秀英体のコネタ

2006年09月14日

 

第18回 東京国際ブックフェア2006で何が起こったか(1)

 

かれこれ2ヶ月も経ってしまいましたが、去る7月6日(木)〜9日(日)まで東京ビッグサイトで、第13回東京国際ブックフェア2006が開催されました。併催のデジタルパブリッシングフェアに大日本印刷も出展、多数のご来場を頂きました。誠にありがとうございます。

今年の目玉は、昨年の上製本実演に引き続き、DNPを支えてきた職人の技をライブでご覧いただく「匠シリーズ」第2弾、活字直彫りと校正刷りの実演でした。

今回の秀英体のコネタは、東京国際ブックフェア2006のDNPブースのもようをご報告いたします。

DNPコーナーの写真
今年も満員御礼! ご来場ありがとうございました。

今年の秀英体コーナー

もちろん実演だけではありません。秀英体だって展示していました!

「ものづくりからITまでをつなぐソリューション「秀英体」」と題し、DNPオリジナル書体である秀英体の歴史や利用事例、そして新しい取組みである高精細ディスプレイ表示用書体のデモなどをご紹介いたしました。

秀英体コーナーの写真
秀英体コーナー

活版時代の道具などと一緒に、秀英体研究のご紹介。実際に手にとって中をご覧頂きました。道具類は、電胎母型彫刻母型原図パターンなど書体作りに関わるものや、高低見・幅見・版面見という活字の規格を計測する道具、そして短冊形活字見本帳などをご紹介しました。

活版道具コーナーの写真
活版時代の道具いろいろ

利用事例コーナーでは、秀英体をカバーや本文で使用した書籍・雑誌をご紹介。
新刊からロングセラー、辞書・全集、ファッション誌まで、いろいろなシーンで使われているんですよ。

利用事例コーナーの写真
利用事例の本は、実際に手にとって比べながらご紹介

高精細ディスプレイ表示用秀英体のコーナーでは、各種携帯端末での表示例をご紹介しておりました。まだまだ表示用ではゴシック体の利用が中心ですが、デモを通していろいろな書体を比較して、秀英体の持つ表現力を感じていただけたのではないでしょうか。

高精細ディスプレイ表示用コーナーの写真
電子書籍のヘビーユーザーの方にもご覧頂きました

今年は秀英体ポスターも作りました。秀英体の豊富な字種から、23,500字を並べたポスターです。ご希望の方にお配りしておりました。お部屋に飾って頂けているでしょうか。

高精細ディスプレイ表示用コーナーの写真
最後のほうは見たことのない謎の字だらけです

実演:活字直彫り

さて! 今年もご来場のお客様には、DNPの匠の技をご覧頂きました。
昨年は上製本づくり、今年は金属活版印刷の工程から、活字直彫りとゲラ刷りをご紹介です。

活字直彫り(地金彫り/新刻とも)とは、活字の材料である鉛の棒に、直接、手で文字を彫っていく作業のことです。

通常、金属活字は鋳造してできあがります。保有するすべての文字は「母型」と呼ばれる文字の型があり、そこに溶けた鉛を流し込んでつくられます。しかし、特殊な漢字や記号など、型のない文字がまれに原稿に含まれていることがあります。その文字が今後何度も使われることが想定されれば、母型を新たに作ります。しかし母型づくりは 文字を手作業でレタリング→亜鉛の腐食版を作成→彫刻機で母型を彫刻 という手順で作るため、少し時間がかかります。印刷現場は常に時間との戦い。特に雑誌は入稿から印刷へまわすまでのスケジュールが非常に短い事態がままあります。母型を待っている時間がない、そんなとき、手作業の活字彫刻の出番です。

実演する職人は中川原勝雄さん。DNP市谷工場で約30年あまり、活字直彫りを一手に引き受けてきました。

中川原さん
中川原勝雄さん、文字を彫るスペシャリストです。

それでは、作業の工程を見ていきましょう。
実演では本文で一般的に使用される9ポイントの明朝体「銀」を彫っていただきました。

作業は6工程に分かれます。すべて小さな活字を彫る作業のため、どれだけ近寄ってもなかなか見えません。そこで、手元をCCDカメラで撮影し、中川原さんの上部に取り付けた大きなモニターで文字面の状況をライブでご覧頂きました。

