によって救済しようとしたブカレスト、理想都市への再建が市の経済破綻によって民間企業の手で進められているベルリン、西洋との複雑な意識関係の中で近代都市を即成していくバンコク、上海、クアラルンプール……。そして大震災後の神戸。
 パークが見せようとする現代の都市は、「街並の美学」といった言葉がすでに失効した場所であるのは言うまでもないが、80年代のように建築家が前衛度を競いあう巨大な展覧会場でもない。逆に、都市を作る専門家やオピニオン・リーダーたちが否定し、修正し、あるいは黙殺してきた都市を直視することこそ、今は刺激的なのである。パーク自身の言葉を借りれば、都市は「自由社会だろうと、独裁社会だろうと、人間の思考と営みを最も民主的に表現するもの」である。展示の趣旨は「繁栄ないしは危機の渦中にある極端な状況」から切り取られた様々な切片を通して、現代都市の本質と可能性を探ろう、ということなのだ。

ビエンナーレをどうハッキングするか

アーティストの個性とはいわば対極にある「都市」をメディアとして、観客を新しい視点へと覚醒させる。いかにもパークらしい、オルタナティブなやり方だ。彼は1982年から、ニューヨークのソーホーでハードコアのオルタナティブ画廊「ストアフロント」をアーティストのシリン・ネシャットとともに主宰してきた男である。仕事はまったくないが滅茶苦茶面白いことを考えているアーティストや建築家にチャンスを与え、しばしば政治的なテーマを扱った。時には街へ出て直接行動にも出た。だから、ビエンナーレだからと言って、アーティストの作品をズラリと並べ、アート界の慣習を大枠では肯定するといったやり方を踏襲する訳はないのだ。
 パークの会場ではビエンナーレにやってきた観客を躊躇させるだろう。優秀な写真家や映像作家の作品であるにせよ、およそ従来の「アート作品」という範疇に入りそうなものは一つもないし、有名な出品者といえば日本の建築家であるイソザキイトウぐらいのものである。だが、アートの国際展でもない、ましてや建築展とも違う新しい展示メディアが、何か力強いインパクトをもって生まれる可能性はある。そしてパークの活動家的なキャリアを尊敬する私としては、ビエンナーレをどうハッキングするかが関心の的である。

シリン・ネシャット
Shirin Neshat - Exhibitions
http://www.artincontext.com/listings/pages/artist/c/2vcr0kzc/exhib.htm


イトウ
伊東豊雄
http://www.toto.co.jp/GALLERMA/hist/ja/biogra/itotoy.htm


第2回光州ビエンナーレ「未来像――新しい地理上に立つもの」
開催地:韓国、光州
会期:1997年9月1日〜11月23日


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