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マンガの国 日本−5
現代マンガは笑いをどう描いてきたか2
MANGA
go tchiei
呉 智英

赤塚不二夫の登場
戦前はもちろん戦後20年ほどは、笑いを描いたマンガは笑話や落語を絵画化したという域を出るものではなかった。剽軽な人物たちがお道化たり失敗したりするというもので、全体に大きな落ちがついた。
1960年半ばに、赤塚不二夫が出現し、従来の定型を破った。『おそ松くん』『天才バカボン』などは爆発的な人気を獲得した。これらの作品では、登場人物は外形も性格も極端にデフォルメされており、また脇役の方が主役より活躍することも珍しくなく、全体的な落ちよりも唐突に現れる滑稽さが笑いを生んだ。どの点でも従来のマンガにはないことであった。赤塚は数年の燃焼期を過ぎると生彩を失ったが、彼が偉大な開拓者になったことは決して否定できない。
赤塚不二夫とほぼ同じ頃、旧来の大人マンガの世界に東海林さだおが現れた。彼は当時のマンガ家たちの作画観から見れば稚拙としか見えない絵で、生活の細部に宿る笑いやそれとは全く逆の超現実的なおかしみを描いた。これも従来のマンガにはなかったことである。
1960年代終わりには谷岡ヤスジが登場し、攻撃的で爆発的な笑いを描いた。
この頃から、旧来の笑いのマンガの持っていた、道徳、教育、伝統などによる抑制感がなくなり、笑い自体をさらに追求して描くことが始まった。
バカボン
赤塚不二夫
『天才バカボン』

60年代通信
「赤塚不二夫展」取材レポート

http://plaza8.mbn.or.jp/~60net/
fujiote2.htm

SF作家の流入
1974年、山上たつひこの『がきデカ(子供刑事)』が一大旋風をまき起こした。それまでタブーとされていた異常性愛をしばしばテーマにしたことも衝撃的だったが、マンガ技法史の観点からは、緻密な描線で笑いを描いたことの方が重要かもしれない。それまで、笑いのマンガは登場人物を単純化・類型化して描くものとされていたからである。
山上たつひこはギャグ作品を始めるまでの10年ほどSFマンガを描いていた。人間や文明をシニカルに見る眼と緻密な描線はそこで得たものであった。
山上たつひこと同時期に、怪奇マンガのベテラン楳図(うめず)かずおが『まことちゃん』というギャグ作品をヒットさせた。これもまた描線が緻密であり、その描線や笑いを描く視点は怪奇マンガで培われたものであった。
がきデカ
山上たつひこ
昭和50年代、秋田書店販促品
として出回った『がきデカ』
のしたじき

まことちゃん
楳図かずお
『まことちゃん』

四コマものブームと沈滞
1980年代初め、マンガ雑誌が何誌も創刊されマンガ市場が拡大するとともに、四コママンガのブームが起きた。しかし、これは保守的・懐旧的なブームであった。きわめて古典的な、いたずらや失敗の笑いを四コマに割りふったものばかりであった。こうした他愛もない笑いが広く支持されるということは、マンガが一面では日常生活の中での単なる慰安の意味しか持っていないことの証明でもある。
しかし、凡庸な四コマ作家たちの中で、いがらしみきおという奇才も出現した。彼は良識を挑発するような笑いを鋭く描いた。
1980年代半ば、不条理マンガと通称される四コマものが出現した。普通の感覚ではどこで笑っていいのかわからない奇妙な笑いを描いたマンガで、吉田戦車、榎本俊二らがその代表である。奇を衒ったような彼らの表現は若いマンガ家たちの間に多くの追随者を生んだが、その表現自体がすぐに陳腐になり、現在は自閉的な笑いとしかなっていない。これと併行して凡庸な四コママンガは今も消耗品として生産され続け、現在、笑いのマンガは沈滞している。
いがらしみきお/製作
デスクトップシネマ
「テロペット」

http://www.comminet.or.jp/
people/k-koki/DTC2.html



吉田戦車
http://www.tk.airnet.ne.jp/tshibata/
sensha/sensha.htm



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