実演のようす
実演中の中川原さん。手元はモニターで。

(1)下書き

まっさらの鉛の棒に、コンパスの針の先端で、文字の輪郭のアタリをつけていく作業が「下書き」です。深くは彫らず、ひっかく程度の力で作業をします。

(2)字入れ

直角の「定規」を使い、文字の直線部分をしっかりと刻む作業が「字入れ」です。この定規、L字型に折れた金属になっており、中央に溝があります。L字の直角部分に活字を当て、定規の溝にコンパスの脚を滑らせてもう一方の脚で直線をしっかりと刻みます。

字入れ
字入れ作業。活字と爪の大きさを比べてください。こんな小さいところに文字を彫りますよ!

字入れ
中央に溝の入っている金属が「定規」です。直角部分に鉛を指で固定しています。

(3)浮き出し

文字通り、文字の輪郭の外側を彫り、文字部分を浮き立たせる作業が「浮き出し」です。

(4)粗彫り(彫り下げ)

文字の面にならない、不要な部分をどんどん彫り進める作業が「粗彫り」です。
大きなサイズの活字になると、どうしても不要部分が増えるため、粗彫りの作業に時間がかかってしまうそうです。

彫刻の作業は、はたから見ていると彫刻刀を動かしているだけにしか見えません。各工程で比較すると、下の写真のようになっています。

字入れ・浮き出し・粗彫り作業の比較
右から字入れ後、浮き出し後、粗彫り後。

字入れ後の文字は、縦・横の線は、定規を使って直線が引かれています。斜めの線は、下書きの時に入れた毛書きの線のみです。

浮き出し後には、文字の輪郭の外側だけを彫り、文字が浮き出ているのがわかります。
そして粗彫り後、隅など文字の線がこない空白の部分まで彫られています。残った部分だけが、印刷されることになります。

(5)仕上げ彫り

文字の輪郭を整える作業が「仕上げ彫り」です。秀英体のほっそりしたハライの曲線、ハネ、ウロコ……印刷される文字がこの作業で生まれます。ほんの小さな字ですので、わずかな角度、わずかな手の動きがそのまま製品に直結します。

中川原さんは今でも、仕上げ彫りの際には緊張する、と言います。

(6)仕上げ磨き

彫り終えた活字は、文字の面に(1)下書き で入れた線が残っています。そのため、とても目の細かい砥石で表面を2度ほど撫でるように磨いて、この線を消します。しつこく磨いては、活字の高さが低くなるので厳禁です。

仕上げ磨き作業
「マス」に活字をセットし、砥石で磨きます

これで活字の新刻が完成しました。かかる時間はわずか15分ほど。
新刻した活字は、最後の磨きのおかげで、鋳造活字とは異なり、活字の面がぴかぴかと輝いています。

道具の数々

作業には、さまざまな道具が用いられます。

新刻で使用する道具
道具の数々。これらを駆使して活字を彫っていきます。

彫刻刀

まずは何といっても彫刻刀です。

作業工程ごとに分かれているだけでなく、活字のサイズによっても刃を使い分けるそうで、数十本という刃が用意されているそうです。削る対象は金属ですので、刃先のメンテナンスは欠かせません。

ゴム印用の印刀を買ってきて、自分仕様に研ぎなおします。刃先にも独自の工夫があり、側面でも彫れるになっています。通常は一方向のみに動かすものですが、中川原さんの彫刻刀は押しても引いても彫れるようになっています。

かつては、よりよい印刀にするべく、いいと聞いた焼き入れの方法をいろいろ試したそうです。噂という噂はみんな試し、果ては「大根に挿しておくといい」というものまで。でも「刃物づくりはとても大変! うまくいかなかった」とのことです。

彫刻刀
中川原さんの彫刻刀。右から仕上げ用、浮きだし用、荒彫り用(彫り下げ)。

彫刻作業でひときわ目を引くのが、手を乗せる台です。
木で出来ており、T字型に組み合わせてあります。特に名称はなく、「台」と呼んでいるそう。中川原さんの体のサイズに合わせて大工さんにオーダーメイドしたのだそうです。

