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ロシアから来た「普通の映画」
――第10回東京国際映画祭ニッポン・シネマ・クラシックから
篠儀直子

スケールアップした
「ニッポン・シネマ・クラシック」
review1第8回東京国際映画祭に自主企画として初登場し、昨年の第9回から公式プログラムとなった「ニッポン・シネマ・クラシック」は、映画評論家の山根貞男氏をコーディネイターとして、鑑賞機会が半世紀以上なかった映画を上映し、好評を博してきた。この11月1日から10日にかけて開催された第10回においても同様であったが、「幻の映画」を死蔵状態から救出しようとする山根氏らの尽力は、さらにスケールアップされていた。ロシアのゴスフィルモフォンド(国立映画保存所)に保管されていた映画が、5本登場したのだ。
 新聞報道と山根氏の紹介文によれば、ゴスフィルモフォンドの設立は1948年。ロシア・ソ連の映画2万5千タイトルと、日本映画500タイトルを含む外国映画3万タイトルを所蔵している。ここに、第二次世界大戦前のソ連で上映されたものと、日本の敗戦後ソ連軍が中国東北部で押収したものからなる、戦前戦中の日本映画が1400巻保存されていた。内容不明のままであったこれらを山根氏らが3年にわたり調査した結果、日本国内に現存しないフィルムがおよそ40タイトル発見されたという。そのなかから4本がセレクトされ、4年前に別経路でゴスフィルモフォンドから持ち帰られていた鈴木重吉監督の『何が彼女をそうさせたか』(1930)とともに、今回のプログラムで上映される運びとなったのである。
 山根氏らの選んだ4本のなかで最も古いものである『親』(29)は、捨て子だった少女が実父と再会する物語。悪事に手を染めていたらしい実父は少女と育ての親たちの愛情あふれる生活を見て更生し、病に倒れたところで実の親の名乗りをあげ、少女の一家に保険金を残してめでたしめでたし(?)という簡易保険局の宣伝映画。外景のなかに人物をとらえるロングショットの情感が魅力的だ。屋外シーンの名手として後年知られることになる、清水宏の演出であることはまちがいない(共同監督は大久保忠素)。
珍品コメディ『爆弾花嫁』
佐々木啓祐を監督とし、32年に製作され35年に公開された作品は、題名からして超イケてる『爆弾花嫁』。尺八教室のふたりの弟子による師匠の娘の争奪戦と、拝金主義者の師匠が金を貯めこんでおいた甕の争奪戦とが、入り乱れて展開するのを一応の筋書きとして、突拍子もないことがつぎつぎ起こるナンセンス・コメディだ。
 なにしろ、見知らぬ女がチンピラにからまれているのを発見した師匠はチンピラを撃退するのに橋の欄干を投げつけるのだし(このシーンはゴスフィルモフォンドの手違いで2度繰り返される形になっていたのだが、これがまるっきり「今のところアンコール!」って感じに見えるのである)、嫌いな弟子との結婚を父親に強要された娘が花嫁衣裳のまま恋仲の弟子と鉄道に身を投げれば、どういうわけだか汽車に引っかかったまま運ばれていき、やっと落っこちればそこはなぜか墓地で、ひとだまが飛びかいガイコツの倒れるなか、逃げまどうことになる始末。ところがまだおさまらない。馬脚をあらわした婚約者が甕を持って逃げるにいたり、のちにスラップスティック映画を多数演出することになる斉藤寅次郎の編集はいよいよ本領発揮、スピード感あふれる追っかけシーンが展開される。発見された断片が昨年のプログラムで観られた伊丹万作の伝説の喜劇『国士無双』(32)も、脚本のみに寄りかかったものとして、この映画の前では色あせてしまうだろう。最後に恋人たちは結婚を許されて抱き合い、うしろで師匠も甕と抱き合ってハッピーエンド、なのだが、それがラストシーンにならないところがこの映画の恐ろしさ。甕とまちがえて爆弾を持って逃げた求婚者とその悪い仲間たちが、あとかたもなくふっとぶところまでやってしまうのだ。そのうえこの悪の一味はふっとばされるその直前まで、画面手前に向かって正面向きで、こともあろうにラグビー部のランニングみたいに隊列を組み、オイチニオイチニと走ってくるものだから、困ったことに観客全員笑いが止まらないのであった。