台
手に合った台が作業には欠かせません。

写真のように手を置きます。右手は手首を台に載せ、左手は指先で活字を押さえ、手のひらで台を包むようにします。

置き方ひとつとっても、その職人によって少しずつ異なっているそうです。

台
手の置き方はこうです。

台は脚の先に板を挟み、わずかに傾斜をつけて作業します。

なぜかというと、彫刻作業は台のそばにライトをつけて作業するため、活字面に影がかからないように傾けているのだそうです。

台
先端に板を挟み、台を傾けています。

ルーペ

彫る際にはルーペも必需品です。台にセットし、彫刻中は常にルーペをのぞきこんで作業します。高さ・向きなど調整できるようになっています。レンズは小さいながら厚みが18ミリもあります。ぴたりと焦点が合うと、ものすごくクリアに拡大されます。

中川原さんのこのルーペは以前から使っていたものですが、現在でも彫金など細かい作業で使われるスタンドルーペと形が似ています。

ルーペ
脚は2ヶ所曲がるようになっており、角度や高さを変えます。

コンパス

下書きをしたり字入れをするために使うのがコンパスです。製図用ではなく、これもルーペ同様に工芸用工具として販売されているスプリングコンパスと同じ形です。

ずいぶん脚が短いですが、これは使っているうちにどんどん削れてこの短さになってしまったとのこと。

コンパス
本当はもっと脚が長かったのだそう。

定規

定規といっても、目盛りはついていません。L字型の金属の中央に溝があるだけです。溝引きの要領で用います。L字の直角部分に鉛を指で固定し、溝にコンパスの一方の脚を滑らせると、残りの脚が平行な線を引いてくれる、という仕組みです。

定規
シンプルな道具ながら、直線を引くための必須アイテムです

マス

仕上げ磨きで使う道具がマスです。中央が四角に空いています。この中に彫り終えた活字をマスの表面と活字の面を同じ高さにセットし、ネジで固定します。そしてマスごと仕上げ砥ですーっと磨きます。マスは活字より硬い金属で出来ているため、一緒に磨いても活字の表面だけが削れます。

小さいながら手に持つとずっしりと見た目以上に重みがあります。
ネジが3方向についているのは、活字をぎゅっと固定するためです。和文であれば中心のネジだけでいいのですが、欧文、とくにイタリック体だったり、ベースラインからはみでているような活字のボディが水平垂直ではない文字の場合、3方向のネジで固定する必要があるそうです。

マス
ネジが1つの和文用も中川原さんはお持ちでした

活字

そして文字を彫る鉛活字。もちろん面は平らな正方形です。

彫る前の鉛活字
ここに彫っていきます

中川原さんのこと

中川原勝雄さんは、昭和9年生まれ。中学卒業後、地元青森で彫師の庭田与一さんに弟子入りし、活字を彫るという仕事につきます。お師匠である庭田さんは、岩田母型(現イワタ)の種字彫刻を行なっていた馬場政吉さんの弟子にあたり、中川原さんも馬場流といえるでしょう。馬場さんについては、大日本スクリーンのサイトで連載されていた小宮山博史さんによる「書体の背景 第7回 無名無冠の種字彫り師」に詳しく紹介されています。

出版の仕事はほとんど東京に集中しており、青森ではやりとりに時間がかかるということで、師匠一家と中川原さんを含む弟子3人は、昭和24年に上京してきました。庭田さんのところで7〜8年修行したのち独立、都内の印刷会社や活字会社に彫った文字を納めていました。新宿区内に住んでいた頃、近所に住むDNP社員の紹介で、昭和40年ごろから市谷工場内に作業部屋を設け、以降DNP市谷工場で新刻の作業を行なっていたのでした。

最初から新刻、つまり印刷で使うための活字を彫っていたわけではありません。当初は活字の最初の型にあたる「父型(種字)」を彫っていました。活字の製造方法は数種類ありますが、冒頭に紹介した レタリング→亜鉛版→機械による母型彫刻 という手法は、DNPでは戦後一般的に用いられた手法です。母型を彫る機械が導入される以前はというと、まず、出来上がりの活字と同寸に、手作業でツゲやサクラといった木の駒や鉛などに文字を彫りました。そこから母型を作り、活字を作ったのです。つまり父型は、印刷のためではなく、母型を作るための型なのです。しかしこの方法による母型製造は次第に下火になり、中川原さんの作業も父型ではなく活字の彫刻がメインになりました。

弟子入りして最初は木に筆で下書き*1をする作業から始まったそうです。1〜2年してやっと彫刻刀を握らせてもらえるも、彫った字が製品として出せるようになるまでは6〜7年はかかったそうです。
指と刃先と彫刻する鉛がとても接近している作業のため、見ているとヒヤリとするのですが、もちろん中川原さんは怪我をすることはありません。「手を切ったりはしないんですか?」と訊くと、「最初のころはよく切りました。でも慣れてくると、止めがきくようになるんです」と答えてくれました。

新刻の難しさ

最小で4ポイント(1.4ミリ!)から彫れるという中川原さんですが、しかし、「100%満足いくことはない」とも語ります。50年以上文字を彫りつづけてもなお。

新刻の難しさは、他の文字とのバランスにあります。印鑑の彫刻にも似ているように思いますが、印鑑はそれ一本で済みます。しかし活字は文章をつくることが目的です。前後左右に並ぶ鋳造活字と大きさ・太さ、そして書風が違っていては、ひと文字だけ浮いて見えてしまいます。彫りあがったときはうまくいったと思っても、植字され、印刷されたあと確認すると、なんだかおかしく見えたということもあったそうです。

要求される文字は、書体や言語を問わず色々と彫ったそうです。明朝・ゴシックなどの漢字はバランスがとりやすいが、仮名・万葉仮名は難しい。サンスクリットやハングルなど読めない文字は、刷った字を見ながら作業したとのこと。
作業では高い集中力が要求されます。「余計なことを考えながらは彫れない」と中川原さんは言います。

また、指先の動きで文字は彫られていくため、作業の前に少しでも重いものを運んだりすると震えて仕事にならなかったそうです。お昼休みにキャッチボールをしただけでもダメだった、というエピソードも。それだけの集中力と繊細な作業を要求されますので、一日作業を終えるともうくたくただったそうです。

匠にいろいろ聞きたい!

実演には中川原さんの姿が見えなくなるほどお客様にお集まり頂きました。目の前で実際にわずか3ミリほどの空間に文字が彫られていく様子には、みなさん驚きの表情を浮かべていらっしゃいました。

実演中
見えませんが、中川原さんはモニターの下にいます

そして実演終了後には、みなさん中川原さんに質問をぶつけていました。

会場では、中川原さんの作業のイラストが印刷されたポストカードを配布しておりました。そのイラストはもちろん昨年に引き続き内澤旬子さん。中川原さんの作業を丹念に取材して下さり、素敵なイラストが出来上がりました。実演中に解説もして頂きました。

内澤さんによる解説
イラストルポライターの内澤旬子さん。

『秀英体研究』の著者である朗文堂・片塩二朗さんも中川原さんに質問。展示していた『秀英体研究』を開きながらお話なさっています。

「ものすごく詳しい人だったから緊張したよ〜」とは中川原さん談。

片塩さんの質問
かなり専門的な話になっています

彫刻の方法について、具体的な質問も頂きました。ひとつひとつ、中川原さんが丁寧に解答します。

質問に答える匠
質問に答える中川原さん。真剣です。

彫った活字を直接手にとってご覧頂くと、彫り跡も生々しく、これを本当に手が彫ったんだ! とあらためて驚いてしまいます。

彫った文字に感激
彫った人と彫った活字、両方が目の前に

さて、実演はこれだけではありません。彫った活字はすぐさま隣の小さな印刷機に回されます。

次回のコネタは「ゲラ刷り」の実演についてご報告いたします。

(2006.9.14 佐々木)

  • *1 中川原さんは下書きはコンパスで行なっています。昔は筆を使っていたそうですが、締切りがあまりに急ぐので、コンパスで描くようになったのだそうです。