 こういう映画を作って誰かに叱られたりしなかったものかと心配にもなってくるし、事実叱られたのかもしれない。山根氏らとともにゴスフィルモフォンド保管作品の調査にあたり、『爆弾花嫁』の上映を強く推したという蓮實重彦氏は、舞台挨拶でこの映画を「昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスの雰囲気をそのままとどめた、息もつかせぬ作品」と評した。サウンド版として公開されたはずのこの映画の音楽が、11月1日・2日の上映で聞かれなかったのは残念。
戦時下の時代劇――『お市の方』と『大阪町人』
サイレント映画である以上の2本に対し、以下に紹介する2本はトーキーである。野渕昶監督『お市の方』(42)は、タイトルから知られるとおり、織田信長の妹お市の婚姻から夫との死別までを描いた映画。勤皇精神発揚を掲げて製作されたものであり、「銃後の母」の心得を諭されているようでもあるが、天皇中心の国家を建設しようとする信長と、信長を「夫の仇」と憎むお市との確執が強調されたりもする。戦前戦中の思想史・社会史につうじた専門家による分析があればと思う。泰然たる演出をささえる美術が、戦時下と思えぬ充実ぶり。なお、「ニッポン・シネマ・クラシック」のオープニングとなったこの作品の上映は、蓮實氏の提案で、映画祭開幕直前に逝去したサミュエル・フラー監督に捧げられた。
 これと同じ撮影所(大映京都)による『大阪町人』(42)は、大石内蔵助に武器を提供し奉行所の取調べにも討入りの日まで沈黙を守った商人、天野屋利兵衛の挿話の映画化である。ここでも見事な美術装置が見られるが、にもまして、森一生の演出が注目された。彼の代表作のひとつに数えたい。編集・音響・構図・美術・照明・演技のすべてが緊迫感を持続させ、このフィルムを間然とするところなき一級のサスペンスとしている。屋形船のうえで、内蔵助から渡された巻紙を開きはっとした利兵衛が「連判状!」ともらした刹那、そのときまで聞こえていなかった水音が、ひたひたと打ち寄せてくる繊細さなど忘れがたい。
「普通の映画の映画史」が持つ豊かさ
冒頭で述べたとおりこの4本のほかに、鈴木重吉監督の『何が彼女をそうさせたか』も上映された。これは「傾向映画」を代表する名作として知られ、「ラストシーンでは嵐のような拍手がわきおこった」と伝説ばかりがとどろいていたものである。しかし、ここでわたしが紹介したのはそれ以外の、ごく普通に作られごく普通に観られ、だが「名作」として記録されることは決してなく、それゆえ忘れ去られていた娯楽映画たち、いわば「普通の映画」のほうである。映画史の全体像を把握するにはそうした「普通の映画」の群れと接することが必須なのであり、実際のところ「ニッポン・シネマ・クラシック」がこの3年にわたりわれわれにもたらしてきた最大の宝とは、「名作の映画史」ならざるそうした「普通の映画の映画史」が持つ、豊かさへの驚きにほかならない。本プログラムの聡明な試みと、ゴスフィルモフォンドとの交流の、さらなる継続が切望される。ゴスフィルモフォンド所蔵の黒澤明監督の処女作『姿三四郎』(43)には、日本では失われた部分が含まれている可能性があると新聞には報じられていたが、たとえば、プロパガンダ映画として製作されたその続編『續姿三四郎』(45)についても、ことによると、日本現存のプリントとは別のヴァージョンが出てきたりはしまいか?



第10回東京国際映画祭ポスター公式ポスター



爆弾花嫁
爆弾花嫁



お市の方
お市の方


大阪町人
大阪町人
第10回東京国際映画祭
会場:東京都渋谷区各劇場ほか
会期:1997年11月1日〜11月10日
ホームページ:http://www.tokyo-filmfest.or.jp/

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